第六十四話 黒き王の極大憤激
誰もが、何も発することができないでいた。
場に響くのは、リカルドの帰還を祝い、俺たちを嘲る、ファルスニールの笑い声だけだ。
調子を確かめるように、リカルドはしばらく体を動かしていたが──、
「……まだ、完全ではないか」
心の底から悔しそうに呟き、拳を握りしめる。
それを見たファルスニールはリカルドの背中を叩きこう告げた。
「なぁに、すぐに馴染むさ。時間はたっぷりとあるしなぁ」
「……ふっ、そうだな」
ファルスニールの言葉に、リカルドが微笑む。
その笑顔に心がざわついた。
何故ならそれは、ティアナにさえ向けられなかった、優しいもので。
兄弟同然に育ったセストにさえ見せなかった、安心しきったもので。
「どういうことか、全て説明してもらおうか」
俺の問いかけにティアナが、恐らく無意識の内に首を振る。
二人が何を語るにせよ、ティアナが傷つくことは避けられない。
そんなことは分かっている。
それでも、確かめなければ拳を握れない。レーギャルンに命じることもできない。
何も分からないまま、目の前の事実を破壊するだけでは駄目だ。
想像の余地が生まれないように全てを明らかにしなければ、ティアナたちが救われない。
「見て分からないのか? 飛鳥」
俺の気持ちに気付いているのか、ファルスニールは茶化すように笑った。
「あぁ、分からないことだらけだ。四十年ほどと言ったな、そこから今に至るまでの全てを話してもらうぞ」
「だそうだが、どうする?」
ファルスニールがリカルドへ尋ねる。
しかしリカルドは目を瞑ったまま、何も答えようとしない。
「四十年前……まさか……」
そこへ、背中越しにセストの声が聞こえてきた。
「あの戦争で……何かあったのか……? リカルド……」
よろめきながらも、セストは一歩一歩歩みを進めていく。
「戦争?」
「……そうだな。何も知らぬまま死んだのでは、お前たちも納得がいかぬだろう」
やがてリカルドは口を開き、俺たちを睥睨した。
「四十年ほど前、モルダウとアルデアルの連合軍は魔族の支配を終わらせるべく、メテルニムス様に戦いを挑んだ。当時まだ王位になかった私はモルダウ側の指揮官として戦地へ赴いた。そこで……」
続く言葉は想像できる。
今のイストロスの状況から考えて、連合軍は──。
……笑っている?
リカルドの表情は恐怖や絶望ではなく、むしろ歓喜に打ち震えているように見えて。
「そこで私はメテルニムス様の圧倒的な力に魅せられた! モルダウとアルデアルの精鋭たちを相手に傷一つ負わず、舞うように殲滅していくあのお姿に理解したのだ! 私の人生はこのお方の為にあるのだと!」
両手を合わせ、捲し立てるように語るリカルドは、正しく限界オタク、いや、狂信者のように映った。
「気がつくと私は跪き、側に置いてほしいと乞うていたよ。そうしたらどうだ! メテルニムス様は私の願いを聞き届けてくださり、魔族の力を与えてくださった! だが……」
急に電池が切れたおもちゃのように、リカルドは腕をダラリと下ろした。
その先を引き継いだのは他でもない、ファルスニールだ。
「魔族の寿命は人間の約十倍。何もしなければ、力が完全に馴染む前にリカルドは寿命で死んじまう。だから力の大部分と記憶の一部を宝石に封印し、少しでも時間を稼ぐことにしたって訳だ」
「もう、やめてくれ……」
体を震わせ、ティアナが涙声で訴えるがファルスニールはやめない。
「しかし人間ってのは脆い生き物だよなぁ。リカルドの体は病に冒され、すぐにでも封印を解かなければ死ぬ寸前まで追い込まれた。だが今解いたんじゃあ不十分だ。散々葛藤したんだぜ?」
そしてファルスニールはアーニャの方を向き、口角を吊り上げた。
「そんなこいつに決心させたのはお前だ。感謝してるぜ、アニヤメリア」
「私、が……?」
アーニャが戸惑いを見せる。
「あぁそうだ。何故ならお前はメテルニムス様を殺した、こいつにとっちゃ憎っくき仇だからなぁ」
「そんな……!」
アーニャは首を振り、後ずさっていく。
自分のせいでリカルドを魔族にしてしまった、そんな風に考えたのかもしれない。
アーニャの前に立ち、ファルスニールを睨みつける。
「仇だと? 笑わせるな。アーニャもステラも、この世界を救う為に全力を尽くしただけだ」
「黙れ!! お前たちのやっていることは救済ではない! 侵略だ!!」
リカルドは俺の言葉に大きく反応し、メテルニムスと同じ台詞を吼えた。
「私の力はまだ不完全だ……だが! 貴様だけは私の手で殺さなければ気が済まん!! 貴様は──」
「やめてくれ!! もう聞きたくない!!」
ティアナが顔を真っ赤にし、涙を流しながら叫ぶ。
彼女と出会ったのはつい昨日のことだ。
まだ俺は、彼女のことをほとんど知らない。
それでも、どれだけ父親を慕い、大切に思っているか。
たった一日でも、十分に理解できたつもりだ。
だからこそ──、
