第百十七話 瓦解③

 ミカたちの下を離れて数日、レオンは今はほぼ空白地帯となっているケニヒスベルクの跡地を経由し、西エウロパ平原を越え、スヴェリエ領を進みつつあった。

 道中でロマノー兵から奪った保存食を口に入れ、傷ついた右腕をさする。


「ジークフリートめ……商売道具が台無しだよ、全く……」


 格闘において、相手を蹴り飛ばす方の足よりも軸足が重要であるのと同様、弓士にとっては弓矢全体を支える右腕の方が余程大切だ。

 例え左腕が壊れようとも、右腕が万全ならばどんな体勢でも正確な射撃ができる。


 それにしても、と西エウロパ平原を振り返りレオンは思う。

 事前に聞かされていた配置や作戦の悉くが変更されていたお陰で、危険を冒してまで前述の兵士以外にも何人かと接触しなければならなくなってしまった。

 唯一スカッとしたのは、前々から気に入らなかった佐官を一人ぶっ倒せたことぐらいか。

 命令の変更に即応したロマノー軍も大した練度だが、僅か数日で戦場全体のプランを描き直したベストラには心底ウンザリする。


 あんたはもっと力でゴリ押しするタイプでしょうがよ……。


「さて、どうしたもんかねぇ……」


 これでレオンの持つ情報はスヴェリエにとって何の役にも立たないものとなった。

 伝承武装とスヴェンの術式、後は指揮官クラスの首をいくつか差し出したいが、今は万全に戦える状態ではない。


「治療だけでもしてもらえるとありがたいが……。──?」


 その時だった。

 血の臭いが鼻をつき、口をつぐむ。

 できるだけ音を立てないよう慎重に木々へ飛び移り、レオンは臭いの元へ辿り着いた。


「こいつらは……!」


 目の前の光景にレオンは息を呑んだ。

 そこには何十人ものロマノー兵の死体が転がっていた。

 休息を取ろうとしていたのか、辺りには食料が散乱している。

 レオンはその中の一人の首元に目をやった。

 襟に刻まれたナンバーは『Ⅶ』、『八芒星オクタグラム』の一人、ハーゲン・ホテルスが隊長を務める第七精霊特化隊だ。


「少佐の部隊……!? 一体何が……少佐は無事なのか!?」


 死体を踏み分け確認するが、ホテルスの死体はない。

 一旦は安堵したレオンであったが、すぐに違和感を感じ周りを見渡した。


 こいつらは、誰に殺られたんだ……?


 ここはもうスヴェリエ領だ。

 休息を取ろうとしたところを攻撃され隊は壊滅。あり得ない話ではない。むしろ第七隊だけこれだけ突出しているのだから、その可能性は大いにある。

 だが、そうなるとこの場にはあるべき筈のものが決定的に足りていない。


 スヴェリエの連中はどこだ……?


