第九十七話 エスティ奪還戦④

 放たれた雷は山を砕き、首都を囲む塀を粉々にした後、空の彼方へと消えていった。

 息を整える飛鳥の隣に立ち、アーニャが右手を翳す。

 すると川を越え、王城の敷地内までクリスタルのように輝きを放つ光の道が現れた。

 飛鳥たちが走り出すと同時に兵たちも大声をあげ続く。


「おい、先に行くぞ」

「あぁ、エスティ王と王女を頼む」


 アクセルは鼻を鳴らすと一団とは別方向へ向かっていった。

 狐人族の三姉妹がそれを追いかけるが──。


「アクセル様、よろしくお願いしま──って」

「うええええええええええ!!?」

「速い……!」


 スレイプニルの側面に彫られた溝が水色に染まったかと思うと、アクセルは速度を上げ、まるで狼のように低い重心で光の道を駆け抜けた。


「待ってくださいアクセル様あああああああああああああああ!!」

「うるせぇな。気付かれたらどうすんだ……」


 追いつこうと三人も必死に足を動かし、ヴェルダンディの叫び声が段々と遠ざかっていく。

 兵たちは選ばれなくて良かったといった表情で四人を見送った。

 そんな中、飛鳥が普段の調子で口を開く。


「ヴォーダン、手筈通りに兵を引きつけてくれ。俺たちは玉座に向かう」

「はっ、ご武運を。陛下」


 飛鳥とアーニャ、そしてカトルも一団から離れ、城内へ入っていった。


「外が騒がしいな。まさか、本当にエールが攻めてきたのか?」

「馬鹿を言え、だとしても早すぎる。……念の為見てくるからここを頼む」

「あぁ、気をつけてな」


 ロマノー兵の一人が牢屋の前に残ったのを見て、アクセルが舌打ちする。


「どうしましょうか? アクセル様」

「あ? んなもん決まってんだろうが」


 耳打ちするスクルドに一瞥もくれず、アクセルは物陰から堂々と出ていった。

 三姉妹が焦りを見せる。

 アクセルの姿を認めたロマノー兵は目を見開き剣を構えた。


「な、何だお前──わぶっ!?」


 言い終わる前に、アクセルの影から伸びた無数の黒い帯がロマノー兵を包み込み壁に叩きつけた。

 兵はグッタリとし、身動き一つ見せない。

 同時に、男女の悲鳴が響いた。


「手間かけさせんじゃねぇよ。……あんたらがホルシュタイン王と王女か?」


 悲鳴が聞こえてきた牢の前に立ち声をかける。

 中にいた五十歳前後のブラウンヘアの男が同じ髪色の、年は二十歳前後だろうか、勝気な顔つきの女を守るように抱きしめ、アクセルを見つめた。


「そ、そうだが……。君たちは……?」


 恐怖で声が震えている。

 しかしアクセルはそんなこと気にも留めず、見下ろした姿勢のままニタリと笑った。


「俺たちはエールの──うぉ!?」


 直後、スクルドから体当たりされ床を転がる。

 大声を出さないよう気をつけつつも、


「……てめぇ、死にてぇのか?」


 と、彼女を睨みつけた。

 だがスクルドは振り向かない。

 二人の姉を従え牢の前に跪いた。


「大変失礼をいたしました。どうかお許しください。オスカー王、そしてエリカ王女。私たちはエール国軍です、あなた方を助けに参りました」


 三姉妹の恭しい態度にようやく安心したのだろう。

 オスカーとエリカの顔が明るくなる。


「今扉を開けますのでお待ちください」

「鍵持ってねぇぞ、こいつ」

「え?」


 アクセルは壁に叩きつけたロマノー兵の懐を探り、軽く蹴飛ばした。


「じゃあ鍵はもう一人の方が……?」

「戻ってくるまで待つしかないわね」

「で、でも! それで増援を呼ばれたらどうするんですか!?」


 三姉妹がああでもないこうでもないと頭を突き合わせている横を通り抜け、アクセルが錠を握る。

 それを見たエリカが叫んだ。


「いけません! その錠には精霊術が施されています! 迂闊に触っては──」

「うるせぇ、下がってろ」


 アクセルが手で下がるよう指示し少し力を込めると、錠が光り始めた。

 その光を闇のエレメントが覆っていく。

 そして、飴細工でも砕くかのように引き千切ってしまった。

 三姉妹とオスカーが呆気に取られた様子でアクセルの手元を見つめる。しかし……、


「あ、あの……」


 エリカはオスカーから離れると、服の埃を払い、アクセルの手を取った。

 アクセルが怪訝そうな表情を浮かべる。


「あ?」

「その強さ、さぞ高名な精霊使い様とお見受けいたしました。お名前をお聞かせいただけませんか?」


 エリカの言葉に、アクセルの顔が段々と嫌悪にも似た色を帯びていく。

 何故なら……。


「あらあらまぁまぁ」

「確かにアクセル様は見た目はいいですもんね!」


 ウルドとヴェルダンディの反応からも分かる通り、エリカは顔を紅潮させ、目の中にはハートマークが浮かんでいるようにも見えて。

 一歩引くアクセルを離すまいと指を絡め始めた。

 その仕草に、今度こそエリカを突き飛ばす。

 スクルドは彼女を受け止め、深い深い溜め息をついた。


「この方のどこがいいんでしょうか……」


 それでも嬉しそうに口元を緩ませるエリカにアクセルは背を向ける。


「玉座へ行くぞ。あいつらと合流しねぇとな」


 アクセルを追いかけようとするエリカにウルドが説明し始めた。


「あの方はアクセル・ローグ様といいます。国王陛下のご友人で、役職は……特にありませんが名誉職のようなものに就かれているとお考えください。実力も陛下とマティルダ様に次ぐエールのナンバースリーです」

「姉さん、やめてください」


 スクルドが制止するがウルドたちは止まらない。

 二人の説明に目を輝かせるエリカを半ば強引に引っ張り、一行は玉座を目指した。






「本当にエールなのですか? 相手は」

「はっ、あの軍旗は間違いありません」

「ふむ……」


 兵から報告を受け、玉座に座っている片眼鏡モノクルの男は、座り心地が悪そうに足を組み直した。


「分かった! とにかく、総力をもって迎撃しろ!」


 傍らに立っている白髪の男──シモン・ヤーヴィが声を張り上げる。

 兵が部屋を出ていくのを見届け、片眼鏡モノクルの男に訴えた。


「だから言ったでしょう!? 今のエールの戦力は未知数だと! そもそも、貴方たちがやつらを逃さなければ──」

「私に言わないでください。全ては軍の失態です。しかし……」


 と、片眼鏡モノクルの男が思案するように顎に指を這わせる。


「このままでは、私もあの野蛮人たちと同じ扱いを受けかねません。シモン殿、アレを連れてきてください」


 男の言葉にシモンが凍りつく。


「い、いや! 何もそこまでは!」

「ならどうします? 貴方に雷帝を止める術があると?」

「それは……!」

「是非お見せいただきたい。但しそれで失敗した場合、本国へはありのままを報告することになりますが?」


 シモンはしばらく唇を噛みしめていたが……、


「わ、分かりました……連れてまいります……!」


 冷や汗を浮かべながら玉座の間を出ていった。

 そのすぐ後──。


「おや」


 雪崩れ込んできたロマノー兵と共に飛鳥たちが姿を現した。


「これはこれは。高いところから失礼いたします。エール国王、皇飛鳥様とお見受けいたします」

「お前がニクラス・リンドブラードか」


 すると片眼鏡モノクルの男──ニクラスが意外そうな顔をした。


「私のような者までご存知とは。えぇ、見ての通り、ただの行政官です。皇帝陛下の命を受け、エスティの政務を執り仕切っております」

「その権限をオスカー王に返してもらおうか」


 睨みつけ、殺意をぶつけるが、ニクラスの余裕は崩れない。

 だが『精霊眼アニマ・アウラ』も示す通り、彼は精霊使いでも戦士でもない、ただの人間だ。


 なら、何故やつは平然としていられる……?


