第九十六話 エスティ奪還戦③

 案の定、砦の中は大混乱となっていた。

 施設の半分はアクセルの精霊術によって瓦礫と化し、武器庫から飛び散った炎が全てを飲み込もうという、まさに阿鼻叫喚の様相を呈している。

 炎を消そうと躍起になっていた者たちも叶わないと悟ったのか、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。


「ちくしょう! 何が起きてんだ!」

「分かんないよ! でも早く逃げないと!」


 柱の下敷きになった仲間を引き摺り出しながらエスティ兵が叫ぶ。

 そこへ天井の岩が落ち、観念した兵は目を瞑るが──、


「ここまで脆いとは予想外だったなァ」

「へっ……? えっ!? こ、氷……!?」


 聞こえてきた声に恐る恐る目を開け素っ頓狂な声をあげた。

 燃え盛っていた炎は消え、辺り一面が氷に包まれている。


「ど、どうなってるんだ……!?」

「おい、てめぇらはエスティの人間か? それともロマノーか?」


 声の方を向きエスティ兵は「ひぃっ!?」と悲鳴をあげた。

 黒い髪にダークスーツ、そして足を覆う真っ黒い甲冑。

 夜を体現したような男の問いに、脳みそが必死に思考し始めた。


 どっちと答えるのが正解なんだ……!?


「えぇと……じ、自分たちは……」


 間違えば殺される、逃げることなどできはしない。

 男はそう思わせるだけの威圧感を放っていた。

 とても同じ人間だとは思えない。

 震えながら口を開いた。


「自分たち、は……」

「お前たち! 無事だったか!」


 やってきたのは、見知ったエスティの者であった。

 運良くエールへと逃れたかつての仲間の顔に腰が抜けるほど安堵した。

 それを見た男が興味を失ったように踵を返す。


「運が良かったな。外へ連れ出して手当てしてやれ」

「はっ! さぁ、こっちへ!」


 男はそれだけ指示し、砦の奥に進んでいく。

 一歩、また一歩と男が進むごとに氷が広がっていき、エスティ兵は目を丸くした。


 エ、エスティ人で良かったぁ……。


 心の底から自分の生まれに感謝し、兵たちは出口へと歩き出した。


 一方その頃──。


「一体何が起こっている!? 状況を報告しろ!」


 半壊した兵舎から、ナイトキャップを被ったまま大柄な男が姿を現した。

 態度や周りの兵の様子からして、この男が指揮官のようだ。

 男が両腕を上げ、後ろにいた兵たちが鎧をつけていく。

 そこへ足を引きずりながら一人のロマノー兵がやってきた。


「報告します! 人数は分かりませんが、何者かが攻めてきた模様! 先の爆発は精霊術によるもののようです!」


 それを聞いた男はナイトキャップを引き千切るように地面に叩きつけ怒鳴った。


「敵襲だと!? どこの軍だ!? 見張りは何をやっていた!?」


 頭上から冷たい声が響く。


「エールだよ」

「はっ?」


 指揮官の男が声の方を見上げるが、目に飛び込んできたのは宙を舞う自身の腕と、夥しい量の鮮血であった。

 男が悲鳴をあげ倒れ伏す。

 飛鳥は剣身についた血を払い、兵たちの顔を見渡した。

 皆顔を真っ青にし後退っていく。

 飛鳥の瞳は彼らに選べと告げていた。


 降伏か、死か、と。


 指揮官が倒れた今、後者を選ぶ者はいなかった。

 一人、また一人と両手をあげ地面に膝をついていく。


 あっという間の出来事であった。

 闇の精霊術とレーヴァテインの一閃。

 たったそれだけで決着がついてしまった。

 レーヴァテインを鞘に戻し告げる。


「全員拘束しろ。アーニャ、彼の治療を頼む」

「うん、分かった」


 アーニャが止血を始めたのを見て、指揮官の男は困惑した表情を浮かべた。


「な、何故……殺さない……!?」

「あなたたちを殺す気はありません。この国をエスティの人たちに返してほしいだけです」


 飛鳥が代わりに答えると、男の顔が益々歪んだ。


「どういうことだ……? 何故エールがエスティを助ける……?」


 その問いに、飛鳥は首を振る。


「エスティだから助けるんじゃありません。俺たちはロマノーのやり方が許せないだけです」

「我々の……?」

「王家の人たちを退け、主権まで奪うのはやりすぎです。あなたたちは何を考えてるんですか?」


 飛鳥の言葉に、男は自嘲気味な笑みを浮かべた。


「俺のような一兵士が知っていると思うか? 我々は命令に従うだけだ」

「その命令に疑問を感じないんですか?」

「ふざけたことを。上の命令は絶対だ、それが軍人というものだろう」


 この人もなのか……!