 組んだことはほとんどないが、ホテルスの実力は分かっているつもりだ。

 奇襲を受けたとしても、こうまで一方的に、スヴェリエ兵に一人の犠牲もなく戦闘が終わるとは考えられない。

 もちろん仲間の死体は弔う為に回収したとも考えられる。

 でも、ここに残された物資は? 相手も相当な人数がいた筈だ、戦利品が一切手付かずとは納得がいかない。

 あのいけ好かない佐官によれば、ヴァルキュリア隊は砦の守護、焔王も戦場には姿を見せていないそうだ。

 となると、残された可能性は──。


「まさか、ねぇ……」


 死体の側に落ちていた地図を拾い、レオンは心底困った様に笑った。


「そういうことされると、俺の価値が益々下がるんだよなぁ」


 ガムラスタへのルートが書き込まれた地図を鞄にしまい、レオンは気怠そうに歩き出した。

 そこから一時間ほど進んだだろうか。

 双眼鏡を覗き込み、フゥッと息をつく。


「いやがったか」


 森の中の小さな川の側に目的の人物──ホテルスを見つけ、レオンは忌々しげに呟いた。


「……っと、その前に」


 準備と覚悟を決め、ホテルスに近付いていく。

 いつものように臆病風に吹かれたのか、こちらに背を向けたまま、剣を抱きしめうずくまっている。

 レオンはわざと明るい声で話しかけた。


「お久しぶりです少佐殿、ご無事で何──」


 言い終わる前に、ホテルスは大きく肩を震わせ飛び退いた。

 少しの間荒く呼吸をしながらレオンを見つめていたが、多少は落ち着いたのだろう。青ざめたままだが両手を解き口を開いた。


「ユーダリル中尉……? どうしてここに……北に行っているんじゃ……」

「はい、先日までエールに。しっかし第八門ってのは本当に化け物っすね。俺たちじゃあまるで歯が立ちませんでしたよ」

「た、大変だったね……。ところで、一人なのかい……? 隊の皆は……」

「あー……」


 いきなり本題に入ったらどうなるか、レオンは髪をかきながら生返事をした。

 臆病者で心配事は元から絶たないと気が済まないのがホテルスという男だ。話した瞬間に斬撃が飛んでこないとも限らない。


「中尉……?」


 ホテルスは探る様な目を向けてきた。

 こりゃダメだな、とレオンは煙草を取り出し咥える。

 この目つきになったホテルスの警戒を解くのは至難の技だ。


 まっ、何とかなるだろ……。


 レオンは紫煙を吐き出し笑った。


「この戦争、ロマノーに勝ち目はありません。てことで、俺もスヴェリエに寝返ろうかと。……あんたと同じ様にね」

「えっ……!?」


 ホテルスの顔が益々青ざめていく。再び剣を抱きしめ後退った。


「な、何を言ってるんですか……中尉……。ぼ、僕は……その……えぇと……」

「第七隊を殺ったの、あんたっすよね?」

「──ッ!」

「相変わらず分かりやすいなぁ。これ、あんたのでしょ?」


 レオンは鞄から地図を取り出し、川の中へ放った。


「ああっ!」


 流れていく地図に大声をあげた直後、ホテルスがピタリと止まる。抜剣の姿勢を取り、レオンを見据えた。


「僕がスヴェリエについたこと、どうして……」

「あ、そんなあっさり認めちゃうんすね。参ったなぁ……」


 レオンも身構える。

 その姿にホテルスは笑った。


「その右腕で、僕を仕留められると思ってるんですか?」

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。そっちこそその厄介な魔剣、下ろしてくれません?」


 ホテルスが首を横に振る。左手の鞘から、剣身が顔を覗かせた。

 レオンが慌てて手で制す。


「だあああああ! だから待てって! それ抜いたら流血沙汰確定じゃねぇかよ!」

「えぇ、君の血を吸わせてやります」

「あぁもう……無視してガムラスタに行きゃ良かったよ……」


 そう口にした途端、頭がピリッと痺れる様な感覚に襲われ、レオンは顔をしかめた。


 そうだ。何で俺は、わざわざホテルスを追って……?


「……黙ってろよ」

「中尉?」

「何でもないっすよ。それより、俺が一緒じゃダメなんすか?」

「まずは僕の質問に答えてください。僕の裏切りをどうして、どうやって知ったんですか?」

「あぁ、ここに来るまで知らなかったんすけどね。第七隊の死体と周りの状況がねぇ」

「はっ……? し、知らなかった……?」


 ホテルスはポカンと口を開けた後、口を震わせ始めた。


「俺だってロマノーを裏切ったんだから、あんたを追えとか命令受けてる訳ないでしょ。あんたの様子が見たかったのと、あわよくば消えてくれるとありがたいなと。今のままじゃスヴェリエにとって俺は無価値っすからね」


