第五十六話 根本

 死神を先頭に、魔獣たちがゆっくり、ジリジリと距離を詰めてくる。

 キスキル・ナハトが放った言葉に、アルベルトはガリガリと頭を掻きむしった。


「人間と魔族の間に子どもだって!? それも魔獣なんて……そんなの聞いたことないぞ!?」

「だから言ったじゃない。その子は特別なの」


 早くその瞬間が見たいのか、玉座へ戻ったキスキル・ナハトは興奮した様子でケラケラと笑い声をあげる。

 アルベルトがヘレンの肩を掴んだ。


「ヘレンくん! 休みたいとは思うが手伝ってもらうぞ! 二人に強化魔術を、死んだら休むこともできないからね!」


 アルベルトは魔術書を開き、詠唱を始める。

 ヘレンも袖で涙と鼻水を拭き、力なく頷くが、チョークを取り出すと床に陣を描き始めた。


 次の瞬間、死神の姿がフッと消える。


「ッ! 来ます!」


 アーニャは剣を構えた。

 剣身に光が集まっていく。

 死神は一瞬でアーニャの前まで移動し、髑髏の面の下から長い舌を出し迫った。


 そこへ──


「俺に強化は必要ない」


 死神の顔面に靴底をめり込ませ、思いっきり蹴飛ばす。


「俺の可愛い嫁に……手を出すなッ!!」


 まるで野球のライナーのように死神は低空飛行し壁に激突した。

 しかしすぐに立ち上がり猫背気味に前を向く。

 手応えはあったが、まるでダメージを受けていないようだ。

 忌々しげに舌打ちし、


「面倒な」


 レーギャルンを構え、今度はこちらから距離を詰める。

 その背を見つめ、アーニャは真っ赤になりながら、


「お、お嫁さんは……まだ、だけど……」


 恥ずかしそうに呟いた。


「ほぉ。まだ、か」


 普段なら「まだ!? まだってことは将来的には嫁になってくれるってこと!?」と狂喜乱舞するところだが、今だけは代わりにアルベルトがからかうように笑う。

 今全身を支配しているのは、怒り、憎悪、嫌悪、軽蔑──そして、全てを壊したいと願う破壊衝動だけだ。

 アーニャの言葉に応える余裕がない。


「さて、僕らにできるのはこれぐらいだ! 飛鳥くんがやつを倒すまでは頼んだぞ! アーニャくん!」

「いえ、十分です!」


 全身に力が漲る。

 キスキル・ナハトへの道を開く為剣を振るった。

 魔獣が吹き飛び前へ出るが、


「無駄よ。私の力は貴女が一番よく知ってるでしょう?」


 再び魔獣の群れが現れた。

 しかもさっきより数を増している。


「やっぱり、貴女も力が増して……!」


 苦々しく歯を食いしばるのを見て、キスキル・ナハトは嬉しそうにパチパチと手を叩いた。


「あぁ、その顔だわぁ。でも足りないの。ねぇ、早く魔獣の母になって、もっともっと絶望を見せて」

「絶ッッッ対に嫌です!!」


 自分でも驚くほどの大声をあげ、再び剣を構える。

 だが、突如爆炎が視界を覆い魔獣を薙ぎ払った。

 レーギャルンの宝石が光を放つ度、爆炎と炎の柱が現れ、現れたそばから魔獣を吹き飛ばしていく。


「凄い……! これなら!」


 強化された脚力で一気にキスキル・ナハトへ駆け寄り剣を振り下ろした。

 彼女はそれを受け止め


「もう、どれだけ私の子どもたちを虐めれば気が済むの?」


 と、心にもない言葉を吐いた。


「そんなこと思ってないでしょう!?」

「えぇ、思ってないわ。でも、これだけの魔力をこちらに集中させて、向こうは平気なのかしら?」


 キスキル・ナハトは楽しげに笑い、飛鳥へ視線を移す。


「ッ! 飛鳥くん!」

「行っちゃダーメっ。三年前の借りを返さないとねぇ」


 キスキル・ナハトの両手先が黒い刃へと変化し、踊るように体をくねらせ次々と斬撃を放つ。

 しかし、アーニャはその全てを見切り叩き落とした。

 それにキスキル・ナハトが少しだけ驚きを見せる。


「あら、貴女も以前より強くなっているのね」

「当たり前です!」


 アーニャは思いっきり踏み込み横薙ぎの一撃を放った。


「メテルニムス様から、神界の連中は戦い以外怠け者と聞いていたけど、貴女は違うのね」

「た、確かに、ステラちゃんと別れてから飛鳥くんと出会うまでは、他の下位神とお茶したり、神界を散策したり……で、でも! ちゃんと『月間神様通信』で鍛錬は続けてきましたから!」


