第八十九話 伝承の世界へ③

「ソフィアさん……」


 飛鳥は椅子に座り頭をかきむしった。


 アクセルの体を取り戻す──

 それは、ティルナヴィアの救済と同じくらい大切な……。

 いや、使命ではなく、願いにも等しいものだった。

 なのに、ようやく方法が見つかったと思いきやこの始末だ。


 僕はまた……誰かを傷つけてまで……。


 だが、自身の行動に後悔はない。してはならない。

 ここまで皆の気持ちを乱して、傷つけて。

 今更投げ出すなんて、足を止めるなんて、それこそ許されないことだ。


 だけど──


 アクセルとソフィアの顔が頭を過る。

 二人の心中を思い折れそうになる心を繋ぎ止めるように、血が出そうになるほど強く拳を握りしめた。


 今更迷うな!

 全ての責任は僕にある!

 アクセルの体も、ソフィアさんの心も、僕が──


「落ち着くのだ、飛鳥よ」


 慰めるように、マティルダは優しい口調で飛鳥を抱きしめた。


「貴様のせいではない。二人のことは知らなかったのだろう?」


 その言葉に首を振る。


「でも……それじゃダメだよ。マティルダ」

「……?」


 飛鳥の返事が意外だったのか、マティルダは首を傾げた。


「知らなかったで、済ませていい話じゃないんだ……。僕は二人を傷つけた……。その責任を、取らないと……」

「それは……。しかしだな……」


 そこへアーニャがこう述べた。


「あ、飛鳥くん。その……術式は読み取ったんだよね……? それなら、飛鳥くんが使って私とマティルダさんが伝承世界へ行くのじゃ、ダメかな……?」


 アーニャの提案にマティルダが目を輝かせる。


「おぉ! その方法があったな! 飛鳥よ、さっそくやるぞ!」


 しかし、飛鳥は再び首を横に振った。


「術式は分かったけど、伝承世界がどこにあるのか、どんな世界なのかまでは分からない。そんな場所へ二人を送るなんてできないよ」

「むっ、余たちでは頼りないと言いたいのか?」


 力量を低く見られたと感じたのか、マティルダは少し不満げな様子だ。

 飛鳥は、詰め寄るマティルダの頬に手を当てた。


「違うよ。二人とも大切な人だから、できるだけ危ないことはしてほしくないんだ。頼りたい時はちゃんと頼るから。ねっ?」


 マティルダが照れを隠すように口を真一文字に結ぶ。

 だが喜びを隠しきれず、尻尾がピンッと立ちゆらゆらと動き出した。

 さすがにその光景は我慢ならなかったのか、アーニャが二人の間に割って入った。


「そ、それじゃあ、私たちが術式を使って、飛鳥くんが伝承世界へ行くのなら問題ないよね?」

「え? それは……うーん……」


 飛鳥が言い辛そうな態度を見せる。


「それもダメなのか? 精霊術の一つや二つ、どうということはないぞ!」

「そうだよ、私だって精霊術の扱いには自信があるんだから」

「じゃあ……」


 と、飛鳥は拾い集めた紙の束を二人に差し出した。


「これが術式の内容だけど、どう?」


 アーニャとマティルダはしばらくそれを眺めていたが……。


「アーニャよ」

「はい」

「余たちからもソフィアに頼みに行くぞ!」

「はい!」


 手を握り合い大股で歩き出した。

 それに飛鳥が待ったをかける。


「ふ、二人ともストップ! とりあえずソフィアさんの返事を待とう。説得はそれからだ」

「何なのだこの術式は? これを考えたやつは異常だぞ異常」


 だからそれがソフィアさんのお父さんなんだけど……。


「飛鳥くんはこんな術式扱えるの……?」


 二人は半分泣きそうな顔でそう訴えた。

 気持ちは分からないでもない。


「僕も『精霊眼アニマ・アウラ』がなかったら全然分からないよ」


 やっぱり、ソフィアさんじゃないと……。


 二人が落胆する隣で、飛鳥は改めて決意を固めた。






「落ち着いた……? ソフィア」

「はい……ありがとうございますぅ……」


 リーゼロッテが作ったホットミルクを飲み干し、ソフィアは息をついた。


「ごめんなさい……取り乱してしまってぇ……」

「ソフィアが謝ることじゃないわよ」


 頭を下げるソフィアに、リーゼロッテが微笑む。


