第百十四話 離別

 数日後、ミカたち三人は獣人たちに囲まれながら森の中を歩いていた。

 精霊術によって視覚が操作され、行けども行けども目の前には鬱蒼とした森が広がっている。

 ミカは疲れ切った表情で手錠に視線を落とした。

 後ろを歩く精霊使いはどう見ても格下だ。にも関わらず、術式を破ることができない。


 親子揃って大したものだ……。


 改めてソフィアの技術力を思い知らされ、ミカは肩をすくめた。


「ねぇ、どこまで行くのよ。エールは捕虜をこんな風に扱うの? 私はあんたらの国王の知り合いなんだけど?」


 息を切らしながら、エミリアが抗議の声をあげた。

 力を封じられているのに加えて、道なき獣道を歩いているというのも、三人にとっては大きな負担だった。

 誰も何も応えない。というより、何故三人がここまで疲れているのか理解できないといった様子だ。

 足を止め、ミカが口を開く。


「すまない、少し休ませてもらえないだろうか。獣道な上にこの状態だ。抵抗しないと約束するから……」


 と、手錠を上げてみせた。

 ようやく獣人たちも気付いたらしい。一人の男が「あぁ」と申し訳なさそうに呟いた。


「気がつかなくてすまない。そうだな、少し休もう」


 他の獣人たちも思い思いに休憩し始めた。

 拍子抜けするほどにあっさりと要求が通り、エミリアが倒れるように座り込む。


「足、太くなったらどうしよ……」

「良かったら、少し足を揉みましょうか?」


 そう声をかけてきたのは精霊使いの女だ。

 意外な申し出にエミリアは戸惑いつつも礼を述べた。


「痛かったら言ってくださいね」

「うん……。えっと、それよりも……私……人間なんだけど、怖くというか……嫌じゃないの? 触ったりするの……」


 エミリアがオズオズと問いかけると、女は迷いなく『はい』と頷いた。


「人間と一緒に住むようになって分かったんです。聞かされていたほど怖いものじゃないって」

「……そっか」


 優しく微笑む女にエミリアも微笑み返した。


「本当にすまないな。集落の近くならもっと舗装された道があるんだが……その……」


 休憩を決めた男が口をモゴモゴさせながらミカに声をかけた。

 言いたいことは分かる。ミカは首を振った。


「帝国の兵が集落に近付けば余計な不安を与えてしまう。気にしないでくれ」


 男は尚も心苦しそうに頬をかく。話題を変えたいのか、ミカの右腕へ視線を移した。


「それにしてもあんた、凄いな。アクセル様と互角に戦えるやつなんて集落には一人もいないよ」

「いいや、完敗だったよ」

「そ、そうなのか? 俺からしたらどっちもめちゃくちゃ強かったけど。それにアクセル様、楽しそうだった」

「楽しそう?」


 男の言葉にミカが眉を寄せる。


「雷帝様やマティルダ様と訓練してる時みたいだったからさ。アクセル様」


 思ってもみなかった名前に、ミカは俯き口元を緩めた。


「そうか。……なら、もっと強くならないとな」


 そこから更に歩くこと数時間。

 森の中に石造りの黒い要塞が姿を現した。だが、人の気配はない。

 男はミカたちに砦に入るよう促した。


「さっ、中へ。俺たちはここまでだ。後は中の連中が案内してくれる」

「中の連中? 誰もいないみたいだけど……」


 エミリアは怪訝そうな表情で辺りを見渡し……。


「あっ、あんたらなのね……」


 こちらを覗くヴェルダンディと目が合い、苦笑いを浮かべた。

 反対にヴェルダンディはとても嬉しそうに手を振っている。

 彼女の後ろから案の定と言うべきか、ウルドとスクルドも顔を覗かせた。

 三姉妹に連れられ、砦の中を進んでいく。しばらく進むと巨大な鉄の扉が見えてきた。

 スクルドがその扉を手で示す。


「どうぞ、こちらへ」

「ここは?」

「危害を加えるつもりはありません。ご安心ください」


