第八十四話 勢揃い
「ヴィルヘルムの……?」
飛鳥が眉を寄せる。
しかしマティルダはそれ以上答えようとしない。
その表情は怒りもだが、どこか拗ねているようにも見えて。
「マティルダ?」
呼びかけるが、ふくれっ面でそっぽを向かれてしまった。
代わりにカトルが口を開く。
「では僕が説明いたしましょう。マティルダ様、久しぶりの再会に水を差されたお怒りは分かりますが、これも我が王の務め。どうかご理解ください」
するとマティルダは気恥ずかしそうに頬を赤くした。
「わ、分かっている。……余が少々大人げなかった、許せ」
ボソボソと謝るが、尻尾はだらんと下がり、寂しがっているのが丸分かりだ。
そんな姿を見せられると何だか申し訳なくなってしまう。
飛鳥が声をかけようとすると、突然アーニャがマティルダを抱きしめた。
マティルダが嫌そうに体を捩る。
「何をするか。離せ、アーニャ」
「飛鳥くんたちの話が終わるまでは私がこうしてますから安心してください。──ん〜リーゼロッテちゃんに勝るとも劣らないこの毛並み、幸せ〜」
「どこを触っている! 離せと言っているだろう!」
マティルダが腕をバタつかせるがアーニャはビクともしない。
アーニャってこんなに力強かったっけなんて考えつつ二人に手を振り、カトルへ向き直った。
カトルも苦笑いを浮かべていたが……
「失礼いたしました。我が王がご不在にされていたこの四ヶ月の間に、ロマノーとエスティを始めとした周辺国の関係に大きな変化が生じたのです」
と、話し始めた。
「ヴィルヘルム・ヒルデブラントが帝位に就いて以来、ロマノーは周辺国へ侵攻し支配下に置いてきました。とはいえ各国の権利や政府はそのままにし、積極的に干渉しようとはしてこなかったのですが……」
カトルの目つきが鋭くなる。
「二ヶ月ほど前、突如ロマノーは各国に政府の解体を指示し、今後はロマノーの者が内政を行うと言い出したのです」
その言葉に飛鳥は耳を疑った。
「待ってくれ、それじゃ──」
「えぇ、ロマノー領への併合です。当然各国はこれに反対しました。その結果……」
カトルが目を伏せる。
その結果が、ハリンで見たことなのだろう。
いや、ハリンの人たちは命があっただけまだましだ。
恐らく、他の国では……。
「初めはどの国も抵抗を見せていたのですが、『
「ヴィルヘルム……!」
飛鳥は呻くようにその名を口にした。
どうしてだ。
どうして、そこまでする必要がある。
すぐにでもセントピーテルに乗り込みたい気持ちに駆られるがそれはできない。
望んだことではないとはいえ、今はエールの王としてやらなければならないことがある。
飛鳥が口をつぐんでいると、マティルダがアーニャに抱かれたまま声をかけた。
真剣な面持ちだが、くすぐったそうに身を震わせている。
「しかし此度のロマノーの動きはいまいち解せん。今周辺国との関係を崩せばスヴェリエとの戦いに支障が出る筈だ。現にスヴェリエの保護下に入った国もある」
「うん、元々ロマノーの方が劣勢だったみたいだし……。状況を悪化させるだけだと思うけど……」
二人の疑問に対し、カトルがこう続けた。
「それなのですが、各国からセントピーテルに人を集めているようです。ただ練兵を行っている様子はなく、セントピーテルに入った後の足取りも掴めていません」
「どういうことだ?」
飛鳥の問いに、カトルが首を振る。
「……集められた人たちがどうなったのか、引き続き調べてくれないか?」
「もちろんです、お任せください」
説明を受けている内に王城が見えてきた。
入り口にアルネブとキタルファが立っている。
「おかえりなさいませ、飛鳥様」
「ご帰還、お喜び申し上げます。陛下」
二人が深々とお辞儀をするのを見て、飛鳥も慌てて頭を下げた。
「た、ただいま戻りましたっ。長く留守にしてすみません」
そんな飛鳥へキタルファが耳打ちする。
「我々だけならともかく、民の前では毅然としていただかなければ求心力の低下を招きます」
「は、はい……」
表情も声の響きも不機嫌そのもので、全く隠そうともしていない。
キタルファの態度に飛鳥は苦笑いを浮かべた。
これだけ人間を連れてきたんだ、怒って当然だよなぁ……。
「飛鳥様、私たちは皆さんの受け入れがありますのでこちらで。後ほど改めて伺います」
「はい、よろしくお願いします」
「ハリンの者たちよ。入国の手続きを行う故、こちらへ」
ハリンの人々を連れていく背中を眺め、
「キタルファさん、やっぱり怒ってるよね……?」
飛鳥はマティルダに尋ねた。
だがマティルダは気にするどころか楽しげに笑っている。
「それだが、後で面白い話を聞かせてやろう。行くぞ、他の者も待っているからな!」
広間に入ると、そこにはアンカーとクララに初めて見る女性が一人。そして──
「飛鳥! アーニャ! おかえり!」
「リーゼロッテちゃん!」
二人の姿を見るや、リーゼロッテが駆け出した。
アーニャも駆け寄るが……、
「にゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!??」
リーゼロッテが伸ばした両腕を回避するようにプロスポーツ選手顔負けのスライディングを見せ、リーゼロッテの尻尾にしがみついた。
「リーゼロッテちゃん久しぶりだね〜会いたかったよ〜」
「どこに話しかけてんのよ!? ちゃんと顔見て言いなさいよ!」
懐かしささえ感じるやり取りに、アーニャが顔を上げ「えへへ」と笑う。
リーゼロッテも嬉しそうに微笑んだ。