「でもぉ……アクセルさんに酷いことを言ってしまってぇ……」

「それは……」


 一転して顔が曇り、リーゼロッテも俯いてしまった。


 あいつのあんな顔……初めて見たなぁ……。


 アクセルの表情を思い出し、胸が締めつけられる。

 いつもはそんな風に見えないが、ずっと自身の罪と向き合い苦しんでいたのだろう。

 それに、今のアクセルは……。


「私はどうしたらぁ……」

「ソフィア……」


 答えることができない。

 いや、答えは既に決まっている。

 しかし今のソフィアに伝える勇気はない。

 その時だった──


「す、すみません……こんな時にぃ……」


 お腹が鳴り、ソフィアは恥ずかしそうに腹部を摩った。


「小腹が空いたわね。何か作るわ」


 台所へ行き、小麦粉と卵を手早くかき混ぜるリーゼロッテの手元を、ソフィアは手品でも見るかのように目を丸くしながら見つめた。

 それをフライパンに落とし形を整えていく。

 漂ってきた甘い香りに、ソフィアは鼻をヒクヒクと動かした。


「リーゼロッテさんは凄いですねぇ」

「そんなことないわよ」


 子どものように無邪気な笑顔を見せられ、リーゼロッテも照れ臭そうに笑う。


「はい、どうぞ」


 出来上がったパンケーキを口に運び、ソフィアは破顔した。


「美味しいですぅ♪ やっぱりリーゼロッテさんの手料理は最高ですねぇ♪」

「もう、大袈裟なんだから」


 しかしリーゼロッテは満更でもなさそうだ。

 二人ともしばらく無言で食べていたが……。


「ソフィア? どうかした?」


 半分ほど食べ終わったところでソフィアの手が止まってしまった。

 リーゼロッテが首を傾げる。


「こんなに美味しいものが食べられないのはぁ……辛い、ですよねぇ……」


 返事に困っていると、ソフィアはリーゼロッテをまっすぐ見つめ問いかけた。


「リーゼロッテさんはぁ、アクセルさんのことぉ、どう思ってますかぁ?」

「私、は……」


 答えはもう、決まっている。

 飛鳥たちと出会った時から──いや、それよりもずっとずっと前から。

 でもソフィアは今、父親のことを思い出し傷ついている。

 そんな彼女へ一方的に想いを伝えるなんてできない。したくない。

 なのに、感情が溢れ出てしまって。


「私はずっと、あいつのことが分からなかった……」


 言葉を探すように、ゆっくりと話していく。


「事件のことは、人から聞いて知ってた……。私も同じ目に合うんじゃないかって、怖かった……。でも、一緒に過ごして、聞いてた話と全然違って……」


 何とか伝えようと、必死に思いを巡らせる。


「誰にでもすぐ突っかかるし、いっつも偉そうだし、口も悪いけど……。私に、だけは、優しくて……」


 全てを知って願ってしまった。

 希望を持ってしまった。

 それはきっと、アクセルも同じで──


「フラナングでの生活がずっと続くなら、それでもいいかなって思ってた。でも、今は……全部知ったから……今は……」


 真剣な表情で、ソフィアを見つめ返す。


「あいつの体が元に戻って……一緒にご飯が食べられたらって……食べてほしいって思ってる……。だから……」


 リーゼロッテはソフィアに頭を下げた。


「お願い……! あいつを元に戻してやって……! 必ずっ、私も一緒に罪を償うから! ちゃんと生きて、償わせるから! だから、お願い……!」

「リーゼロッテさん……」


 ソフィアがリーゼロッテの手を握る。


「私は……怖いです……。アクセルさんがじゃありません……。父の術式は、皆さんを……殺してしまうかも知れません……」

「そんなことさせない! ソフィアなら大丈夫だって信じてる! それに──」


 自分とアクセルを救ってくれた、希望を持たせてくれた、誰よりも信じられる『英雄』がいるから──


「飛鳥がいる! 飛鳥なら皆を助けてくれる。私は、そう信じてる」

「分かりました……」


 ソフィアは残ったパンケーキを一気に食べ終え、立ち上がった。


「飛鳥さんたちを呼んできてください。実験を始めましょ〜♪」

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