第百十二話 黄昏②

 ──第八門の精霊使い。


 彼ら彼女らに対する世間の評価は両極端だ。


 憧れか、恐怖か。


 そして圧倒的多数を占めているのは後者だ。しかし、それも当たり前のこと。

 過去の記録、各地で語り継がれる伝説。その全てが破壊と血に彩られたものだからだ。彼らが本気で力を振るえば国が、種が滅ぶ。

 更につけ加えるなら、彼らだけが持つ『特異能力シンギュラースキル』の謎。

 エレメントの属性や戦術との関連性に法則は見つかっておらず、何故第八門のみが能力に目覚めるのかも分かっていない。


 解明が進まないのは前述した彼らへの評価が大きく影響している。

 想像してみてほしい。自身に対して恐怖や嫌悪を持ち、酷い時には化け物呼ばわりしてくるような者たちに手を貸したいと思うだろうか。

 そうでなくとも精霊使いというのは手の内がバレるのを嫌う性質がある。

 情報はそのまま相手の力となる。情報を与えれば与えるほど、自身の立場が危うくなるのだ。

 ……まぁ、どれだけ情報を握られようと、それごと潰してやるといった豪気な者もいるにはいるが。


 俺はどっちだっただろうかと、アクセルは目の前の光景を見つめながら考える。

 否、答えは両方だ。

 軍に、スヴェンの元に送られるまでは精霊使いの持つ強さに憧れていた。

 幼さ故の残酷さか、厄災のような第八門たちの物語もかっこいいなんて思ってしまった。

 彼らのようになりたい。強くなって皆を守りたい。だから、第八門の研究対象に選ばれた時は飛び上がって喜んだものだ。一緒に実験を受けている連中が怯える理由など考えもしなかった。


 それが恐怖と後悔へと変わったのは実験の最終段階、自身が得るべき伝承を探す為あちらの世界へ送られた時だった。


 どこまでも広がる荒涼とした大地と真っ赤な空。

 聞こえてくるのは争う声と金属同士がぶつかり合う重厚な音。

 地獄──ありきたりな表現だが、それ以外にその光景を表現する言葉を知らなかった。

 呼吸をする度に喉が焼けるような感覚に襲われる。

 ふいに漂ってきた肉が焼ける臭いに吐き気を催し、飛び退くように走り出した。


 早く……見つけないと……!


 スヴェン・ラプラスに渡された術書を抱え必死に走った。


『大丈夫、君たちならすぐに見つけられる。優秀な、この国の未来を守る戦士だからね』


 奴はそう言った。

 まるでピクニックに出かける生徒を見送る教師のように優しい笑みを浮かべてそう言った。


 ふざけるな……!


 涙が溢れ、頬を伝う。

 足を止めたら殺される。

 まだ一度も戦場に立ったことがなくとも、それだけは理解できた。

 力なんてもうどうでもいい。死にたくない、生きて元の世界に帰りたい。それだけだった。


 ここは……?


 やがて現れた洋館の前で足を止めた。

 この場に不釣り合いな、手入れの行き届いた館であった。

 涙を拭い、ゆっくりと近付いていく。


 館の中は外とは打って変わって冷え切っていた。

 真冬のように吐息が白く染まる。

 だが、走り続け火照った体には丁度よく感じられた。


 誰かいるの?


 視界の端に影が写りそちらを向くが何もいない。

 しかし直後、襟を引っ張られ体が宙に浮いた。

 短い悲鳴をあげ、恐る恐る振り向く。

 それは巨大な真っ黒い蛇だった。水晶のような双眸でこちらを見つめている。

 敵意は感じられない、じゃれているだけのようだ。


 次に現れたのは、これまた真っ黒い毛色の狼と黒いドレスを着た女だった。

 女の体は半分が腐りきっていた。

 ここに来るまでの間に同じような死体を何体も目にし、その度に酸っぱいものが喉をついたが、不思議と彼女に対しては何も感じなかった。

 その反応が嬉しいのか女が微笑む。

 ひとまずここは安全らしい。


 あっ……。


 ホッとした拍子に術書を落としてしまった。

 床に降ろしてほしいと蛇に頼むが聞いてくれない。

 そこへヒトの足音が一人分。


『最近やたらと騒がしかったのはこれが原因か』


 足音の主が術書を拾い肩をすくめる。


 え? お父──


『違うよ』


 言い終わる前に否定されてしまった。


『僕は、そうだな……。数年後に鏡を見てみるといい、また会えると思うよ』


 …………?


 意味が分からずポカンとしていると、その金髪の男は術書を破いてしまった。


 何をするんだ! それがないと……!


『中々興味深い術式だけど、こんなものに縛られるなんてつまらないしごめんだ。そうだろ?』


 男の手の中で術書が灰になっていく。


 そんな……!


『せっかくやるんだ。どこまでも面白く、残酷でないとねぇ』


 男がそう告げると、蛇と狼と女がドロリと粘性のある液体へと姿を変えた。

 その弾みで背中から床に落ち声を漏らす。

 直後、液体となった彼らが体に侵入してきた。


 あああ……、……うアアアあアアアアアああアアアアアあアアアアア!!


 声にならない叫びをあげる。

 体中に牙や爪を立てられ、食い散らされていく。

 意識がハッキリとあるまま四肢が、臓器が失われていく感覚に襲われ身を捩った。


 た、助けて……!


 だが、男は嬉しそうに微笑むだけで。

 しばらくして首から下の感覚が完全に無くなった。


 あぁ、そうか。ここで死ぬのか……。


 諦めた途端、自分でも不思議なほどに今までの恐怖が消えていった。

 すると男がすぐ傍に腰を下ろし告げる。


『良かった。ピッタリだね』


 ピッタリ……?


