第六十三話 覚悟
「父上……。それは、どういう……」
口ではそう言いつつも、ティアナ自身、リカルドの言わんとしていることを理解したのだろう。
倒れまいと、震えながらも拳を固く握り、しっかりと床を踏みしめている。
「何を言っているんだ、リカルド。やはりピアトラに戻った方がいい。必ず勝利を伝えに帰る」
セストがリカルドの両肩を掴み、励ますように告げた。
だが、彼もまた理解している筈だ。
幼い頃から共に育ってきた、兄弟のような相手が病を押してまで戦場へやってきた、その覚悟を。
その証拠に、セストはリカルドの目を見ることができない。
項垂れ、祈るようにリカルドの肩を揺すった。
「お前たちの勝利は信じている。だが、私の体はそれを待てるほど長くはない」
「父上! 何を弱気なことを仰いますか! 民は父上を必要としています! それを……!」
涙が溢れぬよう、ティアナは顔を真っ赤にし唇を噛みしめる。
その姿を見ているのが、どうしようもなく辛くて──。
「リカルド王、僕からもお願いします。ピアトラに戻って治療を続けてください。メテルニムスは、貴方の命がある内に絶対に倒します」
それぐらいできなくて何が『救世の英雄』だ。
人間と魔族が共存できる世界を作る、その為にはここにいる全員の力が必要だ。
リカルドの犠牲の上に成すなんて、そんなの絶対にごめんだ。
「英雄殿、感謝いたします。しかし──」
病とは思えぬほど力の篭った瞳でこちらを見据え、
「もう決めたことです。どうか、この老いぼれの最後の願いを聞き届けてください」
リカルドは僕の腕を掴んだ。
「ッ──!」
やめてくれ、そんなこと言わないでくれ。
喉元まで上ってくるが、そこで引っかかってしまい言葉にできない。
それぐらい、彼の覚悟は本物で、力強くて。
何を言っても変えることはできない、その事実を叩きつけられて。
無力感を感じながらも、黙ることしかできなかった。
するとティアナが思いっきり机を殴りつけ叫んだ。
「であれば……せめて勝利の瞬間をご覧いただくことが私の最後の孝行です! セスト! バルトロメオ! すぐに出陣の支度をせよ! 一気に魔王城まで進軍するぞ!」
「「はっ!」」
二人が兵士に号令を発するべく身を翻すが、
「待て、二人とも。私に考えがある」
リカルドが待ったをかけた。
「父上、考えとは……?」
不安そうな顔のティアナに、リカルドが頷く。
「ヴァラヒアはメテルニムスの支配下にある。大勢で動けば、それだけ敵に遭遇する機会も増えるだろう。故に、バルトロメオ」
「はっ、何でしょうか?」
「追って首都から部隊がやってくる。お前にはその者たちと共に陽動を頼みたい。私が連れてきた兵とここにいる者だけでメテルニムスに奇襲をかけるのだ」
リカルドの提案に、アルベルトは腕を組みしばらく考え込んでいたが……、
「ふむ、確かにそれならばファルスニールとラークラールの目を引くことができるでしょう。メテルニムスとの戦いまで飛鳥くんとアーニャくんの力をあまり消耗したくはない」
と、同意を示した。
他の面々も頷く。
「では決まりですね。メテルニムスを倒し、今度こそ新しい世界を作りましょう!」
ティアナの号令と共に、各々が準備を開始した。
翌朝──
首都からの部隊を待つバルトロメオたちを残し、僕たちは一足先に魔王城を目指し砦を発った。
一人だけ残しておくのは心配だというティアナの願いもあり、メルクワーズはこちらの馬車に乗ることになったのだが……、
「凄い……! これだけの魔術をお一人で……! あの、もしやアルベルト様は高名な魔術士なのですか?」
クリスタルの馬だけでなく、馬車の中に広がる空間に興味を惹かれたようで、そこら辺の物を手に取っては楽しそうに笑みを浮かべている。
「いいや、僕は魔術士じゃないよ。天才なだけのただの学者さ」
アルベルトも褒められ気分が良いのか、一つ一つ丁寧に説明し始めた。
メルクワーズが魔王を継承して、この光景が当たり前のものになればどんなにいいだろうか。
そんなことを考えながら二人を眺めていたが、視界の端に膨れっ面でティーセットを持っているヘレンが写り、アーニャの方を向く。
