第六十二話 第三の男

 バルトロメオを従え、外へ飛び出したティアナが急いで兵たちへ指示を出す。


「慌てるな! すぐに門を閉じよ! 弓兵と術士は持ち場へ着け! 引きつけて戦うのだ! 決して打って出るなよ!」


 彼女の力強い言葉に、兵たちは鬨の声をあげ動き出した。

 それに対して、アーニャは訝しむように口元を手で覆っている。


「アーニャ、どうかした?」


 尋ねると、アーニャは「うん」と頷いた後、


「確かに高位じゃないけど、ここは魔術のお陰で三年前にも襲撃されることはなかったの。なのにどうして……」


 少し間を空け、そう話した。


 言われてみればアーニャの言う通りだ。

 事実、アルベルトがいたにも係わらず、数時間もの間森の中で立ち往生してしまった。

 それにメテルニムスからすればできるだけ早くモルダウを無力化させたい筈。

 四大悪魔とはいえ、単騎で攻めさせるだろうか。


「理由を考えるのは後だよ。まずはお帰りいただかないとね」


 そう述べるアルベルトだが、建物の入り口から体を半分ほど覗かせ、それ以上出てくる様子はない。

 ヘレンの襟を掴み、盾のように引き寄せた。

 対してヘレンは呆れたような、情けないといった表情だが、元々二人を戦力に数えるつもりはない。

 メルクワーズと一緒にいてくれるなら幾分守りやすいというものだ。


「そうですね。二人はメルクワーズを頼みます」


 力強く頷くアルベルトとヘレンを残し、アーニャと共にティアナたちへ続いた。


「アーニャ様! 飛鳥様! 見ていてください! ここは難攻不落、金城鉄壁の砦です! 四大といえど通しはしません!」

「それはもちろん知っているんですが……」


 アーニャは不安そうなままだ。

 安心させる為にも、早くファルスニールとやらを迎撃しなければ。

 そう思い、ティアナに声を掛ける。


「ティアナさん、僕も戦闘に加わります。どこへ着けばいいですか?」

「おぉ! 飛鳥様の戦いが見られるとは! ではセストと共に──」


 そこへ兵たちの悲鳴が聞こえたかと思うと、何かが陽の光を遮り影を作った。


「えっ……?」

「飛鳥くん! 危ない!」


 反射的に体が動き、ティアナを抱き飛び退く。

 直後、真っ黒い一角獣が降り立ち大地を揺さぶった。

 その背に乗っていたのは──


「まさか……!」

「よぉ。てめぇが皇飛鳥か」


 白い髪を逆立て、血のように真っ赤な一つ目が描かれた布で目元を覆ったその男は、こちらを見つめ嬉しそうに口元を歪ませた。

 上半身に纏った、マントと呼べるか怪しいボロボロの布の隙間から、鍛え抜かれた傷だらけの肉体が見える。


「単身で乗り込んでくるとはいい度胸だな! ファルスニール!」


 抱えられたままティアナが吼えた。


 嘘だろ?

 低く見積もっても五メートルはあるぞ、あの柵。

 どんな跳躍力だよ……!


