第六十九話 ニーラペルシチャンス
──時間はほんの少しだけ遡る。
俺が……人間じゃない……。
飛鳥は真っ暗い空間の中で横になっていた。
黒い巨人が去った後すぐに目が覚め、今は意識がハッキリとしている。
それが却って思考する時間を作ってしまった。
俺はもう、皆とは違う存在で……。
今まで抱いてきた想いも、神々によって作られたもので……。
考えれば考えるほど、悪い方向に流れていく。
英雄に選ばれて、アーニャと出逢って、これまで己が選んだきた道を否定したくなってしまった。
恨み言を吐く気分にもならない。
地面を殴りつけて怒鳴る気力もない。
襲ってくるのは虚無感ばかりで。
ここでやつに体を奪われるのも、神界が望んだことなのかな……。
全ては偽りだったのだ。
レーギャルンも、炎の魔術も、自身に与えられた力ではない。
自分はそれを運ぶ為の、ただの箱のようなもので。
その役目も、もう終わった。
後はやつがこの世界を、宇宙を破壊する様を見ていることしかできない。
その時、激しい揺れと共に地面がたわみ、体が宙を舞った。
直後、背中から地面に落ち、激痛と共に酸素が押し出される。
「何……だよ……!?」
咳き込みながら辺りを見渡すと、前回と違い空中に映像が浮かび上がっていた。
いや、意識を失っていたから分からなかっただけで、前回も同じだったのかも知れない。
そこにはレーギャルンとぶつかり合うラークラールの姿が映っていた。
これは、やつの視界か……?
考えてみれば、この空間が一体何なのか自分は知らない。
いわゆる精神世界のようなものなのか、それとも、神界のどこかにあるやつが閉じ込められている場所なのか。
いずれにせよ、戦場の様子が手に取るように伝わってくる。
映像だけではない。
衝撃が、熱が、音が全身に突き刺さる。
次の瞬間、飛び込んできた声に耳を疑った。
「はっ……? 自爆……!? ヴァラヒアの半分が……」
それでもやつは、視界は動かない。
響き渡るラークラールの笑い声に何の反応も示さない。
「おい……何を、してんだよ……!?」
偽りの力だったが、これだけは分かる。
レーギャルンがあれば俺とやつだけは、ラークラールの自爆を凌げるだろう。
でも、他の皆は……。
戦場にいる者だけではない。
馬車に残してきたリカルドもセストも巻き込まれてしまう。
下手をすれば、モルダウにも被害が及ぶかも知れない。
それはやつだって理解している筈だ。
なのに、何故動かない!?
無意識の内に立ち上がっていた。腕を伸ばしていた。
やつの言う通り、力だけでなく、俺という存在自体が作られたものなのだろう。
俺はもう人間じゃなくて。
神々が目指す、世界救済の為に動く操り人形で。
でも、それでも……!
その事実を突きつけられても尚浮かんでくるのは、アーニャの笑顔で。
俺の名前を呼んでくれる、彼女の優しい声で──。
操り人形でも構わない。
他の全てが偽りでも構わない。
でも、この気持ちだけは。
アーニャと出逢った時に感じた、今も燃え続ける、彼女への想いだけは──。
右手に触れたものを無理やりに引っ張る。
すると黒い巨人が困惑したように声をあげた。
『何をする、大人しくしていろ。すぐにこの世界の終焉を見せてやる』
「黙れ! レーギャルンならラークラールを抑え込めるだろう! 早くやれよ! やらないなら体を返せ!」
『あれが破裂したところで俺たちに影響はない。何故そんなことをする必要がある』
こいつ……やっぱり分かった上で……!
