第百二十一話 姉妹③

 翌朝、エミリアとマリアは入り口の傍でモアを待っていた。


「モアっち遅いね〜」

「残念だけど、もう行かないと。姉さん」


 二人の視線の先では、南方司令部の兵が慌ただしく駆け回っている。

 恐らくモアも同じだろう。

 諦め、エミリアは『うん』と頷いた。

 司令室がある方向へ敬礼し、歩き出す。

 そこへモアが走ってきた。


「遅くなってすみません! 少しバタバタしてしまって……」

「ううん。こっちこそ気を遣わせてごめんね」


 にこやかに笑うエミリアに、モアが首を振る。

 そして彼女は地図を取り出した。


「これは?」


 矢印やマークがつけられた地図にマリアが首を傾げる。


「最新の状況を書き込んでおいたの。それに沿って進めば、スヴェリエ兵に見つからずに進めると思う」

「モア、貴女だって忙しいのに……」

「あはは、二人だけの任務って思ったら色々想像しちゃって。少しでも役に立ったら嬉しいわ」


 照れ笑いするモアに、エミリアは勢いよく抱きついた。

 半ばタックルのようなそれにモアが呻き声を漏らす。


「モアっち! 本当にありがとね!」

「い、いえ、お二人に精霊の加護がありますように。マリア、昨日の約束、忘れないでよ」

「もちろん。そうだ、私からも一ついい?」

「うん。なぁに?」

「皆で集まる時までに煙草をやめておくこと」


 マリアの提案に、モアはしまったといった表情を見せた。

 エミリアの眉が吊り上がる。


「モアっち煙草吸ってるの? 体に悪いからダメだよ! それにベストラ様は大の嫌煙家だから、将来中央を目指すならやめといた方がいいよ〜」

「元帥閣下の煙草嫌いは知ってますが……えっと……」

「モア」

「分かった、分かりました。最大限努力いたします、大佐殿」


 三人が笑い合う。

 そして、エミリアたちはモアに別れを告げ、南方司令部を後にした。


 それから半日、二人はスヴェリエ領に進入していた。

 モアがくれた地図のお陰で戦闘はほとんど起きず、消耗も少ない。

 森の中で休息を取りつつ、エミリアは辺りを見回した。


「さてと、問題はここからだね。あいつどこにいるのかな?」

「元帥閣下の話だと、定期的に送金していた団体を頼るんじゃないかってことだけど……」

「う〜ん」


 と、エミリアが首を捻る。


「あの根暗一人ならそれでもいいけど、第七隊も一緒なんでしょ? 全軍に通達されてるとは思えないし、あんな大人数で動くのは難しいと思うけど……」

「団体を通してスヴェリエの隊と合流するか、もしくは……」

「第七隊を捨てて一人で行くか。どの道、ガムラスタに忍び込まなきゃダメか〜」


 伸びをし、エミリアが立ち上がるのを見て、マリアは荷物を片付け始めた。


「焔恭介は行方不明、ガムラスタを守るヴァルキュリア隊の砦にはジークフリート准将が向かってる。忍び込むなら今しかないわ」

「…………」


 マリアの口から出た名前に、エミリアは頬を膨らませ、拗ねたような様子を見せた。


「あっ……」


 そのまま歩き出したエミリアの後をマリアが慌てて追いかける。


「ごめん、姉さん……」

「マリアのせいじゃないから謝らないで。根に持ってる自分と……何よりジークフリートが一番ムカつく!」


 これ以上八つ当たりをしないよう、エミリアは足元の小石を思いっきり蹴飛ばした。


「陛下や元帥閣下じゃなくて、ジークフリート准将に怒ってるの……?」

「うん!」


 恐る恐る問いかけるマリアにエミリアが即答する。

 意外な答えにマリアはキョトンとした。


「あいつが第一隊にいる理由知ってる?」

「え? ……『八芒星オクタグラム』の筆頭だから?」

「それでいい? 変えるなら今だよ?」

「う、うん……。大丈夫……」


 エミリアがクイズ番組の司会者のように眉を寄せ、真剣な顔でマリアをジッと見つめる。

 マリアも今か今かと前のめりに答えを待った。


「──残念! 不正解です!」

「そんなぁ……」


 マリアは大層悔しそうだ。

 それを見てエミリアはケラケラと笑った。


「ジークフリートが第一隊に固執してるのはギーゼラさんがいるから。それだけだよ」

「噂は聞いたことあるけど、ジークフリート准将、やっぱりそうなんだ」

「そうだよ! てか一目で分かるぐらいベタ惚れだからね〜。まっ、当のギーゼラさんは気付いてないみたいだけど」


 エミリアはいい気味だといった調子でニヤニヤしている。


「そう、なんだ……。ちょっと可哀想だね……」


 ジークフリートを憐れむマリアにエミリアは詰め寄った。


「いいの! 何年一緒にいるんだって話じゃない! 告白できないあいつが悪いのよ! そもそも第一隊はロマノーの盾と呼ばれる防衛戦のエキスパートなのに、あいつ簡単な防御術式一つ使えないじゃん」

