第四章 エール共和国編②

第七十九話 Not 洗濯 But 水の神

 各世界と神々の神殿を行き来する真っ暗な空間を抜け、差し込んできた眩い光に飛鳥は目元を手で覆った。

 そこに広がっていた景色は──


「…………」


 周りを見渡し、アーニャの瞳から涙が流れる。


「アーニャちゃん……」


 微笑みながらステラが近付いていくが……、


「ひぇっ!? ど、どうしたの!?」


 天を仰いだ飛鳥がいきなり勢いよく腰の辺りで両の拳を握りしめるのを見て飛び退いた。


「やった……!」


 噛み締めるように喜びを口にする。

 瞳に映ったのは、元の姿を取り戻したアーニャの神殿であった。

 それが意味するのは、もちろん──


「飛鳥くん、本当にありがとう」

「ううん、アーニャが一緒にいてくれたからだよ」


 嬉しさのあまり、思わずアーニャの頭を撫でてしまった。

 アーニャは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻り涙を拭う。そこへ……、


「喜んでいるところ何ですが」


 ニーラペルシが声をかけてきた。


「何だよ。まだ何かあるのか?」

「神殿の修繕や改装などいつでもできることです。さして重要なことではありません」

「……何が言いたい?」


 まさか、難癖つけて神格を返さないつもりか?


 自然とレーヴァテインに手が伸びる。

 するとステラが飛鳥の両肩を掴んだ。


「スメラギくんっ! ニーラペルシ様にそんな言葉遣いダメだよっ! 相手は上位神様だよっ!?」

「知らん。俺はアーニャ以外に従うつもりはない」

「ちょちょちょ! 落ち着いて! ウェイトアモーメーーーント!!」


 振り払おうとするが、思った以上の怪力に舌打ちする。


 さすがは上位の英雄といったところか。

 だが──


 そんな二人のやり取りを他所に、ニーラペルシはアーニャへ手招きした。


「アニヤメリア、こちらへ」

「は、はい!」


 姿勢を正し、アーニャがニーラペルシの前に立つ。


「イストロスの救済、ご苦労様でした」

「いえ! ニーラペルシ様のお導きのお陰です!」


 緊張した面持ちのアーニャに、珍しくニーラペルシの口元が綻んだ。


「これからも、世界救済に全力を尽くしなさい。期待していますよ」


 と、ニーラペルシが差し出したのは──


「……!」

「どうしました? これは貴女の手にあるべきものですよ?」

「あ……は、はい!」


 まるで卒業証書を受け取る学生のように、アーニャは両手でそれを──『神ま』を受け取り、九十度頭を下げた。


「ありがとうございます! ニーラペルシ様!」


 心の底から嬉しそうに『神ま』を抱きしめるアーニャを見て、飛鳥も肩の力が抜けてしまった。

 ステラが二マリと笑う。


「スメラギくん、ニーラペルシ様が意地悪すると思ったでしょ〜?」

「いや、それは……」


 ズバリ言い当てられ、飛鳥は視線を右往左往させた。

 その様子をニーラペルシは無言で見つめている。


「飛鳥、次は貴方ですが」

「な、何だよ……」


 何とかステラを押し除け、決まりが悪そうにニーラペルシを見つめ返した。

 ニーラペルシが微笑む。


「貴方も知っているとは思いますが、神々にとって最も大切なものは神格と結びついている『神ま』です。それに比べれば神殿など些事だと言いたかったのですが──」

「わ、分かってる。それぐらい分かってるよ……」

「それならいいのですが」


 そう言いつつもニーラペルシは笑みを崩さない。


 くそっ、こいつ絶対楽しんでるだろ。


「話を戻しましょう。飛鳥、特殊な状況だったとはいえ貴方は一つの世界を救いました。本来であれば上位の英雄となり、私の軍団に加わってもらうところですが……」

「断る。アーニャ以外と組む気はない。何度も言ってるだろ」


 間髪入れず告げる飛鳥に、ニーラペルシの笑みが消える。

 飛鳥も身構えるが……。


「今後はともかく、貴方には引き続きティルナヴィアの救済を担当してもらいます」

「へっ?」


 思いも寄らない言葉に、飛鳥は素っ頓狂な声を出してしまった。


「不満ですか?」

「そうじゃないけど……」


 アーニャと一緒にいられるなら、断る理由はないけど……。

 こいつ、何か異常に優しくないか?

