第九十八話 エスティ奪還戦⑤

 黒みがかった血液が足元を濡らしていく。

 しかし、飛鳥は動けずにいた。

 柄を握る手に思いっきり力を込め、レーヴァテインを鞘に納める。

 たったそれだけで呼吸が乱れてしまった。


 こんな短時間しか保たないのか……!


 ニクラスたちに気付かれないよう、しっかりと床を踏みしめる。そこへ──


「礼を……。言う……」


 男が視線だけを動かし呟いた。


「何を……」

「これで……ようやく、解放される……」


 どちらの言葉なのかは分からない。

 だが、その表情は安堵しきったもので。


 やめてくれ──。


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 こんな方法でしか救えなかった。

 こんな方法でしか、還してやることができなかった。

 無力感にギュッと目を瞑る。


「そんな、顔を……するな……。お前は……間違ってなど──」


 それ以上、男の言葉は続かなかった。

 アーニャとカトルも辛そうに目を伏せている。


「ふむ、降参です」


 三人の気持ちを逆撫でするように、ニクラスは淡々と述べ両手を上げてみせた。

 カトルが普段は見せない険しい表情を浮かべるが、ニクラスの態度は変わらない。

 冷めきった顔でこう続けた。


「聞こえませんでしたか? もう私にはあなた方に対抗する術はありません。投降しますので、法に則った適切な処遇を求めます」

「彼はロマノーの人間でしょう?」


 カトルの声は怒りで震えている。


「使命を全うしようとした者に対して何も感じないのですか?」


 ニクラスは答えない。

 しかし、その表情が何よりも雄弁に彼の気持ちを語っていた。

 カトルが拳を握りしめる。


「やめろ、カトル」

「ですが我が王……!」


 カトルを制止し、飛鳥はニクラスを睨みつけた。


「ニクラス・リンドブラード、お前を拘束するつもりはない。兵を連れて今すぐロマノーへ帰れ」

「おや、よろしいのですか?」


 わざとらしく驚いてみせるニクラスを見て理解ができた。

 エスティは自分たちを試す為の道具にされたのだと。

 どれだけ力をつけたのか、他国に対してどう動くのか。

 そして、恐らくだが自分たちはロマノーの予想通りに動いてしまった。

 ニクラスの余裕がその証拠だ。

 そんなことの為にこの国は荒らされ、あの男は犠牲になったのだ。


「帰ってヴィルヘルムに伝えろ。俺はお前を許さないと」


 頭に血が上り、叫びそうになるのを必死に抑え告げる。

 その反応さえも分かっていたかのように、ニクラスは口元を歪めた。


「確かに。では、失礼いたします」

「…………ふざけるな」

「ん?」


 ニクラスが振り向くと同時に銃声が響く。

 弾丸が玉座をかすめたのを見て、ニクラスは不快そうにシモンを見下ろした。


「何の真似ですか?」

「こんな簡単に……! 何の為に協力したと思ってるんだ!」


 怒鳴るシモンをニクラスが嘲笑う。


「私利私欲の為でしょう?」

「黙れ!! お前たちも何をボサっとしている!! やつらを殺せ!!」


 シモンに銃で指され、飛鳥は舌打ちした。

 兵たちは僅かに戸惑いを見せつつも武器を構え、精霊術を唱え始める。

 その時、『神ま』が淡い光を放ち始めた。

 不思議そうに手に取ったアーニャが鋭く叫ぶ。


「カトルさん! 飛鳥くんを連れて逃げてください!」

「何を──」


 次の瞬間、アーニャが作り出した光の壁に銃弾と精霊術が雨のように叩きつけた。

 動かない飛鳥をカトルが引っ張る。


