第百九話 神を喰らう獣

 マティルダたちの戦闘の余波が全身を叩く。

 しかし、アクセルとミカは見合ったままだ。

 既に互いに間合いの内。

 それでも、二人とも指一本動かさない。いや、動けずにいた。

 そんな中、ミカが口を開く。


「どうした? 早く決着を着けたいのだろう?」

「てめぇこそさっさとかかってこいよ。チンタラしてると全滅するぞ?」


 事実、数の有利と地の利があるエールが優勢だ。

 だがミカは兵たちへ一瞥もくれず答えた。


「お前たちさえ倒してしまえば問題はない。如何に獣人と言えど、一兵卒では俺たちは取れん」


 その言葉にアクセルの口元がほんの少しだけ緩んだ。


「ふん、てめぇみたいなやつでも力を得ると調子に乗るもんなんだな」

「何?」


 ミカがもの問いたげな表情を見せる。


「ロマノー帝国軍准将、ミカ・ジークフリート」

「……?」

「性格は清廉潔白、外寛内明。あんな国でどう育てばそうなるかは知らねぇが。任務に忠実な一方、味方に犠牲を出すまいとするその姿から、『八芒星オクタグラム』の創設が決まった時真っ先に名前が上がったそうじゃねぇか。そんなてめぇが一兵卒は関係ないときたか」

「リスト女史は寡黙に仕事をこなすタイプだと思っていたが、そうでもないようだ」


 アクセルの笑みが濃くなる。


「てめぇらも俺や飛鳥のことを調べた上で来てるだろう? おあいこだ」

「フッ、それもそうだな」


 再び地響きが起き、二人の目の前を巨大な土の塊が横切った。

 次の瞬間──。


「はああああああああああッ!!」

「ッらぁ!!」


 二人は同時に地面を蹴った。

 グラムとスレイプニルが甲高い音を立て火花を散らす。

 しばらく鍔迫り合いをしていたが、どちらからともなく相手を押し飛ばし距離を取った。

 ミカがグラムを振り抜き無数の光刃を生み出す。

 読んでいたのか、アクセルも同様に氷弾を放った。

 それらが空中でぶつかり合い砕け散る。

 しかし、粉々になった氷は消滅せず、竜巻を形成しミカを取り囲んだ。


「──《命を切り裂け、煌めく細氷ダイヤモンドダスト》。触れれば外から、吸い込めば内からてめぇを切り刻む」


 アクセルは握り潰すように拳を閉じた。

 氷の竜巻が一気に幅を狭め、ミカへ迫る。だが──。


「おおおおおおおおおおッ!!」


 ミカは右手一本でグラムを振り下ろし、竜巻をかき消してしまった。


「何っ!?」


 アクセルが目を見張る。

 そして、竜巻を貫き向かい来る巨大な光の刃を受け止め顔をしかめた。

 周囲の重力を操作するが光の刃は止まらない。


 俺のエレメントが押し負けている……!?


 そのまま大木に叩きつけられ、アクセルは短く呻き声を発した。

 思いっきり頭を振り、思考を切り替える。


 こうなったら……!