 後で無茶苦茶なこと言ってこないといいけど……。


「ニーラペルシ様、ありがとうございます。飛鳥くん、これからもよろしくね」


 ニーラペルシの腹の内が分からないのは気持ち悪いが、それ以上にアーニャが無事に神格を取り戻したことが嬉しくて。


「うん、僕の方こそよろしくね。アーニャ」


 と、二人は笑い合った。


 そうと決まれば……!


「すぐにティルナヴィアに戻ろう。エールの皆と合流しないと」

「うん!」

「あぁ、すぐには戻れませんよ。少し準備がありますので」

「「えっ?」」


 首を傾げる飛鳥に向かって、ニーラペルシが手を翳す。

 するとレーヴァテインが飛んでいき、彼女の手に収まってしまった。


「おい! 何すんだよ!」

「レーギャルンは『黒の王』の末端装置のようなもの。少し預かります。明日の朝迎えに来ますので、今日はゆっくり休みなさい」


 「本当に返してくれるのか?」、そう言いたげな飛鳥に向かって、ニーラペルシはもう一度手を翳した。


「痛っ!? 何、を……!?」


 飛鳥が膝から崩れ落ちる。

 右眼から金色の光が現れ、ニーラペルシに向かって飛んでいった。


「飛鳥くん!」


 アーニャが駆け寄り支えるが……、


「貴方はまだ下位の英雄、これは返してもらいますよ」


 ニーラペルシが自身の『神ま』に手を添えると、金色の光は『神ま』に吸収されていった。

 途端に右眼の痛みが消える。

 それで理解できた。


「『終焉の王フィニス・レガリア』を……!」

「覚醒したアークは上位の英雄にのみ許された力です。特例尽くしといえ、こればかりは許可できません」


 ニーラペルシを睨みつけるが交渉の余地はなさそうだ。

 アーニャに支えられながら、飛鳥は無言で立ち上がった。


「ではまた明日。ステラ、帰りますよ」

「はい! アーニャちゃん! スメラギくん! いつか必ずお礼するから! またね!」


 そう言って、二人は姿を消した。






 翌日──


 コーヒーを淹れるアーニャの元に、ニーラペルシが姿を現した。


「ニーラペルシ様、おはようございます。コーヒー、いかがですか?」

「おはようございます。そうですね、いただきましょう」

「はい!」


 テーブルに着くニーラペルシへ、アーニャはカップを差し出した。

 香ばしい香りが辺りを包む。


「ところで飛鳥はどうしました?」


 その問いに、アーニャはバツが悪そうにぎこちなく笑う。


「えーっと、それが……」

「ふぁ……アーニャ、おはよ〜。……ニーラペルシ、もう来てたのか」


 そこへ、寝癖がついた頭をかきながら飛鳥がやってきた。

 完全に休みモード、日曜朝の父親のような姿だ。

 ニーラペルシの眉が八の字に曲がる。


「ティルナヴィアの救済が残っているというのに、随分と気が抜けていますね」

「気を抜いているつもりはないんだけど……何か体が重くて……」


 彼女の指摘に、飛鳥は首を振った。

 ニーラペルシが溜め息にも似た吐息を溢す。


「考えなしに力を使うからです。『終焉の王フィニス・レガリア』やレーギャルンの反動でしょう」

「は……?」


 その応えに眉がピクリと動いた。


 だったらもっとちゃんとした装備をくれれば良かったじゃないか。

 『終焉の王フィニス・レガリア』を使ったのは、まぁ、言い訳できないけど……。


 飛鳥がテーブルに着くと、アーニャが「おはよう」と笑顔でカップを置いた。

 挨拶を返し、カップに口をつける。


「飲んだらすぐに支度しなさい。出かけますよ」

「出かける? どこに?」

「ユーマイヤのところです」

「ユーマイヤ? 誰……?」


 疑問を口にする飛鳥の隣で、アーニャの顔がパッと明るくなる。


「ユーマイヤ様! 嬉しいな〜お会いするのいつ振りだろ〜」


 アーニャが「様」をつけるってことは、上位神の一人なのかな?


「アーニャ、ユーマイヤって?」

「うん! 上位神様の一柱で水の神様なの! とっても優雅でお優しい方なんだ!」

「水の神……」


 初めて役割を持った神が出てきたな。

 そういえば、この二人ってそういう役割というか、あるのかな?


 そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいると、ニーラペルシの視線に気付いた。


 せっかくだし聞いてみようかな。


「なぁ、あんたやアーニャって──」

「ニーラペルシ様! あの、もちろんニーラペルシ様も優雅で気品があって、とってもお優しくって……私が一番尊敬してるのはニーラペルシ様ですから!」

「え?」


 その時、突然アーニャがニーラペルシのフォローをし始めた。

 どうやらアーニャはユーマイヤと比較されて彼女が拗ねていると思ったようだ。

 ニーラペルシがクスリと笑う。


「分かっていますよ。それと飛鳥、私は農耕の神、アニヤメリアは光の神です」


 やっぱり見抜かれてたか……。

 こいつ、読心術でも持ってるのか?


「ちなみにティルナヴィアで貴方が会ったユーリティリアは死を司る神ですから、あまり怒らせないように」

「え?」


 ユーリティリアってまつ毛がすごい派手だったやつだよな?

 どういう意味なんだ。

 キレると見境なく死をばら撒くようなやつなのか?

