第百五話 エール侵攻
飛鳥とアーニャがナグルファルに飛び移った直後、ミドガルズオルムが崩れ始めた。
乾ききった土壁のように表面がボロボロと剥がれていく。
そして最後には文字通り砂のように散り、アクセルは空中へ投げ出された。
地面に目をやり舌打ちをする。
眼下に見えるのは西エウロパ平原を目指すロマノーの大軍。
ハッキリと表情までは見えないが、こちらを見上げている者もいる。
このまま落ちれば命はない。
アクセルは通信器に指を当て叫んだ。
「おい! クソ鳥共! どこにいやがる!」
しかし通信器からは何の反応もない、アクセルの顔が忌々しげに歪んだ。
「役に立たねぇなァ……! ──ッ!?」
体の中で、アクセルを助けようとしてくれているのだろう、獣たちがうごめく。
ありがたいことだが、今彼らを外に出せるほどのエレメントは残っていない。
可能な限り首を動かし辺りを見渡すが、やはりカトルとクララは見当たらなかった。
覚悟を決め、僅かに残ったエレメントをスレイプニルに集中させる。
だが、次の瞬間──。
「遅ぇんだよ、てめぇら」
体が急上昇し、脇を抱えるカトルを見上げ睨みつけた。
普段ならこんなことを言えば嫌な顔をされるものだが、何故かカトルは優しく微笑んでいて。
驚きと気味の悪さにアクセルは口をつぐんだ。
「遅くなってすみません、ご無事でしたか?」
「……あぁ、あいつらは?」
「落ちてきてないから大丈夫だと思うー」
もの凄く適当な言い方だが、カトルとクララがこれだけ落ち着いているということは二人は無事にナグルファルに乗り込めたようだ。
一旦は作戦成功だ、なら次は……。
「おい、このまま砦に──って何をしやがる。クララ」
突然クララに眼鏡を奪われ、アクセルはクララに向かって足を伸ばした。
手の中で眼鏡を遊ばせながらクララが口を尖らせる。
「せっかく助けてやったのにクソ鳥とか遅いとかショックで人を抱えて飛ぶのは無理だなー。うん、無理だー」
肩を落とし俯いてはいるが、表情はニヤニヤしていて全く感情を隠せていない。
その言葉にアクセルはいよいよ怒鳴り声をあげた。
「聞こえてたんならさっさと助けに来やがれ! その為について来たんだろうが!」
「まぁまぁ、アクセル殿。僕もクソ鳥は言いすぎだと思いますよ?」
カトルに視線を戻すと、彼は微笑んだままで。
激しい悪寒を感じ、アクセルは二人を宥め始めた。
「ちょっと待て、落ち着け。俺を落とせばてめぇらの大好きな王様とマティルダが黙ってねぇぞ? それは分かるよな?」
「リーゼロッテには立派な最後だったと伝えておこう……」
リーゼロッテの名前を出され、アクセルは益々慌て出した。
「おい、何だ? 眼鏡は形見のつもりか? 今はそんな状況じゃ──」
「ごめんなさいはー?」
「あ?」
「リーゼロッテはありがとうとごめんなさいがちゃんと言える人が好きって言ってたなー」
思い出したかのようにクララが述べる。
真偽のほどは定かではないが、このままでは話が進まない。
「…………。わ、悪かったよ……」
思いっきり歯を食いしばった後、アクセルは呻くように口にした。
クララが嬉しそうに笑い眼鏡を戻す。
また脅されたらたまったものじゃない、アクセルは舌打ちしそうになるのを必死に堪えた。
「それにしても、アクセル殿も無茶をしますね。本当はあまり余裕がなかったんじゃないですか?」
カトルの言葉に鼻を鳴らす。
「我が王に対して説得力がありませんよ。それに、アクセル殿に何かあったら皆が悲しみます」
「そうかねぇ?」
「えぇ」
と、カトルはアクセルを抱え直し、
「これからは少しだけ貴方と仲良くできそうな気がします」
そう言って笑った。
「何だそりゃ? 気持ち悪ぃやつだな」
「あはは、では戻りましょうか。クララ」
「ん、えーと……快速急行砦行き〜まもなく出発しまーす」
「カイソク……?」
「飛鳥が教えてくれたんだー、めっちゃ速いって意味なんだって。英雄になる前はそれで仕事に行ってたらしいぞ。でも飛鳥、その話した時すごく辛そうにしてたなー」
「…………」
こいつらどこまでお気楽なんだ……。
飛鳥のがうつったか……?
