第九十四話 エスティ奪還戦

 伝承世界での一件から十日、場所はエール王城の広場──。


 いよいよエスティ奪還戦の日がやってきた。

 広場にはアンカーが選んだ兵士が四十人ほど集まっている。

 獣人と人間との混成軍だが、大きなトラブルはなく士気も高い。

 飛鳥が装備を確認していると、アンカーが狼人族の男を連れてきた。


「陛下、隊長のヴォーダンを連れてまいりました!」

「あぁ、ありが──」


 顔を上げた飛鳥は絶句してしまった。

 ヴォーダンが首を傾げる。


「どうかされましたか? 陛下」

「あ、いや……。貴方のことはアンカーから聞いています。どうか力を貸してください」


 頭を下げる飛鳥にヴォーダンが慌て出す。


「そ、そのようなことはおやめください陛下! もちろん、全力を尽くします!」

「よろしくお願いします」


 去っていく彼の背中を見つめ、飛鳥は頭を振った。

 アーニャが心配そうに聞く。


「飛鳥くん、大丈夫?」

「うん、ごめんごめん」


 彼女に笑顔を見せた後、飛鳥は視線を戻した。

 ヴォーダン自身に問題はない。ないのだが……。

 彼の顔は、幾分若いが、伝承世界で出会った槍で貫かれた男と瓜二つであった。

 自分たちを物質世界に送り返した男はアクセルと、そしてあの老人はヴォーダンとそっくりで。


 伝承世界って、一体何なんだ……?


 戻ってからソフィアにも聞いてみたが、彼女の父の研究資料にも疑問を解消してくれる情報は載っていなかった。

 考え込んでいると、マティルダが飛びかかってきた。

 飛鳥とアーニャが悲鳴をあげる。


「マティルダ!? どうしたの!?」

「何故余ではなくアーニャとアクセルなのだ!? 余の伝承武装も完成しているぞ!」


 彼女を落ち着かせようと頬を撫でる。

 への字に曲がっていた口元が徐々に綻び、手の平にグリグリと顔を押しつけてきた。

 反対に、アーニャの眉がググッと寄っていく。


「こ、こんなことされても誤魔化されは……ふふっ。──そうではなくて! そもそもこちらから攻め入るのは貴様の方針と異なるのではないか?」


 マティルダの言う通り、エールはエスティから攻撃を受けている訳ではない。

 専守防衛の立場では進軍することは許されない。だが──。


「ロマノーはこっちを攻撃するつもりで国境にエスティの軍を配置してる。それに、エスティを抑えられたままだと入ってくる物資も変わってくるでしょ?」


 マティルダが唸る。

 しかしそれはエスティ奪還に関してではなく、やはり。


「とにかく! 余も連れてゆけ!」


 飛鳥と一緒に戦えないのが余程不満らしい。

 尻尾をボワッと膨らませ、噛みつかんばかりの勢いで詰め寄る。

 アーニャが引き剥がそうと手を伸ばすが、それより早くマティルダの襟をアクセルが持ち上げた。

 手足をぶらんと垂らした姿はまさしく首根っこを掴まれた猫そのものだ。

 その可愛らしさに思わず笑みがこぼれてしまう。


「うるせぇな。こっちは忙しいんだ、邪魔すんな」

「邪魔とは何だ!? 離せ! 余に触れていいのは飛鳥とアーニャとアルネブと──」

「要は俺以外だろ。俺だっててめぇとベタベタする趣味はねぇ」

「そうだ! 貴様は国の為にもリーゼロッテと子作りに励むがよい!」

「あ? ここで死ぬか?」


 おーい。話が逸れてるぞー……。


 二人を離し、マティルダの両肩に手を置く。


「マティルダにしか頼めないんだ。エスティから戻るまで国を守ってほしい」

「飛鳥……」


 途端にしおらしくなり、マティルダの顔が真っ赤になる。

 この様子なら大丈夫だろう。

 感謝の意を込めて頭を撫でようとすると……、


「任せるがよい! 貴様が帰ってくる場所はだ・い・い・ち! 夫人である余が守ってやろう!」


 マティルダは大きく胸を張り、高らかに笑った。

 再びアーニャが顔をしかめる。

 マティルダを見送り、飛鳥は兵の前に立った。


「皆の者! 陛下からのお言葉である! 心して聞くように!」


 アンカーの言葉で皆の視線が集まる。


「えーと……」


 昨日の夜から色々考えていたが、何から話すべきか。

 うまい言葉が出てこない。

 しかし、ここに集まっている人たちは。いや、彼らだけではない。

 この国の人たちは自分を信じてついてきてくれている。

 なら、自分が伝えるべきは──。


「この国は、この大陸は王国と帝国の戦争で少しずつ疲弊していっている。その始まりは人間がどうとか、獣人がどうとか……言い方は悪いがくだらない理由だ。俺は種族の違いなんてどうでもいいと思ってる。大事なのはそれぞれがどう生きるかだ」


 その場にいる全員が真剣な表情で飛鳥を見つめている。


「俺はこの戦争を終わらせ、正しく生きる者が報われて、悪しき者が法の下に罰せられる、そんな世界を作りたい! その為に、お前たちの命を俺に預けてくれ!」


 一斉に歓声があがる。

 視線を移すと、アーニャもアンカーも力強く頷いた。


「今日は東の砦の手前で野営を行う! 夜が明けたらすぐに国境の砦を落とし、一気に首都を目指すぞ!」


 飛鳥の号令に兵が隊列を組み始める。

 そこへソフィアとニーナが駆けてきた。

 箱を抱え、中身がガチャガチャと音を立てている。


「は〜間に合いました〜」

「二人ともどうしたんですか?」


 アーニャが問うが、普段運動しないソフィアは箱を下ろすとその場にしゃがみ込んでしまった。

 代わりにニーナが答える。


「陛下に頼まれていた通信用の霊装が完成したのでお持ちしました。エレメントの波長を合わせてありますので、触れるだけで人間と獣人の間でも簡単に通信することが可能です」

