第百十八話 瓦解④
ホテルスとの戦闘後、レオンは頭に叩き込んだ地図を頼りに森の中を歩いていた。記憶が正しければ、砦まで一時間弱といったところか。
相変わらず右腕がズキズキと痛む。いや、あんな大技を使ったせいか悪化する一方だ。
レオンは自身の体へと恨みがましい視線を向け、スヴェンの言葉を思い出していた。
『気をつけることだ。奴らは君たちの味方ではない。アクセル・ローグのように呑まれぬよう、細心の注意を払ってもらいたい』
俺は、もう……。
自身の芯、根底とも呼べる部分をしっかりと掴んで離さないウルとスカディ。
この二人(?)が本当に伝承に聞く天空神と女神なのかは定かではない。
正直言って、今でもスヴェンの術式の中で見た光景は夢だったのではないかと感じる時がある。だが……。
「こんなのは、俺じゃねぇ……」
元々、義憤に駆られるような人間じゃない。
国の為に、誰かの為に戦うような人間でもない。
適性があって金も稼げる。だから軍人をやっているだけだ。
そこへいくと、ホテルスとの戦闘は明らかに自身の意思で行ったものではない。
ミカの態度から薄々感じてはいたが、どうやらスヴェンの忠告虚しく呑まれてしまったようだ。
ウルとスカディに呼びかけるが、当然返事はなかった。
「俺は痛いのは勘弁だし楽して稼ぎてぇだけなのよ。人の体を勝手に使うのやめてもらえますかねぇ?」
語気をやや強くし二人(?)に告げるが、やはり反応は無し。
レオンは諦めたように肩を落とした。
「……ここか」
そんな一方的なやり取りをしている内に目的の場所へ辿り着いた。
所々に銀の装飾が施された巨大な白亜の砦。ここを抜ければガムラスタはもう目と鼻の先という、文字通り最終防衛ラインだ。
しかし、奇妙なことに見張りがいない。
近くの木に登り全体を見渡すが、正門だけでなく、裏手にも物見台にも人影はなかった。
ここはスヴェリエの中核を担う部分だ、当然だがまだロマノー軍の手は及んでいない。
それでも、見張りの一人もいないというのはいささか無用心が過ぎないだろうか。
木から下り、ゆっくりと砦に近付いていく。
その直後であった。
「──ッ!? がぁっ!?」
レオンはアッサリと背後を取られ組み伏せられてしまった。背中に体重を乗せられ、右腕を両手でしっかりと固められている。
あまりの痛みに、レオンは思わず大声で叫んだ。
「いだだだだだだだ!! 待て! ちょっと待ってくれ! 怪しいもんじゃない! あんたらからしたら怪しいだろうが俺は敵じゃない! 離してくれ!!」
「黙れ! 帝国兵が何故ここにいる! 他の連中はどこだ!」
怒気を含んだ、甲高い女性の声。
耳元で怒鳴られ、レオンは再び大声で返した。
「一人だよ! それより右腕はやめてくれ! 怪我してんだよ! 頼む!」
「嘘をつくな!」
「嘘じゃねぇって!! あああああああああああ!! 肩が外れる!! 抵抗はしない!! 離せ!!」
「うるさい! 大声を出すな! おい、辺りを探してくれ! 帝国兵が潜んでいるぞ!」
女の声を皮切りに複数の足音が聞こえ、レオンは目で追う。
どうやら囲まれていたらしい。
その状況にゾッとした。
気配はなかった。こいつら、どこから……!?
