第百四話 焔雷、再び
「お呼びでしょうか、姫様──あ痛っ!?」
マティルダに呼ばれやってきたキタルファとアンカーであったが、当のマティルダにカップを投げつけられ、キタルファは膝を折った。
「何度言えば分かるのだキタルファ! 余はもう姫と呼ばれる歳ではないぞ!」
「この緊急時にそのようなことを言っている場合ですか!?」
アンカーに支えられキタルファが吠える。
「まぁまぁマティルダ、落ち着いて……」
そっぽを向くマティルダを宥めようと飛鳥が近付いていくが……。
「そうですよ、マティルダさん。人に物を投げちゃいけません」
と、アーニャがマティルダを抱きしめた。
髪に頬擦りされ、マティルダはこそばゆそうに体をくねらせる。
「えぇい、離せアーニャ! こら! 耳を触るな匂いを嗅ぐなぁ! 助けよ飛鳥!」
「あ、あぁ……。えぇと……」
「大丈夫だよ飛鳥くん、私に任せて」
そう言って微笑むアーニャだが、飛鳥がマティルダに触れるのを嫌がっているのか、闘気が見え隠れして。
「う、うん……」と飛鳥は足を止めた。
そのやり取りをしばらく眺めていたアンカーが戸惑いを見せながら口を開く。
「ところで陛下、マティルダ様。ご用件というのは……?」
「す、すまない。……貴様たちもあれについては聞いているな?」
抵抗するのを諦めたのか、アーニャにされるがままマティルダは壁に映っているナグルファルを指差した。
二人が同時に頷く。
「はっ。皆に不安が広がっております」
「そうか。すぐに皆に知らせよ、あれは飛鳥が止めるとな。飛鳥たちが帰ってくるまでの間、余は第一の砦に詰める。貴様たちはこの部屋に詰め、皆への指示と情報収集を行うのだ」
「なっ……!?」
マティルダの言葉にキタルファは飛び上がった。
「姫様が最前線に赴く必要はございません! 何かあったらどうするのですか!?」
「……キタルファ。レグルスの者は代々そうやって民を守ってきた。父上と母上もだ。何故そこまで余を止めようとする?」
「イルヴァ様は今際の際、姫様のことを私たちに託されました。万が一のことがあったら、私たちはイルヴァ様に顔向けできません……!」
「むぅ……母上らしいが……。アンカー、貴様も同じことを言うか?」
「そうですなぁ……」
アンカーはしばらくの間腕を組み俯いていたが、やがてこう述べた。
「第一の砦にはヴォーダンもおります。マティルダ様の納得のいくようになさってください」
「アンカー!? 貴様何を言っとるか!!」
キタルファがアンカーを殴りつけるが、二人の体格差は大人と子どもほどある。
当然アンカーはびくともしない。
殴られながらアンカーは続けた。
「儂はマティルダ様に後悔してほしくない。マティルダ様が為したいことを為せるよう支えるのが儂らの務めよ」
「アンカー……」
味方のいないキタルファは泣きそうだ。
少しは安心材料を与えないと申し訳ない。
「ウルド、スクルド、ヴェルダンディ。お前たちもマティルダと一緒に砦に入ってくれ」
「は、はい! でもあの、その前に顔を洗ってきてもいいでしょうか……?」
「そうね。緊急時とはいえ、この顔で出歩くのはちょっと……」
「姉さんたち、何を悠長なことを……」
苦笑いを浮かべつつも、飛鳥は頷いた。
マティルダが嬉しそうに尾をユラユラとさせる。
諦め切れないのか、頭を抱えているキタルファの肩をアクセルが叩いた。
「あいつらを送り届けたら俺も砦に入る。てめぇの思ってる最悪はねぇから安心しろ」
「送り届ける……? あんなところまでどうやって?」
「まぁ、とにかく任せておけ」
落ち着きを取り戻したキタルファに一息つき、飛鳥はプリムラの方を向いた。
彼女も飛鳥の言いたいことが分かっているらしい。
「さて、私たちは檻の中にいればいいでしょうか?」
などと言い出した。
声が少し笑っている。
冗談を言っている場合ではないのだが……。
「
「あの、パイセン?」
「それに僕らを倒すつもりならとっくにやってたましたよね?」
「えぇ、そうですね」
迷いのない返事にアクセルとマティルダの顔がこわばる。
これ以上時間を使う訳にはいかない。
飛鳥はニーナを呼んだ。
「どこも人手が足りないんです。ニーナさん、二人を頼みます」
「承知いたしました」
「あぁ、飛鳥。最後に一つ」
「何ですか?」
「ナグルファルには焔王も来ています。気をつけてください」
「焔恭介が……!?」
そういうのは先に言ってくれよ……!
「彼は『奇蹟』を携えています。ですが、貴方なら何とかできる筈です」
「『奇蹟』?」
プリムラはそれ以上答えない。
彼女たちを残し、飛鳥は部屋を後にした。
「何だ? お前らも来るのか?」
外で待機していたカトルとクララを見つけ、アクセルが問う。
「えぇ、ロマノー領に乗り込む訳ですし」
「砦まで連れて帰ってやるから安心しろー」
「アクセル、さっそくだけど──」
「分かってるよ」
アクセルが地面に触れると影が揺らめき、大地のエレメントが噴き上がった。
それらがアクセルを包み込んだかと思うと──。
「これは……!」
「でけー」
天を衝くほどの巨体となったミドガルズオルムが姿を現し、飛鳥たちの前に頭をつけた。
『乗れ』
内部からアクセルの声が響く。
「行こう、アーニャ」
「うん!」
『振り落とされないように気をつけろよ』
二人を乗せると、ミドガルズオルムは猛スピードで進み始めた。
「カトルーいつまで驚いてるんだー? 私たちも行くぞー」
「あ、あぁ。行こう」
ミドガルズオルムの速度は凄まじく、あっという間に王城が見えなくなってしまった。
激しい揺れに飛鳥はアーニャを抱き寄せる。
「アーニャ! 捕まってて!」
「う、うん!」
「アクセル! もうちょっと通る場所を考えろよ!」
眼下では木々や岩だけでなく、家々も粉々になり人々の悲鳴がここまで聞こえてくる。
『
『うるせェ! んなこと気にしてる場合か!』
速度を落とさないどころか、ミドガルズオルムは益々巨大になり、速度を上げていく。
『このまま突っ込むぞ!』
ナグルファルはもう目の前まで迫っていた。
今のところ攻撃される気配はない。
飛鳥はレーヴァテインを抜いた。
雷が渦を巻く。
「咆哮せよ! レーヴァテイン!!」
飛鳥の一撃がナグルファルのエレメントを剥がし、そのまま二人はナグルファルに乗り込んだ。
直後、ミドガルズオルムが急速に小さくなり始めた。
「アクセル!? カトル! クララ! アクセルを砦まで連れて──」
しかし通信器から返ってくるのは風のようなノイズ音だけだ。
距離が離れすぎたか……!?
