第百十六話 瓦解②

「失礼いたします。ミカ・ジークフリート、エミリア・アルヴェーン両准将が帰還されました」

「そうか」


 執務室にやってきた秘書官へ、ベストラは手元の資料を見つめたまま応えた。


「ジークフリートを呼べ。エミリアには官舎に戻り休むよう伝えろ、明日の朝新しい任務を言い渡す」

「承知いたしました」


 数分後、秘書官と共にミカがやってきた。

 彼は黙ったまま一礼だけし、足早にベストラの方へ向かっていくと、机を叩き彼女に詰め寄った。


「何故あのまま中尉の追撃を命じていただけなかったのですか!?」


 ベストラが顔を上げ笑う。


「良い面構えになったな。エールに行かせた甲斐があった」

「閣下!」

「そう怒鳴るな。とりあえず座れ」


 と、ベストラはミカの背後にあるソファを差した。

 ミカの表情は変わらない。ジッとベストラを睨みつけている。

 だが、彼女がそれ以上何も言わないのを見て諦めたのだろう。苛立ちを見せながらもソファに座った。


「中尉はこちらの情報と伝承武装を持っています。それが王国に渡ればどうなるか、閣下もお分かりでしょう!?」

「あぁ、だから全軍に新たな命令を出した。これでユーダリルの情報は役に立たなくなったな」

「それは……」

「伝承武装についても同様だ。五年十年と続くならともかく、数ヶ月や一年で実戦に投入できる代物ではない」


 反論する言葉が見つからず、ミカは押し黙ってしまった。

 そのことを叱るでも、馬鹿にするでもなく、ベストラはミカの正面に腰を下ろした。


「そもそもだ、想像してみろ。焔やグランフェルトとまではいかずとも、王国の主力が投降し寝返ると言ってきたらどう扱う?」

「すぐに信用することはできません。少しでも怪しい部分を見せれば、最悪──」

「答えは出ているじゃないか」


 ベストラは八重歯を覗かせ笑みを深くした。


「あっ……」

「ユーダリルは最早王国にとっても我々にとっても不要な存在となった。万が一戦場でまみえた場合は報告はいらん、殺せ」

「……了解しました」


 ベストラが秘書官にお茶を持ってくるよう告げる。


「それにしても、相変わらずこういう事態に弱いな。お前は」

「申し訳ありません」

「構わんよ。愛国心が人を作り、強くする。お前はその理想形と言ってもいい」

「いえ、自分など……。閣下こそ、理想形に相応しいかと」


 ミカの言葉に、今度こそベストラは声をあげ笑った。


「私は斬りたいものを斬っていただけだ。そうしていたら、いつの間にか元帥に祭り上げられていたよ。全く窮屈で仕方がない」

「そのようなことは……」


 しばしの沈黙が流れる。

 そこへ秘書官がお茶を淹れ戻ってきた。


「失礼いたします」

「ご苦労」


 お茶を一口飲み、ベストラが息をつく。


「喋りすぎたな。本題に入ろうか」

「はっ」

「ミカ・ジークフリート准将、新たな任務を言い渡す。明日の朝第十三精霊特化隊と共に西エウロパ平原へ向かい、ヴァルキュリア隊が守る砦を陥してこい」


 ベストラが出したある単語に、ミカは首を傾げた。


「十三……? 精霊特化隊は十二までの筈では……?」

「お前を指揮官とした新設の部隊だ。お前はいつまでも副隊長に収まっているような男ではない」


 ミカが明らかな動揺を見せる。


「評価して下さるのは、非常に光栄なことなのですが……」

「何だ?」

「相手はヴァルキュリア隊です。他の隊と共に攻めた方が効果的かと愚考いたします」

「効果的というのは、あの女を守る上で、ということか?」


 ベストラの指摘に、ミカは手で口を覆い絞り出すように答えた。


「決して、そういう訳では……」

「二度だ。『八芒星オクタグラム』を主力とし、二度攻めたが突破は叶わなかった。おまけにその隙に戦線を上げられ、戦力を分散せざるを得ない状況になっている。グランフェルトに対抗できるのは、もうお前しかいない」


