第八十八話 伝承の世界へ②

 涙を流しながら虚空を見つめるソフィアをアクセルが睨みつける。

 彼女の手から落ちた紙をもう一度拾い上げ、飛鳥は体を震わせた。


 こんな……ことが……!?


「ぼ、僕、は……」


 どうして、今の今まで『精霊眼アニマ・アウラ』はこの情報を読み取らなかった……!?

 事前に知っていれば、こんなことは……!

 伝承武装を作ってほしいだなんて、頼まなかったのに……!


 段々と飛鳥の顔が青ざめていく。

 膝を折る飛鳥をアーニャとマティルダが支えた。


「飛鳥くん!? どうしたの!?」

「大丈夫か!? しっかりせよ! 飛鳥!」

「こんな……つもりじゃ……」


 アクセルへ視線を送る。

 それに気付いたアクセルは、怒りとも哀れみとも取れる表情を浮かべ話し始めた。


「てめぇが気に病むことじゃねぇ。いずれは明らかになっていた……それが早まっただけのことだ」

「でも……!」


 縋るように手を伸ばす飛鳥に、アクセルが首を振る。


「こっからは俺とソフィア・ラプラスとの話だ。てめぇらは引っ込んでろ」


 アクセルが再び口にした名に、ソフィアはゆっくりと後退っていく。

 しかし、すぐに壁際に追いやられてしまった。


「アクセル……やめてくれ……!」


 飛鳥が今にも泣き出しそうなほどに顔を歪め請うがアクセルは振り向かない。

 アクセルはソフィアの前に腰を下ろすと、彼女の襟元を掴み上げた。


「何故そこまで拒む? てめぇの大好きな実験だろう?」

「ちっ、違……。わ、私はぁ……」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、ソフィアが呟く。

 ソフィアを見つめるアクセルの顔に先ほどまでの怒りは見えない。

 だが、絶対に従わせるという執念のようなものが感じられた。


「さっきも言った筈だ。てめぇに拒否権は──なっ!?」


 直後、アクセルの体が宙を舞い、棚に叩きつけられた。

 降ってきた資料の山を払い、アクセルが怒鳴る。


「何をしやがる! マティルダ!」

「何を、だと? 貴様らは余と飛鳥の民だ。故に、これは貴様らだけの問題ではない。全てを話せ」


 と、マティルダがソフィアの前で仁王立ちした。

 アクセルの足元からドス黒いエレメントが立ち昇っていく。


「何だ? 余と戦う気か?」

「あぁ、邪魔をするなら容赦はしねぇ」

「フンっ、貴様が余に勝てるとでも──」

「皆やめてくれッ!!」


 飛鳥の怒鳴り声に、二人は動きを止めた。


「僕が……僕が分かる範囲のことは話す……。だから頼む。一度落ち着いてくれ」


 ソフィアを椅子に座らせようと、彼女の体を抱き上げる。

 アクセルは納得がいっていないようで、詰め寄ろうとしたが──


「あんたも座りなさい。……私の言うことでも聞けない?」


 リーゼロッテに腕を掴まれ、渋々椅子に腰を下ろした。


「リーゼロッテ……ありがとう」


 礼を述べる飛鳥に、リーゼロッテは微笑み首を振った。


「飛鳥よ。これは一体どういうことだ? 貴様は何を知っている?」


 最初にそう尋ねたのはマティルダだ。

 アーニャとリーゼロッテがそれぞれソフィアとアクセルに寄り添っているのを確認し、飛鳥は口を開いた。


「僕が間違ってた……。伝承武装があれば、多少は不利を覆せると思って……だけど……!」

「だからてめぇの判断はどうでもいい。遅かれ早かれ、俺はこの事実に辿り着いてたよ」


 謝る飛鳥に対し、アクセルは呆れたように返した。

 項垂れる飛鳥にアーニャが声をかける。


「私は飛鳥くんの判断が間違ってるなんて思ってないよ。帝国や王国に対抗する為には、伝承武装が──」

「そうじゃないんだ、アーニャ」

「え……?」

「アクセルとソフィアさん。二人の前で、伝承武装の話をしたこと自体が間違いだったんだ」


 飛鳥の意図するところが分からず、アーニャとマティルダは顔を見合わせた。


「……二人の伝承武装の設計図、これが全部教えてくれた」


 ソフィアがギュッと目を瞑る。


「八年前にアクセルが受けた第八門の実験と、伝承武装を造る時に使う術式は、ほぼ同じ構成をしてる。つまり──」

「そういうことだ」


 飛鳥の言葉を遮ったのはアクセルであった。


「伝承武装は俺が受けた実験を応用して造られている。そして、その実験を主幹していたやつの名はスヴェン・ラプラス。……ソフィアの父親だ」


 聞きたくないというようにソフィアが耳を塞ぐ。

 アーニャは震える彼女を落ち着かせようと両肩に触れた。


「俺の記憶は間違ってなかった。軍の施設にいた時に、俺は一度そいつに会っている。……いや、見かけたって方が正しいか」


 そう言いながらアクセルはメモの束を取り出すと机の上に放り投げた。