「ただいま、リーゼロッテ。元気そうで良かった」
「飛鳥もね。……何か、逞しくなってない? 剣もちょっと変わってるし」
「うん、色々あってね」
どこから話そうか迷いながら口にすると、リーゼロッテは「そっか」と笑った。
そこへアンカーとクララが跪く。
「ご帰還をお待ちしておりましたぞ、陛下」
「二度目だけどおかおかー」
「た、ただいま戻りました。あの、そういうのは……」
二人に顔を上げるよう頼んでいると、先ほどの初めて会う女性が近付いてきた。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません、陛下」
「えと、失礼ですが貴女は……?」
切れ長の瞳に、鼻が高く整った顔立ち。
長く明るい茶髪を赤いリボンで結んだその女性もまた、飛鳥へ深々と頭を下げた。
「リーゼロッテの母、ニーナ・カルツと申します」
「リーゼロッテの、お母さん……?」
そう名乗る女性に、飛鳥とアーニャは顔を見合わせた。
リーゼロッテとニーナは顔つきも髪色も似ておらず、何より……。
「リーゼロッテちゃんって、純血じゃ……?」
アーニャが言った通り、どう見てもニーナは人間だ。
「うん、お父さんとお母さんは私が小さい頃に死んじゃって、しばらく国の施設にいたの」
「ご、ごめんなさいっ! 辛いこと、思い出させて……」
アーニャが慌てて謝るが、リーゼロッテは気にしていないようだ。
「私は時々リーゼロッテがいた施設の手伝いをしていまして、この子を引き取ることにしたんです」
「そうだったんですか……失礼しました」
「謝らないでください、陛下。むしろお礼を申し上げたいくらいで」
「お礼?」
飛鳥が尋ねると、ニーナは「はい」と嬉しそうに頷いた。
「またリーゼロッテと一緒に暮らせるなんて夢のようです。こんなに大きく、益々可愛くなって。陛下もそう思われますよね?」
「え? は、はぁ……」
いきなりそんなことを尋ねられ、生返事になってしまったがニーナは満足げだ。
どうやら相当な親バカらしい。
ニーナに頭を撫でられ、リーゼロッテが恥ずかしそうに手を掴む。
「お、お母さん! 皆いるから……!」
しかしニーナは手を止めず、更にはアーニャも立ち上がり耳を撫で始めた。
「はい! リーゼロッテちゃん、すっごく可愛いです!」
「ですよね! 小さい頃から本当に可愛くて……!」
二人はすっかり意気投合したようだ。
何を言っても無駄だと悟ったのか、リーゼロッテは顔を赤くし黙ってしまった。
「そうだ。マティルダ、ニーナさんもだけど人間の受け入れについては……」
思い出しマティルダに声をかけると、彼女はニヤーっとアンカーの方を向いた。
アンカーが恥ずかしそうに笑う。
「アンカー、飛鳥が聞きたがっているぞ?」
「マティルダ様っ。……いやぁ、面目ない話でして」
「何があったんですか?」
アンカーは言い辛そうにしていたが、
「アクセルに負けてしまいましてな。やつの言う通り、人間の受け入れを始めたのです」
やがてそう述べた。
「アクセルに?」
「ロマノーと周辺国のことはお聞きになられましたな? 国を追われた者たちがスヴェリエと我々に助けを求めてきましてな。獣人はともかく人間はとキタルファが猛反対したのですが、アクセルが今後の為にも種族関係なく受け入れろと言い出しまして」
その先はクララが続けた。
「キタルファ様は戦闘よわよわだからな〜。代わりにアンカー様がメガネマンと戦ったんだけど一発でノックアウト、鮮やかすぎてマティルダちゃん大爆笑だったんだ〜」
思い出したのか、マティルダが大声で笑う。
「キタルファはショックで三日ほど寝込んでしまったが、敗者に反対する権利はない。そして今に至るといった具合だ」
「マティルダがアクセルと戦うって選択肢はなかったの?」
答えは分かっているが、一応聞いてみた。
「余は人間の受け入れに反対していないからな! そんなことを言い出したら貴様と会えなくなってしまう!」
「まさかアクセルがあれほど強いとは思いませなんだ。おまけに何を思ったのか、獣人のことが知りたいとキタルファに師事しましてな。更には文句を言う者を片っ端から叩き伏せてみたり、国軍を創って儂に元帥をやれと言ってみたり。何を考えているのやら」
エールに戻ったらやろうと思っていたこと、そのほとんどが既に行われていることに飛鳥は驚きを隠せなかった。
何より、それを主導したのがマティルダではなくアクセルとは。
「余たちが何か言っても貴様の為と言うからカトルもクララもうまく乗せられてしまってな! 貴様も初めて会った時は不思議なやつだと思ったが、アクセルは貴様以上だぞ!」
「マティルダちゃん、それは見せかけだぞ。たまたま一致しただけなのだ」
そう訴えるクララにマティルダが微笑む。
何だか、肩の力が抜けてしまった。
そしてそれ以上に……。
「そっか、あいつが」
自然と口角が上がってしまう。
「アクセルは今どこに?」
「この時間ならば自室にいると思うが」
「ありがとう。カトル、案内してくれるか?」
「もちろんです、我が王」
カトルを連れ、アクセルの部屋に向かおうとしたその時、扉が勢いよく開く音に一同の視線が集中した。
そこから桃色の塊が凄まじい速度で向かってくる。
「我が王!」
カトルが鋭い声をあげるが、次の瞬間、柔らかい感触と共に視界が真っ黒に染め上げられた──
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