第百七話 花嫁
のしかかる重力が消えた途端、二つの影が素早くマティルダを両側から抱え上げた。
「マティルダちゃん!」
「ご無事ですか!? マティルダ様!」
「クララ、カトル……」
ミカたちも身を翻し距離を取る。
その顔ぶれにアクセルはわざとらしく驚いてみせた。
「まさかロマノー、しかも『
やたらと強調された最後の単語に、エミリアが青筋を立てる。
どちらを止めたいのか……いや、この場合両方か。ミカはエミリアの前に立ち塞がった。
彼女の頬がピクピクと動く。
「何してんの? ジークフリート」
背後から響く怒りに震える声に、ミカは覚悟を決めたのかこう答えた。
「アクセル・ローグは俺がやる」
「…………。…………はぁ?」
たっぷり間を置いてからのその反応にアクセルが大声で笑う。
ミカは挑発を続ける彼を怒り半分、やめてくれという懇願半分で睨みつけた。
「あいつには散々馬鹿にされたし、返したいものが沢山あんの。謁見の間での戦闘のこと、聞いたでしょ?」
「それは……」
フラナングでも謁見の間でも、エミリアはアクセルに手も足も出なかった。
今は状況が違うとはいえ、一対一では分が悪い。
ミカは振り向かずに告げた。
「これは『
「──ッ!」
思わず飛び出したエミリアをミカが強く抱き止める。
そして、荒く息を吐き出す彼女の手にシグルドリーヴァを握らせた。
「俺より准将の力の方が獅子王と相性がいい。……頼む」
エミリアの動きが、大きく開いた目でミカを睨みつけたままだが、止まる。
その様子に、ミカは安心したように息をついた。
「ふぅん、お二人はそういう関係だったんすねぇ」
「何だと?」
視線を移すと、レオンがヘラヘラと笑っている。
「俺とアルヴェーン准将とじゃ、随分扱いが違うじゃあないっすか」
「普段からの行いの差だ」
それを聞き、レオンは益々馬鹿にするように笑った。
「普段からの行いねぇ。じゃあ俺も、准将殿の前で裸になった方が良かったっすか?」
「……俺を侮辱する気か? 中尉」
ミカの怒りを表すかのように、グラムの光が更に勢いを増す。
そこへ無数の氷弾が降り注ぎ地面を抉った。
「無駄話に付き合ってる暇はねぇんだがなァ」
アクセルがうんざりしながら口にする。
「どうせ結果は同じだ、三人まとめてかかってこいよ」
ミカたちが一斉に身構える。
しかし、それに異を唱えたのは意外にも……。
「待て、やつらは余の獲物だ。横取りは許さんぞ」
ミョルニルを肩に担ぎ、マティルダはアクセルに詰め寄った。
「あ? てめぇこそ下がってろ。何かあったら飛鳥がうるせぇんだよ。おい、カトル。マティルダを──」
「貴様! 余がやつらに遅れを取ると、そう言いたいのか?!」
「実際取ってたじゃねぇか。俺が間に合わなきゃ怪我じゃ済まなかっただろ」
「あの、お二人とも……」
止めに入るカトルを押し除け、マティルダは自身とアクセルの額をぶつけた。
「何を言うか! 貴様など遅すぎたぐらいだ! 第一、余は飛鳥に留守を頼まれた身だ。夫の頼みを無視はできん!」
「だーかーらーぁ、それでてめぇが死んだら意味ねぇだろうが。んなことも分からねぇとは、今まであいつの何を見てきたんだ? あ?」
「その言葉! そっくりそのまま返してやるわ! 貴様こそ、ここで死んだら飛鳥が何と言うか想像できないのか? リーゼロッテのこともあるだろう!」
「ですから、マティルダ様もアクセル殿もちょっと落ち着いてください……」
諦めず二人へ近付いていくカトルの服をクララが掴む。
「諦めなー」
「クララ! そんな適当な……」
次の瞬間、光刃と炎弾が襲いかかり、マティルダとアクセルはそれぞれカトルとクララを引っ張り地面を蹴った。
「二人は離れていろ!」
甲高い金属音が響き渡る。
スレイプニルでグラムを受け止め、アクセルは口の端を吊り上げた。
「結局てめぇが俺の相手か。ミカ・ジークフリート」
「ほぉ、俺の名まで知っているとはな。アクセル・ローグ元中尉」
グラムを弾き、「そういえば」と口にする。
「何の役にも立たなかったが、一応そんな階級を貰ってたなぁ」
「今更裏切りの理由など聞くつもりはない。俺がお前に問いたいのは一つだけだ。──お前は、帝国の敵か?」
「はぁ?」
本当に今更だとアクセルは笑った。
そんなこと聞かれるまでもない。いや、そもそも──。
