第五章 大戦編
第九十九話 脱出
──あれから、何日経っただろうか。
ベッドとは名ばかりの板の上で寝返りをうち、鉄格子をボーッと眺める。
体が痛みを訴えてくるが、栄養失調のこの体では、痛みを緩和する為のエレメントを生み出すことすら難しい。
食べられないなんて当たり前のことだったのにと身を縮めた。
慣れとは、本当に恐ろしいものだ。
あの人と出会って、毎日ちゃんとご飯が食べられて、時々野宿もしたが、大半はきちんと宿で寝起きをして。
『おめでとう、貴女は英雄に選ばれたのよ──』
最初、何を言われているのか分からなかった。
こんな自分が、世界を救う英雄……?
自分がいた世界で語られていた英雄とは聖人を指す言葉であった。
清廉潔白で、弱きを助け強きをくじく。
正反対の生き方をしていた自分が英雄だなんて、そんな筈はない。
だが、それを何度主張してもあの人の態度は変わらなかった。
どんな人生を歩んできたのか、その全てを知っているのに、世界を救えと聞く耳を持たなかった。
『貴女に選択権はないの。私が上位神になる為に力を貸しなさい──』
第一印象は酷く冷たいものだった。
英雄のことも、道具としか思っていないような態度も見られた。
でも──。
『どうして、私にここまでしてくれるんデスか?』
一度だけ聞いてみたことがある。
こんな自分に、あの人は何でも分け与えてくれた。
喜びも、辛さも。
その時の答えが忘れられない。
『どうしてって、当たり前でしょう?』
あの人はキョトンとした顔でそう答えた。
彼女の態度に、自分の方がおかしいんじゃないかと、何だか恥ずかしくなってしまった。
こんな自分を普通に扱ってくれる。
まだ出会って数ヶ月だが、ついて行くのにそれ以上の理由は必要なかった。
「ユーリ……ティリア、様……」
乾いた唇で、
しかし反応はない。
「どこに……いるんデスか……?」
捕らえられてすぐに引き離され、武器も取り上げられた。
食事は一日に二回、固いパンと水のように薄いスープだけ。
初めのうちはその回数で日にちを数えていたが、途中から頭が回らなくなった。
今はもう、溜め息をつくことすら負担に感じられる。
「…………?」
聞こえてきた足音の方へ視線を向ける。
まだ食事の時間ではない筈だ。
しかもこの牢屋にいるのは自分だけ。
ここへ来て初めて訪れた変化に、ある可能性が頭を過った。
いよいよ処刑、デスか……。
自分が死ぬのは構わない。
そもそも何故すぐに殺されなかったのか。
深く考えるつもりもないし、今となってはどうでもいいことだ。
だが、あの人は……。
錆びついた音を立て、牢屋の扉が開かれる。
直後漂ってきた濃厚な香りに思わず咳き込んだ。
足音が段々と近付いてくる。
「あぁ、ちゃんと生きていましたね」
そこには、黒いローブを纏った女が立っていた。
フードを目深に被り顔は見えないが、声からして女だろう。
その姿には見覚えがあった。
「お前……は……」
忘れる筈がない。
忘れられる訳がない。
自分とあの人を捕らえ、引き裂いたのはこの女だ。
女は鉄格子を開け、テーブルの上に奪った武器を置いた。
そしてベッドの前に腰を下ろし
「あの時はあぁする他ありませんでした。許しを乞うつもりはありません。ですが、今後のことはここを出てからにしましょう」
「え……?」
ここを、出る?
頭の中がハテナで埋め尽くされる。
この状況を作ったのはこの女──プリムラと呼ばれていた、とんでもなく強い精霊使いだ。
その張本人が、どうして自分を助けるのか。
「時間がありません。疑問に思うのも仕方ありませんが、まずはこれを」
と、プリムラは料理の乗った皿を差し出した。
飛びつくように口にし、再び咳き込む。
「慌てて食べると体に障りますよ。時間はありませんが、食事だけはゆっくりと。食べ終わったらエールに向かいます」
「エールに……?」
「はい。この状況を打破できるのは、貴女にとっては先輩という言葉がしっくりくるでしょうか。皇飛鳥だけです」
「皇、飛鳥……」
ボンヤリと口にした名前に、プリムラはしっかりと頷いた。
食事を終え、外へ出た
久しく浴びていなかった日の光に、心地良さと同時に鋭い痛みが襲ってくる。
目をこすり顔を上げると、プリムラがある方向を指差した。
「ここから真っ直ぐ進めば帝都から出られます。その後はエールの隠れ里を頼りましょう。さぁ、行きますよ」
「え、えっと……」
本当に、信じていいんだろうか。
いきなりの出来事についてきてしまったが、プリムラは帝国の人間、すなわち敵だ。
「私を信じる必要はありません。ですが、ユーリティリアを助けたいでしょう?」
「ユーリティリア様……!」
大好きな人の名前に首を縦に振る。
そこから数百メートル走ったところで、急にプリムラが後ろを向いた。
次の瞬間、炎と風のエレメントが嵐のように二人を取り囲み、
「このクソ忙しい時に何してくれてんですかねぇ、プリムラ様?」
「その子をどこへ連れて行くつもり? プリムラ」
聞こえてきたのは、やる気を微塵も感じさせない男の声と鈴が鳴るように可愛らしく、しかし怒気を含んだ女の声。
渦巻くエレメントの向こう側に、弓を構えた男と槍を手にした女が立っている。
「おや、ユーダリル殿にエミリア。あなた方二人だけですか?」
片手で炎と風を払い、プリムラが尋ねる。
その問いにレオンは苦笑いを浮かべた。
「いや、こっちの質問に答えてほしいんすけどね」
「素直に答えれば見逃してもらえますか?」
レオンは頭を掻きむしり、口を大きく開けた。
「だから、聞いてんのはこっち──」
「ユーダリル中尉はあの子を。絶対に連れ戻すよ」
エミリアが槍の穂先に炎を灯す。
何か言いたげなレオンであったが、素直に一歩下がり風の矢を生み出した。
「
「でもっ……」
「早く行きなさい。今の貴女では足手まといです」
プリムラは振り向かない。
「は、はい……!」
帝都の出口に向かって走り出した。
「待ちなさい!」
飛びかかるエミリアの前に七色の壁が立ちはだかる。
槍を突き立て、エミリアが叫んだ。
「シグルドリーヴァ!