「要するに、お前はメテルニムスに惚れて民を欺き続けてきた。砦に被害が出なかったのは、モルダウとメテルニムスが繋がっていたからか」
魔族のままで、メテルニムスに囚われたままでは終わらせない。
せめて最後はティアナの父親として終わらせる。
それを背負うのは、英雄である俺の役目だ。
「あぁ、今こそアニヤメリアに復讐し、私はメテルニムス様と共に──」
「黙れ。もう十分だ」
レーギャルンが勢いよくベルトから離れ、背中に四対の翼を作り上げた。
「この世界の未来はティアナとメルクワーズが切り開く。お前たちの娘だからじゃない。彼女たち自身がそう望んでいるからだ」
あぁ、そうだ──。
「俺の大切な仲間が言っていた。王とは民を愛し、民を守る為、先頭に立って力を振るう者のことを言うと。俺はお前を認めない」
「飛鳥くん……」
アーニャへ視線を送ると、彼女は頷きティアナに駆け寄った。
「行くぞ、レーギャルン」
炎の翼が益々燃え盛っていく。
そして、一歩踏み出した、その瞬間。
「お待ちください! 飛鳥様!」
セストが目の前に立ち塞がった。
「セストさん!? 何をしている!? そこを退いてくれ!」
「儂が何とかします! リカルドはきっと、メテルニムスに操られているのです! だから──」
だが、それ以上セストの言葉は続かなかった。
リカルドの右腕がセストの心臓を貫き、命の炎が全身に飛び散った。
ティアナの悲鳴が響く。
「嫌……嫌だ!! セスト!! セストぉ!! ……どうして……どうして、父上が……セストを……」
「ティアナさん……」
アーニャがティアナを抱きしめるが、全身から力が抜け、崩れ落ちていく。
体の中で、何かが弾けた気がした。
「おおおおおおおおおおッ!!」
リカルドの顔目掛け蹴りを放つ。
両腕で受け止め、リカルドが飛び退くが、
「逃すなッ! レーギャルンッ!」
レーギャルンが無数の炎弾を撃ち出し、辺り一面を焼き尽くした。
しかしリカルドは傷一つ負っていない。
一瞬だけティアナへ視線を移し、不愉快そうに吐き捨てる。
「この程度で取り乱すとは。そのように育てた覚えはないぞ?」
「黙れッ!!」
飛び上がり、再びリカルドへ仕掛けるが、
「がっ!?」
背中を打たれ地面に激突した。
手に魔力を宿し、ファルスニールが笑う。
「おいおい、俺を忘れてもらっちゃあ困るな。飛鳥」
「ファルスニール……!」
歯を食いしばり立ち上がろうとした瞬間、リカルドが足を振り下ろした。
既のところで躱すが、あまりの鋭さに皮膚が裂け、鮮血が舞う。
「飛鳥くん!」
「俺は大丈夫だから! ティアナたちを頼む!」
言い終わるのとほぼ同時に、リカルドとファルスニールが拳を振るった。
プレス機のような強大な圧力にレーギャルンが悲鳴をあげる。
「ぐっ!? ……うううううううううう!!」
押し返そうと力を込めるが敵わず、徐々に翼が閉じられていく。
「この程度でメテルニムス様に挑もうとは……」
「全くだ。アニヤメリアもすぐに後を追わせてやる、安心して死にな」
「くそっ……!」
こんなところで……死んでたまるか!!
イストロスを救って、アーニャの神格を取り戻すんだろうが!!
それから……!
浮かんでくるのは、ティルナヴィアで出会った、自分を夫とか王とか言って聞かないエールの人たちに、いつも場を和ませて、気遣ってくれた猫人族の少女。
彼女たちだけじゃない。
真意を問い正さなければならない相手がいる。
決着をつけなければならない相手がいる。
そして──
「ここで死んだら……馬鹿にされるだけじゃ、済まないよな……!!」
『こいつらか、お前が壊したい相手は』
「!? これは……!」
『声』が厳かに告げる。
レーギャルンの炎が一気に膨れ上がり、リカルドとファルスニールを弾き飛ばした。
「むっ!?」
「悪足掻きはみっともねぇぞ、飛鳥!」
向かってくるファルスニールを、蛇腹剣のように変化したレーギャルンが薙ぐ。
『時は来た。振るうがいい、終焉の力を』
「……あぁ」
咆哮をあげ、真正面からリカルドが突進してくる。
静かに一呼吸し、拳を叩きつけた。
「《
拳に宿った魔力がリカルドの全身を駆け巡り身を焦がしていく。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
「リカルド!!」
木々を砕き、リカルドは倒れ伏した。
全身から汗が噴き出してくる。
体が求めるまま、とにかく酸素を取り込んだ。
「まだ終わってねぇぞ! 飛鳥ぁ!!」
ファルスニールを迎撃する為、再び拳を握るが……、
「うぐっ……!? 何だ、一体……何が……!?」
急に視界が歪み始め、意識が段々と閉じられていく。
抗おうとするが体が動かない。
先ほどとは打って変わり、心底嬉しそうに笑う『声』を最後に、目の前が闇に染まっていった──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます