第百話 天空要塞
ロマノー帝国軍参謀本部。
その一室──紫煙漂う会議室へと戻ってきたエミリアは顔をしかめ、わざとらしく手を大きく振り煙をあおいだ。
そんなことでこの紫煙の原因、クラウス・ルンドが謝る筈もないのだが、無茶な任務を言い渡されたことへの彼女なりの精一杯の抗議だ。
「ミカ・ジークフリート以下二名、帰還いたしました」
涼しい顔で告げるミカに、クラウスの眉がググッと吊り上がる。
「貴様ら──」
「プリムラとあの少女について報告を。ジークフリート准将」
クラウスが喋り出したら収拾がつかなくなってしまう。
ならばと、フィリップ・オークランスはクラウスを遮り、ミカへ報告を促した。
今必要なのは彼らへの叱責ではない。
速やかに正確な情報を集め、今後の方針を決めることだ。
プリムラは宮廷精霊術師──戦闘能力だけでなく権力も持ち合わせていた女だ。
それが帝国から離反した、そんな情報が外部に漏れれば兵の士気低下を招くだけでなく、せっかく帝国領へ併合した周辺国に反撃の機会を与えることになる。
国内だけでもそれだけの影響があるのだ。
これがもしスヴェリエやエールに知られればどのような状況になるかは想像に難くないだろう。
「申し訳ございません、プリムラ様と交戦しましたが捕らえることは叶わず。あの少女、
「北か。ならば行き先は……」
「エールでしょう。プリムラ様は皇飛鳥と親交があったと聞いています、彼を頼るのは当然かと」
フィリップが渋い表情で俯く。
今まで口をつぐんでいたクラウスが机に拳を叩きつけ、エミリアとレオンは飛び上がった。
「ジークフリート、何故追撃しなかった?」
クラウスは爆発寸前だ。
顔に青筋を浮かばせ、手にしたパイプがミシミシと音を立てている。
「何故? 我々三人では敵わないと判断したからです。またスヴェリエの進攻に備える為にも、今帝都を離れることはできません」
「ふざけるなッ!! 貴様は『
まくし立て、クラウスは肩で息を切った。
「落ち着け、クラウス」
「落ち着け? 落ち着けだと!? フィリップ! 貴様こそ何故冷静でいられる?! ロマノーの最高戦力がこの体たらくなのだぞ!?」
なだめるフィリップであったが、逆に火に油を注いでしまったらしい。
クラウスは益々顔を真っ赤にし吼えた。
「プリムラの実力は知っているな!? ただでさえエールには第八門が三人揃っている! そこへプリムラが加われば『
「そう熱くなるな、ルンド」
その声に全員が一斉に立ち上がり敬礼をした。
皆の視線の先に立っていたのは──。
「へ、陛下……それに……」
クラウスの顔が強張る。
「ヒンメル元帥閣下……!」
外側にはねた至極色のロングヘアに紺碧の吊り目、雪のように白い肌。
そして高い鼻とスレンダーな肉体。
華奢にも見えるベストラ・ヒンメルであったが、床に立てた剣の柄に両手を置き睥睨するその姿は部屋の空気を一変させた。
「構わん、皆席につけ。……聞こえなかったか? ルンド中将」
「はっ……? あ、はっ! 失礼いたしました!」
ボンヤリと立っていたクラウスをベストラが睨みつける。
クラウスは慌てて椅子に座りパイプの火を消した。
「お見苦しいところをお見せしました、陛下」
跪くベストラをヴィルヘルムが手で制す。
「気にするな、ベストラ。皆勝つ為に必死なんだ、いいことじゃないか」
「はっ」
席についたヴィルヘルムはミカに尋ねた。
「ジークフリート、プリムラは何か言っていたか?」
「自分は帝国の味方ではないと。それと、王国と共和国を倒したいのであればもっと修練を積むようにと仰っていました」
「そうか」
「失礼いたします」
そこへ、侍女を連れたマリアが入ってきた。
侍女たちが静かにお茶を置いていく。
「熱くなっていては良い案も出てこない。まずは落ち着いてくれ」
「あぁ、それと部屋の換気を。煙臭くて敵わん」
ベストラが侍女に声をかけるのを見て、クラウスは気まずそうにカップに口をつけた。
