第八十二話 八芒星の射手

 救済すべき世界へと通じる真っ暗な空間。


 この空間を通るのももう三回目だ、焦りや恐怖は微塵もない。

 それよりも──


『貴方にも期待していますよ、飛鳥』


 むず痒さを感じ、手で顔を覆った。


 初めて向けられた、含みのない微笑みと柔らかく優しい声。


 僕はまだニーラペルシのことを完全に信用した訳ではない。

 メテルニムスも言っていたが、下位神や英雄に落ちてこない情報が多すぎる。


 まぁ、分かるよ?

 会社組織でも平社員に展開されない話は山ほどあるし。

 でも、上位神はまた少し違うというか……。

 アークのことといい、隠す必要のない情報までアーニャたちに伝えられていない。だから……。


 ……それなのに。

 僕って、こんなに単純な人間だったかなぁ……。


「飛鳥くん、どうかした?」


 アーニャの手を握っている方にも力が入ってしまったのか、彼女は心配そうに尋ねてきた。


「ううん、大丈夫だよ」

「そう? ならいいけど……」


 アーニャはまだ少し不安そうな顔をしていたが、何かに気付いた様子を見せニンマリと笑う。


「どうしたの?」

「もしかしてニーラペルシ様とのこと、照れてる?」

「えっ!? それは……」


 視線を逸らすが、アーニャはからかうような笑みを浮かべたまま顔を近付けてきた。


「えへへ、ありがとね。飛鳥くん」

「う、うん……」


 恥ずかしくてアーニャの顔を見ることができない。


 この時間は嬉しいけど、今回だけは早く着いてほしいな……。


 その時──


「ん? 今のは……?」


 『精霊眼アニマ・アウラ』が違和感を訴えてきた。

 「何か」を読み取った筈なのに情報が浮かび上がってこない。


 何だ……? 今の感覚は……?


 レーヴァテインと自身の体を視るが『黒の王』が動いた気配もなさそうだ。


「あ、もうすぐだね!」


 考え込んでいるとアーニャが声をあげた。

 視線を移すと地面が見える。


「皆元気にしてるかな?」

「うん、早く会いたいね」


 そして、二人は地面に降り立ったが……、


「ここは……?」


 と、飛鳥は辺りを見渡した。

 石畳が敷かれ舗装された道に、レンガ造りの家々。

 どう見てもエールとは異なる風景だ。


 何が起きたんだ……?

 ティルナヴィアの情報はニーラペルシの『神ま』にも書かれている。

 なのに違う場所に出るなんて……。


 また試練だとかヌカして意地悪されている可能性も頭を過ぎったが、すぐに否定した。


 あいつはティルナヴィアの担当は僕らだとハッキリ言っていた。

 今更邪魔したところで双方にメリットはない。


 先ほど感じた『精霊眼アニマ・アウラ』の違和感を思い出す。


 あれは内側からじゃない、

 ということは、誰かが邪魔をしたのか?

 でも、そもそもそんなことが可能なのか……?


