第七十六話 死闘の果てに

「んん……僕、は……」

「良かった、目が覚めたんだね」


 飛鳥が目を開けると、アーニャは優しく微笑んだ。

 その優しい声に、枕になっている彼女の膝の温もりに、戦場だというのに顔が赤くなってしまった。

 そんな飛鳥の髪を撫で、アーニャが「えへへっ」と笑う。

 めちゃくちゃ照れ臭いが、同時に、彼女の笑顔に心の底から安堵して。


「アーニャも……」

「なぁに?」

「アーニャも、無事で良かった」


 そう言って、飛鳥はアーニャを見つめた。


「うん。飛鳥くんのお陰で私もヘレンさんも、皆無事だよ」


 アーニャがもう一度微笑む。

 それがとんでもなく可愛くて、愛しくて。

 鉛のように重い体にグッと力を入れ、アーニャの頬に触れる。

 するとアーニャも嬉しそうに飛鳥の手を握った。


「あ、そういえば……どうしてレーヴァテインがここに?」


 アーニャが視線を移す。

 視線を追うと、床に刺さったレーヴァテインが目に入った。


「うーん……」


 色々と考えを巡らせてみたが、口から出た答えは……。


「僕にもよく分かんないや」

「へっ?」


 アーニャが目を丸くし、素っ頓狂な声をあげる。


「分からないけど、レーヴァテインはもう一人の相棒だから……。いざって時は呼べば来るかなって」

「じゃあ、レーギャルンとくっついたのは?」

「それはこいつで、ね」


 と、飛鳥は『終焉の王フィニス・レガリア』を指差した。

 アーニャはしばらく考え込むように目を瞑っていたが……、


「そっか、そうだね」


 「そんなことがあってもいいよね」というようにゆっくりと頷いた。




 アーニャの肩を借り立ち上がると、ティアナたちが駆け寄ってきた。

 その中に顔を真っ赤にし、気まずそうにしている者が二人。ヘレンとステラだ。

 ヘレンはアルベルトが人工呼吸をしたせいだろうから放っておくとして。


「あ、あのっ。スメラギくんっ」


 と、ステラが手をモジモジさせながら話しかけてきた。

 その様子に飛鳥が微笑む。


「ステラ。無事で良か──」

「本当に、すみませんでしたああああああああああああああああああああ!!!」


 だが直後、ステラは大声を出しながら綺麗な土下座をしてみせた。

 突然のことに皆がビクリと体を震わせる。


「えっと……ステラ……?」

「私、先輩で上位の英雄なのに……。まさかメテルニムスに乗っ取られるなんて……。ニーラペルシ様にも他の英雄たちにも迷惑かけまくっちゃったし……。それに、スメラギくんは他の世界の担当なんだよね……?」

「い、一応そうだけど……。でもイストロスに来たのは僕の意思だから」

「それでもだよぉ……。アーニャちゃんもごめんなさい……」


 嗚咽を漏らすステラをアーニャは慌てて抱き起こした。


「謝らないで、ステラちゃん。誰も迷惑だなんて思ってないよ」

「アーニャちゃあん……」


 しかしステラは泣き止まない。


 アーニャの神格が奪われたり、ティルナヴィアの救済が遅れたり、実害がない訳ではないけど……。


 でもそれはステラだけのせいではない。

 ニーラペルシがちゃんと事後処理をしていれば防げただろうし。

 そう伝えたいが、今まで聞いた話や今の様子を見る限り、真面目で自分一人で色々抱え込んでしまうタイプなのだろう。

 それにステラにとってニーラペルシは救世のパートナーだ。

 悪く言うのも何だか心苦しい。

 とりあえず、落ち着くまで発散させておいた方がいいのかも知れない。


「ティアナさんもごめんなさい……。また戦わせることになって……。」


 アーニャに支えられながら、ステラはティアナに頭を下げた。

 ティアナが頭が吹っ飛びそうな勢いで首を横に振る。


「で、ですからそんなに何度も謝らないでくださいステラ様!」


 ティアナの言葉で、気を失っていた間のやり取りが想像できてしまった。


「それに、こんなことを言っては不謹慎ですが……。またこうしてアーニャ様とステラ様とお会いできて嬉しいのです。更に今回は飛鳥様という大英雄にもお会いできましたし!」

「うんうん、僕も同意見だ。実に有意義な旅になったよ。そうだろう? 妹よ」


 アルベルトが満足げにヘレンの方を向く。


「へっ!? あ……は、はい……」


 ヘレンはますます顔を赤くし逸らした。

 以前にも増してアルベルトを意識しているようだ。

 だが悲しいかな、この天才はあらゆる場面でその才能を遺憾なく発揮してくれたが、この手のことだけは恐ろしいほど鈍感だ。

 ヘレンの様子に気付いていないのか、すぐに飛鳥の方を向いた。


「まさか一人で魔王を圧倒するとは驚き以外言葉が出ないよ! ところでそのアークだったかな、調べさせてくれないか? まだこっちにいられるんだろう?」

「え? えぇと……」


 言われてみて思ったが、帰りってどうするんだろうか。

 メテルニムスを倒すという目的は達成した。

 しかし、これでイストロスの救済成功になるんだろうか。

 その判断は誰がするんだ? ニーラペルシか?