 と、スクルドは扉を開け、さっさと中へ入っていってしまった。

 エミリアたちも足早にスクルドの後を追う。しかし、部屋の中にいた面々に思わず身構えた。

 部屋にいたのはマティルダと、そして──。


「プリムラ、ソフィア……!」


 エミリアに名を呼ばれ、ソフィアがビクリと肩を震わせる。

 怒鳴られるとでも思ったのだろう、マティルダの背後に隠れてしまった。

 プリムラはというと、いつも通り落ち着いた様子だ。


「よく来たな、座るがよい」


 マティルダが正面の席を指す。敵意は感じられない。

 エミリアたちは素直にそれに従った。


「女王様自ら何の用だよ。持ってる情報は全部話したんだけどな」


 レオンが悪態をつく。

 だが、マティルダは気にしていないらしい。


「安心せよ、これは尋問ではない。──プリムラ」

「はい」


 プリムラがテーブルに指を走らせる。

 すると、空中にある映像が映し出され、エミリアたちは絶句した。


「ナグルファルが……!?」


 それはナグルファルの残骸であった。元になったケニヒスベルクは中心から真っ二つとなり、生えていた四角錐やモノリスの破片があちらこちらに散らばっている。


「海岸線に落ちたのがせめてもの救いだ。街や西エウロパ平原に落ちていたらどうなっていたか……」


 マティルダは安堵半分、怒り半分といったように述べた。

 彼女の斜め前に座るプリムラが映像を指差す。


「これは丁度あなたたちが攻めてきた日の記録です」

「ライル大佐は無事なのか?!」


 ミカは緊迫した表情で立ち上がった。

 座るよう手で促し、プリムラが続ける。


「場所の関係もあり、アルヴァ・ライルと焔恭介が無事かは調査ができていません。ですがもう少し進めば、詳細が明らかになるでしょう」

「飛鳥とアーニャは?」

「それは教えられません」


 エミリアの問いに、プリムラは冷たさすら感じるほど落ち着いた声で返した。

 ところが、エミリアはイタズラを思いついた子どものように笑っている。


「良かった、無事なのね」

「何故そう言い切れる」


 首を傾げるマティルダに、エミリアは益々笑みを深めた。


「だって、飛鳥に何かあったらそんなに落ち着いてないでしょ、あんた」

「余は女王であり、妻である前に一人の戦士だ。それに今は戦時中。飛鳥に何かあったからと嘆くように見えるか?」

「うん、見える」

「なっ!?」


 マティルダの頬が赤く染まる。


「そうだな、あんたはそういうタイプだ」


 レオンもエミリアに同意を示した。

 マティルダが拳を震わせる。


「貴様ら……!」

「無礼を詫びよう。だが、その……個人的なことを言わせてもらえば、貴女はそういう女性だと思っている」


 二人を制止しつつも、ミカもそんなことを言い出した。

 反論を諦めたのか、マティルダは溜め息をついた。耳まで真っ赤にし、ソフィアに声をかける。


「ええい、もうよい。ソフィア」

「は、はい〜。皆さん、あれをぉ……」


 ソフィアに言われ、ウルドたち三姉妹が箱を三つ持ってきた。エミリアたちの前に並べ、開けるよう告げる。

 箱を開け、三人は目を見開いた。


「伝承武装……!? ──どういうつもりだ?」

「戦争はまだ続いている。現時点を以って、貴様たちを解放する。早々にこの国から出てゆけ」


 ミカとマティルダの視線が交わる。


「本当に、いいのか……?」

「あぁ言ってんだからいいじゃあないですか、准将殿。それよりも……」


 ミカの隣でレオンがオレルス・スカディの弦を鳴らした。


「ここで俺たちが暴れたらどうするつもりだ? 丸腰で武器を返すなんてどうかしてるぜ」

「中尉ッ!!」


 ミカが怒鳴り声をあげる。

 しかし、突如発せられたマティルダの闘気に三人とも固まってしまった。


「そうしたければそれでもよいぞ?」

「い、いや……。貴女たちの配慮に感謝する……。国境まで、案内していただきたい……」