 最早邪神じゃねーか。


「ではそろそろ行きましょうか」


 と、ニーラペルシが立ち上がる。


「あ、あぁ」


 飛鳥とアーニャも後に続いた。




「これは……」


 神殿の外に出た第一印象は「のどかな田舎町」であった。

 辺りは緑で覆われ、その中にアーニャの神殿と同じ見た目の建物と、英雄の住まいと思しき家々が建っている。

 しかし神殿とは違い、家の建築様式はバラバラだ。

 バロック建築のような小さな城に、日本の武家屋敷。

 それだけではない。

 金属でできた球体のような家に、いわゆる未確認飛行物体と呼ばれるものをそのまま地面に突き刺したような家。

 英雄たちの出身地の特色が出ていて、見ていて飽きない光景だ。


 そこからしばらく進むと草原が見えてきた。

 大量の物干し竿が並び、色とりどりの服が風に吹かれている。

 その手前にポツンと置かれた机と椅子──そこに目的の人物が座っていた。

 少し退屈そうに頬杖をついている。

 だが飛鳥たちに気付くと、笑顔で手を振った。


「いらっしゃい、ニーラペルシ」

「二人の服を引き取りに来ました」


 ニーラペルシが引取り券のような紙を取り出す。


「クリーニング店……?」


 その様子に、思わずそんな単語が口をついて出てしまった。

 券を受け取った女性が飛鳥を見て微笑む。


「こんにちは、皇飛鳥。話はニーラペルシから聞いてるわ」

「え? じゃあ貴女が……」

「ユーマイヤ様! お久しぶりです!」


 そこへアーニャが割って入った。


「えぇ、アニヤメリア。大変だったみたいね。でも無事で良かったわ」


 そう言われ、アーニャが「えへへ」と頬をかく。


 浅葱色のポニーテールにタレ目で柔和な顔立ち。

 服こそ同じ一枚布の服を着ているが、厳格さは感じられず、神というよりは近所の優しいお姉さんといった雰囲気だ。


「ちょっと待っててね。袋はいる?」


 指先に灯った水色の光を振りながらユーマイヤが問う。


「いえ、マイバッグがあるのでこちらにお願いします」


 と、アーニャが布製の袋を手渡した。

 益々クリーニング店のようだ。

 少し待っていると、二人の服が空を漂いやって来たが……。


「そうだわ。袋の前に試着もしていって。サイズがあってるか心配だから」


 ユーマイヤの言葉にニーラペルシの表情が険しくなる。


「ユーマイヤ、また改造したのですか? 神と英雄の服を何だと思って……」


 しかしユーマイヤは照れたように笑い、こう返した。


「洗ってる時にピーンときちゃって。ふふ」

「じゃあ試着お願いします」


 アーニャがそう言うと、ユーマイヤが頷き手を振り、試着室が二つ現れた。

 渡された服を持ち、それぞれ試着室に入る。

 それからしばらくして……。


「おぉ……」


 新しい衣装が嬉しくて、飛鳥はマントを翻した。


「サイズは大丈夫みたいね」