直前まで確かに人の気配はなかった。
なのに、気付くより早く無力化され、取り囲まれている。
レオンは一般の兵ではない。腐ってもロマノー帝国が誇る最強部隊『
その彼をこうまで簡単に抑え込むヴァルキュリア隊の力量はどれ程のものなのか。
来るとこミスったなぁ、とレオンは早くも諦めモードに入ってしまった。
そこへ新しい足音が二つ。
「何の騒ぎだ」
冷静な、やや低めの女の声に、レオンを組み敷いていた女が慌てて立ち上がる。
解放された右腕を見つめ、レオンは大きく息を吐いた。
「副隊長! 帝国兵の侵入を確認した為拘束いたしました! 現在、他の連中を捜索中です!」
「その必要はない」
「はっ……?」
副隊長と呼ばれた女の言葉に、女が──ややこしくなるので隊員と呼ぶべきか、隊員はポカンと間の抜けた表情を見せた。
「その人以外にはいませんよ♪ 敵の気配はありません♪」
続いて甘さとイタズラっぽさが混じったような女の声が響く。
その声の主にレオンは引っ張り起こされた。
そして、目の前に立つ二人の女性を見つめる。
「単身でここへ乗り込んでくるとは大した度胸だな」
レオンを見下ろしながらそう発したのは、栗色のポニーテールの女であった。左前髪が異常に長く、目も切れ長で表情は冷たい。
周りからいつも機嫌が悪そうと誤解を受けそうなタイプだ。
もう一人は藍色のショートヘアの女だ。声と同様可愛らしく、丸く大きな瞳でレオンを見つめ微笑んでいる、が……。
こいつには逆らわないでおこうとレオンは押し黙った。あくまで勘だが、逆らった相手には容赦なく、口にするのも憚られるようなことを平気でやりそうな、そんな光を瞳に宿している。
レオンの考えを見透かしたのか、はたまた単なる気紛れか、ショートヘアの方は腰を下ろし、あろうことか──。
「王国最強にして最も可憐なヴァルキュリア隊。隊長補佐のヒルダ・メランデルです♪ 貴方の名前や所属、聞いてもいいですか?」
と、自己紹介をした。
ポニーテールの女の顔がこわばる。
「ヒルダ」
「ほらほら、レベッカさんも自己紹介してください♪ まずは自分から名乗るのが礼儀ですよ♪」
ヒルダの放った正論に、レベッカは呆れた様子を見せた。
レオンの心中に僅かだが怒りが込み上げてくる。
自分は全く相手にされていない、脅威だと思われていない。
ヴァルキュリア隊を率いるクリスティーナ・グランフェルトは帝国にとって最上級の脅威だ。それは変わりない。
しかし、隊員にまでこんな扱いをされるとは。
怒り、ショック、諦め……様々な感情を抱きつつ、レオンは二人のやり取りを眺めていた。
しばらくしてレベッカが口を開く。
「名前と所属、そしてここへ来た目的を聞こうか」
レオンは頷き、素直に答え始めた。
「レオン・ユーダリル。ロマノー帝国軍中央総隊・第十二精霊特化隊兼特務隊『
「無礼者ッ!!」
突如レベッカに怒鳴りつけられ、レオンが身を震わせる。
鬼のような形相を浮かべる彼女をヒルダが『まぁまぁ』と宥めた。
だが、レベッカは止まらない。
「大貴族であり、誇り高き我らの隊長を呼び捨てにするとは何たる無礼か! その首、ここで落としてやる!」
腰に下げたロングソードに手をかける彼女に、レオンは思いっきり首を振った。
「すまない! 悪かった! ごめんなさい! グランフェルト殿に──」
「様だろう!!」
「グランフェルト様に! 口利きをしてもらいたいんだ。ロマノーと戦えってんならそうする。……まぁ、今はこんな状態だから満足にはいかねぇけど」
そう言ってレオンは傷ついた右腕を晒す。
レベッカはふんっと鼻を鳴らし、近くにいた隊員を呼んだ。
「こいつを風呂場に案内しろ。終わったら着替えさせて会議室で待たせておけ」
「よ、よろしいのですか……?」
「隊長へは私から伝えておく」
「副隊長がそう仰るのであれば……了解しました。おい、こっちだ。ついて来い」
「あ、あぁ。……いいのか? マジで?」
戸惑ったのはレオンも同じだ。しかし何故風呂なのだろうか。
「そんな汚い格好で隊長に会わせられるか。さっさと行け」
不機嫌そうに告げ、レベッカはヒルダと共に砦の中に戻っていった。
