第七十八話 帰還

 敷地内の隅っこにある倉庫の前で、アーニャは左手に調理された肉の乗った皿、右手には扇を持ち仁王立ちしていた。そして──


「ステラちゃ〜ん、出てきて〜。一緒にお肉食べよ〜」


 壁の隙間に近付くと肉を扇ぎ始めた。

 辺りに食欲をそそる匂いが漂う。

 しかしアーニャの呼びかけに返事はない。


「ステラ、誰もステラが悪いなんて思ってないから出てきてくれ」


 飛鳥も戸を叩くが、やはり返事はない。


「どうしよう……。こうなると長いからなぁ……」

「確か、一番長い時だと一ヶ月は出てこないんだっけ……?」

「うん……」


 頷き、アーニャは肩を落とした。

 飛鳥も同じ気持ちだ。


 風呂やトイレはどうするんだろうという疑問もあるが。

 イストロスに来てから既に三ヶ月近くが経とうとしている。

 ティルナヴィアでの全面戦争まで後三ヶ月と少し。

 早く戻ってエールを戦える状態にしないといけないのに、ここで更に一月も足止めされたら……。


 飛鳥の拳が雷を纏う。


「アーニャ、ごめん。力ずくでやらせてもらう」


 その言葉に、アーニャは慌てて飛鳥の前に立ち塞がった。


「待って! ステラちゃんは逃げ足がすっごく速いから……。ここで逃げられたら見つけられなくなっちゃうかも……」


 ステラは伝説の珍獣か何かだろうか。


「ちゃんと説得すれば分かってくれるから、私に任せて」


 そう言うと、アーニャは戸の前に肉の乗った皿を置いた。


「ステラちゃん、ご飯ここに置いておくね。それで、ティアナさんが今夜私たちのお別れ会をしてくれるの。ステラちゃんとも話したいって言ってたから、それまでに出てきてくれると嬉しいな」


 その姿は引きこもりの子どもを説得する母親のそれで……。

 どの世界も似たような問題を抱えてるんだなぁとしみじみ考えてしまった。


 アーニャは飛鳥の元に戻ると腰を下ろし、戸を眺め始めた。


「えっと、毎回こんな感じなの……?」


 無言でアーニャが頷く。

 すると、戸がゆっくりと開き、目にも留まらぬ速さで皿を引き込んでしまった。

 その光景にアーニャが少し安心したように頬を緩める。


「ご飯だけ持ってかれちゃったけど大丈夫なの!?」

「うん。酷いとご飯も食べてくれないから、今回は全然」


 訂正しよう。子どもと母親じゃなくて保護されたばかりの動物と飼育員だこれ。


「飛鳥くんは休んでて、私見てるから」

「いや、僕もここにいるよ」


 そう言って、飛鳥も腰を下ろす。


「その……アーニャと一緒にいたい、から……」

「えっ……。あ、う、うん……」


 アーニャは顔を真っ赤にし俯いてしまった。

 そのまましばらく互いに無言で座っていたが……。


「何をしているのですか? あなたたちは」


 後ろから声をかけられ、アーニャが飛び上がった。

 凛としていて、厳格さを感じさせるその声の主は──


「ニーラペルシ様!? これは、その……」


 慌てふためくアーニャをニーラペルシが手で制す。


「ステラの悪い癖が出たようですね」

「知ってるなら矯正なりすればいいだろ、お前の部下なんだから」


 申し訳なさそうにしているアーニャとは反対に飛鳥がズバリ言い放つ。

 それを聞いたニーラペルシは態度こそ変わらないが、


「貴方こそ、『終焉の王フィニス・レガリア』を使えばステラを捕まえられるでしょう。何をボーッとしているのです?」


 と、言い返してきた。


「下位の僕が覚醒した状態のアークを使い続けたら、それはそれで文句言うだろう?」

「文句は言いません、指導するだけです」


 どっちにしろするんじゃないか。


「何でもいい。お前ならステラを何とかできるだろ? 使っていいなら『終焉の王フィニス・レガリア』で援護する」

「その必要はありません」


 ニーラペルシが倉庫へ近付いていく。

 辺りの空気が震えるように一変するのを感じ、飛鳥とアーニャはゴクリと唾を飲み込んだ。


 これが上位神の力……!

 気を抜いたら押し潰されそうだ……!