「死に急ぐなよティアナ。今日はてめぇに用はない。もちろん、あの出来損ないにもなぁ」


 と、笑いながらメルクワーズたちがいる建物に顔を向ける。

 その言葉に、ティアナの顔が一気に怒りに染まった。


「私の友を侮辱するか、貴様……!」

「友、ねぇ……」


 理解できないのか、はたまたくだらないとでも言いたいのか、ファルスニールから笑みが消える。

 そこへアーニャが近付いてきた。


「ファルスニール……」

「アニヤメリアか。お前も元気そうで何よりだ」

「どうしてですか?」

「ん?」


 アーニャが軽口を叩くファルスニールを見据える。


「どうして砦の場所を……。ここは──」

「さぁ、どうしてだろうな? まぁどうでもいいじゃねぇかそんなこと。今日は新しい英雄様の顔を見に来ただけだ」


 そう告げ、ファルスニールが身を翻す。

 直後、レーギャルンの炎が一角獣を取り囲み、あっという間に灰にしてしまった。


「おいおい、何すんだよ。帰りの足がなくなったじゃねぇか」


 しかし言葉とは裏腹にどこか楽しげな様子だ。


「帰りのことなんて考える必要はない。お前は今ここで、俺が倒す」


 ティアナをアーニャに預け、手を翳す。


「開け、レーギャルン」


 中央の宝石が光り輝き、レーギャルンが炎の十字架へと姿を変えた。

 その姿に、ファルスニールは探るように口を固く結ぶ。


「マスティヴァイスの小僧とキスキル・ナハトのあねさんを退けたのはその力か。しかしそりゃ一体何なんだ? 腐っても堕天の徒だぞ? 小僧は」

「答えると思うか?」

「いいや。勝手に調べさせてもらうさ」


 互いに一歩ずつ距離を詰めていく。そして──、


「はぁっ!!」


 レーギャルンが炎の渦を吐き出すのと同時に地面を蹴り、拳を叩きつけた。だが……、


「納得いかねぇな」

「はっ……?」


 何事もなかったかのように、一瞬で炎が消えてしまった。

 右腕だけではない。

 レーギャルンも元の姿に戻り、地面へ落ちていった。

 拳を掴んだまま、布の下にあるだろう瞳でこちらを見つめる。


「こんなもんが堕天の徒に通じるか? 通じねぇよなぁ……」


 ファルスニールは少しの間首を捻っていたが、


「出し惜しみしてんならやめておけ。笑えねぇぞ? 飛鳥」


 こちらへもう片方の手の平を向けた。

 嫌な感覚が全身を撫で、急いで右腕を引く。

 ファルスニールの手が光を帯びた瞬間、レーギャルンが視界を覆うが、鉄の塊で殴られたような衝撃に襲われ弾き飛ばされた。


「ぐっ!? 焼き払え! レーギャルン!」


 地面を転がりながらも指示を出すが──


「これは……!?」


 レーギャルンが炎をあげるが、先ほどと同じようにすぐに消えてしまった。

 更に力を込めるが変化はない。


「一体、何が起きて……!?」

「期待外れもいいとこだな。これじゃあ腹が膨れねぇ」


 ファルスニールは心底失望した様子で腹を摩った。

 その姿にアーニャが身を震わせる。


「まさか……『悪食イビルイーター』の力を……!?」

「英雄の力ってのも悪くねぇよなぁ。お陰でメテルニムス様も俺たちも新しい力を得ることができた」


 アーニャは悔しそうに拳を握り、ファルスニールを睨みつけた。


「ステラちゃんの力をそんなことに……!」

「先に仕掛けてきたのはてめぇら神界だろ? それより……飛鳥、本当に終いか? なら──」


 ファルスニールの手に魔力が収束していく。


「ここで死んどけ」

「飛鳥くん! 逃げて!」


 巨大な爆発音が響き、黒煙が皆の視界を覆い尽くした。

 アーニャが悲鳴をあげ、ティアナも絶望した表情で崩れ落ちる。


「そんな……飛鳥様……」


 誰もが息を呑み、黒煙が晴れるのを待っている。

 しかし、次の瞬間黒煙を斬り裂き、熱線が刃のようにファルスニールへ向かっていった。


「何だよ、やればできるじゃねぇか」


 それらを躱しながらファルスニールが口端を釣り上げる。


「後……一つだ……」

「ん?」


 煙の中から飛鳥が姿を現した。

 レーギャルンは互いを炎で繋ぎ、全身を守るように螺旋を描いている。


「今……俺は、何を……」


 状況が飲み込めず、辺りを見回した。

 レーギャルンが封じられ、俺はやつの攻撃で……。

 でも、目の前の光景は……。


「どういう……ことだ……?」


 今の間に何が起きたんだ……?

 何故レーギャルンが再び動いている……?