「俺は帝国に味方したことなんざ一度もねぇよ。俺の目的を邪魔するやつは、全て敵だ」
「そうか、それを聞いて安心した。これで俺も本気で戦える」
「何? ……──ッ!?」
突如、獣たちが暴れ出し眉をひそめた。
ミカを最上級の危険だと訴えかけてくる。
「グラム、
見た目は変わらない。
だが、明らかに変化したミカの気配に悪寒が走った。
ソフィアから聞かされた伝承武装の強化段階は二つだけ。
彼女が嘘をつくメリットなどどこにもない。それに、彼女は飛鳥たちを信頼している。
エールに来てからの働きぶりを見れば一目瞭然だ。
ならば、考えられる可能性は一つ。
しかし、アクセルはその可能性を否定した。いや、否定したくなってしまった。
何故なら、今のミカの在り方は……。
「……てめぇ、その力をどこで手に入れた」
「答える義理はない」
「はっ、そうかよ」
獣たちが一層声をあげる。
あいつは危険だと。だがそれ以上に、彼らの声は怒りに満ちていた。
やっと見つけた、もう同じ轍は踏まない。今度こそ噛み砕き、引き裂き、押し潰してやるという恨みが全身を駆け巡る。
「その力……いや、てめぇが見つけた伝承はテュール、オーディン辺りか? それとも……」
「いずれもだ」
「なっ……!?」
「それだけではない」
と、ミカはグラムを突き出した。
「こいつの真の持ち主、シグルドも俺に力を貸してくれた」
「ふざけんじゃねぇ……!」
その在り方は自分と同じだ。
八年前、大勢の人々の命と引き換えに得た力。
そして今また、飛鳥たちが命をかけて繋いでくれた力だ。
ソフィア以外にそんな術式が扱えるのは──。
まさか……んなことあってたまるか! やつは間違いなく、俺が……!
「余所見とは随分余裕だな」
煌めく光刃に上体を逸らす。
首に滲んだ血を拭い舌打ちをした。
「分からないな」
「あ? 何がだよ」
「あの邪神に力を借りれば獣たちの力も思うがままの筈。何故そうしなかった?」
ミカの疑問に思わず笑いが溢れてしまった。
彼を馬鹿にしている訳ではない。
自分と同じ顔で笑う胸糞悪い男を思い出し、かき消すように頭を振った。
「嫌いなんだよ、人の良さそうなツラして無茶苦茶言ってくるやつがな」
「まるで直接話したことがあるような口振りだな」
「あぁ、まぁな……」
何にせよ、今は確かめる術がない。
ミカを倒すことに思考を集中させ拳を握った。
「どうでもいいだろう。それより、さっさとケリをつけようぜ。魔獣殺しの大英雄さんよォ」
飛来した炎弾を器用に躱し、マティルダはミョルニルを振り下ろした。
全てが必殺の一撃だ。叩きつける度に大地が割れ、大気が引き裂かれんと悲鳴をあげる。
「おのれちょこまかと!」
「そんな馬鹿力と正面から打ち合う訳ないでしょ!」
エミリアの声が響くと同時に、生き物のように地面を這う炎が全方位から飛びかかった。
徐々に全身を縛りあげられていくがマティルダは全く動じない。
たったの一呼吸で打ち破ってしまった。
「分かったであろう? 貴様では余は殺せん」
「じゃあ、これならどう?」
マティルダの左肩をシグルドリーヴァが貫くが同じことだ、痛みはない。
しかし、腹を括ったようなエミリアの表情に体が自然と動いた。
エミリアが震える唇で笑う。
「もう遅いよ。──シグルドリーヴァ、
炸裂音と共にマティルダの左腕が宙を舞い、絶叫が木霊した。
「マティルダ様ッ!!」
カトルたちが猛スピードで向かうが。
「外野は引っ込んでてくれないか?」
レオンの放った矢がクララ目掛け一直線に飛んでいく。
すんでのところでカトルはクララを突き飛ばした。
マティルダが怒鳴り声をあげる。
「二人に手を出すなッ!!」
「ならさっさと死んでくれよ。准将! もう一発──」
だがエミリアは動かない。
青白い顔で歯をガチガチと鳴らし、崩れ落ちそうになる体を必死に支えている。
「……どこまで使えねぇんだ、クソっ」
忌々しげに呟きレオンは弦を引くが、頭上からのミョルニルの一撃に飛び退いた。
しかしそれだけでは終わらない。
三人を守るように、ミョルニルは弧を描きながら何度も何度もその身を叩きつけた。
「何だその力は……!? 貴様のエレメントでは……」
復元された左腕で額の汗を拭う。
もたれかかるようにシグルドリーヴァを握りしめながらエミリアは歯を剥き出した。