 ミカは黙ったままだ。言い訳を探すように視線を右往左往させている。


「幸い焔はナグルファル墜落に巻き込まれ消息不明だ。これ以上、無駄な問答を続けるか?」

「…………いえ」


 何かを決意したようにミカは顔を上げ、ベストラを見据えた。


「任務、了解いたしました」


 彼の表情に、ベストラは満足げに頷いた。


「そうだ、お前の働きが結果的にあの女を守ることにも繋がる。期待しているぞ、ジークフリート」






 明朝──。

 エミリアは大欠伸をしながら謁見の間へと続く廊下を歩いていた。

 酷く体が重い。

 大急ぎで北方司令部から戻り、疲れ切っていた筈なのに、妙な胸騒ぎがしてうまく寝付けなかった。

 陽の光を眺め、もう一度大欠伸をする。


「あ、姉さん。おはよう」


 そこへ、反対側からマリアがやってきた。

 エミリアがキョトンとした顔を見せる。


「マリア? 何でここに?」

「話があると陛下に呼ばれたんです」

「マリアも? そう、なんだ」


 何かが胸にズシリと重くのしかかり、鼓動が早くなる。エミリアは苦しそうに大きく息を吐き出した。

 その様子をマリアが不安げに見つめる。


「大丈夫ですか? 昨日休めてないんじゃ……」

「ううん! 大丈夫! 寝過ぎて逆に疲れたみたいな? そういう時あるでしょ?」


 マリアは尚も心配そうにしつつも『まぁ……』と口にした。

 心配させまいとエミリアは思いっきり口角を上げた。


「早く行こ! ベストラ様に怒られちゃうよ!」

「は、はいっ」


 駆け出すエミリアをマリアが追う。

 エミリアの心中には、ある疑問が湧き起こっていた。


 どうして私は今、マリアに嘘をついたのだろう。と──。


「陛下! ベストラ様! おはよ〜!」

「あぁ、おはよう。朝から元気だな」


 ヴィルヘルムが微笑み手を振る。


「遅くなり申し訳ございませんでした」


 最敬礼するマリアに、ベストラは『いや』と素っ気なく返事をした。


「さっそくだが本題に入ろう。陛下、私から話しても構いませんか?」

「もちろんだ、頼む」


 ベストラがエミリアへ憐れむような視線を向ける。

 察しがついたのか、エミリアはビクリと肩を震わせた。


「……つくづく、お前たちは正反対だな」

「「……?」」


 エミリアとマリアがお互いを見つめる。


「エミリア。お前は常に前向きな思考で度胸もある。だが、少し向こう見ずだな。隊を率いるには矯正が必要だ」


 ベストラの指摘に、エミリアは気まずそうな表情を浮かべた。


「そしてマリア。お前はいつも冷静沈着で数手先まで考えながら行動している。慎重なのは良いことだが、度を越せば己の行動を制限してしまうぞ?」

「はっ……」

「あの〜……呼ばれたのって、もしかしてお説教……?」


 場を少しでも明るくしようとエミリアが冗談めかす。

 しかし、ベストラの表情は変わらない。彼女はそのまま続けた。


「戦術についてもそうだ。エミリアは槍と格闘術を用いた接近戦を得意とし、マリアは精霊術を用いた遠距離戦と味方のサポートを得手としている」

「ベストラ、全く本題に入れていないぞ?」


 ヴィルヘルムが笑う。


「これは、失礼をいたしました」

「まぁつまりだ、お前たち姉妹は。そうだろ? ベストラ」

「はい」


 二人のやり取りを聞き、エミリアはベストラへ非難するような視線を向けた。


「すまなかったな、今度こそ本題だ。アルヴェーン姉妹、お前たちに任務を言い渡す。ホテルスを捕獲、それが困難な場合は抹殺せよ」


 下された命令に、エミリアとマリアは目を見開いた。


「捕獲や抹殺などと……。何故、ホテルス少佐を……?」


 そう問うたのはマリアだ。思いも寄らぬ命に声が震えている。

 ベストラは手元の資料を指で弾いた。


「やつがスヴェリエに寝返ったからだ。ホテルスは現在、順調にスヴェリエ領に入り込んでいる」

「話に、繋がりが……」

「訂正しよう、招き入れられているんだ。昨年冬のロスドン襲撃を始めとする南部へのスヴェリエ軍の攻撃。そして今回の、こちらの配置を事前に知っていたかのような動き。普段南方司令部にいるホテルスなら容易に情報を得ることができる」

「ですが、それだけでは……」

「ならばこれならどうだ? ホテルスの預金には定期的に貴族からの入金があってな。上手く隠されていたが、スヴェリエにある反獣人団体からのものだったよ」


 エミリアが髪を掻きむしる。


「中尉だけじゃなくて、少佐まで……」


 それにベストラは口元を緩めた。


「ユーダリルの件は捨て置け。スヴェリエの上層部にまともな判断能力があれば、向こうが勝手に処分してくれるだろう。話は以上だ、準備ができ次第出立しろ」


 エミリアたちは何も答えない。


「聞こえなかったのか?」

「い、いえ。承知、いたしました」


 マリアが一礼し、謁見の間を後にしようとしたが──。


「待って!」


 エミリアが声を張り上げた。


「姉さん……?」

「ベストラ様! 何で!? これじゃ! これ、じゃあ……」

「では、私はこれで失礼いたします」

「引き続き頼むぞ」


 泣きそうな顔のエミリアを無視し、ベストラとヴィルヘルムは話を打ち切ってしまった。

 出ていくベストラをエミリアが追いかける。


「ちょっ……! 待ってよ! ベストラ様!」


 廊下へ飛び出し、エミリアはベストラの行く手を塞いだ。


「どうしてマリアを前線に!? 約束が違うじゃない! 私が弱いから? 私が、マティルダ・レグルスを討てなかったから……?」

「マリアの力が必要な状況になった。ただそれだけのことだ」


 エミリアは縋るようにベストラの両腕を掴んだ。


「だから! その話は前にしたでしょ!? それで陛下もベストラ様も納得した! なのに、何で今になって……!」

「そうか。なら、スヴェリエに敗北し、全員仲良く死ぬか? マリアも含めて」

「……!」


 エミリアの瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出す。手を離し、首を大きく振った。

 ベストラはエミリアの肩を軽く叩き、歩き出した。


「お前が守ってみせろ、本物になってみせろ。それだけが、マリアとロマノーを救う方法だ」


 去っていくベストラの背を見つめ、エミリアはしばらくの間その場に立ち尽くしていた。

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