『体を見てごらん』


 あ……。えっ? ど、どうして……?


 促されるまま視線を動かすと、そこには元通りの体があった。小さな傷の一つすらついていない。

 試しに腕や足を動かしてみるが問題なさそうだ。

 起き上がり、男を見つめた。


 さっきのは一体……? 僕は、どうなって……?


 男の指先に見たことのない図形が浮かび上がる。


『本来なら君に力を貸すべきなのは僕だが、さっきも言った通りヒト如きに使われるのは勘弁願いたい。そこでだ、その子たちを貸すことにした。大変だと思うけど足掻いてみせてくれ。面白いものを見せてくれたら、いつか助けてあげよう』


 図形が光り輝き、背後に大きな穴が出現した。

 体がそちらに引っ張られる。


 ま、待って! 貴方がそうなら力を貸してください!


 しかし視界は闇に閉ざされ、光を取り戻した時には軍の研究施設に戻っていた。


『やった! やったぞ! 実験は成功だ!』

『し、しかし局長……。成功がたった一体では……』


 研究員たちの、スヴェン・ラプラスの声が聞こえる。

 そちらを見ると、一緒に伝承世界へ送られた者たちが床に並べられていた。皆顔が土気色をしていて生気が感じられない。

 異変を感じたのはその時だった。

 酷い乾きと不足感を感じる。

 連中がヒトではなく極上の料理に映った。そして、何よりも──


『どうかね? アクセル・ローグ君、気分は』


 スヴェンの問いに脳が痺れるような不快感を訴えてくる。それが怒りだと知るのに時間はかからなかった。

 足元から黒い帯のような物が飛び出し近付いてくる研究員を切り裂いた。一斉にどよめきが起こる。


 気分だと? 良い訳ねぇだろう。


 逃げ惑う研究員たちのエレメントを喰らい尽くし、スヴェンの首を掴み上げる。

 彼の手の中で術書が淡く光を放った。


『ぐぅっ!? 馬鹿な……言うことを聞け!』


 聞けねぇなァ。


 スヴェンを掴む手にエレメントが収束していく。

 ニタリと笑い、エレメントを解き放った。


 今までの礼だ、苦しみながら死んでいけ──。






 八年前、伝承世界で見た光景が今、目の前に広がっている。

 空は炎を映したように真っ赤に染まり、大地は木々が枯れ果て、砂塵舞う荒野へと姿を変えた。

 その中を獣たちが駆ける。

 彼らが通った後に残ったのは死だけであった。


 ヴァナルガンドが爪を振るう度に、バターでも切るように伝承兵の四肢が、首が、胴が飛ぶ。天を衝くほどに開かれた口が何人もの伝承兵を一気に喰らい、骨を砕く嫌な音が耳をつく。

 ミドガルズオルムがその身を叩きつける度に伝承兵は押し潰され、赤黒い花を咲かせるように肉片と血を撒き散らした。

 運良く二体の攻撃を逃れアクセルに向かってくる者もいたが、ヘルが呼び出した骸骨兵によって四方からめった刺しにされてしまった。

 アクセルは身じろぎもせず、その光景を目に焼きつけるように見つめている。


 その後も伝承兵がアクセル目掛け突撃し、獣たちによって死体に変えられる、そんな単純作業のような状況が続いた。

 味方が何人死のうと伝承兵は動きを止めない。もちろん彼ら彼女らの顔は恐怖に染まっている。それでもだ。

 どのような術式かは知らないが後退できないよう調整されているらしい。


 スヴェンへの怒りと伝承兵への憐れみが混ざり合い頭がおかしくなりそうだ。

 それでも、こちらも退くことはできない。

 エールに被害を出さないことももちろんだが……。

 マティルダと伝承兵を接敵させれば、彼女はこう言うかも知れない。


『こいつらを助けるぞ』と──。


 飛鳥の影響をもろに受けているマティルダなら、ソフィアに頼み込んで伝承世界へ行ってしまう可能性がある。

 飛鳥とアーニャにしてもそうだ。二人がこの場にいなくて良かったと、心の底から安堵した。

 自分一人を元に戻すだけでも飛鳥はあれだけ苦しい思いをした。心を殺されかけた。

 この人数に同じことを行うなんて不可能だ。

 だからこそ、一人たりとも通す訳にはいかない。


 それからどれだけの時間が経っただろうか。

 半日のようにも、たった十数分の出来事だったようにも感じられる。

 空は元の色を取り戻し、大地も戦闘などなかったかのように緑が茂り、動物たちが駆け回っていた。


「…………戻るぞ」


 壊した橋の代わりにミドガルズオルムの背を渡り、アクセルはエールの地を踏んだ。

 そのまま砦に向かって歩き出そうとしたが──。


「何が言いたい? お前ら」


 獣たちが悲しそうな瞳でアクセルを見ている。

 ヴァナルガンドは普通の狼のサイズまで小さくなり、ミドガルズオルムも、それでも十分巨大だがアクセルの二倍ほどに縮んでいた。

 ヘルは目に涙を浮かべアクセルの袖を握りしめている。

 意外な反応にアクセルは頭をかいた。


「てめぇらが奴らを憐れむ必要はねぇ。命じたのは俺だ」


 するとヘルが首を振り、身振り手振りでアクセルの言葉を否定し始めた。

 その姿にアクセルは溜め息をつき微かに笑う。


「安心しろ。つーかてめぇらが見てきた俺はそんなに弱ぇか? ん?」


 ヘルが一層激しく首を振る。

 ヴァナルガンドたちも安心したような表情を浮かべ影の中に戻っていった。

 もう一度、セントピーテルの方角へ振り向く。


「スヴェン。この戦争が終わったら、必ず報いを受けてもらうぞ」


 そう小さく告げ、アクセルは歩き出した。

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