「ありがとうございます。無理を言ってすみませんでした」


 飛鳥は箱の中身を一つ取り上げ見つめた。

 一見するとただの銀細工だが、確かに精霊術が組み込まれている。


「本当に何でも作れるんだな」


 珍しく感心したようにアクセルが口にする。


「えぇ、凄いでしょう? 何かあったらお義母さんを頼ってね♪」


 嬉しそうに笑うニーナに、アクセルは少し恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。

 アーニャが皆に声をかけ霊装を配っていく。

 ニーナとソフィアに見送られ、飛鳥たちは城を出立した。






 数時間後、野営地に到着するとすぐにヴォーダンが指示を出し、兵が準備を始めた。

 戦場モードに入ったのか、ヴォーダンは眉を吊り上げ鬼気迫る表情をしている。

 それを眺めていると木からクララが顔を出した。


「飛鳥ーやっほー」

「あぁ、クララ──ん? カトルはどうした?」


 二人にはエスティを探るよう言ってあったが、カトルの姿が見当たらない。


「カトルはエスティで飛鳥を待つってー。めーれーを無視するとは全く、勝手な弟だ」


 口ではそう言いつつも、クララの顔はいつもののんびりとしたものだ。


「エスティはどうだった?」


 尋ねると、クララは紙を取り出し差し出した。

 そこには軍の配置や首都の状況などがかなり細かく書かれていた。


「この短期間で凄いな。ありがとう、クララ」

「エスティの動物たちも帝国人が嫌いらしいから何でも教えてくれたぞー。まぁ一番凄いのは頑張って聞き回った私だけど。私だけどー」


 頷き頭を撫でると、クララは嬉しそうに微笑んだ。

 そこへ視線を感じ振り返る。

 てっきりアーニャのものかと思っていたが──。


「あれは……!」


 視線の先にいる狐人族の兵の顔に、いよいよ飛鳥は目眩を覚えた。


「飛鳥くん、本当に大丈夫?」

「う、うん……」


 アーニャに支えられながらへ手招きする。

 すると、その内の二人が駆け寄ってきた。


「ご、ごめんなさい! 盗み見るつもりはなかったんです! あのっ、国王様楽しそうだなーと思って」


 と、何度も頭を下げたのはウェーブ掛かった金髪の女性だ。


「申し訳ございません、陛下。どうかお許しください」


 続いて謝罪を口にしたのは、随分と落ち着きのあるショートボブの女性であった。


「だからやめようと言ったでしょう? 姉さんたち」


 その後ろからやってきたサイドテールの女性が膝をつく。


「姉たちが大変無礼をいたし申し訳ございませんでした。いかなる処罰も受けます、国王陛下」

「処罰なんて……。そんな気にしないでくれ」

「寛大なご処置、感謝申し上げます」


 サイドテールは更に深く頭を下げた。

 三人の姿に「うーん」と腕を組む。


「良ければ、お前たちの名前を教えてもらえないか?」


 飛鳥の問いに、ウェーブが目を見開き飛び上がった。


「名乗りもせずごめんなさい! 私はヴェルダンディと申します! こっちは姉のウルド、そっちが妹のスクルドです!」


 やっぱりかー……。


 そう、ヴォーダン同様三人も伝承世界で出会ったあの三姉妹にそっくりであった。

 違いは獣人の耳と尻尾の有る無しだけだ。


 でも、性格が一人ずつズレてるような……。


「ありがとう。よろしく頼むよ」

「はっ、このような大事な戦いに従軍でき嬉しく思っております。全力をもってあたります」


 頭を下げたままスクルドが述べる。

 飛鳥は苦笑いを浮かべ、立ち上がるよう促した。

 伝承世界のウルドと同じ冷たい光を宿すスクルドの瞳に、何だか寂しさを感じてしまった。

 もう少し話したいと思ったが、ヴォーダンに呼ばれ三人は持ち場へ戻っていった。


 そして翌朝──。


 まだ暗い内から飛鳥たちは行動を開始した。

 地図通りなら、砦まで後一キロ弱。

 クララが木にとまっている鳥へ手を伸ばす。


「数人の見張り以外はまだ寝てるってー」

「分かった、ありがとう」


 レーヴァテインを抜きアクセルに声をかける。


「伝承武装は使えそうか?」

「当たり前だ」


 膝までを覆っている、黄金の鎖が巻きついた真っ黒いグリーブとサバトンに目をやる。


「確認しとくが、全力でやっていいんだよなァ?」


 アクセルはニタリと口の端を吊り上げた。


「……抵抗してくる相手にはな。でも、なるべくならエスティ兵とは戦いたくない」

「名札をつけてる訳でなし、そこまでできるかよ。まぁいい。行くぞ──スレイプニル」


 アクセルが名を告げると、黄金の鎖が弾け飛び、水色、紫、黒──三色の羽が宙を舞う。

 更に両側面に溝が、ふくらはぎの部分には銛の逆刺カエリのような金属が四本ずつ、計八本現れた。

 爪先でゴツゴツと地面を蹴り、満足げに笑みを濃くする。


「ほぉ、さすがは天才技師だ」


 久しぶりの戦闘に高揚しているアクセルに若干の不安を覚えつつ、飛鳥は砦がある方角をレーヴァテインで示した。


「進軍だ! エスティを帝国から取り戻すぞ!」


 鬨の声をあげ、兵たちは一斉に走り出した。

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