第百十一話 黄昏

 マティルダ、アクセルと『八芒星オクタグラム』の戦闘が始まる数日前。

 場所はロマノー帝国軍中央司令部──。

 その一室にベストラ、クラウス、フィリップの三人が集まっていた。


「何か心配事か? ルンド中将」

「は……? あ、いえ!」


 ベストラが神経質そうにガリガリとパイプに歯を立てるクラウスに問いかけると、彼は慌てた様子でパイプから口を離した。

 クラウスの正面に座っているフィリップが重たい空気を変えようとしたのか、穏やかに笑う。


「クラウス、お前もデータを確認しただろう? 今の『八芒星オクタグラム』は第八門にも決して引けは取らん」

「言われずとも分かっている! そもそも心配などしておらん!」


 どうやら逆効果だったようだ。

 図星を突かれ、クラウスは早口でまくし立てると横を向いてしまった。

 二人のやり取りを眺めていたベストラはというと、「そんなことか」とでも言いたげに目を瞑り、椅子の背にもたれかかった。

 部屋の中に沈黙が流れる。


 何故そこまで余裕をもっていられるのだと、クラウスは表情に出ないよう歯を食いしばった。

 フィリップの言う通りデータだけなら五人の第八門にも負けてはいない。だが、それはあくまで戦闘能力やエレメント強度の話だ。

 皇飛鳥とアクセル・ローグについては『特異能力シンギュラースキル』の情報が欠片ほどもない。

 もちろん通常の精霊使いと第八門では元々の力に差がありすぎる、そこを埋めただけでも御の字と言えよう。

 それでもやはり、決定的なのはその部分だ。

 過去には自身の属性と全く異なる能力を持つ者やティルナヴィア全域を精霊術の射程に捉えた者などもいたと聞く。

 もし、あの二人がそこまでの力を有していたら──。


 嫌な汗が背中を伝い、クラウスはほぼ無意識にパイプに火を点けようとした。そこへ……。


「私の前では吸うなと言ったのを忘れたか?」


 目を瞑ったままベストラがピシャリと告げる。

 彼女は相当な嫌煙家だ、怒りや嫌悪感を隠そうともしない。

 クラウスはパイプをしまい、額の汗を拭った。


「二十三と十九だったか」

「は?」

「アクセル・ローグとマティルダ・レグルスだ。どれほど強い力を持っていようと精神的にはまだまだ未成熟、つけ入る隙はある」


 ベストラの言葉にフィリップが声を出して笑う。


「閣下も二人と同世代ですが」

「一緒にするな」


 彼女は前髪をかきあげ、フィリップを睨みつけた。


、死なずに戻って来ればそれでいい。いくら第八門といえ、消耗したところに数千の伝承兵をぶつけられては為す術もあるまい」

「伝承兵……」


 クラウスが独り言のように口にする。


「エールの連中のみを敵と認識し攻撃するよう調整済みだ、問題はない。そうだろう? スヴェン」


 ベストラが視線を向けるのと同時に短いノック音が響く。

 扉を開け入ってきたマリアの後ろから、杖が床を打つ不規則な音と木材をひきずる音が聞こえてきた。


「はい、元帥閣下の仰る通りでございます」


 マリアが抱えていた書類を机に置き椅子を引く。

 椅子に腰を下ろしたスヴェンは杖を傍に立てかけ息をついた。


 麦わら色のアンダーポニーテールに同じ色の耳と尾。軍服の上にはくたびれた白衣を羽織っている。

 まだ五十前半だが、痩せ気味な体と猫背のせいで六十近くに間違えられることもしばしば。

 一見した印象は柔らかな雰囲気を持つ好々爺といったところか。しかし、その瞳の奥には何かを渇望するような光が宿っていた。

 そして右手には傷を隠す為の黒い手袋、左足は木製の義足。いずれも八年前のアクセルの暴走によるものだ。


「皆様が各国から実験体を集めてくださったお陰で、伝承兵も無事間に合いました」