 探るように視線を逸らした、まさにその時であった。


「痛ッ!?」


 飛び込んできた膨大な量の情報が脳を突き刺す。

 レーヴァテインが手から滑り落ち、膝をついた。


「我が王! 大丈夫ですか!?」

「飛鳥くん! しっかりして!」

「何だ……あれは……!?」


 カトルとアーニャに支えられ立ち上がるが、『精霊眼アニマ・アウラ』は容赦無く情報を取り込んでいく。

 その量もだが、何より──。


「おや? どうしました?」


 演技には見えない。

 ニクラスは本気で不思議がっているようだ。

 飛鳥は歯を食いしばり、呻くように吐き出した。


「お前……! そんなモノ、どうやって……! その、精霊術は……!」

「精霊術? あぁ、アレはそういうものでしたか。有事の際に使えと皇帝陛下から賜っただけでして、詳細までは何とも」


 現れたのは、何の変哲もない棺であった。

 ごく一般的なサイズの、木でできた、何の装飾もついていない普通の棺。

 それを屈強なロマノー兵が十人がかりで引きずっている。

 その後ろには同じだけの精霊使いが続き、一番離れた場所に、爆発物でも扱っているかのように顔面蒼白なシモンの姿が見えた。


「アーニャ、カトル……。二人は、周りの兵を頼む……!」

「でも……!」


 心配そうに眉を寄せる二人の手を解き、レーヴァテインを構える。


「やつとは、一対一でやらせてくれ。……正直、二人を守りながら戦える自信はない」


 飛鳥の言葉に二人とも目を見開いた。

 次の瞬間、およそヒトのものとは思えない咆哮が鼓膜を叩きつける。


「何、これ……!?」


 アーニャを庇うように一歩踏み出し、飛鳥はレーヴァテインを振り下ろした。しかし──、


「我が王の雷が……!」


 棺が爆ぜ、雷が迸ったかと思うと、飛鳥の雷撃を撃ち落としてしまった。


「二人とも早く離れろ!」


 駆け出した先に立っていたのは一人の男であった。

 上半身裸で、右手には鉄製の籠手をつけ、腰には金色の帯を巻いている。

 再び放った雷撃が男を撃つが、通じていないのか、その虚な表情は変わらない。

 伸ばされた右腕に斬りつける。

 レーヴァテインと籠手がぶつかり合った衝撃だけでアーニャたちは圧倒されてしまった。

 ロマノー兵も動こうとしない。


「ふむ、陛下の仰っていた通りだ」


 ニクラスが片眼鏡モノクルに指を当て笑う。


「いくら雷帝といえど、には敵わないようだ」


 どういうことだ……!?


 男はそこまで素早い訳ではない。

 正面からが無理ならと背後に回るが──。


「くそっ!」


 全身に纏っている雷が既に自身のそれを上回っている。


 ソフィアさん以外にこの精霊術を使えるやつが……!

 でも、彼女はそんなこと一言も──。


 『精霊眼アニマ・アウラ』から流れ込んでくる情報量に足が止まる。


「ッ!? しまった!」


 振り下ろされた腕を受け止めるだけで精一杯、とても反撃などできない。

 足元では床石が粉々に砕けクレーターを作り上げた。

 まるで大槌で思いっきり殴りつけられたような感覚だ。

 剣身を滑らせ何とか逃れることができた。


「完全に適合してなくてもこれほどか……」


 未だ『精霊眼アニマ・アウラ』は全ての情報を読み取ってはいない。

 だが、これ以上長引けば──。


 こうなったら……。


 アーニャとカトルの方を振り向く。


「二人とも、頼みがある」

「頼み……?」

「こいつを倒したら、俺はしばらく戦えない。アクセルやヴォーダンたちが来るまで持ち堪えてほしい」

「我が王、一体何を……?」


 飛鳥は答えない。

 しかし、決意に満ちた表情に二人は頷いた。


「分かった、後のことは任せて」

「えぇ、アーニャ様と僕のことならご心配なく」

「ありがとう」


 レーヴァテインを片手で持ち、だらりと腕を下げる。

 ルフターヴが鍛え直した、レーヴァテインの真の姿。


 本当に、神々はヒトのことなんか、パートナーである筈の英雄のことすら大切に思ってないんだろう。

 アーニャは別だけど。


「レーヴァテイン・ギムレー、解放──」


 鍔の中心が開き、透き通る金色の宝石が姿を現す。

 そこへ男が腕を振り下ろした。

 飛鳥は動かないどころか、レーヴァテインを見つめたままだ。

 だが、直後に飛び込んできた光景に、誰もが言葉を失った。


「お前たちは、何故精霊がこの地を去ったか知っているか?」


 飛鳥の声だけが響く。


「人間が精霊を軽視したからだ。力の使い方を教わり、敬うべき対象をないがしろにした。今回も同じだ。語り継がれる神を、そして共に戦う仲間をないがしろにし、侮辱した」


 黒い雷が、男の腕を押さえ込んでいる。

 黒よりも黒く、夜の闇よりも深い闇のような雷が飛鳥の体から発し、男が纏う雷を押さえ込んでいる。

 飛鳥は一度大きく息をし、男を見つめた。


「すまない。俺では、お前を元に戻すことはできない。だから──」


 レーヴァテインが二人を隔てるように軌跡を描く。

 その一閃は全身に纏っていた雷を剥がし、男を血溜まりの中へと沈めた。

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