確かに僕はこれまでの人生でモテたことは一度もなかった。
まぁアーニャという運命の相手ができたのだから今となってはどうでもいいことだが。
いや、言いたいのはそういうことではなく、自分に何もなかったからといって、人のにまで気付かないほど超鈍感男ではない、つもりだということだ。
「アーニャ。二人が兄妹を名乗ってる経緯とか結局聞かされてないけど……何かあったの?」
「えーっとね……」
アクセルとリーゼロッテの時とは違い、思い当たる節があるようだ。
「んー……でも私はアルベルトさんはもうちょっと人の気持ちを考えるべきだと思うの。あれじゃヘレンさんが可哀想だよ」
思い当たる節はあるようだが話が見えてこない。
もう少し詳しく聞こうとしたその時。
急に馬車が止まり、外が騒がしくなってきた。
嫌な感覚が背中を撫でる。
「ん? 何かあったのかな?」
アルベルトがヘレンとメルクワーズと御者台へ向かうが──、
「三人はここにいてください! アーニャ!」
「うん!」
馬車の扉を勢いよく開け、アーニャと共に外に飛び出した。
そこへ飛び込んできた光景は……、
「ファルスニール!? どうしてここに……!?」
成人ほどの高さの岩の上に座り、ファルスニールは拳大の紫色の宝石を手の中で遊ばせている。
兵士たちが武器を構えるが全く恐れていない様子だ。
ファルスニールはリカルドから視線を外し、
「調子はどうだ? 飛鳥、アニヤメリア」
昨日と同様に軽口を叩いた。
「どうして私たちの居場所が……!? 魔術も施していたのに……!」
「さぁな、気が向いたら教えてやるよ。それより……」
アーニャの疑問を一蹴し、再びリカルドの方を向く。そして──
「陛下! お下がりください!」
兵士の一人がリカルドの前に飛び出すが、
「雑魚に用はねぇ、引っ込んでろ」
あっさりと兵士の首を捩じ切り、リカルドを馬から引き摺り下ろした。
「ぐぅっ!?」
「父上!」
「陛下!」
ティアナとセストが駆け寄ろうとするが、
「なぁティアナ、何でてめぇらの脆弱な砦が今まで無事だったか知ってるか?」
そう尋ね、ファルスニールがニタリと笑う。
「いきなり何の話だ!?」
ティアナが怒鳴り声をあげると、ファルスニールは邪悪な笑みを浮かべたまま……、
「これがその答えだ」
宝石をグッと握り、リカルドの胸に拳を突き刺した。
「があああああっ!?」
「父上ぇ!!」
ティアナの悲鳴とファルスニールの笑い声が木霊する。
次の瞬間、宝石から魔力が溢れ出した。
「そんな……嘘だ……。父、上……」
ティアナの瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。
セストが剣を抜き、咆哮した。
「ファルスニール!! 貴様ああああああああああ!!!」
直後、全身が総毛立つ。
命じていないのに、右腕が黒く変色し炎を宿した。
そのまま大地を蹴り、魔力の渦へ向かっていく。
「飛鳥くん!?」
「セストさん下がれ! 皆は防御魔術を! 早く!!」
緊迫した声に、アーニャたちが防御魔術を展開した。
そこへ宝石から溢れた魔力が襲いかかり、兵士たちを飲み込んでいく。
「この程度ではやれんか。まぁ、それでは困るのだがな」
「え……? その、声は……!?」
聞こえてきたきた重厚な声に、ティアナは耳を疑った。
「てめぇ!!」
声の主へ、全力で拳を叩き込む。だが──、
「何だ、その姿は……!?」
拳を受け止めているのは、間違いなくリカルドだ。
しかしその髪は黒々としていて、肌のシワも消え、病で痩せ細っていた肉体は筋骨隆々なものへと変化していた。
「あれは、昔の……!?」
その姿にセストが狼狽する。
リカルドは拳を弾き返し、ゆっくりとファルスニールへ近付いていった。
「ご苦労だったな、ファルスニール」
「いいや? たった四十年ほどだ、俺たち魔族にとっちゃ昨日みたいなもんだよ」
そう言うとファルスニールはリカルドへマントを着せ、
「ご帰還、お待ちしてたぜ。四大悪魔、リカルド・ホーエンツォレン様よぉ!」
再び大きな笑い声をあげた。
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