第五十九話 天才の決断

 キスキル・ナハトを倒し、無事にヘルマンシュタットから脱出した一行は、湖のほとりで野営の準備を行っていた。

 のだが……、


「あの、アルベルトさん」

「ん? 何かな?」


 魔術書を開き、石でかまどを作りながらアルベルトが振り向いた。

 作りながらといっても彼自身が手を動かしている訳ではない。

 魔術によって操られた石たちがひとりでに動き、かまどを形作っていく。


 三年前に来た時も感じたことだが、イストロスの魔術って本当に便利だなぁと改めて思う。

 ティルナヴィアの精霊術は、元々の目的が目的だから戦闘に特化したものばかりだ。

 それに比べ魔術は戦闘はもちろん、こうして日常生活の中にまで溶け込んでいる。

 神界に帰り、再び皿洗いを自分でやらなくてはいけなくなった時なんて、思わずニーラペルシ様に魔術の導入を進言したほどだ。

 却下された挙句、叱られてしまったが……。


 そこへ今度は木の枝が軍隊のように行進しながらやって来て、かまどへ入ると火を纏った。

 その上にヘレンがポットを吊るす。

 一時は人間の尊厳を失ってしまった彼女だが、今は洗い立てのシャツに袖を通し嬉しそうに微笑んでいる。

 怒ったのが効いたのか、アルベルトもそこには触れず、普段通り接していた。


「ここで野営するより、どこか町へ入った方がいいと思うんですが……。アルデアルに比べて魔族や魔獣に遭遇しにくいとは言っても、完全にゼロではないですし……」


 するとアルベルトは馬車を指し


「まぁまぁそう言わずに。大きな戦いの後だ、一日ぐらいのんびりしようじゃないか。町へ行けば望まないやり取りが発生するかもしれないし、何より飛鳥くんを静かに休ませてあげたい」


 と、微笑む。

 彼の言葉に胸が詰まり、馬車の方へ目をやった。

 恐らく、心底辛そうな表情を浮かべてしまったのだろう。


「心配はいらないよ、魔力の使い過ぎによる疲労だからね。しばらく寝かせて、アーニャくんの手料理を食べさせればすぐに回復するさ」


 アルベルトが軽い口調で述べる。

 ヘレンもティーセットを用意しながら同じように微笑んだ。


 二人の気遣いが本当に嬉しくて。


 私も頷き、笑顔を浮かべた。


「そ、そういえば……」


 安心してくれたのか、でも少し遠慮がちにヘレンが


「あ、飛鳥さんは……い、以前からアーニャさんに……その、積極的に……ア、アピールされてたんですか……?」


 あまり突っ込まれたくない話題を振ってきた。


 誤解されては困るので先に弁明しておくが、私は飛鳥くんのことが嫌いなんてことは全くない。

 むしろ、いつも大切にしてくれて、一緒にいると落ち着いて、心が暖かくなって。

 笑顔を見せてくれたり、可愛いって言ってもらえると、凄く嬉しくなって。


 でも……、


 この気持ちが何なのか、恋というものなのか、私には分からない。

 どう振る舞うのが妻らしいのか、どんなことをすれば飛鳥くんにこの想いが伝わるのか分からない。


「えぇと……飛鳥くんの気持ちを知ったのは、ここに来る直前だったので……。思い返してみると、それらしい言動はたくさんあったんですが……」


 ゴニョゴニョと、聞こえるか怪しいほど小さく口にする。

 するとヘレンは慌てた様子で、


「す、すみません……。へ、変なことを……聞いてしまって……」


 謝りしょぼくれてしまった。

 そんな彼女に向かって思いっきり首を振り笑顔を見せる。


「いえ! 変なことだなんて! ……ただ、どう応えれば飛鳥くんが喜んでくれるのか、分からなくて……」

「ん? 何だ、そんなことで悩んでたのかい?」


 恋愛話には興味がないのか、途中から作業に集中していたアルベルトが少し呆れたような表情を浮かべた。


「せ、先輩……そんなことなんて……し、失礼です……!」


 珍しくヘレンが非難するような視線を向ける。

 しかしアルベルトは無視し、こう続けた。


「いいかい? そういう時は自分の心のままに行動するべきだ」

「自分の、心のままに……?」


 今まで考えたことのなかった答えに戸惑い聞き返すと、アルベルトは人差し指を立て、


「そうさ。そして一番大事なのは飛鳥くんに対しても、周りの人間に対しても遠慮しないことだ。仮に、そうだな……君以外に飛鳥くんを好いている女性がいたとしよう。でも──」


 自信満々に語り出したが、途中でいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 飛鳥くんのことが、好きな人──