「何でもいい。さっさと砦に行かないとまたキタルファがうるせぇぞ」
「そだなー。カトル、行くぞー」
「あぁ」
二人でアクセルを抱え、同時に羽ばたくが……。
「おい、ちょっと速すぎじゃ──、〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
ほぼノータイムで最高速まで達し、アクセルの悲鳴を残して三人はその場から飛び去った。
ロマノー帝国軍北方司令部。
ミカがエール侵攻の準備状況を見回っていると、向こうから一人の兵士が駆けてきた。
「准将、ご報告がございます」
「どうした」
「はっ、先刻エールより現れた巨塊に乗っていたのは雷帝皇飛鳥とその第二夫人アニヤメリアと確認が取れました」
「そうか、ご苦労」
元帥閣下が仰った通りになったか……。
「あの、ところで准将……」
「ん?」
「エールは専守防衛を掲げております、こちらから手出ししない限り動くことはありません」
「何が言いたい」
「兵力はこちらの約三倍、おまけに地の利も向こうにあります。これでは……」
その先は聞かずとも分かる。
事実、兵の士気は高くはない。
それでも──。
「今回の目的は獅子王とアクセル・ローグの抹殺だ。エール軍の殲滅ではない」
「そ、そうですが……」
「帝都から援軍が来る手筈にもなっている、そう心配するな」
「そこが一番の疑問なのです、准将」
触れられたくない話題に話が及び、ミカは黙り込んだ。
「ほとんどの兵が西エウロパ平原に向かい進軍中です。こちらに回す戦力など本当にあるのですか?」
「お前は本部のいうことが信じられないと?」
「い、いえ! 失礼いたしました!」
「では持ち場に戻れ、準備が出来次第出るぞ」
兵へ指示を出し、ミカは足早に去っていった。
あの者が言う通り、俺たち以外の『
ならば、周辺国から人を集めるつもりか?
だがそれでは援軍ではなくただの烏合の衆、いられるだけ迷惑だ。
上層部は何を考えている……?
「おや、准将殿も飯ですか?」
ミカが考え込みながら廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこにはレオンの姿が。
「いや、俺は……」
「まぁまぁ、あまり美味くはないですが食っときましょうよ。ここを発ったらしばらくは保存食ですし」
「中尉、そういうことを言うものではない」
咎めると、レオンは「こりゃ失礼」と笑い出した。
その様子にミカが目を細める。
帝都を出てから、いや、強化を終えて以降人が変わったように陽気に喋るようになっていた。
一抹の不安を覚えつつもレオンと共に食堂に入ると先にエミリアが食事をしていた。
しかし、その表情はどこか不満げだ。
「アルヴェーン准将もいらしてたんすね。どうです? 美味いですか?」
エミリアは二人へ視線を移すだけで何も答えない。
ミカとレオンも食事を受け取り同じテーブルへ着いたが、見るとあまり進んでいないようだ。
その様子にレオンはやっぱりねといった顔をした。
「気持ちは分かりますけどね、准将。ちゃんと食べた方がいいっすよ? じゃないと──」
「やめろ、中尉」
そこから先はエミリアにとって地雷だ。出撃前にわざわざ諍いを起こす必要はない。
するとエミリアは残りを一気にかきこみ出ていってしまった。
ミカがレオンを睨みつける。
「帝都を発ってからこっち、ずっと機嫌が悪いっすねぇ。アルヴェーン准将」
叱ろうとしたが、ミカはレオンの言葉に押し黙った。
中尉は聞かされていない、か……。ならば──。
「……中尉、作戦変更だ。お前はアルヴェーン准将の援護に回れ」
「え? いいっすけど、何でまた急に?」
「獣人は獣と会話ができる。伏兵を置いても意味はない」
「今更何を……。こっちにも獣人の兵はいるでしょう?」
「それでもだ」
「はぁ、分かりました」
鬼気迫る表情のミカにレオンは二つ返事で承諾した。
それから数時間後、ミカ率いるロマノー軍はエールとの国境にある川へとやってきた。