「そうだけど……」

「それでもギーゼラさんの傍にいたいからって異動を断ってたのに、隊長になれると分かったら命令に従うとか公私混同もいいとこじゃない!」


 マリアが黙り込む。

 今自分がこのポジションにいるのはエミリアが公私混同しまくった結果でもある。

 普段はエミリアを全肯定しているマリアであったが、このやり取りは他の人には聞かせられないなぁなんて考えていた。


 その後も二人は周囲を警戒しつつも、久しぶりの二人だけの時間を楽しんだ。

 エミリアは第二精霊特化隊と共に各地を転戦し、マリアは中央で将官たちの派閥争いを見せられている。

 お互いにしか言えない話が山程あるのだ。

 だが、しばらくして──。


「この臭いは……」


 チーズが腐ったような臭いが鼻を刺し、エミリアは顔をしかめた。

 何度も経験してきたものだが、決して慣れることはない強烈な臭い。

 エミリアの頭に最悪の状況が過ぎる。


「マリアはここで待ってて。ちょっと見てくるから」

「ううん、私も行くよ」

「でも……」


 エミリアが迷っている間に、マリアはハンカチを取り出し鼻と口を覆った。

 こうなっては説得しても無駄だろう。

 エミリアはマリアに少し離れてついてくるよう告げ歩き出した。

 段々と臭いが増していく。

 正直スルーしたいところだが、確かめなければならないことがある。

 木の枝を払い、臭いの元へ辿り着いた二人は愕然とした。


「第七隊……!」


 ドス黒く変色した血溜まり、腐り、肉体が欠け始めた数十人分の死体。

 装備と襟に刻まれた『Ⅶ』の刺繍でようやく判別できる状態だ。

 チーズが腐ったような、などと前述したがとんでもない。五感に、全身に纏わりつき、死へ引きずり込む底無し沼。

 そんな風に感じるくらい、その場の空気は澱みきっていた。

 焼き払おうと、エミリアが手に炎を灯すが……。


「あ…………。……うえ……」


 背後でマリアが木にもたれ掛かり吐くのを見て慌てて駆け寄った。


「マリア!」

「ごめ……ごめん、なさい……」

「いいから! 離れるわよ! 立てる?」

「うん…………」


 生気を失ったマリアを支え、エミリアは急いでその場を離れた。


 臭いが届かない距離まで逃げた二人は川の傍でへたり込んだ。

 マリアはまだ気持ちが悪いのか、口元を押さえ喘鳴を漏らしている。

 エミリアは水筒を差し出した。


「飲める……?」

「ありがとう……。……ごめんなさい。姉さんの足を、引っ張って……」


 弱々しく吐き出すマリアの頭を撫で、エミリアは首を振る。


「マリアのが当然の反応だよ。私も全然慣れないってか、慣れてるやつの方がどうかしてるって」

「そうかも、知れないけど……」

「それより服脱いで、洗っちゃうから」

「へっ……?」


 エミリアは自分のマントでマリアの下半身を隠した。


「汚れたままだと気持ち悪いでしょ?」

「ありが、とう……」


 マリアは素直に従い、マント二枚にくるまった。


「姉さん、私……」

「それ以上言ったら怒るよ」


 エミリアの口調は優しいものだ。

 手早くマリアの服を洗い終え、木に干すと両手に炎のエレメントを集めた。


「あ、姉さん……」


 マリアが心配そうに見つめる。

 エミリアはバツが悪そうに両手を振ってみせた。


「大丈夫! 焦がしたりしないから! こうやって両手で挟んで……ほら! ちゃんと乾いてるでしょ?」


 両手をアイロンのように使い、マリアの服を乾かしていく。

 それを見ていたマリアは安心したように微笑んだ。


「良かった、笑ってくれた」

「姉さん……」

「私たちはこれでいいの。私はマリアを守る。マリアは私を支えたり、私が突っ走ったら止める。昔からそうだったでしょ? 周りなんて関係ない。私たちは二人だけの姉妹なんだから」

「……うん、そうだね」


 服を着直し、マリアは軽食を準備し始めた。

 それを眺めながらエミリアが語りかける。


「マリア。ホテルスのことだけど」

「うん」

「あいつは第七隊を殺した。おおかた、いつもの癇癪を起こしたんでしょ」

「第七隊だけ突出し過ぎてたから、不審に思う隊員もいただろうね」


 エミリアが頷く。


「問題なのは逃げられたのにわざわざ殺したってこと。私はもう、あいつを捕まえる気はない。ダーインスレイヴにあいつの血を吸わせてやる」

「ダーインスレイヴ。一度鞘から抜けば、血を吸うまで納められない魔剣……」

「もし抵抗があるなら、見てるだけでも──」

「私も戦うよ」


 マリアはしっかりとエミリアの瞳を見つめた。


「私は姉さんを支える。そうでしょ?」


 エミリアは微笑み、渡されたスープをかき込んだ。

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