「ヴァルキュリアの一人、ランドグリーズル……。その名前の意味は、盾を壊す者……。さすがのあんたでも、頭や心臓が吹き飛べば……死ぬでしょ?」
「まだ手を隠していたか、敵ながら見事だ。しかし、その状態でもう一撃当てられると思っ──」
直後、右足に痛みが走り重心が崩れる。
「最後ぐらい役に立てよ、准将!」
「この! 貴様ぁ……!」
エミリアが雄叫びをあげ駆け出す。
体をこれでもかと捻り狙いを逸らすが、脇腹が大きく裂け夥しい量の血が飛び散った。
カトルとクララが青ざめる。
「ぐっ……こんな、ところで……!」
ミョルニルが地面に落ち、レオンは溜め息をついた。
「ようやくか。安心しろ、ナグルファルはライル大佐の領域だ。雷帝ともすぐに会えるさ」
「飛、鳥……」
目を閉じ、一番大切な人の顔を思い浮かべる。
初めて出会った時から、他の者とは違う何かを感じていた。
結婚を申し出たのはもちろんレグルスの掟に従ってのことだったが、それ以上にそれが何なのか知りたくて。
いつの間にか、自然と目で追うようになっていた。
いつの間にか、飛鳥のことばかり考えるようになっていた。
飛鳥はいつも必死だった。
ロマノーの掲げる偽りの共存ではない、人間と獣人両方が笑って暮らせる国を作る為に常に自分を犠牲にして。
余は戦うことしかできん。
だからせめて、この力で飛鳥を守りたかった。
飛鳥がやりたいことをできるよう、国を、民を。
『それが愛するということですよ、マティルダ様』
アルネブよ……今ならば貴様の言葉、理解できるぞ……。
飛鳥が嬉しそうにしていると、余も嬉しい。
飛鳥が辛そうにしていれば余も辛いし、寄り添って一緒に解決したいと思う。
頭を撫でられた時などは格別だ。心臓が飛び跳ねるほど嬉しく、心が暖かくなる。
西エウロパ平原の方角を見つめ、マティルダは微笑んだ。
あぁ、飛鳥。我が夫よ。このような気持ちになったのは初めてだ。
余はこれからもずっとずっと、貴様と一緒にいたい。
貴様の隣でエールをもっと良き国にしていきたい。
そしていつか、父上と母上が余にしてくれたように、余も貴様との子に伝えていきたい。
家族の、民の大切さを。王としての在り方を──。
一瞬アーニャの顔が浮かび、口をモゴモゴさせる。
まぁ……アーニャとの子であっても……。
……うむ! それでも余の子だ! 飛鳥の家族ならば皆余の家族だ!
「だから……」
肩を落とし、ランドグリーズルの炎と風の矢を見据える。
観念したと見えたのか、レオンは勝ち誇ったように笑った。だが──。
「何、で……!?」
「一体何だよ、ありゃ……」
光のエレメントでできた布のようなものが、直前で炎と風をかき消してしまった。
二人が困惑した様子を見せる。
「余はここで死ぬ訳にはいかん」
「てめぇ、何しやがった!」
レオンが怒りに任せ弦を引く。
しかし、マティルダの背後から現れた布に触れた途端、またもや霧散してしまった。
「──ッ! まだよ! シグルドリーヴァ!!」
「無駄だ」
「はっ!?」
マティルダは、先ほどまで自身を苦しめていた、ランドグリーズルの炎が灯った穂先を掴んだ。
その手を光の布が包んでいく。
「何が起きて……!?」
エミリアの顔が恐怖で歪む。
やがて光の布はマティルダの全身を包み込み、発せられたエレメントが周囲を吹き飛ばした。
「きゃあああああ!」
「今ならハッキリと言える。余は、マティルダ・レグルスは、世界中の誰よりも皇飛鳥を愛している」
花が開くように、ゆっくりと布がほどけていく。
そこから現れたマティルダの姿に、エミリアとレオンだけでなく、カトルたちも息を呑んだ。
「ウ、ウェディングドレス……?」
「すげー♪ マティルダちゃんキレー♪」
目を輝かせるクララに目をやり微笑む。
最後に手の中に出現したティアラを頭に乗せ、大地をしっかりと踏みしめた。
「これは誓いだ。この先に何があろうとも、余は飛鳥と共に在る。決して離れたりはしない。この力はその証だ」
戻ってきたミョルニルを掴み、高々と掲げる。
「見よ! これが余の新たな
ドレスを翻し、マティルダはいつもの自信に溢れた笑みを浮かべた。
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