第九十五話 エスティ奪還戦②

 最初に異変に気付いたのは、ロマノー兵であった。


 だるそうに姿勢を崩し、何度も大欠伸をしている、見るからにやる気のない男。

 当番だから立っているだけだ。

 見張りなど真面目にやる気はない。


 当然だが、エスティはロマノーに比べて何もかもが劣っている。

 人も、店も、娯楽も少ない。

 そんな国の西端に位置する砦に送られた時点で、元から少なかった男のやる気は底をついた。

 出世の道は閉ざされた。

 めちゃくちゃ上に行けるとは思っていない。

 重責を背負うのもらしくない。

 でも、そこそこの地位にはつきたいという身勝手な願い。

 その願いが打ち砕かれた瞬間、男は考えることを放棄してしまった。

 しかし──、


「おい。なぁ、おい」


 男は半分閉じていた目を大きく開き、前方を凝視しながら近くの兵に手招きした。


「何ですか……」


 返事をしたのは、憂さ晴らしにいつも苛めているエスティの兵だ。

 松明片手にゆっくりと近付いてくる。


「あの辺りだけ何か暗くないか?」

「え? た、確かに……」


 男のおかしな問いに、エスティ兵は思わず同意してしまった。

 まだ夜の闇が支配している時間帯だ。

 にも関わらず、男は「暗くないか?」などと口にし、エスティ兵も何の疑問も持たずに頷いた。


 黒の中に、更に真っ黒な円が浮かんでいた。

 夜の闇よりも更に深い闇が、徐々にその範囲を広げていく。

 直後、巨大な爆発音と衝撃が二人をなぎ、砦の半分が吹き飛んだ。


「な……何が起きた!? 砲撃か!?」


 瓦礫をどかし男が叫ぶ。


「そ、そんな訳ないでしょう! 一発でこんなことになる大砲がありますか!?」

「じゃあ何だって言うんだよ!?」

「知りませんよそんなこと!」


 精霊使いでない二人には、それが精霊術によるものだとは理解できなかった。

 いや、仮に二人が精霊使いだったとしても、この状況を理解するのは難しいだろう。


 ティルナヴィアに生きるモノ全てが持っているエレメントと、それを用いた精霊術。

 精霊使いを生み出した、ヒトにエレメントの使い方を教えたのは、かつてこの世界に存在した精霊たちだ。

 だが、どれだけ意思が強かろうと、どれだけ精霊術の扱いに長けていようと、ティルナヴィアという世界、枠組みを超えることはできない。


 


 夜の闇よりも深い闇などあってはならない。

 天がなければ駆けることのできない雷が、天をるなどあってはならない。


 故にその者たちは畏怖される。

 故にその者たちは求められる。

 故に、その者たちはこう呼ばれる。


 この世界に生きながらこの世界を無視し力を行使する、『天上の精霊使い』と──。






「……よし」

「よしじゃないだろ!? 何やってんだよお前は!」


 体を取り戻したことでアクセルの精霊術は以前よりも強力なものとなっていた。

 左腕を何度か回し、手をジッと見つめる。


「斬られたら再生できない、刺されたら下手すりゃ死ぬってのは面倒だと思ったが……。これだけの威力が出るならまぁいいだろう」

「いや一人で納得してないで話を聞けよ!」


 アクセルの両肩を掴み揺するが聞いてはくれない。

 再び手の平にエレメントを集め始めたのを見て、アーニャもアクセルの腕を両手で引っ張った。


「おい、何しやがる。離せ」


 と、アクセルが迷惑そうに体をよじる。

 その間も徐々に大きくなっていく球体に目を見張り、アーニャと二人で羽交い締めにした。


「落ち着いてください! もう砦半壊してますから!」

「それがどうした」

「どうしたじゃないよ! エスティの兵が死んだらどうすんだよ!」


 アクセルの動きがピタリと止まる。

 球体も消え、ホッと息をついたのも束の間、アクセルがこんなことを言い出した。


「その時はその時だ」


 口をあんぐりとさせ、アーニャと顔を見合わせる。


「何だその面は。全力でやっていいと言ったのはてめぇだろ」

「言った、けど……。でもいきなり吹っ飛ばすやつがあるか!」

「うるせぇな、こっちに被害が出るよりはましだ」


 そう言いながら、アクセルは兵の顔を見渡した。

 皆呆気に取られた様子で三人のやり取りを見つめている。


「それは……そうですけど……」


 些か納得いかない様子を見せながらもアーニャは同意してしまった。

 こうなったら一人でもアクセルを落ち着かせるしかない。


「確かに全力を出してもいいとは言ったし、こっちの被害が少ないに越したことはない! でも助けるべきエスティの人たちを傷つけたら意味がないだろ!」


 アクセルが目を伏せる。

 分かってくれたかと胸を撫で下ろした飛鳥であったが、ヴェルダンディの悲鳴にビクリと肩を震わせ振り向いた。


「え、まさか……!」


 砦から火の手が上がっている。

 松明が武器庫にでも飛び火したのだろう。

 爆発音と共に振動が伝わってきた。

 段々と、兵たちの顔が青ざめていく。


 連れてきた兵の中にはエスティの者もいる。

 かつての同僚が、戦友があの中にいるかもしれない。

 その可能性が頭を過った瞬間、皆パニックになってしまった。

 一人が大声をあげ走り出したのを皮切りに、我先にと砦に向かっていく。


「待たんか! お前たち!」


 ヴォーダンが叫ぶが止まらない。


「えぇい! バラけるな! 俺たちも行くぞ!」


 彼を先頭に獣人たちも大慌てで砦に向かっていった。

 アクセルが舌打ちする。


「統制が取れてねぇにもほどがある。おい、俺たちも行くぞ」

「いや」「お前のせいだからな!?」「アクセルさんのせいですからね!?」


 飛鳥とアーニャが怒鳴り声をあげ、三人も兵の後を追いかけていった。

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