第九十二話 伝承の世界へ⑥

「はっ……? 何で、これは……!」


 中に入ってすぐ、飛鳥は扉にもたれかかった。

 目の前の状況に理解が追いつかない。

 今までのことは全部夢だったんじゃないか。

 そんなことさえ考えてしまった。


「この世界は、何なんだ……!?」


 館の壁と床は傷だらけであった。

 だが、その傷は──。

 恐る恐る床の傷に触れる。

 間違いない。

 それは、アクセルと戦った時に自身がつけたものであった。

 得体の知れない恐怖に喉を鳴らす。


「いてっ……」


 我ながら緊張感に欠けていると思うが、試しに頬を抓ってみた。

 夢ではないらしい。

 これは自分が言い出したことだ。

 考えても仕方がないと分かっていても考えてしまう。


 アーニャなら何か分かるかも知れないのに……。


 溜め息をつき、館の奥を見つめる。

 変わらず人の気配はない。

 いつでも抜剣できるよう鞘に手を添え、次の扉を開けた。


「ッ! アクセル!」


 目を閉じ椅子に座るアクセルを見つけ駆け寄ろうとした瞬間、何かが横を勢いよく通り抜けた。

 その姿に目を見張る。


「何でお前たちが……!? まだ術式は……!」


 現れたのはヴァナルガンド、ミドガルズオルム、ヘル──アクセルに宿っている獣たちであった。

 ソフィアから預かっていた霊装を握りしめる。

 獣たちを呼び出しアクセルとの繋がりを断つ、その為の術式が刻み込まれた霊装。

 それを使い、共に伝承世界から脱出する手筈だったが……。

 威嚇するように低く唸るヴァナルガンドに向かって飛鳥は叫んだ。


「待ってくれ! お前たちと戦うつもりはない! アクセルの体を返してほしいだけなんだ!」


 しかし獣たちは聞く耳を持たない。

 飛鳥を近付けまいとアクセルを取り囲んだ。


「どうして……! お前たちだって元の世界に戻りたいだろ!? 僕ならその手助けが──」

「それは違うな。逆だよ、逆」


 突然背後から聞こえた男の声に、飛鳥は振り向きレーヴァテインを突きつけた。


「誰だ!」


 そこにいたのは、アクセルとよく似た顔立ちの男だった。

 違いといえば髪の色とメガネをかけていないことぐらいか。

 首筋に剣を突きつけられているというのに、その男は微動だにしない。


「そんなに警戒しないでくれ、僕は敵じゃない」


 男を睨みつけたまま飛鳥が問う。


「逆と言ったな、どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。あの子たちは、物質世界だったかな? 君たちの世界にいたいのさ」