表面の金属が剥げ、真紅の槍が姿を現す。
途端に炎が何倍にも膨れ上がり、プリムラの視界を覆った。
「中尉!」
「はいよ……っと!」
その後ろから軌道を異にする風の矢が六本、
だがプリムラが片手を振ると七色に輝く矢が現れ、全て撃ち落としてしまった。
レオンが舌打ちし、再び弦を引く。
「無駄です」
それよりも素早く、プリムラの手から七色の剣が放たれた。
「危なっ!?」
「くっ……! そこを退いて! てかどういうつもりなの!? 陛下を裏切る気!?」
エミリアが怒鳴るがプリムラは何も答えない。
手の中に新しい剣を生み出した。
「あー……准将殿? 問答してる暇はないっつーか、無駄っつーか……」
「んなこと分かってるわよ!」
二人へ向かってプリムラが投擲の姿勢を取るが、突如別方向へ左腕を振るった。
甲高い金属音が響き渡り、衝撃で一歩下がる。
そちらへ視線を移し、プリムラは呆れたような笑みを浮かべた。
「このような茶番に貴方まで出てくるとは、ヴィルヘルム・ヒルデブラントは何を考えているのでしょうか」
視線の先には軍服に身を包んだ白髪の青年が立っていた。
「『
獅子の
「何をやっている。アルヴェーン准将、ユーダリル中尉」
その声に焦りや怒りはなく、非常に落ち着いたものだ。
ミカの問いにレオンがうんざりしたように返す。
「何で俺の周りは話を聞かねぇやつばっかなんだよ……。ジークフリート准将もご存知の通り? 俺たちはあのお嬢ちゃんを連れ戻しに来たんですがねぇ」
「ならば尚のこと、何故プリムラ様に攻撃を集中させない。あの少女ならプリムラ様を無力化させた後でどうとでもなる」
そう告げ、今度はプリムラに尋ねた。
「とはいえプリムラ様、貴女は宮廷精霊術師として陛下より絶対の信を得ていたお方だ。故にお聞かせ願いたい。貴女は、帝国の敵か?」
「少なくとも、味方ではありません」
「そうか、残念だ」
言葉とは裏腹にミカの声は落ち着いたままだ。
十字架を手に取り、先端をプリムラに向ける。
「アルヴェーン准将は左から、ユーダリル中尉は援護に徹してくれ」
「ちょっと! 何ちゃっかり仕切ってんのよ!」
ミカの指示に抗議の声をあげたのはエミリアだ。
同じ階級の者から指示されるのが気に食わないらしい。
「各々の適性を考慮した結果だ。──行くぞ」
まだ口を尖らせつつもエミリアも構える。
プリムラは周囲に七色の壁を展開しこう告げた。
「いいでしょう。ですが、あなた方では私を倒すことも捕らえることもできませんよ」
「やってみなければ分からんさ。グラム、
グラムの表面が弾け飛び、装飾のない銀色の十字架が姿を見せる。
それと同時に無数の光の刃が七色の壁を叩き、甲高い金属音を響かせた。
しかしそれだけだ。
七色の壁はビクともしない。
「いっけええええええええええ!!」
続けてエミリアが巨大な火球を放ち、風の矢が背後からプリムラを撃つ。
だが彼女は僅かに視線を動かすだけで微動だにしない。
煙が晴れると、そこには傷一つないプリムラが佇んでいた。
レオンの顔が曇る。
「勘弁してくれよ……」
「言った筈ですよ。さて、私もそろそろお暇しましょう」
「させると思うか?」
グラムから無数の光の刃が放たれるが、プリムラはその全てを避け地面を蹴った。
「へっ……?」
直後、エミリアの首根っこを掴みレオンに向かって投げ飛ばす。
「きゃあっ!?」
「ちょ……こっち来んなよ! あがっ!?」
あまりの速さに避けることができず、エミリアとレオンは揃って地面を転がった。
「グラム!」
三度光の刃を放とうとミカが構えるが──。
「何っ!?」
グラムの先端には既にプリムラの指が。
そこから放たれた七色の光によって、ミカは十数メートル吹き飛ばされてしまった。
起き上がろうとするが体に力が入らない。
「まさか、これほどとは……!」
「それでは私はこれで。本気でスヴェリエやエールを墜としたいのであれば、もっと修練を積んだ方がいいでしょう」
それだけ告げ、プリムラはあっという間に姿を消した。
「これ以上だってよ……。どうすんのよ」
「決まっている」
泣き言とも取れるレオンの言葉に、ミカは冷静に返した。
「俺たちの使命は五人の第八門を倒し、帝国を勝利に導くこと。その為に必要なことをやるまでだ」
レオンがダルそうに溜め息をつく。
その隣でエミリアが拳を地面に叩きつけた。
激しい炎が巻き起こる。
「うおおお!?」
と、レオンは身を翻した。
「上等じゃない!! 次会った時は、絶対に倒してやるんだからああああああああああああああああああああ!!!」
帝都中に、エミリアの絶叫が木霊した。
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