 マティルダはミカの申し出に頷いた。


「あ、あのぉ、最後にいいですかぁ……?」


 恐る恐る、ソフィアが手をあげる。


「リスト女史……? 何でしょうか?」

「伝承武装を見させてもらいましたぁ。それで、そのぉ……父は、スヴェン・ラプラスは、生きてるんですね……?」

「…………はい」

「そう、ですかぁ……」

「会いたいですか?」

「えっ……?」


 ミカの言葉に、ソフィアは目を丸くした。


「この戦争が決着し、国家間で行き来ができるようになったら、ラプラス殿に会うこともできるでしょう。貴女は彼に会いたいですか?」

「えっとぉ……分からない、ですけどぉ……。でも多分……会えたらぁ……う、嬉しいと思いますぅ……」


 ソフィアは自身の気持ちを確かめるように言葉を紡ぐ。


「なら、俺が会わせてみせます。必ず」

「ジークフリートさん……」


 ミカはマティルダの方に向き直った。


「アクセル・ローグに伝えていただきたい。次に会った時は、俺が勝つと」

「うむ、伝えておこう」


 一礼し、三人はウルドたちに連れられ部屋を後にした。


「だ、そうだがどうする? アクセルよ」

「フン、知るか」


 直後、アクセルが部屋に入りプリムラの正面に座るが──。


「ん? 何か言いたげだな」


 彼女の視線に気付き目を細める。


「えぇ、私もそろそろお暇をいただこうかと」

「どういう意味だ?」


 マティルダが尋ねると、プリムラは立ち上がりフードを外した。

 足元まである長い銀髪が舞うように広がる。

 その姿にマティルダとアクセルだけでなく、ソフィアも魅入られたように動きを止めた。

 プリムラがクスリと笑う。


「そういえば、貴女にも見せたことはありませんでしたね」

「あ、は、はい〜……」


 ソフィアはプリムラを見つめたまま小さく頷いた。


「プリムラよ、この国を出ていくつもりか?」

「はい。元は四葬スーズァンを飛鳥に引き渡す為に来たようなものですので」

「それだけではあるまい」

「何故そう思うのですか?」


 そこへアクセルが割って入った。


「何故ってお前……『精霊眼アニマ・アウラ』にその銀髪は……。お前は、まさか……!」

「その先を言う必要はありません。これが最後ですから」

「あ……?」

「貴方たちと同じように、私にもやるべきことがあります」


 アクセルとマティルダが顔を見合わせる。


「マティルダ・レグルス」

「な、何だ」

「貴女はこの先、大きな真実を知ることになるでしょう。貴女の人生を左右するほどの大きなものです。ですが、貴女ならきっとそれを乗り越え、進んでいけると信じています」

「な、何を言っている。やめよ、それではまるで……」

「アクセル・ローグ」


 プリムラはアクセルを見つめた。

 これが只事ではないと感じているのだろう。アクセルは無理にいつもの笑みを浮かべようとした。


「何だよ、言ってみろ」

「飛鳥たちと出会ったことで、エールに来たことで、貴方には新しい想いが芽生えた筈です」

「想い……?」

「どうかその想いを忘れないように。そうすれば、貴方はより多くのヒトを救う為の力を得られるでしょう。想いを貫き通せるだけの、力を」

「はっ、言われるまでも、ねぇよ……」


 そしてプリムラは跪いた。


「これまでのことにお詫びと感謝を。では、私はこれで」

「待てと言っているだろう! 飛鳥に何も言わずに行くつもりか!?」

「飛鳥にはもう私の言葉は必要ありません。彼は自分の道を見つけましたから」

「あっ……。待……」


 誰も、プリムラを止めることはできなかった。

 フードを被り直し、部屋を出ていく彼女の背を、マティルダたちはただ見つめることしかできなかった。

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