 次の瞬間、ホテルスが柄を引っ張った。

 レオンが『あ』と発した時には既に遅く、黒みがかった青い剣身が木々の隙間から溢れる陽光に晒され輝きを放った。


「ぼ、僕はもう、スヴェリエでの地位を約束されているんです……。そこに同じ『八芒星オクタグラム』の君を連れて行ったら、怪しまれるでしょう……!」

「そうでしょうね」

「そうでしょうね、じゃないですよ! 申し訳ありませんが、君にはここで……」

「同じ様に、第七隊の連中も殺したんすか?」


 レオンがホテルスを睨みつける。

 するとホテルスは冷や汗を流し、困った様に笑いながら語り出した。


「だ、だって! 君も言ったようにロマノーは勝てないんですよ!? 一応部下だし、休憩しながら話そうと思って……。食事の準備をしながら裏切りを明かしたんです。そしたら……」


 柄を握る手に力を込め、ホテルスは目をかっ開いた。


「そしたら何て言ったと思います!? 僕のことを臆病者だの間違ってるだの……! しまいには准将たちと比較し始めて! 僕は! 皆を助けようと思っただけなんですよ!?」

「あんたほどの実力があれば逃げることもできたでしょう? 自分で殺してりゃ世話ないぜ」

「うるさぁい!!」


 ホテルスは真っ赤な顔で叫び、肩で息を切った。

 レオンが馬鹿にするように笑う。


「ほら、あんたは最初から誰も助ける気なんてねぇ。これがジークフリートや獅子王たちなら……。獅子王たち、なら……?」

「黙れよ! 君も僕と准将を比較するのか!?」


 俺は今、何を言おうとして……。


「何とか言えよ!」

「…………戦ってみて思ったんすけどね、陛下がエールを切り捨てなきゃ、雷帝と組んでりゃ、ここまでにはならなかったんじゃないっすかね」

「な、何だよ……急に……」


 ホテルスが困惑した様子を見せる。

 レオンも自分が何を言っているのか、何を言いたいのか分からず頭を振った。


 ウルの性格や力にあてられたか……?


「あー……っと、まぁとにかくだ、俺は勝者側に立ちたいし、痛いのは嫌いなんだよ」

「あぁ、君はそういう人でしたね」

「だからこれはラプラス技師のせいっつーか、伝承のせいっつーか。よく分かんねぇんだけど、逃げられるのに第七隊の連中を殺したあんたがムカつくのよ」


 レオンはオレルス・スカディを腰に戻し、右手を天に向けて伸ばした。

 ホテルスの足元に水のエレメントが渦巻いていく。


「ようやく意見が合いましたね。君は邪魔です、消えてください」

「これ以上痛い思いはごめんなんでお断りします」


 刹那、光と見紛うほどの光速の風の矢が天から放たれ、ホテルスの右腕を撃ち抜いた。


「あ……? あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 ホテルスの悲鳴が響き渡る。

 レオンは右腕をさすりながら溜め息をついた。


「ちょっとスッキリしましたよ。それじゃ、俺はこれで」

「ま、待てええええええええ!! こんなのどこから!! 全く気配がなかっ──痛い!! 痛い痛い痛いいいいいいいい!!」


 ホテルスの問いに、レオンは空を見上げこう答えた。


「ん〜二千メートルぐらいだったかなぁ」

「はああああああああああああああああああああああああああ!!!??」

「忘れたんすか? 俺は射撃の腕を買われて『八芒星オクタグラム』に呼ばれたんすよ」

「クソ!! クソクソクソクソクソ!! ──あ……」


 痛みで意識を失ったのか、糸が切れた人形のようにホテルスが崩れ落ちた。

 振り向かず、レオンが独りごちる。


「マジで痛ぇ……。神や英雄ってのは本当によぉ……。とりあえず、お偉いさんのとこに行ってみますかね……」


 痛みに顔を歪めながら、レオンはヴァルキュリア隊が守護する砦を目指した。

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