 初めて見るニーラペルシの戦闘モードに飛鳥が目を見張る。

 ステラも状況を察したのだろう。

 倉庫の中からドタバタと大きな音が響く。


「ステラ、聞いていますね?」


 ニーラペルシが語りかけた瞬間、物音がピタリと止んだ。


「メテルニムスに乗っ取られていたとはいえ、貴女によって私の軍団はその力の大部分を失いました。救世の旅も満足に行える状況にありません」


 その言葉に飛鳥が怒りを露わにする。


「そんな言い方ないだろう! 元はと言えば──」


 だがニーラペルシは飛鳥を無視しこう続けた。


「ですから、貴女にはこれまで以上に働いてもらいますよ。ステラ」


 ゆっくりと、倉庫の戸が開く。


「ニーラペルシ様……私は……」

「私は、何ですか? 私の決定に逆らうつもりですか?」


 ニーラペルシの威圧感にステラは目を剥き固まってしまった。しかし……、


「そ、そう仰ってくださるのは嬉しいのですが……やっぱり私は……」


 心底申し訳なさそうに戸を引き始めた。そこへ──


「ひぃっ!?」


 ニーラペルシが足を差し込みステラが悲鳴をあげた。

 余程焦ったのか、そのまま戸を引き続ける。


「痛いですよ、ステラ」


 更にニーラペルシは戸を掴み引っ張り始めた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! 私はここで一生を終えますからそれで勘弁してください!!」

「私の話を聞いていましたか? 抵抗はやめて出てきなさい」


 漫画やドラマで見たことがある光景に飛鳥は唖然としてしまった。


 物理じゃん!!

 さっきの威厳ある戦闘モードはどこいったんだよ!?


「飛鳥、ステラを引っ張りなさい」

「え?」

「早くしなさい」

「あ、あぁ」


 駆け寄りステラの手を掴む。

 涙目で首を振る姿に心が痛むが、これ以上時間をかけられないのも事実だ。

 念の為ステラの状態を視てみるが恐怖と焦りが限界を超えているらしい。

 アークも魔術も発動できないでいる。

 思いっきり引っ張り倉庫から引き摺り出した。


「飛鳥、ご苦労様でした」

「ううう……」


 生まれたての小鹿のように体を震わせながら倉庫へ戻ろうとするステラをアーニャが抱きしめた。


「アーニャちゃん……」


 アーニャは何も言わずステラを撫でる。

 ようやく観念したようだ。

 ステラもアーニャを抱き返した。


 そこへティアナがやってきた。


「皆様、宴席の準備が──ってニーラペルシ様!?」

「貴女は確か……」

「はい! モルダウ国王のティアナ・ホーエンツォレンと申します! ニーラペルシ様も是非参加してください!」


 とニーラペルシの手を取る。


「そうですね。せっかくですからお言葉に甘えましょうか」


 ティアナとニーラペルシを先頭に、飛鳥たちも歩き出した。






 翌朝──


 砦から少し離れた草原に飛鳥たちは集まっていた。

 酷い眠気に目を擦る。


 まさかティアナが笑い上戸だったとは……。


 昨日のことを思い出し飛鳥は大欠伸をした。


 戦いが終わって皆緊張が解けていたのだろう。

 それは悪いことではないが、飲み過ぎたティアナに絡まれ、ようやく逃げられたと思ったら今度はアルベルトに絡まれて……。

 結局一睡もできなかったという訳だ。


 何で皆平気な顔してるんだ?

 これが経験や神と英雄の差なのか?


「皆様、再びこの世界を救っていただき、本当にありがとうございました」


 ティアナが深々と頭を下げた。

 だがその表情は少しだけ暗くて──


「あっ……」


 それが伝わったのか、ティアナは頬を軽く叩き笑顔を作った。


「すみません。もうお会いできないと思うと寂しくて……。でも、その方がいいのです! 皆様に心配をおかけしないよう皆で頑張っていきます! 見守っていてください!」

「私たちの方こそありがとうございました。どうかお元気で」


 アーニャも笑顔でティアナの手を握る。


「本当に貴重な経験になったよ。次の旅にも同行したいけど、こればかりは仕方がない。この世界には僕が必要だからね」


 アルベルトの言葉に飛鳥は頷いた。


「本当に色々ありがとうございました。ヘレンさんも、諸々叶うように遠くから応援してます」

「へっ!? い、いえ……あ、ありがとう、ございます……」


 アルベルトに気付かれないよう視線を送りながらヘレンが頬を染める。そして……、


「飛鳥様、アーニャ様。本当にお世話になりました」


 メルクワーズが手を差し出した。

 飛鳥とアーニャが握り返す。


「もう救済の対象とならないよう、皆さんと力を合わせてこの世界を変えていきます。いつか、お母様にも笑って報告できるように」

「うん、メルクワーズも体に気をつけて」

「メルクワーズさん、ありがとうございました」

「では、そろそろ戻りましょうか」


 ニーラペルシが『神ま』を捲り、光の柱が現れた。


「あぁ」

「はい!」


 光の中に入ると頭上に穴が開き、体が地面から離れていく。

 イストロスの皆に手を振りながら、四人は空の彼方へと消えていった──

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