第五十五話 うらはらの母性

 玉座の間へと飛び込んだ馬車は、その構造にあるまじき見事なドリフト走行を見せ停車した。


「エレナくん! 絶対に出てきちゃダメだぞ!」

「は、はい!」


 エレナが力強く頷くが、それを待たずアルベルトとアーニャは飛び出しヘレンの元へ駆け寄る。


「ヘレンさん! これは……!」


 ヘレンの様子にアーニャが顔をしかめるが、アルベルトは彼女の両脇を持ち上げ、


「ん? ヘレンくん、君何か臭うぞ?」


 と鼻をヒクヒクと動かした。

 その言葉に、アーニャが再び噛みつかんばかりに雄叫びをあげる。


「アルベルトさん!! 貴方にはデリカシーがないんですか!?」

「えぇ……事実を述べただけじゃないか……」


 何故かアルベルトは困惑した表情を見せた。

 やはり頭のネジが数本飛んでいるようだ。


「ヘレンさん、もう大丈夫ですからね! すぐにここから脱出しましょう!」


 アーニャはヘレンと目線を合わせ、元気付けるように体の前で拳を握った。

 すると、安心感と羞恥心が一気に湧き出てきたのだろう。


「うぇ……うえええええぇぇぇぇぇん……!」


 まるで幼子のようにヘレンが泣き出した。

 涙や鼻水、その他諸々の液体が服につくのもかえりみず、アーニャは微笑みヘレンを抱きしめる。

 そんなやり取りにホッと息をつき──


「お前がキスキル・ナハトか」


 皆を守るようにレーギャルンを展開し睨みつけた。


「えぇ、そうよ。初めまして、飛鳥」


 柔和な、見た目相応の笑顔に一瞬だが警戒心を忘れてしまった。

 慈愛に満ちた瞳に、柔らかく半月を描く口元──女帝というからどんな烈女かと想像していたが真逆の印象だ。

 交渉したら、案外見逃してくれるんじゃないか。

 そんなことを考えてしまう。


「ふふっ、これ、食べる?」


 そう言ってキスキル・ナハトはヘレンの口の中にあるのと同じ菓子を摘まんでみせた。

 菓子よりも甘い自身の考えを振り切るように思いっきり首を振り、再び睨みつける。


「いらん。それより、お前に聞きたいことがある」


 そうだ。どうしても、これだけは確かめておく必要がある。

 キスキル・ナハトは何故──、


「なぁに? そんなに怖い顔をして」


 彼女は笑顔のままそう尋ねた。

 アーニャたちも息を呑む。


「前回、アーニャとステラがこの世界に来た時、何故アーニャには何もしなかった?」


「え?」

「飛鳥くん……それは……」

「アッハッハ! やっぱりそれか!」


 困惑したように眉を寄せるキスキル・ナハトに、聞きたくないと目をギュッと瞑るアーニャ。

 そして、予想通りといった様子で大笑いするアルベルト。


 場の緊張感を崩してしまった気はするが、確かめずにはいられなかった。

 ステラは可愛い顔立ちをしていたし、髪の毛にもツヤがあって、街を歩けば多くの人が振り返るだろう容姿だったが、それならアーニャも負けてはいない。

 いや、むしろ個人的な意見を言わせてもらえばアーニャより可愛い人などいない。

 そう断言してもいい。

 容姿の比較などあまりしたくないが、ステラとアーニャが並んでいたら間違いなくアーニャにアプローチする。

 俺なら絶対にそうする。


「最初ステラに随分執心してたそうじゃないか。何故だ。何故ステラだけで、アーニャには何もしなかった? 答えろ」

「ん〜そうねぇ……」


 キスキル・ナハトは唇に指を当て、考え込む仕草を見せる。

 そして──、


「二人の旅を見てて思ったんだけど、アニヤメリアって真面目過ぎるのよ。手元に置いてもつまらなそうだったから」

「んなっ……!?」


 まずは性格を貶され、アーニャが顔をヒクつかせた。

 無意識に頬がピクリと動く。


「それに、胸やお尻が小さいでしょ?」

「うぐぅ……」


 実は気にしているのか、アーニャが嗚咽を漏らす。


「でも太ももだけムチムチじゃない? バランスが悪いのよね」

「もうやめてぇ……」


 アーニャが崩れ落ちるのを見て、キスキル・ナハトは楽しげに笑った。

 前頭前野に電気が走り、手でグチャグチャに掻き回されるような感覚に襲われる。


「そこが……」

「え? なぁに?」


 右腕が黒く変化し炎を纏う。

 床を蹴り飛ばし、一気に距離を詰めた。


「そこが魅力的で可愛いんだろうがああああああああああッ!!」


 咆哮に反応するように、レーギャルンの宝石が光を放つ。