 口髭を撫でながらスヴェンが礼を述べる。

 ベストラは「構わん」と首を振った。


「頓挫した研究がこんなところで役立つとはな。必死にお前を生かした甲斐があったというものだ」


 スヴェンが頭を下げる。


「どうだ、ルンド中将。強化された伝承武装にスヴェンの伝承兵、戦力は申し分ない」

「は、はぁ……」


 まだ納得いかないが、クラウスはベストラの顔色を窺い渋々同意を示した。

 直後、スヴェンが馬鹿にするように大声で笑い出し、マリアが眉をひそめる。


「あぁ、これは失礼を」


 皆の視線に気付き、スヴェンは書類の一枚を手に取った。


「くだらん。くだらんなぁ」

「何?」


 問いかけるベストラにスヴェンはその書類を差し出した。


「ヒトではなく武器に伝承を宿し戦力を底上げする伝承武装。私が局長のままであれば、こんなもの許可いたしません」


 ベストラたちの言葉を待たずに彼は続ける。


「おおかた、ヒトに実験を施すのが怖いのでこのような設計思想に至ったのでしょう。我が娘ながら情けない。犠牲を恐れるなら母親同様、研究者の道を諦めるべきでしたな」


 誰も異議を唱えない。

 シグルドリーヴァが描かれた書類を破り捨て、スヴェンは再び笑い出した。






 ミドガルズオルムが川から上がり、アクセルの影からヴァナルガンドとヘルが現れた。

 ヘルがアクセルの服を引く。


「あぁ、今見えるだけで千ってとこだが……後ろに何倍も控えてやがるな」


 先頭の者たちと接敵するまで後数分。

 彼ら、彼女らの瞳からは明確な意思が見て取れた。

 もちろん何らかの術式によって操作されているのだろうが、それ以上に──。


「そうだよなァ」


 アクセルが同情するように口を開く。


「いきなり他人の体に押し込められて無理やり戦わされたんじゃたまったもんじゃねぇよなァ」


 普段ならここで挑発の一つでもするところだが、今はそんな気分にはなれない。

 眼鏡をかけ直し真っ直ぐ前を向く。


「てめぇらを元に戻すことはできねぇ。だから、せめて俺が背負ってやるよ」


 それを合図としたかのように、ヴァナルガンドとミドガルズオルムの体が巨大化していき、ヘルの足元からは骸骨の兵が這い出てきた。

 あの時見た、いや、景色と同じだとアクセルは拳を握りしめる。

 今にして思えばこの時の為だったのかも知れない。昔の自分なら絶対に使わない、考えさえ至らない厄災の精霊術。

 どこまでも勝手な考えだ。リーゼロッテはもちろん、マティルダたちにも見せたくない。こんな邪悪を為す存在がすぐ傍にいると思われたくない。


「……行くぞ」


 思考を戻し、手をかざす。だが次の瞬間、アクセルは目を見開き固まってしまった。


「──ッ!? 何だ、これは……!?」


 全てのものが止まっている。

 迫りくる兵も、木々の揺れも、水面の波紋も、アクセルと獣たちを除く全てが動きを止めていた。

 何が起きたのか分からずアクセルは辺りを見渡した。

 ヴァナルガンドが前方に向かって唸り声をあげる。


「どうした!? ……てめぇは」


 声の方を向き、アクセルは唇を噛みしめた。


「やぁ、久しぶりだね」


 視線の先には男が立っていた。

 アクセルと同じ顔をした、違いといえば金色の髪と眼鏡をかけていないことぐらい。

 爽やかな笑顔の男にアクセルは青筋を立てた。


「うんうん、元気そうで何よりだ」


 体の前で指を合わせ嬉しそうにしている男にヴァナルガンドとミドガルズオルムが呆れたような様子を見せる。

 ヘルはというと、嫌悪感を露わにしアクセルの背に隠れてしまった。

 彼女の態度に男が意外そうな表情を浮かべる。


