第九十三話 初めての

 あ……が、はぁっ……!


 八年前と同じ感覚に、アクセルは声にならない悲鳴をあげた。

 体の中身が引き摺り出され、別のものを無理やり詰め込まれる。

 全身が痙攣し、悪寒に包まれ震えるアクセルを、開放された獣たちがジッと見つめていた。


 クソ……が……。


 あの時と同じだと、アクセルは思う。

 帝国の実験によって伝承世界に放り込まれた彼が最初に目にしたのは、この世の終わりとも思える荒凉とした大地と炎のように真っ赤な空であった。

 遠くから笛の音と剣撃音が聞こえる。

 アクセルは必死に走った。


 死にたくない──。


 恐怖が全身を支配し、少しでも安全な場所を見つけようと無我夢中で走った。

 やがて見えてきたのは、この場に似つかわしくない手入れの行き届いた綺麗な館。

 飛び込んだアクセルを待っていたのは、獣たちとあの男であった。

 幼い頃に母が見せてくれた、父の若い頃の写真。でも……。


 父さんと、母さん……?


 思い出せない。

 優しかった筈の両親との思い出が、顔が、何一つ思い出せない。

 周囲からもそっくりだと言われていた、ような気がする。


 実力主義を掲げる帝国で軍人に、それも精霊使いとして入隊することは何よりの誉れだ。

 自身だけでなく、家族の生活も保証される。

 適性検査をクリアし、帝都へ行くことが決まった時は皆が喜んでくれた。

 もちろん両親も喜んでくれた、と思う。


 だが実際は違った。

 自分は軍人として取り立てられた訳ではなく、ただの実験動物で。

 当時一強を誇っていた王国を倒す為の、ただの道具で。

 力を振り撒き、初めて命を奪った時の感触が忘れられない。

 生きる為に何の関係もない人たちの命を奪った時の、彼らの悲鳴が耳から離れない。

 そして、何よりも──。


 あぁ……俺も、一緒じゃねぇか……。


 自分のことも顧みず、伝承世界へやって来た馬鹿のことを考える。

 たった一人の女の為に世界を相手取るなんて、世界を変えようなんて馬鹿げてる。

 そもそも、この世界に救う価値なんてない。

 当時まだ十五歳。

 そんなガキが、命を奪わないと生きていけない世界など間違っている。

 だからこの世界に復讐する、この世界を破壊してやる。


 そう思っていた。

 そう思っていたかった。

 なのに……。

 あいつのせいで思い出してしまった。

 目を背けていたものを、直視せざるを得なくなってしまった。

 本当の望みは、本当に欲しかったのは──。


 リーゼロッテ……。


 名前を呼ぶがやはり声にならない。

 彼女を初めて見たのは、実験の合間の、ほんの少しの自由時間だった。

 当時まだ中央に勤めていたニーナへ着替えや弁当を持ってくる彼女のことが妙に気になった。

 気付けば、受付で手続きをする彼女を眺めるのが日課になっていた。

 体は小さくて、でもいつも笑顔で、楽しそうで。


 飛鳥のこと、笑えねぇなァ……。


 思わず口の端が吊り上がる。

 この八年、そしてこれからも自分を動かし続けるものがあいつと同じとは。

 いや、あいつらはともかく、自分たちはと溜め息をつく。


 先帝と軍から受けた話はこうだ。

 いずれ来る王国との覇権争い、その戦争で王国を滅ぼすこと。

 その為に戦うと約束できるなら、望みのものを与え生かしてやろう。


 乗るしかなかった。

 そして、これ幸いにと指定したのがリーゼロッテとの暮らしだ。

 彼女とアーニャは違う。

 アーニャは飛鳥を大切に想っているが、彼女は違う。

 僅か十歳で母親と引き離された。

 友人も頼れる人もいない場所で、怯えながら生きていくしかなかった。

 自分が、そうした。


 好かれる筈がない。

 好きになってもらえる訳がない。

 こんな、身勝手な──。


