第五十八話 盲目

「メテルニムスだって……!? あれが……!」


 さすがのアルベルトも、突然の遭遇にヘレン同様真っ青になり怯えを見せる。

 二人をこれ以上危険な目に遭わせられない、私は咄嗟に二人を庇うように立ち塞がった。

 しかしそれだけだ。

 それ以上、動くことができない。

 冷や汗が頬を伝い、心の中は恐怖に満ちている。

 メテルニムスの放つ威圧感は変わらないが、前回とは明らかに異なる彼女の様子に心が締め上げられた。


「……それがお前の力か、飛鳥」


 メテルニムスは浮遊しているレーギャルンを一瞥し、すぐに飛鳥へ視線を戻すが、その瞳には怒りと殺意が満ちている。

 キスキル・ナハトの冷ややかなものとは違う、噴火寸前の火山のように激しく、世界を揺さぶるようなそれは、向けられただけで並大抵の人間なら狂ってしまいそうなほどの強さを湛えていた。


「メテル……ニムス、様……」

「喋るな、傷に障る」


 力なく名を呼ぶキスキル・ナハトにピシャリと言い放ち、ねじ伏せるように剣を掴む手に力を込める。

 それに抗うことができないのか、飛鳥の表情が苦しそうに歪んだ。


「ペルラだけならまだしも、マスティヴァイスやキスキル・ナハトまで退けるとは。本当に厄介だな、英雄の力というのは」

「ふざけるな……! 元はといえば全てお前のせいだろう!」

「まだ言うか、侵略者よ。お前たちはやり過ぎた。私の城に辿り着くまでに、後どれだけ殺すつもりだ? それとも、魔族や魔獣ならばいくら殺しても問題はないと? 私も同じだ。人間をどれだけ虐げ、殺しても何の感慨もない。つまり、私とお前たちは同じということだ」


 告げ、メテルニムスはニタリと笑う。

 その言葉を振り切るように飛鳥は怒鳴り声をあげた。


「一緒にするな! 俺たちは快楽の為に戦ったりはしない! お前たち魔族とは違う!」

「違わんよ。目的が何であれ殺すという行為に変わりはない」

「黙れ!!」


 柄から手を離し、飛鳥が飛び退く。


「斬り裂け! レーギャルン!」


 全方位からレーギャルンが襲いかかるが、メテルニムスの生み出した障壁によって阻まれてしまった。

 だが飛鳥は攻撃をやめない。

 その中でふと、メテルニムスの表情に変化が見られた。


「む……? これは……!」


 何かを確かめるかのようにレーギャルンへ目をやるが、しばらくして──、


「そういうことか……!」


 血が出るほどに唇を噛み締める。

 目には再び怒りの炎が灯った。


「神界とは何とおぞましい場所だ。侵略の為なら手段は選ばんということか……!」


 突如メテルニムスは咆哮を轟かせ、体から溢れ出たドス黒い魔力が四人を薙いだ。

 床を転がるヘレンの腕を掴み、アルベルトが呻く。


「冗談だろう……!? 魔力の放出だけでこれほどとは……!」


 絶望が、心を満たしていく──


 私は前回と同じ力を手にし、飛鳥くんはレーギャルンという新たな力を手に入れた。

 それでも、全く勝ちの目が見えない。

 ステラちゃんの力を取り込んだとはいえ、前回とあまりに違い過ぎる。

 このままじゃ、イストロスの救済なんて……。


 しかし次の瞬間、真横を飛鳥が駆け抜け、炎が宿った右手をメテルニムスに叩きつけた。


「まだ足掻くか」

「当たり前だ! 俺たちはお前を倒してこの世界を救う! 最初に言っただろう!」

「……そうか」


 再びメテルニムスの魔力が飛鳥を弾き飛ばした。


「がぁっ! くそっ……!」


 キスキル・ナハトとの戦いで既に魔力は底を尽きている筈だ。

 そうでなくても、街に侵入してからこちら、およそ人間一人が扱える量を遥かに超える魔力を使い続けている。

 それでも立ち上がろうとする飛鳥を憐れむように見つめ、メテルニムスは手を差し出した。


「飛鳥よ、私と共に来る気はないか?」

「何……!?」


 その言葉に耳を疑った。


「飼い人としてではない。私の同盟者として……私もお前も神界の犠牲者だ、お前にはその資格がある」


 彼女の瞳には、先ほどまでの激しい怒りはない。

 心の底から悲しそうな、飛鳥を労っているようにさえ見える。


 今の間に一体何が……?


