第六十八話 羅刹天②

 空中へ飛び上がったレーギャルンが太陽にも似た、激しい炎と光を発する。

 それらは空間内に差し込んでいた陽光さえも飲み込み、周囲を朱に染め上げた。

 その光景は、この世界に来てから幾度か見てきたものに似ていて──。


 速まっていく鼓動に合わせ、呼吸も段々浅く、速くなっていく。

 レーギャルンに命じようとするが、息苦しさと胸部への圧迫感で上手く声を発することができない。

 同時に、頭痛と目眩が襲ってきた。


「くそ……。ダメ、なのか……!」


 倒れる訳にはいかない。

 皆だけを戦わせるなんてできない。


 俺は、ティアナの大切なものを奪う、その引き金を引いてしまった。

 それでも彼女は前に進んでいる。

 この世界の未来の為に。

 なのに……俺が……。


 意識が閉ざされていく。

 アーニャに呼ばれた気がしたが、確かめることができない。

 再び、体が底なしの闇に飲み込まれていった──。






 目を開けると、真っ暗な空間に横になっていた。


「またここか……。……くそっ!!」


 胡座をかき、地面を思いっきり殴りつける。そこへ……、


『今度こそ、俺に肉体を譲る気になったか? 飛鳥』


 黒い巨人の笑い声が響き、熱風が体を包み込んだ。

 喉や胸が焼け爛れたような激痛に苛まれ、思わずむせ返る。

 でも、いつまでも蹲ってはいられない。

 今度こそ、こいつときちんと話をする必要がある。

 必死に息を整え口を開いた。


「教えて、くれ……。何故俺なんだ。お前は、一体、何者なんだ」


 喋る度に、体が痛みを訴えてくる。


『俺が何者か、か。知らん』

「は……?」


 どういう、意味だ……?


『俺には名もなければ、生まれた場所もない。気付いた時には存在していた。一つだけ分かったのは、俺の使命はこの宇宙を破壊すること。それだけだった。だが、それだけ分かれば何の問題もない』


 その口調は、いつもの厳かなものではなく、酷く淡々としたものであった。

 まるで、記録されている音声を流すだけの機械のように。


 こいつ……自分が何を言ってるか分かってるのか……!?


 自分の名前も、生まれ故郷も、いるか分からないが家族のことも何も分からず。

 分かっているのはおぞましい使命だけ。

 それで平気だと、こいつは本気で言ってるのか?


 俺が人間だからなのか、その感覚はとてもじゃないが理解できるものではなかった。

 人間は誰かとの繋がりがなければ生きていけない生き物だ。

 繋がりの中で、自分の人生の意味を考える。いや、意味付けをしていく。

 それが原因で心身を壊してしまう人もいるけど……。

 少なくとも、誰との繋がりもなく、自分のことも分からないまま生きていける者などいない。


「悪いけど……その感覚は、分からないな……。そんな、お前に相応しいのが……どうして、俺なんだ……? 俺はただの人間だぞ……」


 すると、黒い巨人は再び笑い声をあげた。

 どうやらいつもの調子に戻ったようだ。


『俺とお前の根本が同じだからだ』

「何……?」

『以前にも言った筈だ。俺もお前も破壊しかできん。何かを生み出すことなど不可能。それに、お前はただの人間ではない。英雄だ』

「……? 英雄は神が与えた役目だろ。俺は人間だ」


 俺の言葉に、黒い巨人の表情が曇った、ように見えた。

 黒い巨人が腰を下ろし顔を近付ける。


『本当に何も知らされず、俺という力を与えられたのだな。お前のような人間がいてたまるかよ』

「何を……言っている? どう見たって俺は人間だろう!」


 嫌な予感が肌を撫でる。

 背中を気持ちの悪い汗が伝った。


『神に能力を与えられ、世界のバランスを崩すほどの力を振るう。これのどこが人間だ。見た目こそ変わっていないが、人間としてのお前は死に、神の操り人形たる英雄に生まれ変わった。お前はもう、神界の側の存在だ』


 俺が、人間じゃない……?


『お前が生きていた世界では、人間は死んでも生き返るのか? 違うだろう。人間とは世界の理の中で一度限りの生を送る生物だ』


 こいつの言う通りだ。言う通り、だけど……。

 俺は、人間じゃなく、神の操り人形……?