 目を細め唸る飛鳥の隣で、アーニャの顔が段々と青ざめていく。


「あ、飛鳥くん! これはその……偶然だと思うの!」

「な、何が……?」


 突然大声を出され、飛鳥は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。


「ニーラペルシ様が間違われることなんてないと思うけど、私たち神々も完璧じゃないから……」


 ニーラペルシの名前が出たことで合点がいった。

 また彼女のことを無能とか意地悪とか言い出すと思われたらしい。

 アーニャを安心させる為にこう伝えた。


「ニーラペルシのせいだなんて思ってないよ。こんなことしてもあいつにメリットはないし」

「ほ、本当に怒ってない……?」


 上目遣いなアーニャの可愛さに口元が緩んでしまうのを手で隠し頷く。


「本当だよ。それより、ここからエールへ向かう道を探さないと」


 安心してくれたのか、アーニャはホッと息をつき『神ま』を手に取った。


「そうだね! 任せて、今の私には『神ま』があるから!」


 神格が戻ったのがよほど嬉しいのか、手にした『神ま』を高々と掲げる。

 しばらくページを捲り、アーニャは「良かった」と呟いた。


「ここはエスティ共和国のハリンって町みたい。帝国の同盟国だけど、一時間もあればエールまで行けるよ」


 飛鳥も安堵の溜め息をついた。


 王国や帝国の領内だったらどうしようかと思ったが、それなら一安心だ。

 それにしても……。


「誰もいないね」

「え? ……そういえばそうだね。誰も住んでないのかな?」

「いや……」


 建ち並んでいる家々はどれも綺麗にされているし、比較的新しいものもある。

 とても廃墟とは考えられない。

 真上を向くと、陽光が燦々と降り注いでいる。

 時間的に仕事に行っている人も多いだろうが、それでも子どもや年寄りの一人もいないのはやはり妙だ。


「気になるけど……しょうがない、エールに向かおう」

「うん」


 街の様子に気持ち悪さを感じつつ、二人は歩き出した。

 しかし、すぐに──


「あ、飛鳥くん!? どうしたの……?」


 いきなり路地裏に引っ張り込まれ、アーニャは顔を赤くした。

 飛鳥が唇に指を当てる。

 その顔は面倒くさそうというか、苦々しいもので。


「やっぱりこんなことかよ……」


 と、独りごちた。


「え?」


 首を傾げるアーニャに対して、飛鳥は眼帯を外し無言で通りを指差す。

 アーニャが視線を移すと、そこには──


「あれは、帝国軍……!?」


 黒い軍服を着た男女が十数名、広場に集まっていた。

 彼らに囲まれるように町の住人らしき人々もいる。

 皆不安げな様子だ。


「ここって、帝国の同盟国なんだよね?」

「うん、『神ま』にはそう書かれてるけど……」


 飛鳥はジッとアーニャを見つめ、


「アーニャ、攻撃用の精霊術で援護してくれ」


 レーヴァテインに手をかけた。

 アーニャが驚いたように目を見開く。


「あれ!? 攻撃術式も使えるようになったのはまだ伝えてないと思うけど……?」


 彼女は少しの間不思議そうにしていたが、


「そっか。飛鳥くんは私のこと、いつも見てくれてるもんね」


 そう微笑んだ。

 照れ臭くなり頬をかく。


「分かった。気をつけてね」

「うん、アーニャも」


 飛鳥は路地を飛び出し、一番近くにいた兵士を弾き飛ばした。

 あまりの素早さに兵士も住民も何が起きたのか分からないといった反応だったが……、


「峰打ちだ、骨は折ったが死ぬことはない」


 飛鳥が告げた途端、兵士たちは武器を構え怒鳴った。


「貴様何者だ! エスティの兵ではないな!?」

「俺は通りすがりの……。いや、お前たちに名乗る必要はない」

「ふざけるなァ!!」


 剣や槍を手に兵士たちが向かってくる。

 だが飛鳥がその間を駆け抜けた直後、呻き声すらあげず地面に倒れ込んだ。


「このっ……!」


 背後から残った数人が襲いかかってきたが、飛鳥は振り向かない。

 アーニャが放った光の剣に貫かれ、全員気絶してしまった。

 飛鳥が手を振り、アーニャも路地から出ようとした、正にその時であった──


「ッ!?」


 『精霊眼アニマ・アウラ』が警告を発し、レーヴァテインを振り上げる。


「ぐぅっ!?」


 飛来した風の矢を受け止め、飛鳥は苦悶の表情を浮かべた。


 重い……! それに、どこから……!