「我が王!? 何をしているのですか!」

「今の飛鳥くんは地球にいた時と同じ状態です! あまり乱暴にしないでください!」


 アーニャの言葉にカトルは首を傾げた。


「チ、チキュー……? えぇと、アーニャ様──」

「とにかく! 飛鳥くんを安全な場所に! ここは私が押さえます!」


 『神ま』を指でなぞり、空中に光の剣を生み出す。

 直後、再び襲いかかってきた銃弾と精霊術が方向を変え、床に突き刺さり爆発を起こした。

 更に、兵たちの足元から闇の刃が飛び出し、耳障りな音を立てながらバターでも切るように武器を裂いていった。


「なっ……!?」

「この精霊術は……!」


 慌てふためく兵とは反対にアーニャの顔が明るくなる。


「これはどういうことだ? あ?」


 酷く苛ついた低い声に振り向き、飛鳥は息をついた。

 声の主──アクセルが腰に手を回すエリカを突き放し、睥睨するように玉座の間を見渡す。


「この程度に何を手こずってやがる」

「アクセル。……ごめん」


 俯く飛鳥にアクセルは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐにニクラスへ視線を移した。


「てめぇがロマノーから来た行政官か」

「そういう貴方は施設から逃げ出したアクセル・ローグですね?」

「人を動物みてぇに言うんじゃねぇよ」

「おっと、貴方の王から帰還の許しは得ています。乱暴な真似はやめていただきたい」


 アクセルの足元から広がっていた氷が動きを止める。


「では今度こそ失礼いたします。もうお会いすることはないと思いますが、賢い選択をなさるよう期待していますよ」


 ニクラスは深々と頭を下げ、兵を連れて玉座の間を後にした。

 残された男の遺体にエリカが悲鳴をあげる。

 エリカを抱きしめるオスカーに飛鳥は頭を下げた。


「どうか丁重に弔ってやってください。彼もロマノーの犠牲者なんです」

「あ、あぁ……」

「オスカー様!」


 シモンが駆け寄ってくる。


「シモン、お前も無事だったか」

「はい! 先ほどの行政官の隙を窺って──ってどわぁ!? な、何をするか!?」


 目の前に氷柱を突き立てられシモンは尻餅をついた。

 アクセルが口角を上げる。

 その光景にオスカーは目を見開いた。


「アクセル殿!? 一体何を!?」

「笑わせんじゃねぇよ。なぁ?」

「えぇ、全くです」


 カトルが珍しくアクセルに同意を示し、紙の束をオスカーに差し出した。


「オスカー王、こちらを」

「これは……?」


 不思議そうに読み始めたオスカーであったが、しばらくして肩を震わせ始めた。

 その顔は怒りに満ちていて、エリカがビクリと震える。


「父上……?」

「シモン、ここに書かれていることは本当か?」

「はっ……?」


 キョトンとするシモンの周りを歩きながらカトルが話し始めた。


「公金の横領に領民への圧政、一番はロマノーの侵攻を手引きしたことですが。あぁ、ロマノーに寝返る代わりにエリカ王女との婚姻まで望んでいましたね。年齢というか、身分を弁えられた方がよろしいかと」

「それは……! いや、な、何を言っている!? そんなもの知らんぞ! オスカー様! こんな連中の言うことを信じるのですか!?」


 まくし立てるシモンにオスカーは答えない。

 とどめと言わんばかりにカトルが告げる。


「見苦しいぞ、シモン・ヤーヴィ。その資料は領民と、我が王を恐れた領主たちの証言を元に作ったものだ。必要なら……いや、放っておいても許しを乞いに向こうから出向いてくるだろう」