 それじゃあ、今の俺は……。


『飛鳥。お前はあの女神崩れの女に随分執心しているようだが、それは本当にお前の意思か?』


 黒い巨人の問いに、体が震える。

 考えてしまった疑問を見透かされたような気がした。


『世界救済とかいうくだらぬ目的を達成するには、対立より恭順を求めるだろうな』


 ゆっくりと首を振る。

 アーニャと出逢った時の気持ちは……。あれは……。


 気持ち悪い感覚が喉元に上がってくる。

 疑問を打ち消そうと必死に頭を振った。


『話は終わりだ。全てを俺に委ねろ。あのような矮小な存在ではなく、この世界の終焉を見せてやる』

「待って、くれ……。まだ聞きたいことが……!」

『これ以上何を聞いても、お前が安堵できる答えは出てこない』


 憐れみすら感じさせる響きを残し、黒い巨人が立ち上がる。

 その振動で地面を転がった。


 頼む、やめて、くれ……。


 だが薄れゆく意識の中で、黒い巨人が去っていくのを眺めることしかできなかった。






「メテルニムス様が仰った通り、飲まれたか。皇飛鳥」


 しかし、飛鳥は何も答えない。

 リカルドたちと戦った時と同じように、俯き、その場に佇んでいる。


「俺は戦いに快楽を見出すなどというくだらない嗜好は持っていない。だが──」


 ラークラールが飛鳥へ剣を突きつける。


「己の意思を持たずに戦場に立つ者相手などと、つまらぬ戦いをするつもりもないわッ!!」


 そして、心臓を貫かんと弾けるように駆け出した。

 次の瞬間には剣先が胸を捉えたが、


「怒ッ!? 小癪なァ!!」


 レーギャルンの一枚が突きを防ぎ、残りの七枚が一斉に炎弾を吐き出した。

 ラークラールはその全てを躱し、再び斬りかかる。

 甲高い金属音が無数に鳴り響いた。

 最早常人の目では捉えきれないほどの速度でラークラールの刃とレーギャルンがぶつかり合い、火花を散らす。

 その光景に、誰もが息を呑んだ。

 レーギャルンは一枚一枚がまるで独立した意思を持つかのようにラークラールの攻撃を防ぎ、同時に炎による攻撃を繰り出していく。

 だが、驚くべきはラークラールの方だ。

 レーギャルンの攻撃を受けながらも、飛鳥の命を断とうと剣を振るっている。


「あの状態の飛鳥くんと互角に……!? 嘘だろう……!?」


 アルベルトが呆然と呟いた。

 その時、ほんの数メートルだがラークラールが押され後退る。

 ここぞとばかりにレーギャルンが取り囲むが、


「覇ァ!!」


 ラークラールの咆哮と共に噴き上がった炎の渦に弾き飛ばされてしまった。


「飛鳥くん!」


 アーニャの叫び声が響く。

 飛鳥を両断しようとラークラールが剣を振り下ろしたが、


「何ッ……!?」


 空間さえ斬り裂かんばかりの斬撃を、飛鳥は右の拳だけで受け止めた。

 クリスタルの床に金属片が一つ、また一つと落ちていく。

 やがて、爆ぜるようにラークラールの剣が粉々に砕け散った。

 それに続いたのは重く、しかし鋭い無数の打撃音。

 飛鳥の拳打がラークラールの四肢の骨を砕き割った。


「我あああああぁぁぁぁぁ……!!」


 崩れ落ちるラークラールの胸を飛鳥が蹴り飛ばす。

 その先に待っていたのは、等間隔に並び八芒星を描くレーギャルンであった。

 ラークラールを捉えた途端炎を吐き出しその身を焼いていく。


「よもや……神界の悪魔とは、これほどだったか……!」


 ラークラールが呻き声をあげた。

 それでも、彼の目はまだ死んでいない。

 飛鳥を睨みつけ、口の端を吊り上げた。


「貴様らをメテルニムス様の元へ行かせる訳にはいかんッ!! 俺と共に、ここで死んでもらうぞ!!」


 突如、クリスタルの壁を突き破り炎が噴き出し、熱風と共に空間を満たし始めた。

 アーニャが目を見張る。


「まさか……自爆する気!?」

「まずいぞ! 脱出するよ、皆!」


 そこへラークラールの笑い声が響いた。


「逃げるのなら好きにしろ! だが! ヴァラヒアの半分は吹き飛ぶぞ!」

「そんな……!」


 皆の顔が絶望に染まる中、飛鳥がラークラールへ向かっていく。


「飛鳥くん!? 何をしてるの! 早く逃げないと!」

「……皆は先に脱出してくれ」

「え……?」


 それだけ言うと、飛鳥は右腕を天に向かって伸ばし、


「ニーラペルシ! 聞こえているな!? ニーラペルシチャンスを使うぞ!」


 そう叫んだ。

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