第八十一話 三度戦場へ

 この一週間は、まさに至福のひと時であった──


 寝室こそ別ではあったが、洗濯や掃除をアーニャと分担してやったり。

 毎食、彼女と一緒に料理をしたり。


 それだけではない。

 アーニャが好きな場所に連れていってもくれたし、同じ頃に生まれたという他の神々から彼女の昔話を聞くこともできた。

 しかも行く先々で──ニーラペルシはそんなことしないだろうから、ユーマイヤが噂を広めているのかも知れないが、恋人だ夫婦だと言われ照れるアーニャの可愛さといったらもう……!


 しかしそこで調子に乗る僕ではない。

 ブラック企業に勤め、時には上司から理不尽に詰められることもあったが、周りからの基本的な評価は「素直で仕事の覚えが早い」であった。

 もちろん、なるべく嫌われないように、目立たないようにと努力した結果であるが……。


 いや、そんな自分を偽っていた頃の思い出話なんてどうでもいい。

 言いたいのは、一応人並みの学習能力があり、ニーラペルシの言いつけを守っているということだ。

 やたらとアーニャに気持ちを伝えたり、無理に迫ったりしないよう細心の注意を払っている。

 思わず「可愛い」とか言ってしまったことはあったが、アーニャも言われ慣れてきたのか素直にお礼を言ってくれた。

 アーニャとの関係も良好だし、心身共に英気も養えた。

 いよいよ、ティルナヴィアの救済再開だ。


 気持ちも新たにルフターヴの神殿に行くと、彼は大きな皮の袋を持ち荷造りをしていた。

 どうやらどこかへ出掛けるようだ。

 そこへニーラペルシもやってきた。

 手にはユーマイヤのクリーニング店で見た袋を持っている。


「アニヤメリア、これを。ユーマイヤからです」

「ありがとうございます。でも、これは……?」


 受け取り、アーニャは首を傾げた。

 もう預けている洗濯物はない筈だ。

 ニーラペルシはというと、不機嫌なのか納得がいっていないのか、若干口元がへの字に曲がっている。


「彼女にはもう少し聖装を真面目に扱ってほしいものです。私たちが帰った後に思いついたと言っていました」

「は、はぁ……」


 袋の中身を確認し、アーニャはニーラペルシの顔色を窺うように上目遣いで見つめた。

 だがニーラペルシはすぐにいつもの無表情に戻り、ルフターヴへ声をかけた。


「ルフターヴ、レーヴァテインを受け取りにきました。できていますか?」


 声に気付いたルフターヴが三人の方を振り向き笑う。


「お前たちか。もちろんじゃ、儂を誰だと思っとる」

「冗談を言ってみただけです」


 ニーラペルシって冗談とか言うんだ……。


 ルフターヴは益々楽しそうに笑い、レーヴァテインを差し出した。


「抜いてみろ、驚くぞ」

「は、はい」


 自信満々な様子で見てくるルフターヴの前で、鞘からレーヴァテインを引き抜く。

 今までとの違いに、心臓が飛び上がるほど驚き飛鳥は目を見開いた。


 まるで体の一部になったかのように無駄な重さを感じない。

 生まれた時からこの手の中にあった、そんな感覚だ。

 輝きを放つ黒い片刃の剣身と、レーギャルン──菱形の金属によって作られた鍔、黄金に染まった柄。

 ルフターヴがこれを本来の姿だと言っていた意味が唐突に理解できた。

 こいつと一緒なら断てないものなどない。

 そんな気さえしてしまった。


「凄い……! ありがとうございます!」


 レーヴァテインをマジマジと見つめ、ルフターヴへ礼を告げる。


「良い反応じゃ! 本気を出した甲斐があったわい!」


 興奮する飛鳥を見て、ルフターヴも膝を叩き笑った。そして──


「それじゃあ、そいつの新しい名前じゃが──」

「新しい名前?」


 そう告げるルフターヴに飛鳥が聞き返す。


「おぉとも、お前さんにはできんかも知れんが、破壊の後には必ず再生や誕生がつきもんじゃ! お前さんとアニヤメリアがやるのはその下地作りじゃな!」

「下地作り……」


 ティアナやアルベルト、イストロスの人たちの顔が思い浮かんできた。


「という訳で、そいつの名前は今日からレーヴァテイン・ギムレーじゃ!」

「レーヴァテイン・ギムレー……」


 新たな名を呟くとレーヴァテインも気に入ったのか輝きが増した、気がする。

 飛鳥は微笑み、柄を握る手に力を込めた。

 ルフターヴも満足げに口角を上げる。

 そして、皮の袋を持ち立ち上がった。


「さて、儂もそろそろ行くかの。お前たちも気をつけてな」

「おや、貴方が出るということは『力の塊』が現れましたか」