 メモを眺め、その内容に目を疑った。


「お前……隠れ里の人たちに……!」

「あぁ、喜んで協力してくれたぜ」


 ニタリと笑うアクセルの襟をマティルダが掴む。


「貴様! 今ロマノーに侵入させるなど何を考えている! 民に被害が出たらどうするつもりだ!」

「うるせぇ……」


 アクセルはマティルダの手を振り払うと、


「もう、そいつ以外、頼る相手がいねぇんだよ……」


 そう呟いた。

 彼の言葉にマティルダが怪訝そうに目を細める。

 すると、ソフィアが下を向きながらもポツポツと話し始めた。


「アクセルさんの、言う通りですぅ……。で、伝承武装はぁ、伝承世界から力を借りることで使用者の戦闘能力を向上させる武器でぇ……。そ、それがぁ……アクセルさんの場合はぁ……」


 そこまで述べ、言い淀むソフィアの代わりにアクセルが続ける。


「俺の場合は、獣共を伝承世界から引っ張り出した代償で、体の中身のほとんどが向こうに囚われてるって訳だ」


 二人の話にリーゼロッテとマティルダは唖然とした。


「伝承世界……!? 本気で言ってんの!? あんた!」

「そうだ! 余も子守唄代わりに母上から色んな話を聞いた、だがそれらは単なる御伽噺に過ぎん!」

「いいえ……」


 ソフィアがゆっくりと首を振る。

 とても辛そうに、今にも崩れ落ちてしまいそうになりながらも、ソフィアは続けた。


「空の彼方にあるともぉ、地の底にあるとも言われる伝承世界ですがぁ……わ、私の父はぁ……かつていた精霊たちが辿り着いた世界が伝承世界と考えてぇ……。そ、そこにぃ、到達する為の研究をしていましたぁ……」

「それじゃあ、ソフィアさんのお父さんは……」


 ソフィアが小さく頷く。


「せ、正確な場所は今でも分かりません〜……。で、でもぉ……この物質世界と伝承世界を繋げる術式を開発したんですぅ……」


 彼女の話を聞き終えたアクセルは全員の顔を見渡した。


「話は終わりだ。スヴェン・ラプラスはもうこの世にいねぇ。ソフィア、俺の体を取り戻す為にあの実験を再現しろ」


 再びソフィアが嗚咽を漏らす。

 アクセルはアーニャを押し除け、ソフィアの肩を掴んだ。


「やりたくありません……。ひ、人を使った実験なんてぇ……」

「何度も言わせんな! あの術式が使えるのはもう、てめぇしか──」

「あ、貴方が奪ったんじゃないですかぁ! 父は……し、仕事ばかりでぇ、私やお母さんに何もしてくれませんでしたぁ……。でもぉ……私にとってはぁ……! どうして父を殺した貴方にそんなこと言われなくちゃいけないんですかぁ!」

「──ッ!」


 アクセルが真っ青になりよろめく。

 リーゼロッテが支えようとしたが、アクセルはそのまま部屋から出ていってしまった。

 部屋がしんと静まり返る。

 アーニャもマティルダも、そしてリーゼロッテも黙ったままだ。

 そんな中、飛鳥は──


「あいつの体を取り戻す為には、誰かが伝承世界へ行かなきゃいけない。そうですね?」

「飛鳥くん……?」


 床に散らばっていた紙に一通り目を通し、飛鳥はソフィアの前に膝をついた。


「僕が伝承世界に行きます。だからお願いします。その術式を使ってください、ソフィアさん」


 飛鳥の頼みに全員が言葉を失った。

 裏切られたと感じたのかもしれない。

 光を失った瞳で、ソフィアは飛鳥に尋ねた。


「あ、飛鳥さんはぁ……そこまでして戦争に勝ちたいんですかぁ……?」

「僕はロマノーやスヴェリエに勝ちたいとは思ってません。この戦争を終わらせたいだけです。……それに、これは戦争の為とか僕が王だから頼んでるんじゃありません」


 ソフィアが首を傾げる。


「あいつは、僕の大切な仲間だから。あいつに……リーゼロッテのご飯を食べてほしいんです」

「私の……?」


 リーゼロッテの問いに飛鳥はしっかりと頷いた。

 その瞳に迷いはない。

 理解に苦しんでいるのか、ソフィアは口元を歪めた。


「僕は……幸いなことに、身内を失う経験をしたことがありません。だから、ソフィアさんの気持ちが分かるなんて言えないし、言うべきじゃないと思ってます。でも──」


 と、飛鳥がソフィアの手を力強く握る。


「好きな人が作ってくれた料理を食べられる喜びは知ってるつもりです。あいつにもそれを感じてほしい。償いだって、自分の体で罪を背負っていくべきだと僕は思います」


 ソフィアは何も答えない。

 ボーッと、握られた手を眺めている。


「ソフィアさん……!」

「少しぃ……考えさせてください……」


 飛鳥が手を離すと、ソフィアはリーゼロッテに付き添われ部屋を後にした。

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