最前線には建材を手にした部隊が。簡単な橋を架け、一気に攻め込む予定だったのだが……。
「あらら、どうします? 准将殿?」
「……」
対岸には既にエール軍が部隊を展開していた。
先頭に立つマティルダを見据え、ミカが一歩踏み出す。
「エール共和国女王、獅子王マティルダ・レグルス殿とお見受けする。俺はミカ・ジークフリート、ロマノー帝国軍准将だ」
「いかにも、余がマティルダ・レグルスである。ロマノーの戦士よ、我が国に何用だ?」
担いでいた大槌を地面に打ち立て、マティルダは威圧するように胸を張った。
それにミカたち三人が目を見張る。
「あれはまさか、伝承武装か!?」
「やはりリスト女史を攫ったのはエールだったか……」
「どうした? 余の問いに答えよ」
マティルダは低く厳かな声で先を促した。
たった一言、短いフレーズであったが、それだけで両軍はのしかかるような重圧に悲鳴を漏らし、様子を窺っていた獣たちが姿を消した。
「まじかよ……」
苦々しくレオンが呟く。
このような相手に、全く……。
そんなことを考えながらミカは口を開いた。
ベストラから下された命令はマティルダたち第八門の抹殺だが──。
「ロマノーに降り、スヴェリエと交戦していただきたい」
自分で言っておきながら何と阿呆らしいことかとミカは心の中で苦笑いを浮かべる。
この期に及んで尚、ベストラ以外の将校たちはエールの人間に対する怒りを利用しようと考えていた。
普段から頼りない連中だと思っていたが、ここまで愚かだったのかと呆れるしかなかった。
「そちらから一方的に同盟を破棄しておきながら、ロマノーに降れだと!? ふざけるな!!」
マティルダの傍に控えていたヴォーダンが怒鳴る。
落ち着くようヴォーダンの肩に手を置き、マティルダは改めてミカを睨みつけた。
「断る、余たちはどちらにもつく気はない。これで貴様の責務は果たされたであろう? 皇帝の真意を申せ」
悲しいかな、器が違うな。
「心遣い感謝する。……俺たちの目的はただ一つ、お前たち第八門の抹殺だ」
ミカが告げた途端、エール兵は殺気立ち武器を構えた。
マティルダも大槌に手を添える。
「そうであろうな。余と飛鳥を止められる者などおらぬからな」
「あれ? もしかしてトリックスターって嫌われてんすかね?」
「無駄口を叩くな、中尉。──行くぞ、グラム」
表面が剥がれ、銀色の十字架が姿を現す。
そして、何もなかった剣身に光のエレメントが集まり大剣を作り上げた。
その姿は、単なる光というより──。
「それがグラムの
「いかにも。この姿を振るうのはお前で二人目だ」
太陽のように燃え盛るグラムを見つめ、マティルダが愉快そうに笑う。
「ならば余も本気でやるとしよう。──初陣だ! 存分に暴れるがよい! ミョルニル!!」
炸裂音と共に表面の黄金が剥がれ、黒く、縁だけが金色に塗られた金属の塊が産声をあげた。
その姿にどよめきが起こる。
柄だけで長さも幅もマティルダの体とほぼ同じ、槌の部分に至ってはその数倍、明らかにバランスが取れていない。
半分より少しだけ槌の側にくり抜かれた穴に手を入れ、マティルダはミョルニルを片手で持ち上げた。
「ミョルニルって……雷神の槌……!?」
唖然としつつエミリアがこぼす。
彼女に気付いたマティルダは眉をひそめた。
「あのような子どもまで戦わせるとは……」
「「あっ」」
ミカとレオンが渋い顔をするが時既に遅し。
揺らめいていたエミリアの炎が一気に噴き上がった。
「だ! か! ら! 私は!! 二十三歳だああああああああああああああああああああ!!!」
「何と!? 余よりも年上だったか!」
「もうあんた黙ってくんねぇかなぁ!!?」
崩れ去った緊張感を取り戻すべく、ミカが珍しく声を張り上げた。
「獅子王! その命、貰い受ける!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます