第五十四話 電撃戦②
体が浮遊感に包まれる。
一瞬屋根から足が離れるが、すぐに足元から突き上げるような衝撃と激しい横揺れが襲ってきた。
馬は足を止めない。
悲鳴と怒号が飛び交う街中を速度を落とすことなく走り続けていた。
振り返ると、レーギャルンの巨大な炎弾によって破壊された壁が遥か遠くに見える。
体感ではほんの数十秒の出来事だったが、思った以上に距離を稼げたようだ。
そこへ、必死に揺れに抗っているのか、緊迫したアーニャの声が聞こえてきた。
「あ、あのっ! 一直線に城に向かってますけど! ヘレンさんの居場所は分かってるんですか!?」
「もちろんだとも。知ってるかい? 馬って嗅覚が鋭いんだよ。これでヘレンくんの匂いを覚えさせた」
アルベルトが何かを取り出したようだが、しばらく沈黙が流れる。
どうしたんだろうと耳を澄ましていたが……、
「な、何を嗅がせてるんですか!!? というか! 何でアルベルトさんがそれを持ってるんですか!?」
初めて聞く、ヒステリックなアーニャの叫び声が鼓膜を叩いた。
「いやぁ、洗ってないのがあったから丁度いいなと思ってね」
それでもアルベルトは至って冷静な様子だ。
尚も喚くアーニャと共にエレナも「最低です! 変態! ケダモノ!」と騒いでいる。
そのやり取りで何となく想像がついてしまった。
下か? 下を隠す方を使ったのか?
天才ってどこかイかれているというか、サイコパスが多いと聞いたことがあるけど彼もその類か。
緊張感に欠ける様子に溜め息が漏れるが、そんな時間は長くは続かなかった。
悲鳴にも似たアルベルトの指示が響く。
「さっそくお出ましだぞ! 飛鳥くん! さっさと薙ぎ払ってくれ!」
馬車を取り囲むように、
「これがキスキル・ナハトの力か……!」
予想を超える大軍勢に思わず歯を食いしばる。
魔族や魔獣の生成、それが、突入前にアルベルトたちから聞かされたキスキル・ナハトの能力だ。
『メテルニムスが魔族にとって魂の母とするなら、キスキル・ナハトは母体のような存在だ。実際に腹を痛めて産む訳じゃないがね。自身の陣中であれば任意の場所に魔族や魔獣を出現させることができる』
『前回彼女と戦った時はモルダウの魔術士が一緒だったから、私とステラちゃんは彼女一人に集中できたけど……』
『対城、対軍戦は飛鳥くんメインでやるしかないね。一応僕の方でも用意はしておくけど』
足を止めたら終わりだ。物量で押し潰されてしまう。
馬車の進路を確保する為、前面に攻撃を集中させる。
だが、煙の中から攻撃をすり抜けた魔獣が一頭、馬へ向かって突進してきた。
「ッ!? しまった!」
レーギャルンに指示を出すが、この距離では──。
しかし、次の瞬間馬が魔獣の顔面を蹴り飛ばした。
そして更に速度を上げ、城へ向かっていく。
「うおおおおおおおおおお!?」
急加速にバランスを崩し屋根を転がる。
途中、装飾に思いっきり肘をぶつけ叫び声をあげてしまった。
「ハッハッハ! こんなこともあろうかと、簡単な迎撃能力を追加しておいたのさ! さぁまだまだ来るぞ! ……って飛鳥くん? レーギャルンの動きがおかしいぞ? どうかしたのかい?」
「あああああああああああああああ!!」
申し訳ないが、今はそれどころではない。
体勢を立て直すことができず転がり続けた結果、今や辛うじて片手で屋根の端を掴んでいる状態だ。
風圧で喋ることもままならない。
「飛鳥くん!? アルベルトさん! 減速してください! このままじゃ飛鳥くんが!」
「できる訳ないだろう!? 取りつかれたらおしまいだよ!?」
柱にしがみ付きながらアーニャが叫ぶがアルベルトは応じない。
それにアーニャは悔しそうな表情を浮かべ、姿勢を低くしたままゆっくりとこちらへ近付いてくる。
「飛鳥くん、待ってて! 今助けるから!」
だが、石でも轢いたのだろうか、再び馬車が大きく揺れ──、
「あっ」
「「「あっ」」」
屋根を掴んでいた手が外れ、空中へ投げ出されてしまった。
すぐに手を伸ばすが風に体を持っていかれる。
その先には待ってましたと言わんばかりに、何頭もの魔獣が大きく口を開き構えていた。
「飛鳥くん!!」
アーニャの悲鳴が遠のいていく。
脳内に日本にいた頃の記憶や、ティルナヴィアでの思い出が浮かんでくるが、それを必死に搔き消し拳を握る。
走馬灯見てる場合じゃないだろ! こんなところで死ねるかよ!!
直後、魔獣の断末魔が響き、体が急上昇を始めた。
レーギャルンが翼を作り、空へ舞い上がる。
焼け焦げた魔獣の死体を見つめ、ホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとな。……この場合はあの『声』に言えばいいのかな……」
レーギャルンが一瞬反応したように見えたが、やはり『声』は聞こえてこない。
次聞こえたら一応言っておこう、そんなことを考えながら馬車を追う為翼を羽撃かせた。
飛鳥たちがヘルマンシュタットに突入する数十分前のこと──。
場所は玉座の間。
キスキル・ナハトはゆったりと椅子に座り、お付きの夢魔が持っている砂糖菓子へと手を伸ばした。
「ふぅん……」
口の中で菓子を転がしながら眼前を見つめる。
そこにはヘレンを連れ去った鬼と、涙と鼻水で顔中ベタベタになったヘレンが跪いていた。
この四日間泣き通しだったのだろう。
目は腫れ、鼻は真っ赤になり、それでも鼻をすすりながら嗚咽を漏らしている。
鬼の方はというと、人間の状態などさほど気にしていないのか、はたまた気にするほどの頭を持っていないのか、相変わらずボーッとキスキル・ナハトの言葉を待っていた。
「こんなことってあるのねぇ……」
のんびりと口にし、とろんとした瞳を夢魔たちへ向ける。
「私初めてなんだけどぉ……貴方たちはどう?」
と尋ねるが、全員一斉に首を横に振った。
「そうよねぇ」
納得したようにそう言い、再びヘレンに視線を向ける。
「でもぉ……」
指についた砂糖を舐め取り、口角を釣り上げた。
突如風切り音が聞こえたかと思うと、鬼の右肘から先が消える。
噴き出した血が全身に飛び散り、ヘレンは悲鳴をあげた。
「言ったわよねぇ? 次間違えたら、生きたまま餌にするって」
甚振る理由ができたのが余程嬉しいのか、キスキル・ナハトは目を見開きケラケラと笑う。
痛みにさえ鈍いのか、鬼は表情を変えず彼女を眺めていたがやがて……、
「また違いましたかぁ」
頭を搔こうと右腕を挙げるが、当然そんなことはできず、
「あれ……?」
右腕を見つめ首を傾げた。
更に肉をすり潰す音と骨が砕ける鈍い音が響く。
鬼の足元から真っ黒い狼が三匹首を伸ばし、その内の一匹が口から血を垂らしながら鬼の肉を咀嚼していた。
「ダメよぉ、すぐに食べ切っちゃ。ゆっくり、ゆ〜っくり。ちょっとずつお食べなさい」
キスキル・ナハトの言葉に従い、狼たちが脇腹と足に食らいつく。
しかしすぐには食い千切らない。
溢れ出る血で喉を潤し、牙を押し込んでいく。
「おっとっと……」
そこまでされても鬼は苦痛も恐怖も見せない。
傾く体のバランスを取ろうと、残った足で小刻みにジャンプをした。
だがそれも束の間のこと。
四肢を食い荒らされ、遂にはダルマのように床に転がった。
キスキル・ナハトの、心の底から楽しむような笑いが木霊する。
臓物を引き摺り出され、肉片が飛び散り、噛みつかれる度にビクリと反射運動を見せるその一部始終が、ヘレンの視覚を、聴覚を、嗅覚を犯していく。
そこでヘレンはあることに気がついた。
何故自分はこの光景から目を背けられないのだろう、と。
小動物の解剖ですら吐き気を催してしまう自分が、一体何故──
「どう? 面白いでしょう?」
キスキル・ナハトが耳元で囁き、淡く紫色に光る指で頭を撫でる。
その瞬間、体の中で何かが切れた。
「あ……あぁ……うぇ……ああああああああああ……!」
途端に嫌な感覚が喉をつき、鬼に無理やり食べさせられた魚や果実、それらが混ざった粘り気のある固形物をぶち撒けた。
「い……や……こん、な……」
自身を中心に、生暖かい液体が床に広がっていく。
キスキル・ナハトは体を震わせるヘレンを愛おしそうに見つめ、口の中に砂糖菓子を入れると「ふふっ」と微笑んだ。
「貴女もと〜っても可愛いけど、やっぱり見た目だけじゃダメねぇ」
そう口にし、入り口に背を向ける。
「肉体と中身、両方揃ってこそ真価が現れるというもの。ねぇ──」
直後、壁ごと扉が爆ぜ、水晶の馬が繋がれた馬車が飛び込んできた。
キスキル・ナハトは上体を反らし馬車の屋根の上へ視線を向ける。
「そうでしょう? アニヤメリア。そして、皇飛鳥」
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