「そんなこと分かってるよ! アーニャたちを守れって言ってんだよ!」
『? これからこの世界は、ここにある命は全て消える。俺が消す。それを守るなど……矛盾したことを言う』
体が急激に熱くなっていく。
さっきまで考えることを放棄していた脳が強烈な不快感に襲われ、怒りが湧き上がってきた。
「あぁくそっ! 話の通じないやつだな! よくよく考えたら神界がお前の対策をしてるかも分からないよな!? ならここで俺が乗っ取られていい訳ないじゃないか!」
『何を言っている?』
「だから! お前にこの世界は破壊させない! いや、ここだけじゃない! 俺も破壊するだけしかできないのかも知れない! でもお前とは違う! 俺の体を返せバカ!!」
『……憐れだな、飛鳥』
「何だと?」
黒い巨人が目の前に腰を下ろす。
『お前は既に人間ではなく、肉体も心も作られたものだと言った筈だ。それでもまだ世界救済などというくだらん使命に縋るか』
その言葉に溜め息を零した。
「お前に他人を憐れむ気持ちなんてあるのか? お前は自分のことも分かってない、興味すら抱いてない。そんなやつが人のことを考えられるとは思えないな。どこかで見聞きした言葉や態度を、この状況に合わせて言ってるだけなんじゃないのか?」
黒い巨人が押し黙る。
だがその態度が反対に、答えを雄弁に語っていた。
わざと、努めて邪悪な笑みを浮かべて見せる。
「なぁ、俺と組まないか? 神界に復讐する為に」
『お前と?』
「あぁ、英雄は世界救済を重ねるごとに強化されていくって知ってるか?」
『神々がそんな話をしていた気がするな』
「なら話が早い。俺が救済を続ければ、いつか神々を追い抜けるぐらい強くなるかも知れないぞ? それこそ、最高神とやらもな」
黒い巨人が考えるような素振りを見せた。
後一押し、ここで絶対にこいつを黙らせてやる。
「ついでにお前も心とか想いとか、上辺だけじゃなく学んでみたらどうだ? いざって時に想像以上の力が発揮できるものだぞ」
『破壊こそが俺の使命だ。他のものは──』
「それも一番近くで、アーニャよりも近くで見せてやるよ。俺は世界の摂理を破壊する。その後に何が作られるかはどうでもいい。それが俺の為す世界救済だ」
黒い巨人が笑い声をあげた。
嘲笑には違いないが、今までとは少しだけ違う、楽しそうな笑い声だ。
『いいだろう』
「え? 本当に、いいのか……?」
『破壊そのものである俺にそれを見せると言うか。お前のようなやつは初めてだ。なら手始めに、この世界を壊してみせろ』
「あ、あぁ……。もちろんだ」
初めてって言うか……こいつ、他人とまともに会話したことあるんだろうかなんて、呑気なことを考えてしまった。
『ついでだ。お前の肉体に入る為に借りていた力を返してやろう』
「は? お前そんなことまで……!」
『そう睨むな。どの道、今のお前では扱えなかった力だ』
「ッ! それって……」
しかし、言い終わる前に黒い巨人と空間が消え始める。
その直後、目の前に広がっていたのは──。
「ここは……!」
気付くと、意識が体に戻っていた。
感覚を確かめるように拳を握る。
そして右腕を高く伸ばし叫んだ。
「ニーラペルシ! 聞こえているな!? ニーラペルシチャンスを使うぞ!」
辺りが眩い光に包まれる。
「呼びましたか? 飛鳥」
そこから現れたニーラペルシは一枚布の服ではなく、肩が出た上が緑色で足元が白いグラデーションのドレスを着ていた。
その姿はまるで……。
「白菜ではありません。これが私の聖装です」
……白菜知ってるのか。と言うか、自覚があるなら違う服着ればいいのに。
突然現れたニーラペルシに、ティアナたちが驚きを見せる。
「あの、貴女様は……?」
代わりにアーニャが答えた。
「この方は上位神のニーラペルシ様、私の主人にあたる方です」
「ア、アーニャ様の!? し、失礼をいたしました! 私はモルダウ国王、ティアナ・ホーエンツォレンと──」
慌てて頭を下げるティアナを、ニーラペルシが手で遮る。
「話は後です。飛鳥、早く願いを言いなさい。切迫した状況のようですが?」
「あ、あぁ。ここにいる皆を安全な場所に運んでほしい。外にいるモルダウ軍と魔族たちもだ」
「それが貴方の願いですか、分かりました」
ニーラペルシが『神ま』のページを捲る。
すると飛鳥以外が薄い緑色のシャボン玉に包まれた。
しかし、アーニャがそれに待ったをかける。
「待って! 飛鳥くんはどうするの!?」
「俺はここでラークラールを止める」
それに皆が目を見開いた。
アルベルトが叫ぶ。
「何を言ってるんだ!? ヴァラヒアの半分を巻き込む魔力だぞ!? 飛鳥くんも一緒に──」
「それじゃダメだ! 俺とレーギャルンなら止められる! だから皆は逃げてくれ!」
ヴァラヒアはこれからメルクワーズが治める場所だ。
焼け野原にさせてたまるかよ……!
そうしている内にシャボン玉が揺れ、地面を離れ始めた。
「お待ちくださいニーラペルシ様! 内容を変更します! 飛鳥くんも一緒に逃がしてください!」
アーニャがシャボン玉を叩き請うが、ニーラペルシは首を振る。
「言った筈です。ニーラペルシチャンスは一度きり、内容の変更はできません」
「そんな……! 飛鳥くんお願い! 逃げて!」
敢えて何も答えない。
一人、また一人とその場から姿を消していった。
それを見届け、ラークラールと向き合う。
ラークラールはひび割れ、砕けつつある腕をこちらへ伸ばした。
互いの拳を掴み、睨み合う。
「飛鳥あああああああああああああああ!!」
「お前の思い通りにはさせないぞ! ラークラール!」
レーギャルンが螺旋を描くように俺たちを包み込み、透明な炎の壁を生み出した。
ラークラールの腕が粉々に砕け散る。
最後の力を振り絞るように頭を動かし、ラークラールが天を仰いだ。
「メテル、ニムス……様……。再び……お会いできる、のを──」
ラークラールの肉体が一層強い光を放つ。
砦を炎が包み込み、アーニャの悲鳴と、巨大な爆発音が響き渡った──。
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