 観念したのか、シモンはその場にうずくまった。


「シモンよ、沙汰は追って言い渡す。……皇飛鳥様、心からのお礼を。この国を救っていただきありがとうございました」

「いえ、そんな……。俺たちはロマノーのやり方が許せなかっただけで……。それに……」


 エスティがここまで荒らされたのはエールの、いや、自分のせいだ。


 拳を握りしめる。


 ヴィルヘルム、お前が何を考えていようともう関係ない。

 この戦争を終わらせて、ロマノーをお前の手から救ってみせる。


「オスカー王、馬車を一台貸していただけませんか?」

「構いませんが……もうお戻りになるのですか?」

「はい、まだまだやることがあるので。復興の為に必要なら、大勢は無理ですがエールからも人を出します」

「何から何までありがとうございます。このご恩はいつか必ずお返しします」


 飛鳥とオスカーは固く手を握り合った。






 そして、帰りの道中──。

 馬車に乗っているのは飛鳥とアーニャ、アクセル。それにカトルとクララだ。


「んで? 今度は何をした?」


 アクセルが問う。


「えっ?」

「何故連中と戦わなかった。ロマノーは敵だ、今更情けをかけるつもりか?」

「いや、その……」


 カトルも身を乗り出した。


「何か訳があるなら聞かせてください、我が王」


 アーニャに目配せする。

 代わりに話そうとしてくれたのか、彼女は『神ま』を手に取った。


「……今の僕は剣を振ることも、エレメントを使うこともできない」

「何?」


 その先はアーニャが続けた。


「レーヴァテインを解放して黒い雷を使ったことで、今の飛鳥くんの体は地球──英雄になる前に住んでいた世界と同じ状態になってるんです。だから戦ったりは……」

「地球にいた時は戦うこともなかったし、体力も……平均か、それ以下で……」

「いつ治る?」

「一日あれば、何とか……」

「そうか」


 二人の答えを聞き、アクセルが溜め息をつく。


「なら、その力は二度と使うな」

「でも……」

「でもじゃねぇ」


 アクセルは真っ直ぐ飛鳥を見つめた。

 その表情にいつもの怒りや嘲りはない。


「戦況は数時間、下手すりゃ数十分で大きく変わるもんだ。おまけに、俺とお前、それからマティルダで焔やグランフェルト、『八芒星オクタグラム』を相手にしなきゃならねぇ。そん時に一日待ってくださいなんて言うつもりか?」


 至極真っ当な指摘に飛鳥もアーニャも俯いてしまった。


「何度も言わせるな。てめぇは国をまとめる王で、エールの最高戦力だ。不安定な力を使わせる訳にはいかねぇ」

「…………ごめん」


 完全に落ち込んでしまった飛鳥の前に、クララがコーヒーを差し出す。


「こういう時はこれだぞ飛鳥ー。前より美味しくなったから効果も二倍、多分」

「ありがとう」


 一口飲み、思わず


「あ、美味しい……」


 と呟いた。

 クララが得意げに胸を張る。

 以前とは比べものにならない味だ。

 カトルを実験台にしたのかと視線を送るが、彼は首を横に振った。


「苦くて意識が飛ぶかと思ったけど、飛鳥が喜んでくれたなら勝ちだな。うん」

「クララ……」


 彼女の優しさに思わず笑みが溢れる。

 するとカトルが飛鳥の前に跪いた。


「力が戻るまでゆっくり休んでください、我が王。戻られてからずっと多忙でしたし」

「うん。ごめんな、頼りない王で」


 カトルが微笑む。


「逆ですよ。戦わなくても生きていける世界にいた貴方が、今こうして僕たちを守る為に最前線で戦っている。並の者ができることではありません。貴方が僕たちの王で良かったと心から思います」


 そんなことを言われ、何だか照れ臭くなってしまった。


「おい、あまり甘やかすんじゃねぇ。勝手なことをしないようにちゃんと見張っておけ」

「アクセル、ごめん。もうあの力は使わないようにするよ」

「当たり前だ。改めて言うことじゃねぇんだよ」


 こうしてエスティ奪還戦は幕を閉じた。

 馬車の振動が眠気を誘い、椅子に深々と座り直す。


 一方その頃、スヴェリエとの全面対決を目前に控えたロマノーでもまた、ある事件が起きていた──。

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