「うわっ、これが思春期の娘によくある『だから私とお父さんのパンツ一緒に洗わないでって言ったでしょ!?』的な反応かぁ。ショックだけど、これも成長の証だね」


 アクセルは何も発しない。

 怒りに満ちた顔で男を睨みつけていた。


「あぁ、君も元気にやってるみたいだね」


 分かっているくせにそんなことを言いながら男が微笑む。

 気色悪さと共に悪寒が背中を猛ダッシュし、アクセルは血が滲むほど口に力を入れた。

 自分と同じ顔をした奴が明るく爽やかな笑顔でこちらを見ている。

 何故かは分からないがとんでもなく苛つくし、できることなら今すぐぶん殴りたい。

 すると男は真顔になり手を差し出した。


「聞かないのかい? どうして僕がここにいるのか」


 聞くまでもない。それよりもさっさと消えてもらいたいという思いばかりが頭の中を駆け巡る。


「まっ、そうだよね。しかしヒトには困ったものだ。お陰でこっちの世界はメチャクチャさ」

「だろうなァ。だが、てめぇの出る幕じゃねぇよ」

「そうかな?」


 と、男は獣たちへ手招きした。


「可愛い我が子たち、この世界に黄昏をもたらす時が来た。まずは彼らを──」

「勝手言ってんじゃねぇ!!」


 アクセルが遮り、獣たちの前に立つ。


「引っ込んでろって言ってんのが分からねぇのか? 第一、俺にやらせる為に見せたんだろうが」

「いや、違うけど?」

「は……?」


 思ってもみなかった返答にアクセルは呆気に取られてしまった。


「あれは偶然と言うか、君が勝手に見ただけだよ。僕らの関係を考えれば分かるだろう?」

「ハッ、どうだかなァ。てめぇは自分の興味関心だけで動くクソ野郎だろうが。でなけりゃ……」

「やっぱり、よく分かってる」


 またもや爽やかさを絵に描いたような笑顔を見せられ、アクセルは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。

 ヘルが落ち着かせるようにアクセルの背中をさする。


「とにかくだ。こいつらも、元凶のスヴェン・ラプラスも俺が殺す」

「これだけ大勢を背負ってあの獣人の少女と共に歩けると?」

「あぁ、歩くさ」


 アクセルの答えに迷いはない。

 もう決めたことだ。

 人間と獣人の本当の意味での共存を成し遂げ、それを互いに監視し合う勢力図を作り上げる。

 その世界で、リーゼロッテと共に歩いていく。

 『救世の英雄くぜのえいゆう』がいなくなった後もそれを維持する為にもいちいち潰れてはいられない。


「そうか……そうかぁ」


 男が「うーん」と腕を組み唸る。


「分かったよ。この役目は君に譲ろう」

「うるせぇ、端から俺の役目だ」


 男はケラケラと笑い、両の人差し指で自身の頬をクイっと持ち上げた。


「たまにはあの子にも見せてあげなよ、君はこんな風に笑えるんだからさ。というか僕が見たい。めっちゃ笑ってあげるよ」

「失せろ」


 男の笑みが不敵なものに変わる。


「精々頑張りなよ。あまりにつまらないと、本当に僕がやってしまうからね」


 そう言い残し、男は姿を消した。

 再び周りの景色が動き始める。

 最後まで一方的な男の物言いにアクセルは舌打ちした。


「どこまでもイラつく野郎だなァ」


 最初っからてめぇだったら、あんなことにはなってねぇんだよ……!


 ヘルが尚も心配そうにアクセルに寄り添う。


「もう大丈夫だ。それより、てめぇらの出番だぞ」


 獣たちの目に殺気が宿る。

 アクセルは一度深呼吸をし、厄災を引き起こす邪悪の名を告げた。


「──《角笛を吹き鳴らせ、黄昏の時は来たれりリーグル・ギャラルホルン》」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る