 すると床から無数の炎柱が出現し、数本ずつが絡まるといくつもの渦を作り上げた。

 それらを一気に叩きつける。


 だが──、


 突如現れた魔獣の群れに阻まれ舌打ちをする。

 キスキル・ナハトを守る為、正面から炎の渦を受けた魔獣たちの肉片が雨のように降り注いだ。

 彼女は両手で顔を覆い、


「酷いわぁ、私の可愛い子どもたちがぁ……」


 なんて台詞を吐くが、その顔に悲しみや哀れみなどなく。

 興奮したように頬を紅潮させ、恍惚とした表情を見せた。

 それがとてつもなく気味悪く感じられ、


「盾にしておいて何が酷いだ」


 軽蔑するように吐き捨てる。

 しかしキスキル・ナハトは表情を変えず、


「子どもが親を守るのは当然でしょう?」


 そう告げた。


「あぁ、そうだな。だが、その反対だって当然の筈だが?」

「えぇ? 何で私がこの子たちを守らなくちゃいけないの? 望めばいくらでも生まれるのに」


 あまりの感覚の違いに眩暈を覚える。

 子どもと表現しながらまるで消耗品扱いだ。

 人間を平気で虐げ、殺すことに躊躇いもない理由が分かった気がした。


「人間って、本当に不便な生き物よねぇ」

「何……?」

「だって一度死んだら終わりでしょう? こんな風に!」


 馬車の陰から魔獣が現れ、アーニャたちへ襲い掛かる。

 アーニャが剣に手を掛けるが、それより速くレーギャルンの炎が魔獣を灼いた。


「あらぁ? バレちゃってた?」


 キスキル・ナハトが意外そうにそちらへ視線を移す。


「お前の嗜虐性についてはアーニャたちから聞いている。俺を絶望させようとしても無駄だ」


 冷静に告げるが、彼女は何故か嬉しそうにアーニャを見つめ舌舐めずりをした。


「そうなの? もしかしてアニヤメリア、貴女……」

「な、何ですか?」

「そんなことまで覚えてるなんて、私のことが好きなの?」

「違いますッ!!」


 被せるようにアーニャが吼える。

 キスキル・ナハトは少しだけ申し訳なさそうに、


「でもごめんなさい。私、他に好きな子がいるから……」


 視線を逸らした。


「だから違います!!」


 勝手にフラれた感じになり、アーニャは顔を真っ赤にし地団駄を踏む。

 誰にでも優しく礼儀正しい彼女がここまで悪態をつくとは、思った以上にキスキル・ナハトのことが嫌いというか苦手らしい。

 アーニャの為にも、早くここを脱出しなければ……!


「あぁ、そうそう。飛鳥、さっきの言葉だけど」

「さっきの言葉?」

「えぇ、確かに私は貴方が絶望する様が見たいわ。でもね……」


 途端にキスキル・ナハトの瞳に殺気が宿り、邪悪な笑みを浮かべる。

 その変貌ぶりに背筋が凍りついた。


「目の前でアニヤメリアたちを殺す。

「はっ……!?」


 思わず耳を疑った。


 そんな程度……? 何を言っているんだ……? こいつは。

 アーニャが、一番大切な人の命が目の前で奪われる。

 それ以上の絶望がどこにある?!


 戸惑いを隠すことができない。

 それが伝わったのか、キスキル・ナハトが腕を振り、新たな魔族を生み出した。

 背丈は人間とほぼ同じ、髑髏の面と黒くボロボロの布を纏った死神のような姿をしている。

 キスキル・ナハトは愛でるように頭を撫でた。


「この子は少し特別でね、交わった人間の女に魔獣を産ませるの。人間の生命力じゃ数匹で死んじゃうけど、女神の生命力ならもっと産めるわよね?」

「何だと……!?」

「貴方は人間を守りたいのよね? 人間に害を為す魔獣、アニヤメリアがその母体となったら、貴方はどんな顔で、どんな気持ちでその子を殺すのかしら? 自分の手で命が消える感触を確かめながら……。出来るわよね? だって貴方は英雄だもの」


 死神に続いて、街中で戦った魔獣たちが次々と現れる。

 レーギャルンが馬車を囲むように並ぶが、一枚だけが剣へと姿を変え手に収まった。


 怒りなんて言葉じゃ、表現できない。

 全身をマグマが駆け巡るような感覚に襲われ、ただただ破壊衝動だけが湧き上がる。


 その時だった──。


 脳内に『声』が響く。

 いつもの、地鳴りのように低い『声』が笑い、命じる。

 それに従い口を開いた。


「キスキル・ナハト……。俺はお前の存在を認めない。ここで破壊する」

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