 その言葉に耳を疑うが、ニーラペルシは至って冷静だ。


「それって、『黒の王』みたいなやつが現れたってことか!?」

「あぁ、儂の軍団はそっちがメインじゃからな」

「貴方の軍団は血気盛んな英雄が多いですからね」


 ニーラペルシの言葉に、ルフターヴは「全くじゃ!」と大笑いした。

 アーニャが頭を下げる。


「本当にありがとうございました! ルフターヴ様もお気をつけて!」

「おぉ! それじゃあな!」


 大地を揺らしながら、ルフターヴは去っていった。

 それを見送りニーラペルシが振り返る。


「私たちもアニヤメリアの神殿に戻りましょう」






 アーニャの神殿に戻った飛鳥とニーラペルシは、アーニャが着替え終わるのを待っていた。

 目の前には既にティルナヴィアへ向かう為の穴が開かれている。

 ニーラペルシと二人っきりという気まずさから、飛鳥は彼女から視線を逸らし考えごとに集中していた。

 エールに戻ったら、まずは国境警備隊を正式に国軍にして、同時並行で帝国と王国の状況を探る必要がある。


 僕やマティルダが全権を持つのはまずいから……トップはアンカーさんに頼むとして……。

 情報収集の方はカトルに任せたいけど、僕からずっと離れての仕事ってなったら嫌がるかな……。

 キタルファさんやアルネブさんには内政を担当してほしいから……。


 ……手が足りないな。

 各集落から人を出してもらうか、もしくは──


 ある人物の顔が頭を過るが、「いやいや」と頭を振った。

 あいつが素直に言うことを聞いてくれるとは思えないし、僕が言うのも何だがあいつは組織人には向いていない。

 完全に独立した遊撃兵辺りが適任だろうなぁ。


 そんなことを考えていると、ニーラペルシがクスリと笑った。

 ジッと飛鳥を見つめている。


「……な、何だよ……」

「いえ、ようやく自覚が出てきたというか、調子が戻ってきたようですね」


 こいつ、また人の考えを……。


「……なぁ、お前ってさ──」

「あ、あのー……」


 そこへアーニャが戻ってきた。

 照れたような笑みを浮かべている。


「ど、どうでしょうか? ユーマイヤ様がくださった服は……」

「可愛い……めっちゃ似合ってる……」


 先ほどまでの思考は完全に飛び、無意識に近い状態でそう呟いた。しかしすぐに、


「あっ……」


 と、ニーラペルシの方へゆっくりと振り向く。


「どうしました? 飛鳥」

「い、いや。何でもない……」


 今のはセーフだったようだ。


 アーニャの上着は、真っ白いハイネックとクリーム色のジャケットに変わっていた。

 材質こそティルナヴィアの文明レベルに合わせたものだが、その姿から目が離せなくなってしまって。

 アーニャって何でも似合うよなぁと自然と口角が上がる。


「よく似合っていますよ、アニヤメリア。ところで、どこに出たいですか?」

「ん? どこに出たいって?」

「最後の特例です。好きな場所まで送ってあげましょう」


 その提案に、アーニャは酷く慌てて頭を下げた。


「そのようなことまで……! ありがとうございます! ニーラペルシ様!」

「じゃあエール王城の近くに出してくれ」

「分かりました」


 ニーラペルシが『神ま』のページを捲りなぞる。

 見た目には変化はないが……、


「これで王城の近くに出られます」


 ニーラペルシは淡々とした調子で告げた。


「ニーラペルシ様、今回のこと、本当に感謝しています。必ずティルナヴィアを救済し戻ってまいります」

「えぇ、期待していますよ」

「はい! 飛鳥くん、行こ」

「あ、うん」


 だが飛鳥は穴に飛び込もうとしない。

 アーニャが心配そうに見つめていると──


「その、アーニャを助けるチャンスをくれたことや……色々と手伝ってくれたこと、ありがとう。ニーラペルシ」


 飛鳥が真っ赤な顔で述べた。


 恥ずかしすぎて視線が合わせられない。


 ニーラペルシが呆気に取られたように微動だにしないのを見て、益々恥ずかしくなってしまった。

 しかしアーニャの顔は段々と破顔していき、嬉しそうに飛鳥を見つめている。

 しばらくしてニーラペルシは、


「貴方にも期待していますよ、飛鳥」


 いつもより少しだけ優しい響きを返した。


「そ、それじゃあ、行ってくる」

「行ってまいります! ニーラペルシ様!」

「えぇ、気をつけて」


 飛鳥とアーニャは手を繋ぎ、ティルナヴィアへ繋がる穴の中に飛び込んだ。

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