 記憶を探るがどうしても繋がらない。

 奇妙な感覚に鼓動が速まっていく。

 ファルスニールは近くの屋根に飛び乗り、


「なるほど。メテルニムス様の言う通りだな」


 逃げるつもりなのか身を沈めた。


「待て! 逃すか!」

「あぁ、そういうのはいい。メテルニムス様に会いたければしっかり休んで準備をしてこい。でないとあいつに殺されるぞ?」


 そう言い残し、目にも留まらぬ速さで柵を飛び越え、姿を消した。


「飛鳥様! ご無事ですか!?」


 ティアナたちが急いで駆け寄ってくる。


「は、はい。すみません……逃してしまって……」

「いえ、飛鳥様のお陰で死人を出さずに済みました。感謝いたします」


 と、ティアナは頭を下げた。


 彼女の姿に、とんでもなく申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。

 アーニャとステラはメテルニムスたちを退けたというのに、俺は……。


 そこへ一人の兵士が慌てた様子でやってきた。


「どうした、何事か?」


 ティアナが宥めるように尋ねると、兵士は肩で息をしながらこう告げた。


「へ、陛下が……。リカルド王がいらっしゃいました! それも、軍の精鋭部隊を連れてです!」

「父上が!? 本当か!?」

「はい!」


 兵士の言葉が呼び水となり、歓声が巻き起こった。

 だが、肝心のティアナは目を見開き、自身の胸元を握りしめている。

 それに違和感を覚え、アーニャに声を掛けようとするが……、


「久しぶりだな、我が娘よ」


 低く、重厚な声が背中を叩いた。

 振り向くと、そこには十数名の重装歩兵と、そして──、


「父上……」


 ティアナが呆然と呟く。


 白い髪をオールバックにし、銀色の鎧を纏った老齢の男が、馬上からこちらを見つめている。

 その男は僕らに気付くと、


「その風貌……。馬上から失礼をしました、女神アニヤメリア様」


 兵士の手を借りながら地面に降り、アーニャの前に跪いた。

 それにアーニャはあたふたと手を振り、


「か、顔をあげてください! リカルド王! 三年前はご挨拶もできず失礼をいたしました……」


 と、頭を下げる。

 彼女の様子に、リカルドは微笑みを浮かべた。


「父上、とりあえずこちらへ。色々と、お聞きしたいことが……」

「あぁ、もちろんだ」


 歩き出したティアナとリカルドの後ろでアーニャに尋ねる。


「ねぇ、ティアナさんだけ何かショックを受けてるように見えるけど……」


 するとアーニャは頷き、


「うん……。リカルド王は病で戦いどころか動くのも難しい状況なの。だから三年前にも会えなくて、正直、私も驚いてる……」


 そう答えた。






 アルベルトたちのいる建物へ戻ってきたが、セストもバルトロメオもティアナ同様不安を隠せない表情でいた。

 リカルド王の容態も、恐らく他の者には伝えていないのだろう。

 彼は部屋の隅で縮こまっているメルクワーズに気付くと、


「おや、その子は……?」


 呟くように口にした。


「か、彼女は私の侍女です! い、家を失い彷徨っているところを保護しまして!」

「そうか。それは良いことをしたな」


 ティアナが慌てて説明すると、リカルドはその大きな手で頭を撫でた。


「ち、父上。私はもう子どもではありませんっ」


 少し恥ずかしそうに手をどけるが、その顔は先ほどよりも随分明るくなっていて。

 親子っていいものだななんて、こんな状況なのに暖かい気持ちが湧いてきた。


「陛下、お身体の具合は……」

「セスト、今は近しい者しかいない。普段通りにしてくれ」

「では……。リカルド、動いて大丈夫なのか? お前の体は……」


 二人のやり取りを眺めていると、


「父上とセストは幼馴染なのです。幼い頃から兄弟のように育てられたそうで」


 ティアナが説明してくれた。


「メテルニムスのことは儂たちに任せてくれ。女神様だけではない、新たな英雄様もいらっしゃる」


 セストの言葉に、リカルドがこちらを向く。

 威厳のある姿に思わず背筋を伸ばし名乗った。


「す、皇飛鳥といいます! よろしくお願いします!」


 ヤバい、声が裏返ってしまった……。

 頼りなさそうとか思われたらどうしよう。


「僕はアルベルト・ヤンソン。こっちは妹のヘレンと申します、陛下」


 意外とこういう相手に慣れているのか、アルベルトが堂々とした態度で述べる。

 するとリカルドはジッとアルベルトの顔を見つめ首を傾げた。


「そなたは、アルデアルの……」

「へっ!?」


 いきなりそう言われ、素っ頓狂な声をあげるアルベルトだったが……、


「いや、そんな筈はないか。……二十年近く前、アルデアルを訪問した際に会った魔術士によく似ていてな。確か名前はノル……何だったか……」

「へ、へぇ。そうですか……」


 頬をヒクつかせながら、怒りを抑えるように歯を食いしばっている。

 リカルド王が会ったのはまず間違いなくアルベルトの父親だろうが、その話題は彼にとっては地雷だ。

 何も言わないでおこう。


「ところで父上、軍の精鋭まで連れていかがされたのですか? 訳をお聞かせください」

「あぁ、すまん。本題に入ろう」


 ティアナに促され、リカルドは誕生日席に腰を下ろすと、彼女の顔を見つめこう告げた。


「お前に王位を譲る、それを直接伝える為にここへ来た。この戦いが、私の最後の戦いになるからだ」

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