「アーニャ、帰りってどうしたらいいの?」

「うん……。いつもなら救世が完了した時点で『神ま』が反応して神界に帰るんだけど……」


 アーニャ自身どうしたらいいか分からないらしい。

 困り顔で本来なら『神ま』が下げられている腰の辺りに手を置いた。すると、


「そうだ! 私のせいでアーニャちゃん神格なくなったんだよね?! てことは……。ニーラペルシ様〜! 迎えに来てください〜!」


 再びステラが大声で泣きじゃくった。


「ステラ! 落ち着いて! ニーラペルシなら呼べば来てくれると思うから!」

「そうだよ! それに本当にステラちゃんのせいじゃないから! 大丈夫! ちゃんと帰れるよ!」


 アーニャと二人ステラを宥めるが話を聞いてくれない。

 アーニャの手から離れ、膝を抱えて座り込んでしまった。


「と、とりあえずバルトロメオたちと合流して、一度砦に戻りましょう」

「そ、そうですね……。あれ? そういえば……」


 ティアナの提案に頷くが……。


「メルクワーズはどこに?」


 辺りを見渡すと、メルクワーズは雷が去った方を見つめていた。


 その後ろ姿に胸が締めつけられる。

 どうあれ、彼女にとってメテルニムスはたった一人の母親で……。

 それだけじゃない。

 メテルニムスの最後の言葉。

 やつは、本当はメルクワーズのことを……。


「メルクワーズ。今回のこと、その──」

「その先は仰らないでください、飛鳥様」


 振り向いたメルクワーズは、涙を浮かべながらも微笑んでいた。


「お母様の分まで、私がこの世界をより良いものにします。ですから、そんな顔なさらないでください」

「メルクワーズ……。……うん、ありがとう」


 その時だった──。


「これは……」


 メルクワーズから魔力が溢れ出したかと思うと、どんどん体が成長し、やがてメテルニムスと似た姿へと変化した。

 耳の上に生えている小さな角も伸び、禍々しい輝きを放っている。


「どうやらイストロスが私を新たな魔王と認めてくれたようです」

「そ、そっか。それはいいんだけど……」


 ついさっきまでメルクワーズは少女の姿をしていた。

 当然着ていた服も子供用のもので。

 つまりは……。


「飛鳥くんは見ちゃダメーーー!!」

「あだぁ!?」


 直後、アーニャの声が聞こえたかと思うと視界が反転し、頭が鈍痛に襲われた。


「魔王を継ぐと肉体も変化するのか! これは興味深い……! 是非詳しく──」

「いや何で迷いなく近付いていくんですか!? 男性陣は目を瞑っていてください!」


 目を輝かせながらメルクワーズへ寄っていくアルベルトの顔にティアナの拳が突き刺さる。

 そのままアルベルトは崩れ落ち気絶してしまった。

 悔しそうな表情でヘレンがアルベルトの頬を打つ。

 顔を赤くし、ティアナは自身のマントをメルクワーズに着せた。


「その格好では色々と不都合だ。これを着ていろ」

「ありがとうございます。ティアナ様」


 微笑むメルクワーズであったが、ティアナは少し背伸びをし彼女の頭を小突いた。

 頭に手を当て、メルクワーズがキョトンとした表情を浮かべる。


「もうその喋り方はやめろ。お前と私は主従ではない、これからの世を作る盟友だ」

「ですが……」

「何だ? お前は友に対して敬語を使うのか? それとも、私とお前の関係はその程度のものなのか?」


 珍しくティアナが年相応なふくれっ面を見せる。

 その仕草を見たメルクワーズは愛おしそうにティアナを見つめ、


「……うん。これからもよろしくね、ティアナ」


 と、彼女の手を取った。そして──


「いますね? キスキル・ナハト」


 入り口の方を向き声をかけた。

 しばらくして、キスキル・ナハトとエレナが姿を見せる。


「どうか、こちらに」

「……はい」


 キスキル・ナハトはメルクワーズの前に跪くとドレスの襟元を捲り、


「どうか処断を。メルクワーズ様」


 頭を垂れた。

 メルクワーズの顔が曇る。

 エレナも言わんとすることを理解したのだろう。

 二人の間に割って入り、祈るように手を組んだ。


「退きなさい、エレナ」

「嫌です! お願いしますメルクワーズ様! キスキル・ナハト様は……」


 メルクワーズがエレナの頭を撫で、腰を下ろす。


「安心してください。キスキル・ナハト、貴女を殺す訳にはいきません」

「いいえ、私はメテルニムス様によって生み出されました。このまま貴女様の治世を生きることはできません」


 メルクワーズは困ったように笑うと、キスキル・ナハトの襟を直した。


「何を……」

「私はこれから人間と魔族が共存できる世界を作っていきます。今ここでこの子を悲しませて、どうしてそれが成せるでしょうか。それに、貴女も気付いている筈です」


 キスキル・ナハトが困惑した様子で顔を上げる。


「人間は美しいものだと。だからこそ、この子を傍に置いているのではないですか? お母様が貴女を助けたのも、きっと……」

「メルクワーズ様……」


 キスキル・ナハトは肩を震わせながら姿勢を正した。


「このキスキル・ナハト、四大悪魔の一角として、貴女様に永遠の忠誠を。この命続く限り、お支えいたします」

「ありがとう、キスキル・ナハト」


 二人が微笑み合うと、エレナも涙を流しながらキスキル・ナハトに抱きついた。

 それを見届け、メルクワーズがティアナに声をかける。


「帰りましょう、ティアナ」

「あぁ」


 こうして一行は、魔王城を後にした。

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