「瞬時に相手への評価だけでなく、自身の戦術まで修正するか。恐ろしいやつだ」


 すぐ傍で響いたミカの声に身を翻すが、胸元に鋭い痛みが走り目の前が赤く染まる。

 傷口の上から蹴り飛ばされ、アクセルは受け身も取れず地面を転がった。


「ぐぅ……がっ……!」


 傷口が焼けるように熱を帯び、激痛が思考をかき乱す。

 とにかく、まずは傷を治さなければ。

 ほとんど反射的に首に下げた霊装に触れようとするが、そんな暇は与えてもらえなかった。

 無理矢理体をひねり、心臓目掛け突き出されたグラムを弾く。

 ミカが仰け反ったのを見て、アクセルは拳にエレメントを込め地面を殴りつけた。

 何本もの木の根がミカを突き刺そうと勢いよく飛び出す。

 しかし、あっさりと避けられてしまった。

 その動きに違和感を覚え記憶を辿る。

 すぐに違和感の正体に思い当たり、アクセルの眼に光が戻った。


「何がおかしい?」


 ミカに問われ、自身の頬に触れる。

 思わず笑みが溢れてしまっていたらしい。

 すぐに口を真一文字に結び、ミカを見据えた。


「いや何。てめぇが口にした名が気になってなァ」


 ミカが身構える。


「ソフィアたちから聞いた話と今のてめぇとじゃ差がありすぎる。シグルドの伝承とグラムが揃っただけじゃそうはならねぇ。……てめぇ、?」

「……!」


 ミカの表情がこわばるのを見て、アクセルは確信へと至った。


「身近に似たようなやつがいるんでなァ。だがてめぇのは『精霊眼アニマ・アウラ』じゃねぇ。──力を借りただけでなく、オーディンに眼を捧げたか。バカが」


 ミカが観念したように溜め息をつく。


「観察力も一流か。陛下に従い国の為に力を尽くしていれば、今頃俺ではなくお前が『八芒星オクタグラム』を率いていただろう」

「笑えねぇなァ、寝言は寝て言ってくれ。それよりも、だ──」


 アクセルは忌々しげに吐き捨てた。


「自分が何をしてるか分かってんのか? てめぇの眼は伝承世界に囚われた、取り戻す手段は……ほとんど絶望的だ。そこまでする理由は何だ」


 再びミカが眉をひそめる。


「お前と同じだ。目的を果たす為にはこの方法しかなかった。故に受け入れた、それだけだ」

「知ったような口をきくな!! てめぇは俺とは違う!!」


 叫び、冷静さを取り戻そうとアクセルは肩で息を切った。

 一度は否定した考えが頭を過り、拳を握りしめる。


「向こうの二人もそうなのか?」

「──他人の心配をしている場合か?」

「何だと?」


 ミカは右手一本でグラムを天に向かって掲げた。

 明らかに彼のものとは違う、異次元のエレメントが剣身を覆っていく。

 それに呼応するように、アクセルの影がヴァナルガンドの形を取り咆哮を轟かせた。


「『八芒星俺たち』が集められた理由は知っているな?」

「スヴェリエに現れた第八門──焔とグランフェルトに対抗する為だろ」

「その通りだ」


 アクセルを見つめたまま、ミカが続ける。


「人の身でお前たち化け物を討つ。それこそが俺たちの存在理由だ」

「化け物、ねぇ……」


 以前ヴィルヘルムとした問答が思い出され、体の芯から怒りと殺意が湧き起こり渦を巻く。

 反対に思考は冷たく、歯車が噛み合っていくかのように明瞭だ。

 アクセルはゆっくりと首をもたげ、歯を剥き出しにし嗤った。


「あぁ、それだ……」

「むっ……?」


 思い浮かぶのは、一番大切な人の顔。

 こんな訳の分からない、化け物の傍でいつも笑ってくれる、誰よりも優しい猫人族の少女。


 最初は復讐だった。

 他人を殺めなければ生き延びられない世界など間違っている。

 だからこの世界をぶち壊す。

 その機を待つ為、先帝と取引をしフラナングへの幽閉を良しとした。


 でも、今は違う。

 もうあの子に怖い思いをしてほしくない。ずっと笑っていてほしい。

 明るい陽の光の下を、二人で大手を振って歩ける世界を作りたい。

 ただそれだけだ。


 飛鳥とアーニャ、神界とかいうところからやって来て、世界を救うなんて大真面目な顔で言うあの二人に、その可能性を見た。

 だからこそここまで来た。

 もう誰にも邪魔はさせない、させてたまるか。


「ミカ・ジークフリート。てめぇは、触れちゃならないものに触れた」


 アクセルの体を覆っていた大地のエレメントが消えたかと思うと、周囲の気温が急激に下がり始めた。


「これは……!」


 ミカは僅かに驚きを見せながら辺りを見渡した。


「おい、てめぇも借りを返したいだろ。行くぞ、ヴァナルガンド」


 スレイプニルの側面に掘られた溝が、氷のエレメントと同じ透き通った水色に染まっていく。

 その変化にミカは目を細めた。


「そうか。では、伝承の再現といこうか」

「ああ?」

「俺が捧げたのが、瞳だけだと思ったか?」


 ミカの問いにアクセルが首を横に振る。


「そうだよなァ。だが、一度は終わったことにイフを持ち込むのはナンセンスだと思うぜ?」

「お前に言われる筋合いはない。今度は相打ちでは終わらせん。無論、俺たちもだ」

「初めて意見が合ったなァ。右腕があろうが無かろうが、負けんのはてめぇだ」


 直後、二人のエレメントが大地を揺るがした。

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