 亜麻色の髪の毛に、モフったらとっても気持ちがいいだろう獣の耳を持つ、豪胆で気高く、ハッキリと気持ちを示す女性の姿が頭を過る。


「おや、その様子だと既にライバルがいるようだね」

「えっ!? いやその! ライバルというか……」


 段々と細くなっていく声にアルベルトが笑う。


「なら、そのライバルには特に一歩も引いちゃいけないよ? どんな態度を取られようと、どんなに迷惑をかけようと気にしちゃいけない。アーニャくんが飛鳥くんに何をしてあげたいか、それが一番重要だからね」

「私が……したいこと……」


 しばらく考え、一つだけ、やりたいことが浮かんできた。


「コーヒー……」

「ん?」

「飛鳥くんが起きたら、いつもみたいに、私が淹れたコーヒーを飲んでほしいです……」


 ポツリポツリと口にする。

 それにアルベルトは満足げに微笑んだ後、


「うん、それはいい。きっと大喜びするよ、この天才が保証しよう。ところでヘレンくん」


 と、ヘレンに声を掛けた。


「な、何でしょうか……?」


 お茶の準備をしていたヘレンが手を止める。


「先輩で思い出した。君に頼みたいことがある」

「わ、私に……できることであれば……」

「うん。実はね、僕と家族になってほしいんだ」


「「へっ?」」


 アルベルトの言葉に、二人揃って間抜けな声を発し目を見張った。


「か、かぞ……え、えっと……!? つ、つまり……わ、私とせ、先輩が……!」


 ヘレンの脳が意味を理解し、「マリッジ」と返した直後、彼女の顔が一気に赤くなる。

 アルベルトの方も真剣な表情で、


「あぁ、僕には君が必要なんだ」


 定番の殺し文句を突き刺した。

 ヘレンと同じように、こちらの顔も段々熱くなっていく。


 え、ええええええええええっ!? こ、これってプロポーズだよね!? 二人ってそういう……!?

 でもヘレンさんも驚いてるし、アルベルトさん……ヘレンさんのことをそんな風に……!

 あ! だから家にまで押しかけて旅に同行したのか!


 二人にした方がいいかなとか、それとも見届けて証人になった方がいいかなとか、今は人間だけど二人の未来に幸多からんことをって女神らしく加護を与えたりすべきかなとか、様々な思いが頭の中を駆け巡る。


「あのっ! ふ、ふちゅちゅか、者……ですが……!」


 恥ずかしさが限界突破したのか、若干過呼吸になり呂律が回らない状態で、絞り出すようにヘレンが返事をした。

 アルベルトの顔がパッと明るくなる。


 大変な時だけど、こんなに喜ばしい場面に出会えるなんて……! と感極まり、私まで泣けてきてしまった。

 立ち会った以上私が言うべきことはただ一つ。

 思いっきり息を吸い込み、一文字目を発した瞬間だった──


「ありがとう。呼び方は……兄上かお兄ちゃんか兄様か、好きなので呼んでくれたまえ」


「「……はい?」」


 脳がアルベルトの言葉をうまく処理できずフリーズしてしまった。

 ヘレンも、顔から赤みが引き鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。


「アルベルトさん、それはどういう……?」


 微動だにしないヘレンの代わりに聞いてみた。


「あぁ、僕のファミリーネームは知ってるよね」

「ノルデンショルドさん、ですよね……?」


 アルベルトは「うん」と頷き、


「知っての通り、三年前の戦争でアルデアルはヴァラヒアと協力関係だった。でもそれだけじゃない。メテルニムスたちの戦力を最大限活かせるよう、僕や父上をはじめノルデンショルドの一族が戦略担当をしていたんだ。つまりモルダウにとってノルデンショルドは最大の裏切り者という訳さ。だからしばらくの間、僕はアルベルト・ヤンソンと名乗ることにする。アーニャくんは顔が知られているし、飛鳥くんと僕じゃ似ても似つかないからね。と言う訳でヘレンくん、今から君はこの天才の妹だ。ボロが出ないよう上手くやってくれ」


 などと言い出した。


 そんな話、三年前に出てたかなぁと思い返してみる。

 あの時はメテルニムスと四大悪魔の攻略にとにかく必死で、それにアルデアルは確かに魔族サイドではあったが共闘していた訳ではない。

 正直動向は監視していたものの、個人までは特には……。


 それより今はヘレンの方だ。

 先ほどから死んだ魚のような目でブツブツと何か呟いている。


「ヘ、ヘレンさん……?」

「ハッ……だ、大丈夫、です……。か、勘違いとか……してません、から……。に、兄様って……よ、呼びますね……」

「そうしてくれ」


 「そうしてくれ」じゃないでしょおおおおおおおおおお!!

