第八十五話 勢揃い②

 い、息ができない……!


 目も鼻も口も塞がれ、飛鳥は状況の把握どころか呼吸すらできなくなってしまった。

 自身を捕らえている「何か」を掴み返すが全く動かない。

 柔らかく温かな感触だけが伝わってくる。


 何が起きて……!? くそ、ここで倒れる、訳には……。


 意識が朦朧とし、アーニャの顔が浮かんできた。

 かなりまずい状況の筈だが、思い出されるのはアーニャと出会ってからのことばかりで──


 あぁ、そうか……。

 一回死んで、人間じゃなくなったから、日本にいた頃のことは、もう……。


 こんな状況だというのに感慨に浸っていると、マティルダとアーニャの声が鼓膜を叩き、「何か」を剥がそうとしてくれているのか、体が前方に勢いよく引っ張られた。


「ソフィア! 余の夫に何をするか! 早く離れよ!」

「そうです! それにどこを押し付けてるんですかソフィアさん!?」


 え? ソフィア、さん?


 ロマノーで出会った霊装開発のスペシャリストであり技術開発局の主任技師。そして──


 てことは、僕の顔を覆っているのは……。


 彼女の美しい顔とマティルダよりも大きな胸を思い出し、顔が熱くなっていく。

 思わず力が抜け前のめりになる飛鳥の体をカトルが抱きしめた。


「もう少しの辛抱です! 踏ん張ってください! 我が王!」

「痛い痛い痛い!!」


 ソフィアの抵抗で爪が頭にめり込み悲鳴をあげるが、聞き取ってはもらえなかったようだ。

 三人は尚も全力で飛鳥とソフィアを引っ張る。


「だから痛いって!!」


 次の瞬間、視界が明るくなるのと同時に体が後ろに持っていかれ、カトルを押し潰すように床に倒れた。

 飛鳥はゆっくりと上体を起こし


「いってぇ……。あ、カトルごめん! 大丈夫か!?」


 謝り、カトルを起こそうと手を握る。

 しかし彼は安心したように微笑み手を握り返した。


「いえ、ご無事で何よりです。我が王」

「うぅぅ……。飛鳥さぁん……」


 涙声に振り向くと、ソフィアはアーニャとマティルダに両腕を捕まれながらも、助けを求めるように床を這い飛鳥を見つめている。

 三人の形相も相まって、軽いホラーサスペンスのような光景だ。

 飛鳥は慌てて駆け寄り、ソフィアの前に膝をついた。


「ソフィアさん! どうしてエールに?!」


 飛鳥が問うがソフィアは目で訴えるばかりで何も答えない。


「えと……もう、抱きついてきませんか……?」


 念の為だが聞いておかないとまた一悶着ありそうだ。

 ソフィアが何度も頷くのを見て、飛鳥はアーニャとマティルダに離すよう促した。


「ありがとうございます。僕も戻ってきたばかりで分からないことが多いんですけど、良ければ話を聞かせてもらえませんか? どうしてソフィアさんがエールに?」

「それは、ですねぇ……」


 言い辛そうにしているが、顔色は随分良くなっている。

 少しは落ち着いてくれたらしい。


 その時だった──


 ソフィアが飛び込んできた扉から何本もの黒い帯が現れ、彼女に向かって勢いよく飛びかかった。

 反射的に眼帯を外し、帯の群れを掴み上げる。


「この精霊術は……!」

「どうしてその女がエールにいるか、だと? そんなの決まってんだろうが」


 扉の方から響く低い声に、飛鳥とアーニャは顔を上げた。

 そこに立っていたのは──


「アクセル……」

「アクセルさん!」


 アーニャが嬉しそうに駆け寄る。

 アクセルはアーニャの腰に下げてある『神ま』へ目をやり


「ふん、うまくいったようだなァ」


 口の端を吊り上げた。


「はい!」


 と、アーニャも微笑む。

 だがアクセルの姿を見た途端、ソフィアは短い悲鳴をあげ身を翻すと飛鳥の背に隠れてしまった。

 アクセルの表情が一転して怒りに染まる。


「おいソフィア。てめぇ、また玉ねぎ残しやがったな?」

「へっ?」


 彼の口から出た言葉に、飛鳥は間の抜けた声を出してしまった。


 何、その親子みたいなやり取り……。


「あ、あの人がぁ……私を誘拐してここまで連れてきたんですぅ……」


 ソフィアが震えながらアクセルを指差す。


「誘拐……!? アクセル、お前何を──」

「私もアクセルくんに連れてきてもらいましたよ」


 アクセルを問い詰めようとしたところに割って入ったのはニーナであった。

 しかし誘拐と連れてきてもらったでは真反対だ。


「ニーナさんも……?」

「はい!」


 いまいち状況が飲み込めずアクセルに視線を送ると、彼は何回も見せたことのある、こちらを馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「何だその面は。帝国からしたら、俺とリーゼロッテは反逆者みてぇなもんだ。そういうのを相手に一番効果があるのは身内だろうが」

「あっ……」


 それじゃあアクセルは、ニーナさんを助ける為に帝国に……?