 心の中で吐き捨て、拳を握りしめる飛鳥に、アーニャも悲しそうに目を伏せる。


「どいつもこいつも、忠実に犬をやっててご苦労なことだな」


 やってきたアクセルを睨みつけるが、彼はいつもの調子で笑った。


「いい加減理解しろよ。てめぇが期待してるほど、ここの連中は賢くねぇんだよ」


 言い返すことができない。

 皆誰かの命令に従うだけで、思考も責任も放棄している。

 それが一番楽だと、自分も理解している。

 というより、日本にいた頃の自分もそうだった。

 でも日本とティルナヴィアやイストロスでは事情が違う。

 自分や他人の命に関わることまで誰かに任せるなんて、そんなの……。


 飛鳥の様子に、アクセルは溜め息をついた。


「陛下! ご無事でしたか!?」


 歯がゆい思いで俯いていると、ヴォーダンが砦の兵を連れ戻ってきた。


「あぁ、俺たちなら大丈夫だ」

「安心いたしました。この者たちですが、いかがいたしましょう?」


 と、ロマノー兵を見つめる。

 ヴォーダンの問いかけに、アクセルが凶悪な笑みを浮かべた。


「決まってんだろ。ここで──」

「エスティの兵を監視につけて、予定通り首都に向かってもらおう」


 遮られ、アクセルの顔から笑みが消える。

 舌打ちし、焼け残った椅子に腰を下ろした。


「てめぇらは本当に運がいい。──こいつらを連れて首都へ向かえ。そして途中の町や砦でこう言って回るんだ。エールの雷帝が攻めてきたってなァ」


 先ほどアクセルに助けられた兵がおずおずと手を上げる。


「あの……それでは防御を固められて不利になるのではないでしょうか……?」

「それでいいんだよ」

「へっ……?」


 ポカンと口を開ける彼らの前にヴォーダンが地図を広げてみせた。


「お前たちは噂を流して防衛を固めさせてくれ。その隙に俺たちは反対側から首都を攻める」

「い、いや、反対側からなんて無理ですよ! 首都への入り口は一箇所だけです! 他は天然の要害になってるんですよ!?」

「だから、それでいいって言ってんだよ」


 兵たちが理解できないといった顔でヴォーダンとアクセルの間で視線を往復させる。


「地の利や兵力なんざ関係ねぇ。エールを敵に回したらただじゃすまねぇってことを、ロマノーとスヴェリエに教えてやらねぇとなァ」


 何でそんなに嬉しそうなんだ。

 そう顔に書いてあるが、口に出す勇気はないのだろう。

 エスティ兵は黙り込んでしまった。

 見かねた飛鳥が口を開く。


「助けにきたのに、この状況を利用するようなことをしてすまない。でも、この戦争を終わらせる為に必要なことなんだ。どうか協力してほしい」


 頭を下げると、兵たちは慌て出し一斉に敬礼した。

 彼らの姿に微笑み礼を述べる。


「俺たちも行こう。皆、準備してくれ」






 そして砦を発ってから四日、予定ではもう少しかかるとみていたが、首都はもう目の前まで迫っていた。

 兵も言っていたが、要害に自信があるのかこちらのルートではほとんど戦いが起きず、途中に寄った町でも皆ロマノーを嫌い、協力的な姿勢を見せてくれた。

 明日はいよいよ首都攻略。

 最後の野営をしようと近くの山へ入ったのだが……。


「お待ちしておりました、我が王」


 木の上からカトルが現れ、地面に下りると跪いた。

 飛鳥が小走りで近付いていく。


「カトル! どうしてここに? あ、それより何でクララと一緒に戻って来なかったんだ。こうやって会えたからいいけど……」


 エスティに残っているのはクララから聞いていたが、こちらから連絡を取ることなどもちろんできず、この場所についても知らない筈だ。


「お叱りはエールに戻ってから受けましょう。本作戦の顔ぶれと我が王の性格から考えて正面突破はなされないと踏んでいました。尚且つ兵をしっかり休め、首都を一気に制圧するにはこの山に陣を張るのが最適ですから」


 予測が当たったのが嬉しいのか、カトルはやや早口に述べ、飛鳥の顔を見つめると微笑んだ。


「うーん……」


 考えを読まれたのが悔しいとかそういう訳ではない。

 ここで会えず、カトルに万が一のことがあればマティルダやクララだけでなく、皆が悲しむだろう。

 そのことを叱りたかったのだが……。


「次はやらないと約束できるなら、今回のことは不問にする。どうだ?」

「もちろん、我が王のご命令とあらば」


 カトルが頭を垂れる。


「そもそもが命令違反な訳だが、それについて言い訳はあるか?」

「そうですよカトルさん! 何かあってからじゃ遅いんですから!」


 アクセルとアーニャに叱られ、カトルは戸惑う仕草を見せたが、書類の束を取り出すと飛鳥に差し出した。


「まぁまぁ、お二人とも落ち着いてください。エスティについては色々と聞いていましたので、僕なりに調べていたのです。我が王、こちらを」

「ん? これは?」

「我が王はシモン・ヤーヴィという男をご存知ですか?」


 初めて聞く名前だ。


「この国の宰相として長く権力の座についている者です。エスティ王と王女の救出に協力してもらえないかと、彼について調べていたのですが……」


 カトルの話を聞きながら書類に目を通し、飛鳥は苦い顔をした。


「なるほど、ね……」

「えぇ、そういうことです」

「アクセル。王城に乗り込んだら、狐人族の三姉妹を連れてエスティ王の救出を頼む」

「あ? いらねぇよ。んなこと俺一人で十分だ」


 するとアーニャがアクセルの目の前で大きくばつ印を作った。


「単独行動はダメですよ! アクセルさんが怪我したらリーゼロッテちゃんが泣いちゃいますよ? いいんですか? それに女性がいた方が王女様も安心するでしょうし」


 言いたいことを全て言われてしまい、とりあえず頷くと、アクセルは面倒そうに口を閉じた。


「決まりだな。ヴォーダンにも伝えておくよ」


 翌朝、飛鳥たちは山を降り小高い丘へとやってきた。

 問題はここからだ。

 王城は山の上にあり、周りも山と川に囲まれている。

 アーニャが『神ま』を開いた。


「エレメントで道を作るから川は何とかなるけど、手前の山がなぁ……」

「うん、警戒しない理由がよく分かるよ」


 レーヴァテインを構え、アーニャに耳打ちする。


「でも本当にいいの? 地形を変えるって大事だと思うけど……」

「ま、まぁ……前例がない訳じゃないから……」

「おい、何をしている。さっさとやれ」


 アクセルに睨まれ、観念した飛鳥はレーヴァテインを振り被った。そこへ──、


「祝福せよ!!」


 カトルが右腕を高々とあげ叫んだ。

 何事かと皆の視線が集まる。


「カ、カトル……?」

「この一撃をもって、エールは真の意味で新たな時代を迎える! 人種や思想も関係ない、強国に怯える必要もない、雷帝皇飛鳥が創り出す新時代だ! その瞬間に立ち会えた栄誉を噛みしめ、感涙に噎ぶがいい!」


 一人が「お、おー……?」と小さく手をあげた。


「えーっと……もう撃ってもいい、かな……?」

「えぇ、もちろんです。存分に力を振るってください! 我が王!」

「あ、あぁ……」


 カトルはまだ興奮した様子だ。

 気を取り直し、エレメントを練り上げていく。

 全身を雷が駆け巡り、レーヴァテインが黄金に輝くのを見て、皆から感嘆の声が漏れた。


「アーニャ、山を吹き飛ばしたらすぐに──」

「うん! そっちは任せて!」


 力強いアーニャの返事に一瞬だけ微笑み、すぐに口を真一文字に結ぶ。


「咆哮せよ──」


 大気が恐れるようにビリビリと震える。

 首都目掛け、巨大な渦となった雷を放った。


「レーヴァテイン!!」

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