 ヘレンさん明らかに喜んでたのに! 久しぶりの明るい話題だったのに!

 世の中には人の心が分からないサイコ何とかって人がいるらしいけどアルベルトさんもそうなのかな?


 一気に湧いてきた疲労に溜め息をつき、慰めるようにヘレンの手を取る。

 その時だった。

 辺りから低い唸り声が聞こえ、全身に殺気が浴びせられた。


「魔獣……!? しかもこんなに……!」


 全方位から角が生えた狼の群れがこちらを睨みつけている。

 ヘレンをアルベルトに託し、剣に手を掛けた。だが──


 私たちの間を縫うようにレーギャルンが駆け抜け、あっという間に先頭にいた数匹を蹴散らしてしまった。

 敵わないと見たのか、群れが散り散りに逃げていく。


「皆! 大丈夫!?」

「飛鳥くん! 良かった、目が覚めたんだね」


 向かってくる飛鳥に笑いかけるが、


「──ッ!?」


 飛鳥は途中で顔をしかめ膝を折った。


「大丈夫!? しっかりして!」

「うん、大丈夫だよ……。まだ少し疲れてるだけだから……」

「でも、顔が真っ青だよ……? まだ休んでた方が……」


 しかし飛鳥は微笑み首を振る。

 そんな彼をアルベルトの椅子に座らせ、治癒の魔術を施した。


「アーニャくんの言う通りだ、無理はしない方がいい」

「ありがとうございます。でも、今後のことを話し合っておきたくて……」


 そう言って飛鳥が私の目を見つめる。

 きっと同じことを考えていたのだろう。

 代わりにアルベルトたちにこう伝えた。


「まずはパシュカに行きたいんですが、いいですか?」


 その提案にアルベルトとヘレンが首を傾げる。


「パシュカ? 確かモルダウの中でも魔術研究が盛んな街だったね。でも、このまま首都を目指した方が近いけど……パシュカに知り合いでもいるのかい?」

「いえ……」


 アルベルトの問いに首を振る。


「パシュカは仰った通り、学問が盛んな都市です。そこで二人の仕事を見つけて、その先は私と飛鳥くんだけで行きます」

「アーニャ……さん……」


 ヘレンの顔が悲しそうに曇る。


 でも、もう決めたことなのだ。

 ここから先は……。


「これ以上、お二人を巻き込むことはできません。約束通り、仕事が見つかったら、お別れです」


 二人に戦う義務はない。

 それに……悔しいけど、今の私たちでは二人を守りきる自信もない。

 だから……、


「そんな約束したかなぁ?」

「えっ……?」


 アルベルトがわざとらしく頭を掻きそう述べた。


「あのっ──」

「ヘレンくん、いや、妹よ。そんな約束をしたのかな?」

「い、いえ……し、知りません……そんな、約束……」


 ヘレンも小さく首を振った。

 思わず飛鳥が身を乗り出す。


「ヘレンさん、仕事探しを手伝うって言ったじゃないですか。ヘレンさんもそれを了承して──」

「し、知りません……。お、覚えてません!」


 語気を強めるヘレンに、飛鳥は押し黙ってしまった。


「少し考えてみたんだけどね」


 と、アルベルトが口を開く。


「今更一地方都市の研究員なんて、この天才とその妹がやるような仕事じゃないよねぇ。どうせやるなら、モルダウとアルデアルの間に立って人間社会の立て直しとかやる方が面白いと思うんだ。その為にも、君たちには魔王を倒してもらわなきゃならない。でも相手は強大だ、めちゃくちゃ優秀な天才がバックにいなきゃ難しいと思わないかい?」

「アルベルトさん、でも……というか、二人が兄妹って、僕が寝てる間に何が……?」

「そこはおいおい話すよ。あぁ、止めても無駄だよ? 僕は人の気持ちが分からない。というより理解する気がない。何故なら僕は僕のやりたいことしかしないし、それが絶対の正解だと信じているからだ」


 本当の兄妹のように、アルベルトはヘレンの頭をポンポンと撫でながら口の端を釣り上げた。

 ヘレンも縮こまってはいるが、その目に迷いはない。

 どうしてこうなっちゃうんだろうと考えつつも、思わず笑ってしまった。


「分かりました。改めて、よろしくお願いします。飛鳥くんも、いい……よね?」


 先に説得を諦めていたのか、観念したように飛鳥が頷いた。


「首都より先に、三年前に一緒に戦った人たちに会いに行きたいんです。メテルニムスの復活を受けて、砦に集まってると思います」

「よし、決まりだ。今夜はたくさん食べて、ゆっくり休んで、明日になったらそこへ向かおう」

「はい!」


 元気よく返事をし、お茶とコーヒーを淹れるべくポットを手に取った。

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