 心配したのが伝わったのか、アクセルが面倒くさそうに口を開く。


「てめぇらと別れた後に寄り道しただけだ。それ以降はここから出てねぇよ。そっちの鳥共はてめぇの為に甲斐甲斐しく情報を集めてるみてぇだがな」

「僕らは臣下として当然の務めを果たしているだけです」

「毎日毎日飛鳥の為に色々やってるのはどこのメガネマンだったかな? かな?」


 クララがニヤニヤしながら述べるが、アクセルは無視し続けた。


「ソフィアは、まぁついでだ。だが、そいつの技術があれば数で負けている共和国の戦力も補えるし、帝国の研究開発を遅らせることもできる。それにニーナさんも──」

「お義母さん」

「……。二人は元々中央で上司と部下だったそうだ。十分戦力になると思わねぇか?」

「それは、そうだけど……」


 それより今、ニーナさんが妙なツッコミを入れてた気がするけど……。


 いや、こういう場合は無視するに限る。

 いくら王でも個人間の事情に口を挟む権利はない。


 するとニーナの方から飛鳥に近付いてきた。

 アクセルも嫌な予感がしたのか部屋から去ろうとするが、入り口にはいつの間にかアンカーの姿が。

 アンカーとマティルダが親指を立て合うのを見て、飛鳥はげんなりと肩を落とした。


「初対面でこのようなご相談をするのは失礼だと思ったのですが、陛下はアクセルくんと友人だと聞きましたので……」

「はぁ……。な、何でしょうか……?」

「ちょっと待ってくれ。俺とそいつは友人じゃない」


 そういう話はできれば女性同士、マティルダやアルネブにしてもらえるとありがたいんだけどなぁ……。


「マティルダ様やアルネブ様にもご相談したんですが、アクセルくんがお二人の言うことを聞いてくれなくて……」


 それはそうだろうなぁ……。

 てかもう相談済みか……。


 そうなるとこの状況は必然だ。

 覚悟を決め、想像はつくがニーナの話を聞くことにした。


「それで、相談というのは……」

「はい……」


 ニーナの表情は真剣そのものだ。

 それもそうだろう。

 可愛い娘に関することだ。

 真剣にならない方がおかしい。


「アクセルくんが、私をお義母さんと呼んでくれないのです!」

「……はい?」

「だってリーゼロッテの夫なら私の義理の息子ですよね!? なのに……! それどころか最初はリーゼロッテにまでさん付けしたり敬語で話したりと他人行儀で……そこだけは直してもらえたんですが……」


 どうしよう、とてつもなくどうでもいいなんて考えてしまった。

 順序が逆なのだ。

 二人が互いに素直になり、進展さえすれば自然とニーナの望む通りにもなる。

 今そんなことを言ったところで……。


「だからお母さん! 私とアクセルはそんなんじゃないって何回も言ってるでしょう!?」


 ほら、こうなるんだから。


 アクセルはというと、リーゼロッテに否定されショックを受けているのか、それともただただ面倒くさがっているだけなのか、解釈し辛い表情を浮かべている。だが……、


「……ソフィア、部屋に戻ったらちゃんと玉ねぎ食ってから仕事しろ。いいな」


 それだけ言うと、影が全身を包み煙のように消えてしまった。


 だからお前はソフィアさんの何なんだよ……。


「あぁ! また……」

「ニーナさん。タイミングを見て、一応伝えてはみますので、少し時間をください」

「はい、ありがとうございます。陛下」


 ニーナが安心したように頭を下げると、今度はソフィアが飛鳥に訴えてきた。


「あのぅ……玉ねぎ、食べないとダメでしょうかぁ……? 嫌いなんですけどぉ……」


 そもそも猫に玉ねぎってダメじゃなかったっけ?


「ソフィアさん、玉ねぎ美味しいですよ。私も一緒に食べますから食べましょう!」


 アーニャが勇気付けようとするが、ソフィアは首を振る。


 アーニャには猫を飼わせないようにしないと……。


「それより猫人族って玉ねぎ食べて平気なんですか?」

「猫と猫人族は違うので食べるのは別にぃ……」

「余は好きだぞ! 玉ねぎ!」


 そういうものなのか。


「それだけじゃないんですぅ! 毎日同じ時間に寝起きさせられてぇ、朝はいらないって言ってるのに三食しっかり食べさせられてぇ、仕事中も水を飲まされたり休憩取らされたりぃ。私嫌いって言ってるのに城の人に頼んで毎日お風呂にも入らされてぇ! こんなの虐待ですぅ! これじゃ研究が進みません〜!」

「えっと……」


 それは凄く良いことじゃないか?

 僕のサラリーマン時代なんて……思い出したら泣きそうだ。

 あいつ、意外と人の管理に向いてるのか?


「アクセルはともかく、良いことなのでその生活習慣は続けてください。城の皆にも伝えておきますね」

「えっ……」


 ソフィアの顔が絶望に染まる。

 飛鳥はそんな彼女を真剣な眼差しで見つめた。


 この状況は嬉しい誤算だ。

 彼女なら、いや、恐らく設計から開発まで全て……。


「ソフィアさん。アクセルを抑えておく代わりに、頼みを聞いてもらえませんか?」

「な、何でしょうかぁ……?」

「『八芒星オクタグラム』が持っている伝承武装。あれをアクセルとマティルダに作ってもらいたいんです」

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