第八十七話 伝承の世界へ

 ソフィアが伝承武装の製作に取りかかってから二週間ほどが経った。

 完成が待ち遠しいのか、マティルダは毎日のようにソフィアの部屋へ足を運んでいるようだ。

 アンカーやニーナの助力もあり、砦の建設や霊装の開発も順調に進んでいる。

 そんな中、飛鳥はというと……。


 まぁ、こうなるよなぁ……。


 目の前に堆く積まれた書類の山を見つめ溜め息をついた。

 書類のほとんどが住民からの要望や苦情だ。

 プライバシーが確保されていないとか、隣人が夜でも騒がしいとか、道をちゃんと整備してほしいとか、日本でもよく見聞きしていた内容ばかり。

 だが、書類の量や内容はそこまで問題ではない。


 一番の問題は、獣人に比べ人間からの訴えが圧倒的に多いという点だ。


 それもその筈。

 エールは古くからの慣習や獣人独自の掟によって国が成り立っている。

 もちろん法律もある程度整備されてはいるが、これまで人間との共存を頑なに拒んできた影響で、人間に適用するのが難しいものも多い。

 その歴史を否定するつもりも、獣人の文化を否定するつもりもない。

 しかし今後はそれだけでは足りないのだ。

 精霊使いでもない人間が、掟に従って獣人と決闘をしたところで結果は目に見えている。

 戦時中だからといって放っておいていい問題ではなかった。

 両方に適用できるように法改正して、集落ごとに司法機関を作る必要もあるだろう。


 中央でのまとめ役は……キタルファさんぐらいしかいないよなぁ。


 胃がキリキリと痛む。

 仕事量や王としての責任からではない。

 いつもいつも無理難題を振ってきてはキレ散らかしていた、もう会うことはないクソブラック上司。

 今の自分は、あいつと同じになっていないだろうか。

 終わりの見えない戦争の中で皆不安を抱えている筈だ。

 なのに仕事を振るばかりで、ろくに労うこともできていない。


 飛鳥はもう一度溜め息をつき、カップを手に取った。


「あれ? ……淹れてくるか」


 席を立とうとするが、ノックの音に動きを止める。


「どうぞー」

「失礼いたします、陛下」


 そう言って入ってきたのはニーナであった。


「もうすぐお昼ですよ。リーゼロッテが準備していますので食堂へ」

「もうそんな時間ですか、ありがとうございます」


 ニーナと共に食堂に向かっていると、扉の一つが開きフラフラとおぼつかない足取りでソフィアが姿を見せた。

 そして二人と目が合うと、連れていってくれと言わんばかりに廊下にへたり込んだ。

 仕方ないですねといった調子でニーナが微笑み腰を下ろす。


「主任、大丈夫ですか?」

「お腹が空きましたぁ……」

「ソフィアさん、掴まってください」

「ありがとうございますぅ……」


 二人でソフィアを担ぎ食堂へ入ると、既にアーニャとマティルダの姿が。

 声をかけようとしたが、マティルダは飛鳥を見るとアーニャの後ろに隠れてしまった。


「あ、飛鳥よ。違うぞ? 余もちゃんと見回りとかしていたからな?」

「ん、大丈夫。分かってるよ」


 飛鳥が笑うと、マティルダも安心したように息をつく。

 実際はあまり大丈夫ではないのだが……。

 そう、問題は住民だけではなかった。

 執務に就いてみて分かったが、どうもマティルダは書類仕事が好きではないらしい。

 昼間は何かと理由をつけては出かけ、夜は相変わらず飛鳥との添い寝を巡ってアーニャと格闘を繰り広げていた。

 この素晴らしく自由な感じ、さすがは猫科だ。


 今の生活がずっと続くならそれでもいいんだけどなぁ……。


 ティルナヴィアの救済もいずれは終わりがやってくる。

 いや、終わらせなければならない。

 その時の為にも、マティルダにはきちんと国政に関わってもらう必要がある。


「マティルダ、午後だけど──」

「アーニャよ! 飛鳥と話したがっていたな! 許す、午後はゆっくり話をするがよい!」


 仕事の話をしようと飛鳥が口を開くと、マティルダは慌ててアーニャの方を向いた。


「え?」

「は、はい。えっと……バタバタしてたから、色々伝えられてないことがあって……」


 と、アーニャが『神ま』の表紙を撫でてみせる。


「分かった。昼が終わったら話そ」

「うん」

「ソフィアさん。二人の伝承武装はどうですか?」


 次は、さっそくリーゼロッテにおかわりを求めているソフィアに声をかけた。


「あ、あー……もうちょっと……。い、一週間くらいあればお渡しできると思いますぅ……」


 そう答えるソフィアは目が泳ぎ、先日とは打って変わってどこか後ろめたさすら感じさせる。


「主任がそこまで時間がかかるなんて珍しいですね」

「……お二人はぁ、エレメントの強度が桁違いなのでぇ、調整に時間がかかってましてぇ……」


 本当にそれだけだろうか?


