第七十話 今は分からなくても

 爆発音が突き破らんばかりに鼓膜を叩く。

 ニーラペルシチャンスでかなりの距離を移動した筈だが、爆発の衝撃で体が揺さぶられた。


 しばらくして、アーニャたちはまだ少し黒煙が立ち上る砦に戻ってきたが、砦は瓦礫の山と化し見る影もない。


「あの爆発をこれだけに抑えるなんて……」


 唖然とした様子でアルベルトが呟いた。

 他の面々も声には出さないものの、動揺を隠せないようだ。

 一番先に動いたのはアーニャだった。

 砦だったものに駆け寄り、瓦礫をどかし始めた。


「アニヤメリア。何をしているのですか?」


 いつもと同じ無表情な顔でニーラペルシが問う。


「何って……飛鳥くんを見つけるんです!」

「その必要はありません。そもそも、この中から人一人を探せると?」

「そんなこと知りません!!」


 ニーラペルシの指摘にアーニャは怒鳴った。

 頬を涙が伝っている。

 アーニャは一瞬だけニーラペルシを睨みつけたが、すぐにまた瓦礫と向き合った。


「全く、無意味なことを……」


 ニーラペルシが肩をすくめる。


「に、兄様……わ、私たちも……」

「もちろんだ。女神ニーラペルシ、僕も無意味なことはあまり好きではありません。しかし、人間とは時に無意味なことをしたくなる生き物なのですよ」


 そう言ってヘレンとアルベルトも瓦礫へ歩み寄った。


「メルクワーズ、バルトロメオ、私たちも行くぞ」

「はっ!」

「はい! ……あなたたちの命を救ったのは人間です。ですが、私に協力するという者がいればついてきなさい」


 メルクワーズが鬼たちへ告げる。

 驚きを見せる者、怪訝そうな顔をする者、反応はそれぞれだったが、やがて一人、また一人とメルクワーズへ続いた。


「飛鳥くん! お願い、返事をして! ……痛ッ!」


 手の皮が剥け血が滲む。

 だが、そんなことは気にならない。


 飛鳥くん……飛鳥くん!


 涙が止まらない。


 こんなところで失いたくない。

 いや、これから先も、イストロスとティルナヴィアを救った後も。

 私を上位神にして、私の軍団に加わると言ってくれた。

 それに──


 やっぱりまだ、この気持ちが何なのか、異性として飛鳥くんを愛しているのかは分からない。

 でも、飛鳥くんは私を愛してくれている。

 お嫁さんにするって、言ってくれた。


 この気持ちが分かるまで。

 ううん、分かった後も、その先もずっとずっと。


 飛鳥くんと一緒にいたい──。


「どこにいるの!? 飛鳥くん!」


 返事はない。

 他の皆も彼の名を呼ぶが同じだ。

 段々不安と絶望が広がっていく。

 もしかしたら、ラークラールと共に、と。


「アーニャくん……」

「いいえ、まだです!」


 絶対に諦めない。


「また一人で……全部……」


 そのこともお説教しなきゃ。

 夫がいる下位神から、夫婦は何でも話し合って、気持ちを伝え合って、寄り添って生きるものだと聞いた。

 なのに飛鳥くんは肝心な時に私の意見を聞かないし、全部一人で背負ってしまう。

 今回だって……。

 私をお嫁さんにしてくれるなら、もうこんなことしないように叱っておかないと。


「だから……お願い……」


 その時、近くにあった柱がゆっくりと倒れた。

 そこにいたのは──


「あ〜危ね……死ぬかと思った……」


 飛鳥は青ざめた顔で大きく息を吐いた。

 穴だらけになったマントを脱ぎ捨て、服の汚れを払う。

 そして、アーニャを見つけると微笑んだ。


「アーニャ! 良かった、無事だった──」


 アーニャは飛鳥を思いっきり抱きしめた。

 もう二度と離れないように、もうこんな思いをしなくて済むように。

 夢ではないと確かめるように、頬ずりする。

 すると飛鳥は顔を真っ赤にし、


「アーニャ!? 顔が! あの、顔が近いんだけど……!」


 固まってしまった。

 それでもアーニャは離さない。

 涙を流しながら、飛鳥の顔に触れる。

 その姿に飛鳥も照れくさそうに笑った。


「アーニャ、心配かけて……いや、心配してくれてありがとう」

「うん……。……それだとお説教できない……」

「へっ?」


 アーニャが手を離し涙を拭う。


「また一人で全部決めたの、お説教するつもりだったんだけど……ありがとうって言われたらできないよ……」


 鼻水を垂らしながら、どこか拗ねたようにも見えるその姿に、飛鳥は慌てふためいた。


「え!? あ、えっと、ご、ごめん!」


 全力で謝る飛鳥にアーニャは首を振る。


「ううん、本当に良かった……。飛鳥くんが生きてて、本当に……」

「アーニャ……。ありがとう──って、手怪我してるじゃないか!」

「これはすぐ治せるから、大丈夫だよ」


 そう言って二人は微笑み合った。


「では、お説教は私からしましょうか」


 ニーラペルシが二人を見つめる。


「助かったよ、ニーラペルシ。ありがとう。それと、一つ聞いてもいいか?」

「何でしょう?」


 途端に飛鳥の目つきが鋭くなる。


「この力、あの黒い巨人を俺に入れたのはあんたか?」

「いいえ」


 間を置かず、ニーラペルシはいつも調子で答えた。


「『救世の英雄』には、その世界を救う為に必要な力が与えられる。アニヤメリアから聞いていますね? 『黒の王』が貴方の中にいるのは、貴方の救世に必要だと判断されたからです」

「判断って誰がしたんだよ」

「さぁ。少なくとも私一人の意思ではありません」


 飛鳥はしばらくニーラペルシを睨んでいたが、


「分かったよ、俺はまだ下位の英雄だ。全部教えてもらえるとは思ってない」


 と、諦めたようにそっぽを向いた。


「素直なのは良いことです。それより、まだメテルニムスが残っています。ここでニーラペルシチャンスを消費したことを後悔しないように」


 ニーラペルシの忠告に飛鳥が笑う。


「あぁ、そっちは大丈夫だよ。必ずイストロスとステラを救ってみせる」

「……そうですか。では、私はこれで」


 そう言い残し、ニーラペルシは煙のように姿を消した。

 それを見たティアナが残念そうに肩を落とす。


「あぁっ、アーニャ様の主人ならお話したかったのに……」


 涙を浮かべるティアナの頭をメルクワーズが撫でた。


「でも無事で本当に良かったよ、飛鳥くん。まっ、僕は信じていたけどね」

「あ、あんなに……必死なに、兄様は……初めて見ましたけ……いひゃい!?」


 アルベルトがヘレンの頬を抓る。


「何か言ったかな? 妹よ」

「な、何も……」


 ヘレンは怯えた様子を見せ、飛鳥とアーニャの後ろに隠れてしまった。

 そのやり取りに微笑みつつ、メルクワーズが南の方を見つめ


「後はお母様だけですね」


 決意を新たにするように述べた。

 皆が頷く。


「バルトロメオ、残った兵を集めよ」

「はっ!」

「目指すは最終目的地、魔王城だ!」


 ティアナの号令で、一行は再び進軍を開始した。

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