その様子にヴィルヘルムが微笑む。
「さて、スヴェリエも動き出した。いよいよ──」
「陛下、先に話をしてもよろしいでしょうか?」
「もうするのか? 相変わらずせっかちだな」
「適切なタイミングで発言するよう心掛けているだけです」
ヴィルヘルムに対しても物怖じしないベストラを皆が感心半分、恐れ半分といったように見つめる。
「先ほどのプリムラの言葉だが、伝承武装と『
ベストラの言葉に皆が息を呑んだ。
しかし──。
「だがその前に言っておきたいことがある。今、例え僅かであってもロマノーの勝利を疑っている者は伝承武装を返し、この場から去れ」
続けて飛び出した言葉にどよめきが起きる。
「何を仰っているのですか!? 元帥閣下!」
初めに声をあげたのはもちろんクラウスだ。
「我が軍もスヴェリエも既に動き出しております! このタイミングで『
「ルンド中将閣下、恐れながら申し上げます」
ミカがクラウスへ視線を送る。
「我ら『
そう告げるミカに、ベストラは歯を剥き出し笑った。
「お前ならそう言うと思っていたぞ、ジークフリート准将。ユーダリル中尉、お前もいいな?」
「えっ、あー……そうですねー……」
見透かされ、レオンはビクビクしながら挙げかけた手で頭をかいた。
「ではこの後すぐに『
「「はっ!」」
「やっぱそうなんのねー……。はいはい……っと」
「残りの者は兵を連れ、ヴァルキュリア隊とクリスティーナ・グランフェルトを食い止めよ」
他の面々も姿勢を正し敬礼する。
「飛鳥と焔王はどうするの? ベストラ様」
「それと今更ですが、ライル大佐の姿が見えないんですけどー……?」
エミリアとレオンの問いに、ベストラは笑みを濃くした。
「ライル大佐なら東方司令部だ。雷帝が噂通りの男なら、ライルを止める為自ら出てくるだろう。焔王も同じだ。スヴェリエで対抗できるのはやつのみ。故にそちらは気にするな」
ミカの視線が鋭くなる。
「東方司令部ということは、アレが完成したのですか?」
「あぁ、これで全ての準備は整った」
ヴィルヘルムがカップを置き口を開いた。
「さぁ行くぞ。人間と獣人、互いを否定し合うスヴェリエとエールを倒し、この大陸に平和をもたらそう」
帝都の東、プレゲル川の河口に位置する街ケニヒスベルク。
東方司令部が置かれているこの街でも、スヴェリエ進攻が始まろうとしている筈であったが……。
「さっ、これで最後だ」
「あぁ」
街には狼人族の兵が数人だけ、住民や東方司令部所属の者たちは全員街の外へ避難していた。
「ライル大佐! 物資を運び終わりました!」
「ご苦労だったな、お前たちも早く避難しろ」
「はっ! ご武運を!」
駆け足で去っていく兵を見送り、アルヴァは司令部の建物へ入っていった。
地下にある食料の保存庫、その床板を剥がし、更に地下へと進んでいく。
そして現れた光景に目をギラつかせ、牙を剥き出しにした。
「ようやくだ……」
この戦争のきっかけとなった、獣人の子ども。
直接の知り合いではない。
名前も報道で見聞きした程度だ。
だが──。
十平方メートルほどの部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろし、目の前の球体に触れる。
すると壁中に所狭しと並べられた大小の計器が低い音を立て光り出した。
それらを見つめボソリと呟く。
「女神、か」
冗談かと思っていたが、あの女のお陰で自身の伝承武装は完成した。
あながち嘘ではないのかもしれない。
しかしそんなことはどうでもいい。
自分がやるべきことは──。
「スヴェリエの傲慢な人間ども、今日がお前たちの命日だ」
あの子のように、獣人が不当な扱いを受ける世界を終わらせる。
その為に、力を求めたのだから。
一度深呼吸し、アルヴァは己が力の名を口にした。
「浮上せよ。天空要塞、ナグルファル」
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