 普段とは違うソフィアの態度に、そんな疑問を抱いてしまった。

 しかし他の皆は気付いていないのか、マティルダが上機嫌に笑う。


「分かるぞソフィアよ! 余のエレメントを最大限活用できる武器などそうそうないからな! まだ時間はある、ゆっくりやるがよい!」

「はい〜……」


 やはりどこか歯切れの悪いソフィアを、飛鳥は訝しむように見つめた。






「アーニャ、『神ま』が更新されたの?」

「うん。ごめんね、すぐに伝えられなくて」


 謝るアーニャに、飛鳥は笑顔で首を振った。

 お互い忙しくしていたのは事実だし、皆の前で神界の話をする訳にもいかない。


「それで、更新された内容なんだけど……!」


 アーニャが真剣な表情を見せる。

 飛鳥も思わず息を呑んだ。

 そして、次の瞬間──


「読めなかった飛鳥くんのページが読めるようになったの!」


 アーニャはガッツポーズをし飛び跳ねた。


「僕の情報が……?」

「うん! メテルニムスと『黒の王』の影響がなくなったからだと思う!」


 心の底から嬉しそうに告げ、アーニャはソファへ腰を下ろす。

 彼女の心情を考えるとこっちまで嬉しくなってしまった。

 すぐ隣に座り頭を撫でると、アーニャは頬を赤らめつつも微笑んだ。


 本来であれば、一番始めに告げられるべきだった『神ま』の内容──

 神々の役目を果たせず、アーニャはそのことをずっと気に病んでいた。

 それこそ、神格の剥奪を受け入れてしまうほどに。


「もしかしたら、もう『精霊眼アニマ・アウラ』で見てるかもしれないけど……」


 その言葉に再び首を振る。

 アーニャに嘘をつくつもりはない。

 事実、『終焉の王フィニス・レガリア』が封じられたからか『黒の王』が黙ったからか、あれ以来自分のことだけは視ることができなくなっていた。


「アークについては割愛するけど、他にも色んな能力が与えられてるんだよ。まず基本的な戦闘だけど、厳密には飛鳥くんは剣士じゃなくて、斬る、断つことで対象を破壊する力で、それを実現する為の道具がレーヴァテインだね」


 ふんふんと頷くと、アーニャは凹凸の少ない胸を思いっきり張り、舞台の主演女優のように腕を伸ばした。


「そしてエレメントについては何と! 既に第八門に到達してるの! マティルダさんやアクセルさんにも負けない強度と純度だよ! 担当女神として鼻が高いな〜♪」


 歌うようにそう告げるアーニャであったが……。


「ただ、特異能力シンギュラースキルが……うーん……」


 急に意気消沈したように『神ま』と睨めっこし始めた。


「僕の特異能力シンギュラースキルがどうかしたの?」

「うん、書かれてるまま伝えるね。飛鳥くんの特異能力シンギュラースキルは──」


 説明を終えたアーニャも、それを聞かされた飛鳥も、揃って首を捻った。


「それ、いつ使えばいいの……?」

「うーん……でもこう書いてあるし……」


 アーニャもお手上げな様子だ。

 だがこればかりはどうしようもない。


「ま、まぁ……必ず使わないといけない訳じゃないから……」

「そ、そうだね」


 二人が途方に暮れていたその時──


「今のは、ソフィアさん?」

「行ってみよう」


 女性の悲鳴が聞こえ、二人は部屋を飛び出した。


「ちょっとあんた! 何やってんのよ!?」

「そうだ! 落ち着け! アクセル!」


 ソフィアの部屋に入った飛鳥とアーニャは目を見張った。

 床には紙が散乱し、怒りを浮かべるアクセルをリーゼロッテとマティルダが必死に抑えている。

 視線の先には、蹲り嗚咽を漏らすソフィアの姿があった。

 飛鳥とアーニャが駆け寄りソフィアを抱きしめる。


「アクセル! 何のつもりだ!?」

「うるせぇ! おいソフィア! 何をしてやがる! さっさと準備をしろ!!」


 ガタガタと震えながらソフィアが拒否を示す。


「ふざけんな!! この時をどれだけ待ったと思ってんだ!!」

「落ち着いてくれ! 一体何が──」


 直後、床に散らばる紙から『精霊眼アニマ・アウラ』が情報を読み取った。

 そこに書かれていたのは──


「まさか……そんな……!」


 震える手で紙を取り上げる。

 それを見たソフィアは飛鳥から紙を引ったくり体の下に隠してしまった。


「嫌……嫌ですぅ……わ、私にはぁ……」

「てめぇに拒否権はねぇ! ……もうお前しかいねぇんだよ……! ソフィア・リスト……いや──」


 嫌な予感に全身を締めつけられ、飛鳥が叫ぶ。


「やめろ! アクセル!」

「ソフィア・ラプラス!! あの実験を、もう一度やってもらうぞ……!!」


 その言葉に、ソフィアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

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