第七十一話 メテルニムス

 魔王城、円卓の間──。


 時の魔王と四大悪魔の為に用意された五つの席の内、埋まっているのは今や二つのみ。

 メテルニムスとキスキル・ナハトは沈痛な面持ちで席に着いていた。

 エレナは二人の前にティーカップを置き床に座ろうとしたが、


「エレナ、そこでは足腰を痛めよう。許す、キスキル・ナハトの隣に座れ」


 と、メテルニムスが促した。

 途端にキスキル・ナハトの表情が明るくなる。

 しかしエレナは中腰の状態で慌て始め、


「え、よ、よろしいのですか……?」


 メテルニムスの顔を窺うように尋ねた。

 改めてメテルニムスが頷く。


「よい。もう座る者もいないからな」

「で、でも……」

「メテルニムス様がお許しになったんだから座りなさい、エレナ」


 待ち侘びるようにキスキル・ナハトが手招きする。

 そして、隣の椅子を引き寄せようとしたが、


「あら、動かないわねぇ……」


 やや不満そうに呟いたかと思うと、床ごと引き剥がしてしまった。

 それにメテルニムスが呆れたように溜め息をつく。

 エレナが座ると、キスキル・ナハトは自身に寄りかからせ、こんな状況だというのに満足げに微笑んだ。


「ラークラールが敗れたということは、飛鳥め、『黒の王』を黙らせたか」


 その言葉には、どこか嬉しそうな響きがあって。


「『黒の王』?」


 キスキル・ナハトが首を傾げる。

 メテルニムスは「私もステラの中から見聞きしただけだが……」と前置きした上で語り始めた。


「この宇宙には時折私ですら測ることのできない『力の塊』が出現するそうだ。ただ宇宙を彷徨っているだけならさほど問題もないが、これが目的や使命を獲得すると厄介でな。だが神々は傲慢な生き物だ。これを殲滅対象ではなく、自分たちの目的に使えないかと捕らえてくることがあるらしい」


 キスキル・ナハトとエレナが息を呑む。

 メテルニムスですら把握しきれない力が今、飛鳥に宿っている。

 それは、つまり……。


「安心しろ。飛鳥を殺せば『黒の王』は再び神界の檻に戻る」


 二人の心中を察したのか、メテルニムスはニタリと笑った。


「ですが……」

「ですが、何だ? 私が飛鳥に負けると言いたいのか?」


 怯えた様子のキスキル・ナハトをメテルニムスが睨みつける。

 キスキル・ナハトは慌てて首を振った。


「私の魂とステラの肉体は完全に融合した。今の飛鳥に私を倒すことは不可能だ」

「メテルニムス様が負けるとは思っていません。ただ……」


 キスキル・ナハトが不安そうに目を伏せる。


「ただ、何だ?」

「その『黒の王』とやらが出てきたらどうするのです?」

「あぁ」


 「そんなことか」とでも言いたげにメテルニムスは自身の胸元を撫でた。


「それこそ好都合よ。三年前とは違い、今の私にはステラの能力がある。それより、お前たちに頼みたいことがある」

「何でしょうか?」


 キスキル・ナハトとエレナが姿勢を正すが……、


「城の者たちを避難させよ。それと、飛鳥たちが来たら玉座の間へ案内しろ」

「な、何を仰って……!?」


 続いたメテルニムスの言葉に耳を疑った。


「警戒すべきは飛鳥一人だけだ、私とやつの戦いが世界の命運を決める。それに、これ以上同胞を失う訳にはいかん」

「でしたら、せめて私だけでも……!」


 縋るような気持ちでキスキル・ナハトが請うが、メテルニムスは首を縦に振らない。


「最早お前では飛鳥に勝てん。エレナを悲しませる気か?」

「しかし……!」


 キスキル・ナハトが食い下がるが、メテルニムスの中では既に決定事項のようだ。


「やつらがここに来るまで後数日だ、早く手配しろ」

「…………」


 キスキル・ナハトは悔しそうに唇を噛み締めていたが、やがてゆっくりと頭を下げ、エレナを連れて部屋を後にした。






「たった数年の内に、腹立たしい話よな」


 誰もいなくなった部屋で独り言ちる。


 三百年──。


 私が生まれ、魔王の座を受け継いでから三百年が経った。

 間違ったことをしたつもりはない。

 私は私が正しいと思ったやり方でこの世界を動かしてきた。

 なのにだ……。


 三年前、女神と英雄を名乗る小娘たちが現れ、私は、私の世界は否定された。

 間違っていると、一方的に断罪された。

 死ねなかった。死ぬ訳にはいかなかった。


 何故私が否定されなければならない?

 何故魔族だけが悪と処断されなければならない?

 何故、私は──


 私は先代の、母の顔を知らない。

 私は生まれた直後に、

 覚えていない。感触も残っていない。

 自我が芽生えた時には、私は魔族を統べ、この世界の管理者となっていた。


 四大たちから聞いた話では、母も人間を管理下に置いていたが、それ以上に人間を美しいものだと言っていたそうだ。

 その話を聞いた時は本当に……。


 本当に、愚かだと思った。


 人間は醜い生き物だ。

 魔族という共通の敵がいながら国同士で競い、争い、自分が利することだけを考える、どうしようもなく愚かな生き物だ。

 そんな連中と共存するなど我慢がならなかった。

 故に、人間に自由など認めない。

 人間は自由に生きるものだなどと戯言を吐くあの男、皇飛鳥を私は認めない。

 それなのに、あぁ、何故……。


「何故人間と共に生きるなどと言うのだ。我が娘、メルクワーズよ……」


 私の志は、私がしてきたことは絶対に間違ってなどいない。

 私の世が終わった後も、この世界の摂理を崩してはならない。

 その為ならば、私は──


 固い決意の下、拳を握る。


「来るがいい。飛鳥、アニヤメリア、そしてメルクワーズよ。ここがお前たちの、最後の地だ」

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