「何度も……言わせるなよ……!」


 飛鳥が苦々しく呻く。


「俺はお前を倒す。同盟だと? 本気で言っているのか?」

「いや……すまん。だが、このままではいずれ、お前は神界を憎むことになる。『救世の英雄』になったことを後悔する。私ならば、その心を癒してやれるのではと考えてしまった……」


 己の気持ちが理解し難いのか、メテルニムスは困惑したように眉を寄せた。

 だがそれはこちらも同じこと。


「何を言って……。飛鳥くんが神界を憎むなんて、そんな……」


 すると彼女はこちらを睨み、


「アニヤメリア。そういえばお前、『神ま』はどうした? 何故飛鳥の能力を見てやらない? こんな力を与えて、飛鳥に何をさせるつもりだ?」


 そう尋ねた。


「飛鳥くんの能力……? どういうこと? 貴女はレーギャルンについて何か知っているの?」


 メテルニムスの意図するところが理解できず、彼女を見つめていたが……、


「そうだな。所詮下位神のお前には何も知らされてはいまい」


 と、彼女は飛鳥に視線を戻した。


「飛鳥よ、このままではお前は──」

「黙れ、お前の言うことを信じると思っているのか?」


 その答えにメテルニムスは溜め息をつき背を向ける。

 そして、キスキル・ナハトを抱き上げた。


「申し訳……ございません……」

「喋るなと言っただろう。……帰るぞ」


 二人の目の前に黒い壁が広がる。


「飛鳥よ、そこまで言うならもう止めはしない。私の城へ来るがいい。お前がお前のままで辿り着けたなら、その時は全力で相手をしてやろう」


 そう告げ、メテルニムスが一歩踏み出す。


 正直、安堵してしまった。

 飛鳥くんもアルベルトさんもヘレンさんも、そして私自身消耗しきっている。

 見逃された、というのは悔しいがここで死ぬ訳にはいかない。

 決着の地は魔王城。それまでに、可能な限りの準備をしなければ……!


 飛鳥もそれは理解しているのだろう。

 自分を抑えるように、拳を握りしめ固く唇を結んでいる。

 そこへ突如、バンッと勢いよく馬車の扉が開いた。


「お待ちください! 魔王メテルニムス様!」


 私たち四人はこうしてへたり込んでいる状態なのだから、そんなことをする人間は一人しかいない。


「エレナくん!? 出てくるなと言っただろう!?」

「エレ、ナ……?」


 アルベルトが怒鳴るが、エレナは応えずメテルニムスへ近付いていく。

 彼女の名を聞いたキスキル・ナハトがピクリと動いた。


「ダメですエレナさん! 危ないから下がってください!」


 それでもエレナは止まらない。

 頬を赤く染め、照れ臭そうな表情を浮かべながら、メテルニムスの前まで行くと膝をついた。


「え? 本当にエレナ? エレナなの? ちょ……顔見せて! 顔!」


 腕の中でジタバタと暴れるキスキル・ナハトを抑え、メテルニムスはエレナの方へ振り返った。


「えぇい、ジッとしていろ。何か用か? エレナとやら」

「あのっ……私を、キスキル・ナハト様の飼い人にしてください!!」


 勇気を振り絞るようにエレナが叫ぶ。


「「「「はああああああああ!?」」」」


 その衝撃たるや、普段ボソボソとしか喋らないヘレンまで声を張り上げる始末だ。


「ほぉ、自ら飼い人を希望するとは珍しい人間だな」

「はい、その、えぇと……わ、私……キスキル・ナハト様がこんなに美しい方だとは思わなくて……」

「こいつに惚れたか」


 ズバリ言い当てられ、エレナは真っ赤になり手で顔を覆ってしまった。

 その様子にメテルニムスが笑う。


「だそうだが、どうする?」


 と、キスキル・ナハトの方を向くが……、


「飼い人になんてしてあげないわぁ。……わ、私の恋人としてなら……いいわよ」


 どこにそんな力が残っていたのだろうか。

 メテルニムスの腕から勢いよく飛び上がり、綺麗な着地をキメたキスキル・ナハトがエレナを手を握る。

 おまけに嗜虐性たっぷりの女帝スタイルはどこへやら。

 恋する乙女のようにこちらも赤くなり緩みきった表情を見せた。


「あ、ありがとうございます!」


 エレナが満面の笑みでお礼を述べると、二人はスキップしながら黒い壁の中に消えてしまった。

 メテルニムスも姿を消し、残された四人はしばらくポカンとしていたが……、


「と、とにかく脱出しよう。キスキル・ナハトが倒れたことはすぐに広まるだろうし、その隙に関所を突破するよ」


 メイド姿の夢魔たちが逃げ出すのを目にし、アルベルトは馬車へ駆け寄った。

 飛鳥が最後の力を振り絞り瓦礫を吹き飛ばす。

 そして、一行はキスキル・ナハトの城を後にした。

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