 けれどそれでいい。

 好きになってもらえなくても、彼女が安心して、笑って過ごせる世界を作れるならそれでいい。


「──。」


 声が聞こえる。

 八年前と同じ嗚咽まじりの声。


 あぁ、また俺は──。


 腕を伸ばす。

 自分ではダメだと分かっているのに、それでも彼女を抱きしめる。


 泣かないでくれ、俺なんかの為に悲しまないでくれ。


「リーゼ、ロッテ……」

「アクセル……!」


 リーゼロッテはアクセルを強く抱きしめ離さない。

 瞳から溢れ出る涙が、アクセルの服を濡らしていく。


「ねぇ、元に……戻ったの? 体……」


 顔を上げリーゼロッテが問う。

 目を真っ赤に腫らし、涙と鼻水にまみれた顔を向ける。

 アクセルはしっかりと頷いた。


「良かったぁ……」


 緊張が解けたのか、リーゼロッテは台の上にペタンと座り込んだ。

 大きく息をつく彼女の頭を撫でる。

 結果など聞く必要はない。

 心臓が脈打ち、血が身体中を駆け巡っている。

 視線を感じ、アクセルは自身の影に目をやった。

 獣たちの力も失っていない。

 全てを、取り戻したのだ。

 一応礼を言っておくかと、アクセルは隣の台へ視線を移すが……。


「……何だよ」

「ん? 別に〜?」


 ニマニマとからかうように笑う飛鳥に、礼を言う気がなくなってしまった。

 というより、言ったら負けな気がする。

 絶対に言ってやらねぇとアクセルは固く誓った。


「無事だったようだな! まぁ余は飛鳥を信じていたから心配はしてなかったがな!」

「本当に良かった! 飛鳥くんも無事で何よりだよ。お疲れ様」


 愛おしそうに見つめるアーニャに飛鳥が微笑む。

 そんな二人を、少しだけ羨ましいなんて考えてしまいすぐにかき消した。


「……礼は──」

「大丈夫、もう十分もらったよ」


 飛鳥の言葉に閉口する。その直後──


「あ……?」


 アクセルは台の上に倒れ込んだ。

 リーゼロッテが慌てて体を揺さぶる。


「どうしたの!? 大丈夫!?」

「……減った」

「えっ?」


 ボーッと天井を眺め、アクセルはこう呟いた。


「腹が減った……」






 食事を取りながら、飛鳥はアクセルをジッと見つめていた。

 普段の粗暴な態度からは想像できない、落ち着いた雰囲気と美しい所作。

 こいつ、もしかして良いとこの出なのか? なんて考えてしまった。


「飛鳥、何をジロジロと見てやがる?」

「い、いや。何でもないよ、ごめん」


 マナーの悪さを指摘された気分になり目を逸らす。

 その空気を変えてくれたのはニーナであった。


「何はともあれ良かったわね! リーゼロッテ! アクセルくんに食べてもらえて!」


 照れからか、喉に料理が詰まったからか、はたまた両方か。

 リーゼロッテが胸をドンドンと叩く。

 そんな彼女の背中を、カップ片手にアクセルが撫でた。

 ニーナが益々嬉しそうに微笑む。


「アクセルくん、どうだった? リーゼロッテの料理は」

「ん? あー……」

「お母さん! 作ったの私だけじゃないし! お母さんとアーニャも一緒に作ったでしょ!? ねっ、アーニャ?」


 助けを求めるリーゼロッテに、アーニャは珍しく首を振った。


「ううん、私はちょっと手伝っただけだよ」

「何で突き放すの!?」

「リーゼロッテの料理だが──」


 二人を無視し、アクセルが空いた皿の一つを指差す。

 女性陣が一斉に喉を鳴らした。


「こいつは味が濃すぎる。消耗が激しい時ならともかく、普段食べるには塩分が多いな」


 リーゼロッテの眉間にしわが寄る。


「こっちは味付けはいいが味が染みていない。具材を大きく切りすぎだ。それとこっちは──」

「だったら……!」


 拳を振り上げ、リーゼロッテはアクセルに殴りかかったが……。