「アクセル!」
「飛鳥くん! あれを見て!」
アーニャの示した先には、ヴィルヘルムの宮殿で戦った巨人と死兵の群れが。
「アーニャ! 下がっててくれ!」
アーニャの前に立ちレーヴァテインを構える。
一斉に向かってきた一軍に向かい、飛鳥はレーヴァテインを振り下ろした。
空間の歪みを越え、恭介はナグルファルへと足を踏み入れた。
体の節々が僅かに痛むが気にしている時ではない。
一息つき、変わり果てた街を見渡す。
その背後から地響きのような足音が複数。
恭介は『槍』を左手に持ち替え剣を抜いた。
「巨人に死兵、そしてこの街の変わり様。昔聞かされたお伽話のような光景だな。だが──」
合わせて百はくだらない異形の軍団を前にしても尚、恭介は冷静なままだ。
相手をまともに見ようとすらしていない。
手元に視線を落とし、剣に炎を灯す。
それが合図となり、死兵が
巨人たちはというと、命令を受けていないのか、はたまたそれだけの知性もないのか。
死兵もろとも恭介を叩き潰そうと大剣を振り下ろした。
しかし、いずれの攻撃も恭介に届くことはなかった。
「所詮はお伽話、言い伝えだ。そんなもので俺は止められない」
横薙ぎに放った炎の刃が水面に描かれた波紋のように広がっていく。
炎に触れた瞬間、一軍は文字通り灰と化してしまった。
何事もなかったかのように剣を納め『槍』を見つめる。
これを使えばダリアから受けた命は達成される。
どこで使うかは問題ではない。ここだろうと元いた砦だろうと、振るえばケニヒスベルクは墜ちる。
この『槍』はそういう代物だ。だが……。
「俺は、何をしているんだ……」
クリスティーナの言葉が蘇り、かき消すように頭を振る。
何が最善、最速の策だ。
あそこで『槍』を使っていれば、今頃この街は……。
妙な焦燥感に襲われ、恭介は街の中心に向かって歩き出した。
いくつか区画を通り過ぎたが景色は変わらない。
「むっ……?」
足首を掴まれ、地面へ目を向けた。
半分だけ肉の残った死兵が地面から顔を覗かせ、光の灯っていない瞳で恭介を見つめている。
その一体に導かれるように、先ほどよりも大勢の死兵が集まってきた。
溜め息をつき、剣に手をかける。
「やはり意思はないか。──ッ!?」
しかし次の瞬間、激しい稲光が辺りを包み恭介は目を見張った。
「あのエレメントは……!」
足元の死兵を踏み潰し一歩踏み出す。
だが、すぐ傍の窓ガラスに映った自身の姿に全身が固まってしまった。
これは……俺、なのか……?
嗤っている──。
こんな表情は自分でも見たことがない。
これでは、まるで……。
急激に怒りが込み上げ、窓ガラスを叩き割る。
制御できなくなった怒りは炎となって全身から噴き出し、向かってきた死兵を尽く焼き払った。
──違う。
スヴェリエ王国軍大将、『氷の戦乙女』クリスティーナ・グランフェルト。
誰もが彼女の功績を、武勲を讃える。
スヴェリエの次代は安泰だと、皆が口を揃えて言う。
違う。
グランフェルト家はスヴェリエで最も古い貴族だ。
二代国王より位を与えられ、今日に至るまで政界と財界の両方に人材を輩出し続けている。
富と権力を掌握するグランフェルト家にクリスティーナは新たな、これまでずっと求められてきた柱を打ち立てた。
武力という柱を。
故に他の貴族たちは、これまで以上にかの家に取り入ろうと躍起になった。
それがスヴェリエで出世する一番の近道だからだ。
違う。
誰も彼も、ともすれば両親ですらクリスティーナの本質が分かっていないのかも知れない。
彼女は求められて動くような女ではない。
自身の功績にも興味を持っていない。
彼女が、本当に求めているのは──。
違う。
あの女は獣だ。
いや、獣でも自身が属する群れが危うくなれば守る為に牙を剥く。
群れの掟に背く者は処罰される。
獣にも社会があるのだ。
そこへいくと、クリスティーナにはおよそ社会性というものが欠如している。
彼女にダリアへの忠誠心などない。
スヴェリエを想う心もない。
彼女が武を振るうのは、彼女の言葉を借りるなら真の強者とやらと出会う為。
ならばこの戦争が終わり、強者がいなくなった世界に、彼女は何を求める?
違う……!
もしもクリスティーナが更なる戦いを求め、スヴェリエが危機に曝されるのであれば、その時は──。
そう思っていた。
ダリアへの忠誠に嘘偽りなどない。
自分が戦うのは、人々が安心して暮らせる、秩序ある世界を創る為だ。
俺は、あの女とは違う!
それなら何故、あの場で『槍』を使わなかった。
それなら何故、あの女と同じ顔で嗤っている。
気付いてしまった。
気付かされてしまった。
自分は、クリスティーナと同じ──。
「違う……。俺は……!」
顔を思いっきり殴りつける。
『槍』に顔を映すと、そこにはいつもと同じ自分が映っていた。
三度現れた死兵と巨人の軍団を焼き、向かってくる強大な気配を睨みつける。
「来たか、皇飛鳥──!」
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