「はい、ありがとうございます」


 詰襟の黒い上着は、左腕に雷の意匠が螺旋状に刺繍され、足元はスネまである黒いブーツに変わっていた。

 マントもボアは外され、代わりに獅子の顔が掘られた銀の留め具が追加されている。


 続いてアーニャが出てきたが……、


「ユーマイヤ様! 素敵な服をありがとうございます! ……って飛鳥くん、どうしたの?」


 首を傾げた。


「いや、だって……」


 アーニャが出てきた瞬間、思わず飛び退いてしまった。


 当然だ。


 白い上着とブラウンのショートパンツに変化はないが、ブーツは黒いショートブーツになり、右足だけが黒いオーバーニーソックスに包まれている。

 つまり左足は生足で……。


「あの、ユーマイヤ様」

「なぁに?」

「どうして左足に何もないんですか?」

「可愛いと思ったんだけど、ダメだったかしら?」

「そうではなくて……」


 可愛いよ? 最高だよ!

 でも生足って……刺激が強すぎないか!?

 綺麗すぎて直視できないよ……!


「ちょっとその、刺激がですね……」


 するとユーマイヤは真剣な表情で飛鳥に向き合った。


「何を言っているの? 飛鳥。貴方はアニヤメリアのことを愛しているのでしょう? 結婚したいと思っているのでしょう? アニヤメリアの為なら上位神の決定さえも跳ね除けるのが貴方という英雄でしょう?」


 飛鳥とアーニャ、二人の顔がどんどん赤くなっていく。


「結婚したら生足どころではないのよ? 生まれたままのアニヤメリアの全てを見て、触れて、何だったら口に含んだり舐め回したり──」

「わああああああああああああああああああ!!!?? ユーマイヤ様ストップしてください!!」


 アーニャは凄まじいスピードでユーマイヤの口を塞いだ。

 そのまま飛鳥の方を振り返り、涙目で見つめる。しかし……、


「ユーマイヤ様」


 飛鳥は赤くなりつつも、真面目な表情でユーマイヤの前に跪いた。


「飛鳥くん?」

「僕が間違っていました。貴女の仰る通りです。僕は、アーニャの全てがほしいです!! 生足ぐらい克服してみせます!!」

「飛鳥くんも何言ってるの!!?」


 アーニャは頭から湯気を出し、フラフラとニーラペルシの方へ寄っていく。

 そんなアーニャを保護するようにニーラペルシは抱きしめた。


「そうよ! その意気よ飛鳥! 結婚式には私も呼んでね」

「もちろんです!」


 ヒートアップする二人に、ニーラペルシは呆れたように溜め息をついた。


「そろそろ行きますよ。次がありますから」

「ん? 次?」


 「えぇ」とニーラペルシが頷く。


「レーヴァテインの回収に向かいます。ついてきなさい」


 ニーラペルシはアーニャの頭を撫でながら、さっさと歩き出してしまった。

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