「だったらもう食べなくていいわよ! ──って誰!?」


 突然現れたヘルに驚き飛び退いた。

 ヘルは「いじめないで」とでも言いたげにアクセルを抱きしめている。

 見た目で皆を怖がらせないよう配慮したのか、顔の左半分を布で覆い、左手には手袋をはめていた。


「邪魔だ、茶が飲めん」


 せっかく庇ってくれたヘルをアクセルは面倒そうに突き放す。

 しかし、ヘルは何故か嬉しそうにペコペコと何度か頭を下げ、影の中へ消えていった。


「さて、飛鳥。ちょっと付き合え」

「あぁ、いいけど?」


 丁度話したいと思っていたところだ。

 二人が揃って席を立つ。

 アクセルはどうしたらいいか迷っているリーゼロッテの頭にポンと手を置き、


「明日の朝飯もよろしく」


 さっさと部屋から出ていってしまった。


「何よ、あいつ……」


 ブツブツ言いつつも赤くなっているリーゼロッテをアーニャとニーナが撫でる。

 部屋を出る前に、飛鳥は改めてソフィアに礼を述べた。


「ソフィアさん、本当にありがとうございました」

「いえいえ〜無事に済んで良かったですよぉ。お二人の伝承武装についてもお任せください〜」

「はい、よろしくお願いします」


 部屋を出ると、他の皆には聞かれたくないのか、アクセルが手招きした。

 執務室の方へ向かって歩き出す。


「体は大丈夫か?」

「あぁ。……しかしまぁ、てめぇも大変だなァ」

「ん?」

「何でもねぇよ」


 廊下を進み、テラスに出た。

 日に日に気温が上がっているとはいえ、この時間はまだ肌を刺すように空気が冷たい。

 だが、あれだけ大事の後だ。

 そんな空気も今は心地よく感じられた。


「なぁ」

「あ?」

「獣たちの力のことなんだけど……」


 迷いながら口にする。

 体を取り戻し、獣たちの力も残っている。

 それが意味するところをアクセルも理解している筈だ。


 でも、精霊の魂なんて……。

 そもそもどうやって探せばいいんだ……。


「期限はねぇんだ。無理に探す必要はねぇ」

「はっ……!?」


 アクセルの口から出た言葉に目を見張る。


「お前、どうして……!?」

「一から十まで全部聞いてたよ。……てめぇの体のこともな」

「そう、だったのか……」

「探そうなんて考えるな。いずれ必ず精霊と出遭う時が来る。俺たちが考えるべきは、どうやって精霊を殺すかだ」

「何でそんなこと言い切れるんだよ? 何か知ってるのか? あの男は、お前の──」


 質問を遮り、アクセルは息をつく。


「先に言っておくが、あの男は親父でも何でもねぇ。だが……やつの言葉は真実だ。何故そう思うかは俺にも分からん」

「……」

「もうすぐこっちの態勢も整う。王国と帝国をぶっ潰してヴィルヘルム共を交渉の席に着かせる。他のことはそれからだ」


 ぶっ潰すつもりはないんだけど……。


「何だ? 心配すんなよ。てめぇの方針通り、専守防衛だったか? それでやってやるよ」


 しかしアクセルの顔は狂喜に染まっている。

 説得力の無さに、飛鳥は溜め息をついた。


「俺とマティルダの伝承武装ができたらさっそく動かねぇとなァ」

「動くって……何をするつもりだ?」


 月明かりに照らされアクセルの瞳がギラつく。

 嫌な予感を感じつつも聞いてみた。


「すぐ東が帝国領じゃあ、民は安心して眠れねぇよなァ? 国王陛下よぉ」


 アクセルの笑い声が響く。

 予感的中だ。

 同じことを考えてはいたが……。


「僕とアーニャも行くからな」

「当然だ、てめぇがいなきゃ話にならん」


 凶悪な笑みを浮かべたまま、アクセルは飛鳥と向き合った。


「エスティを取り返して、連中に教えてやろうじゃねぇか。雷帝の恐ろしさをなァ」

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