それからレオンは風呂に案内され、着替えを渡された。着ていた軍服は洗濯してくれるらしい。
清潔なのはいいことだが、前線でそちらに物資を回し過ぎるのも如何なものか。
「まっ、俺には関係ないか……」
風呂から出て、渡された着替えを広げたレオンは渋い顔をした。
だが文句は言っていられない。
扉を開け、控えている隊員に小さく声をかけた。
「あのー……出ましたけど……」
「……では、会議室へ行こうか」
そう言う隊員は必死に笑いを堪えている。
レオンは顔をやや赤くしながら、隠れるように隊員の後をついて行った。
途中すれ違った他の隊員たちも目を逸らしつつクスクスと笑っている。
会議室に着くまでの間、レオンは見世物にされたような心地だった。
「ここだ。隊長たちがいらっしゃるまで待っていろ」
「どうも」
多少人心地がつき、窓から外を眺める。
やはりここは少し妙だ。戦時中だというのに静かで、空気も張り詰めていない。本当に戦時なのかと錯覚してしまう程だ。
しかし、その時間は長くは続かなかった。
ノックが聞こえたかと思うと扉が開かれレベッカとヒルダが入ってきた。
レオンの格好にヒルダが楽しそうに笑う。
「よくお似合いですよ♪ レオンさん♪」
「そりゃどうも……」
「ヒルダ、ふざけるのもいい加減にしろ。隊長、この者です」
「えぇ、ご苦労様」
二人の後ろからクリスティーナが姿を現した。
途端、レオンが目を見開く。部屋の温度が急激に下がったように感じられ、思わず身構えた。
レオンの姿に、クリスティーナが怪訝そうな表情を浮かべる。
「まぁ、人の趣味はそれぞれですから。
それが自身の服装に向けられた言葉だと気付き、レオンは即座に否定した。
「ちょっと待て。これは渡されたから仕方なく着てるだけだ。てか、男物はないのかよ」
「ある訳ないでしょう。ヴァルキュリアは女性だけで構成されている部隊ですわよ?」
眉が吊り上がったレベッカの肩に手を置きつつ、クリスティーナが答える。
分かりきった回答であったが、レオンは残念そうに椅子に座り直した。
「それで?
「あぁ、ロマノーに勝ちの目はない。俺をスヴェリエ軍に取り立ててほしい」
「ふぅん」
クリスティーナが考えるような素振りを見せる。
だが、続いて出た言葉と威圧感に、レオンは全身を締めつけられる感覚に襲われた。
「それじゃあ、スヴェリエが危機に陥ったら、貴方はまた他国を頼るということかしら?」
「そ、それは……」
クリスティーナの背後でレベッカとヒルダが武器に手をかける。
レオンは慌てて首を振った。
「そんなことはしない! 大体、あんたや焔王がいるんだ。スヴェリエが負けるなんてあり得ないだろ」
その言葉にクリスティーナが酷く愉快そうに、レオンの無知を楽しむように笑う。
先程までの威圧感が急に消え、レオンはつんのめった。
ひとしきり笑った後、クリスティーナは目元を拭きながらヒルダにこう命じた。
「そうですわね。ヒルダ、彼の治療をお願いしますわ」
「はい♪ お任せください♪」
「では
拍子抜けする程簡単に話が通ってしまい、レオンが恐る恐る尋ねる。
「なぁ、疑ったり、しないのか……?」
「えぇ、関係ありませんもの」
クリスティーナは驕るでもなく、当たり前のように答えた。
「貴方の投降が偽りだったとして何か問題が? それなら殺してしまえばいいだけでしょう?」
彼女は思い出したように続ける。
「何といったかしら、もう一人いましたわね。ですが同じこと。立ち塞がる者は全て打ち砕くだけですわ」
レオンの返事を待たず、クリスティーナは会議室から出ていった。
呆然とする彼に、ヒルダが手招きする。
「どうぞこちらへ♪ ちゃちゃっと手当しちゃいましょう♪」
レオンは動けずにいた。
こうして面と向かっただけで、全身の細胞が理解してしまった。
ロマノーは、第八門について何も理解しちゃいない。
マティルダにさえ感じなかった絶望感に押し潰され、レオンは拳を握りしめた。
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