 彼女の言葉に、アルベルトとヘレンはズッコケるように前のめりになり、キスキル・ナハトも呆れたように笑う。


「そういうの、世間では家事手伝いっていうんだけど知ってる?」

「家事だって立派な鍛錬です!」


 剣撃音の只中でニート談義に花を咲かせる二人であったが、遂にアーニャの攻撃がキスキル・ナハトの肩を捉えた。

 パックリ裂けた傷口から鮮血が舞う。


「あぁ! これよ!」


 傷を見つめ、キスキル・ナハトは身を震わせ叫んだ。


「相手の肉を斬り、潰す感触を味わいながら、互いの血で互いを濡らす。いいわぁ……もっと感じ合いましょう! アニヤメリア!」


 アーニャは鳥肌を立て、キスキル・ナハトとは別の意味で身を震わせる。

 そして、普段は言わない言葉を、最大限感情を乗せ言い放った。


「貴女の、そういうところが嫌いなんです!!」






 顔面に強烈な一撃を食らったにも関わらず、死神は何事もなかったかのようにその場に佇んでいる。

 だが、こちらの姿を認めると、ドス黒い槍を一本生み出し踏み出した。


 そして──


 間合いに飛び込んだ瞬間、迷わずこちらの額を狙い槍を突き出す。

 弾き、水平に剣身を走らせるが、すぐに槍を手元に戻され防がれてしまった。

 そのまま槍を回し、今度はこちらの心臓を穿たんとする。

 それを叩き落とし舌打ちをした。


「ムカつく戦い方をしやがって……!」


 しかしこいつはこちらの急所だけを狙っている。

 それならば攻撃を読むのは容易い。が……、


「ふっ!」


 勢いよく踏み込み、多方向から仕掛けていく。

 しかしそのどれもが、最小限の動きで捌かれてしまった。


「この野郎……!」


 こちらも決め手となる攻撃が繰り出せない。

 どれだけ体勢を崩そうとも、どれだけ素速く仕掛けようとも、捉えることができない。

 段々と苛立ちが溜まっていった正にその時。


 死神は顔を──面で覆われていて表情は分からないが、顔をアーニャへ向けた。


 血液が沸騰しそうなくらい、更に体温が上昇していく。

 脳が気持ち悪さを訴えるほど掻き乱され、こいつを破壊したい、その欲求だけが高まっていく。


 こいつは俺と戦う意思がない。

 アーニャを目指す間に現れた障害物、その程度にしか考えていないのだろう。

 だから闘気も殺気も感じられない。


 最悪のシナリオが頭を過った。


 向こうにはレーギャルンを配置してあるとはいえ、キスキル・ナハトはほとんど無限に魔獣を生み出せる。

 こちらの攻撃が追いつかなくなれば、俺諸共すぐに飲み込まれてしまうだろう。

 そうなれば、アーニャはこいつに……!


 トンッと音が響いた。


 死神が槍を床にバウンドさせ、浮かび上がったそれを九十度回し眼球を捉えようと石突きを弾く。


「しまっ──」


 だが、直後レーギャルンの一枚が槍を弾き、熱線を放った。

 死神はそれを避け後ろに飛び退くが──、


「何をしている……!」


 拳を握りしめ、レーギャルンを殴りつける。


「俺のことなどどうでもいい!! お前たちの役目はアーニャを守ることだろうがッ!! 俺の望みの具現だというなら、一体でも多く魔獣を灼けッ!! やつらを殲滅しろッ!!」


 吠えるように命じ、息を吐く。

 感情のコントロールができない。

 やつの弱点を見つけなければならない状況なのにうまく思考が回らない。


 死神が体勢を整え、再び心臓を狙い槍を突き出す。

 次の瞬間、頭を掴まれ、『声』が聞こえてきた。

 酷く楽しげに、嬉しそうに笑っている。


『そうだ、それでいい』

「はっ……?」


 脳に、情報が書き込まれていく。

 そこに踊る文字に目を見開いた。


「そうか……やつは……!」

『怒れ、もっと怒れ。もっと……もっとだ!!』

「何……!?」

『怒りこそ貴様の力の源、破壊こそ貴様の根本。それ以外には何もない。怒り、壊すことでしか、お前の望みは叶えられない』


 そしてもう一度、嬉しそうに笑い声をあげた。


『そいつはレグルスのと同じだ。やつと同じ──』

「今までのことは礼を言うが、そこから先を言うようなら俺はお前を破壊する。マティルダは誇り高い獣の王だ、こんなやつと一緒にするな」

『……そうか。俺でさえ破壊するか、それはいい』


 待ち侘びるかのようにそう告げ、『声』が消える。

 既に槍の穂先が胸を捉えていた。しかし──


「無駄だ。


 体から噴き上がる炎が槍を溶かしていく。

 そのまま炎が槍を侵食し、死神は手を離した。

 そこを逃さず、頭を掴み剣を突きつける。

 剣身が今までにない程の業火を纏った。


戦場を往くはブレイキング──」


 引き剥がそうと死神が腕を握りしめる。

 爪を立てられ血が滴るが、今は痛みも感じない。

 ここで完全に破壊する──その思いのみで、剣身を叩きつけた。


我に在りボルケーノ!!」

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