「何……?」


 訝しむ飛鳥に男は微笑んだ。

 レーヴァテインを握る手がピクリと動く。

 警戒心からではない。

 もっとこう、何といったらいいか。

 アクセルとほとんど瓜二つな顔が、にこやかな、人当たりの良い笑みを浮かべている。


 リーゼロッテや他の皆にもこんな風に接してくれればいいのに……。


 思わずそんなことを考えてしまった。

 気を取り直し、再び男と向き合う。


「あいつらを知ってるなら、この世界に戻るよう説得してくれないか? 俺はアクセルを連れて帰りたいんだ」


 飛鳥の言葉に男は視線を逸らした。


「そうしてあげたいけど、あの子たちはこの世界じゃ中々に不自由な生活をしててね。それにほら、言うだろ? 可愛い子には旅をさせよって」

「悪いが、それは叶えてやれない」

「そんなに酷いことを言わないでやってくれ。皆泣きそうにしているよ?」


 一瞬だけ獣たちへ目を移す。

 ヴァナルガンドは今にも飛びかからんと姿勢を低くし、ミドガルズオルムとヘルも恨めしそうに飛鳥を睨んでいた。


「……いや、全然──」

「それとも、屍人に人の気持ちを理解するのは難しいかな?」

「屍人?」


 頭が割れるように痛み崩れ落ちる。


「がっ……ぐぅ……!」

「随分と上等だね、君は。個が扱いきれぬほど膨大なエレメントに精霊の瞳、それに……おっと、そんなものどこで捕まえたんだい?」


 全身がガタガタと震える。

 本当に死体になってしまったかのように、全身から熱が失われていくのを感じた。


「違う……! 俺、は……」

「そうやって苦しんでいるのが何よりの証拠さ。さてと……」


 男は飛鳥の服に手を入れ霊装を取り出すと、興味深げに眺めた。


「変わらないな、ヒトは。いつだって、こちらの予想を超えてくる」

「やめ、ろ……」


 霊装を取り返そうと手を伸ばす。だが──


「僕も一応は親なんでね。悪く思わないでくれ」


 微笑んだまま、男は霊装を粉々に砕いてしまった。


「あっ……」


 体の中で、『何か』が激しく燃え上がる。

 それはルフターヴがレーヴァテインに封じた筈の──。

 直後、飛鳥は立ち上がり男を掴み上げた。

 この状況にあっても男は笑みを崩さない。


「似たのを知ってるけど、これほどとはね」

「飛鳥は俺のものだ。こいつは俺と共に宇宙を破壊する。神如きが手を出さないでもらおうか」


 飛鳥の口から、普段からは想像もつかないほど低く、地鳴りのような声が吐き出された。

 光を失った瞳で男を睨みつけ、力を強めていく。

 しかし、すぐに手を離し身を翻したかと思うとレーヴァテインを取り上げた。


「くそっ……こんなの聞いてないぞ、ニーラペルシめ……!」

「大丈夫かい? 屍人くん?」

「違う!」


 レーヴァテインで体を支えながら飛鳥が叫ぶ。


「確かに俺は一度死んだ。今の俺は人間でも獣人でもない、神界の操り人形なのかもしれない。でも、アクセルを助けたいと思ったのは俺の意思だ! 俺自身が決めたことだ!」

「だからそれが──」

「黙れ!!」


 今度こそ自分で立ち上がり、床をしっかりと踏みしめる。


「俺はもう迷わないと決めたんだ! 体が、力が偽物であっても心だけは俺のものだ! 俺はアーニャと、皆と一緒にこの世界を変える! 俺は屍人じゃない、この世界を救う、『英雄』だ!!」


 全身に雷が迸り、レーヴァテインが黄金に輝いた。

 天をも裂くほどに渦を巻く雷に、ヘルは怯えたような表情を浮かべアクセルを抱きしめた。

 男が観念したように息をつきゆっくりと近付いてくる。


「分かった、分かったよ。君の気持ちは本物だ。お詫びに、こんなのはどうかな?」


 続けて飛び出した言葉に、飛鳥は一層警戒心を強めた。


「彼の体も返す。その子たちも物質世界に送り届ける。それなら戦力を失うことなく、君の目的を達成できるだろう?」


 男は表情を変えない。

 その言葉に偽りは感じられない。だが──


「そんな話に乗ると思うか?」


 湖で出会った老人の言葉を思い出す。

 いや、それ以前にそんなことをすれば……。


「誰かに吹き込まれたのかな? この世界の者の言うことを聞いてはいけないって」


 動揺を見せまいと、ソフィアから受けた説明を口にする。


「……そもそも物質世界とこの世界は存在する物質量が常に等しくなってなきゃならない。全員を物質世界に送ったんじゃそれが崩れてしまう」

「それのどこに問題が?」


 アッサリと答える男に飛鳥は怒りを見せた。


「問題しかないだろ! アクセルの代わりに誰かがこの世界に送られてしまう! 誰かを犠牲にしたと知ったら、それこそあいつは戦えなくなる、生きていけなくなる! そんなことをさせる訳にいくか!」

「彼を助けたいと言っていたのに、誰かも分からない犠牲まで気にするのかい? 君は」

「当たり前だろ!」


 ようやく男の表情に変化が見られた。

 まっすぐ口を結び、鋭い目つきで飛鳥を見つめた。

 怒りとは違う。違う、が──


「なっ!?」


 突如放たれた威圧感に思わず後退った。

 男が一歩進むごとに、自然と足が引いてしまう。

 攻撃してはならない、戦ってはならないと全身が訴えかけてくる。

 すぐに獣たちの目の前まで追い詰められてしまった。

 そこへ三度激しい揺れが起こり膝を折る。


「また地震か……?」


 視線を戻すと、男も辺りを見回していた。


「本当にヒトには困ったものだ」

「どういう意味だ……?」


 飛鳥の問いを無視し、男が腕を伸ばす。

 その手の平に見慣れない記号のようなものが浮かび上がった。

 急いで立ち上がり叫ぶ。


「待て! まだ話はついてないぞ!」

「えっ……?」


 足元に八芒星が描かれた円が現れ、光が飛鳥たちを包み込んだ。


「期限は特に決めないよ。その時が来たら、代わりに送ってほしい」

「精霊って……彼らはもう物質世界にはいない! どうしろっていうんだよ!?」


 男が先ほどまでと同じ微笑みを浮かべ首を振る。


 物質世界に残っている精霊がいるのか……?


 直後床が崩れ、大きな穴が飛鳥たちを飲み込んだ。

 縁に立ち男が告げる。


「見た目より優しい子たちだ、大事にしてやってほしい」


 まだ聞きたいことがある。

 レーヴァテインを壁に突き刺そうとしたが、そのまま真っ暗な闇に沈んでいった。

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