 体を捻り軌道を逸らす。

 更に飛来した二本の矢を雷撃で受け止め、弾かれるように後ろへ飛んだ。


「飛鳥くん!」

「大丈夫! アーニャはそこを動かないでくれ!」


 再び路地に隠れ目を凝らす。


 弓士……!? でも、さっきは何も──


「……はぁっ!?」


 『精霊眼アニマ・アウラ』が示した数値に飛鳥は唖然とした。


「一キロ……!? スナイパーライフルならともかく弓でそんな射程あり得ないだろ!」


 次の攻撃を警戒しながら、路地から少しだけ顔を覗かせる。

 『精霊眼アニマ・アウラ』は町中で一番高い時計塔を指していた。

 歯を食いしばり、『神ま』を取り出す。


『時計塔に弓士がいる。防御術式を張りながら皆を避難させてくれ』

『飛鳥くんはどうするの!?』

『もちろん、弓士を倒す。このままじゃジリ貧だ』

『…………分かった、無理だけはしないでね』


 『神ま』をしまうと、飛鳥は全身に雷を纏い走り出した。

 弓士が飛鳥の動きに気付いたのか、エレメントが収束していく。

 三度風の矢が放たれるが──


「なっ!?」


 途中で六本に分かれ、それぞれが別の軌道を描き始めた。


 何でもありかよ……!


 心の中で吐き捨て、全ての情報を読み取っていく。

 一度に襲われないよう細い道へ飛び込むが、早速矢の一本が飛鳥の背後を取った。

 更に速度を上げ、距離を保ちながら駆けていく。

 やがて十字路が見えてきた。

 レーヴァテインを鞘に戻し、そして、


「はっ!」


 プロ野球選手もかくやといったヘッドスライディングで十字路に飛び込む。

 次の瞬間、右から飛び出してきた矢と背後の矢が頭上でぶつかり爆風を巻き起こした。


「痛っ! ……まずは二本!」


 爆風に煽られた背中が痛みを訴えるが飛鳥は足を止めない。

 残った四本の矢が、まるで獲物を狙う鳥のように上空から前後左右を取り囲む。

 一瞬だけ視線を移し、飛鳥は大通りへ出て足を止めた。

 ここぞとばかりに矢が一気に降り注ぐ。

 ギリギリまで引きつけ、思いっきり地面を蹴った。

 飛鳥を仕留め損ね、矢は束になり一直線に向かってくる。

 それに微かに笑みを浮かべた。


「咆哮せよ──レーヴァテイン!」


 鞘から引き抜くと同時に激しい雷を放ち、矢を全て消し飛ばした。


「ふぅ……」


 息を整え時計塔を見上げる。


「……」


 『精霊眼アニマ・アウラ』に手を当て、飛鳥は外壁を駆け登り始めた。

 弓士がいる最上部まで十秒弱。

 最後の一歩を踏み込むと同時にレーヴァテインを構える。

 飛び上がり、既に目の前まで迫っていた矢を叩き落とした。


「まじかよ……」


 酷く疲れ切った様子の声が響く。

 そこには、やや猫背気味で気怠そうな顔をした男が立っていた。

 先の苛烈な攻撃からは想像もつかないほどやる気を感じさせない男だが、その手にあるのは──


「伝承武装……!? お前、『八芒星オクタグラム』か」


 銀色に緑のボタニカル柄が彫り込まれた弓は、エミリアのシグルドリーヴァと同じ輝きを放っていた。

 すると男は片側だけ眉を上げ、


「ん……? おたく、どっかで会ったっけ?」


 そう尋ねてきた。


「いや。他の『八芒星オクタグラム』とちょっと知り合いでな」


 飛鳥の言葉に、男は不思議そうに顎を摩る。


「『八芒星俺たち』を知ってるのに邪魔するってのはよく分からんなぁ……。何者よ? おたく」

「……相手が相手だ。今回は、敢えてこう名乗らせてもらおうか」


 レーヴァテインを突きつけ、飛鳥は男を睨みつけた。


「俺はエールの王。雷帝、皇飛鳥だ」

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