第五十話 女帝の憂鬱

 アルデアル国首都、ヘルマンシュタット──。


 周囲を高い壁に囲まれた、対モルダウ国の重要拠点にもなっている城塞都市だ。

 その中心にはアルデアル国王の居城が存在しているが、少し離れた場所にはそれよりも遥かに巨大で豪華な城がそびえ立っている。

 四大悪魔の一角、キスキル・ナハトの居城である。


 玉座の間には、城の主であるキスキル・ナハトとメイド服に身を包んだお付きの夢魔たち。

 彼女たちの視線の先には、下僕の鬼と近くの村から連れてこられた娘が跪いていた。


「……だ〜か〜ら〜」


 すぐ隣に置いてある、自身を象った銅像を片手で持ち上げキスキル・ナハトが怒鳴る。


「違うって何回言ったら分かるのよお前は!」


 そして、台座を含めて三メートルを越える、数百キロはあるだろう銅像を砲弾のように投げ飛ばした。


「あっ……」


 と鬼が呟いた時には既に遅く、巨大な破裂音を発し、血と脳漿を撒き散らしながら床を転がる。

 娘の悲鳴が響いた。

 しかし慣れた光景なのか、夢魔たちは何の反応も見せない。体の前で手を組んだまま直立不動を貫いている。

 するとキスキル・ナハトは床に落ちている紙を持ち、娘にゆっくりと近付いていった。

 娘が再び悲鳴をあげるが、危害を加えるつもりはないようだ。

 持っている紙を娘の顔の横へやり、


「よく見なさい! 全然違うじゃない! 私が連れてこいって言ったのはこの似顔絵の子! 髪型も目鼻立ちも、何もかもが違うでしょうが!」


 怒鳴りつけた。


 見なさいと言われても鬼の顔は半分以上が吹き飛び、全身血塗れで生きているかさえも分からない。

 そんな相手に何を言っているんだろうと、恐怖が限界を超えた娘はむしろ冷静にキスキル・ナハトの様子を窺っていた。


「そう言われましても……」


 突如、鬼の体が動き出す。

 目が見えない鬼は手探りで体のパーツを探し、粘土細工のように自身の体を弄り始めた。

 ぐぢゅり……ぐぢゅり……と気味の悪い音が響く。


「ぎゃああああああああああ気持ち悪いいいいいいいいいいい!!?」


 娘は思わずキスキル・ナハトへ飛びついた。

 だが彼女は気にしていないのか、鬼を睨みつけたままだ。


「あっしには人間の顔の見分けはつきませんで」


 鬼は体を治しながらあっけらかんと答える。


「そんなこと知ってるわよ! だから似顔絵を持たせてるんでしょうが! ちょっとは頭を使いなさい頭を!」

「はぁ」


 分かっているのかいないのか、鬼は気の抜けた返事をした。

 その態度に益々腹が立ったのか、


「次失敗したら生きたまま魔獣の餌にするわよ」


 と、笑みを浮かべる。


「それはご勘弁を。痛いと思いますんで」


 鬼がそう述べるが口調は相変わらず間延びしている。

 どうやら知能はあまり高くないようだ。


「だったらさっさとその子を連れてきなさい! いいわね!?」


 キスキル・ナハトに似顔絵を投げつけられ、鬼はすごすごとその場を後にした。


「ところで……」

「へっ?」

「いつまでそうしているつもりかしら? 人間」


 娘は自身の体に目をやり、


「も、申し訳ございません! つ、つい! な、何卒お許しを!」


 手を離し飛び退いたかと思うと、着地と同時に綺麗な土下座をして見せた。

 キスキル・ナハトはその姿をジッと見つめていたが……、


「やっぱり違うわね」

「えっ……?」

「私の好みからは外れてるわぁ。確か庭師が人間を欲しがっていたわよねぇ?」


 そう口にすると、夢魔の一人が頷く。


「はい、飼い人を誤って食べてしまったそうで」

「はっ?」


 その言葉に娘の顔がみるみる青ざめていく。


「じゃあそんな感じでよろしく」

「お、お待ちください! キスキル・ナハト様!」


 娘が声をあげるが、夢魔たちが両腕を掴んだ。


「食べられるなんて嫌! お願いします! 他のことなら何でもしますから! やだ! いやぁ!!」


 しかしその叫びも空しく、娘は夢魔たちに引きずられ連れていかれてしまった。

 玉座の間に静けさが戻る。

 キスキル・ナハトは恍惚とした表情を浮かべ、


「早く会いたいわぁ、エレナ……」


 窓の外を見つめ、呟いた。






 サラジュを発ってから十日後のこと。

 飛鳥たちもまた、ある危機に直面していた。


「このままでは、ヘルマンシュタットに着く前に食料が尽きてしまう」


 左手にビスケットを持ったまま、アルベルトが緊迫した表情で告げた。

 そのちぐはぐな見た目に、


「せ、先輩の間食が……お、多いからだと思うんですが……」


 普段はおとなしいヘレンがズバリ言い放つ。


「頭脳労働には糖分が欠かせないんだ、仕方ないだろう。それより……」


 彼の言い分に思わずアルベルトの父の姿を思い出してしまった。

 そんなことばかり言って、将来同じ道を辿らないか心配だ。


「アーニャくんの食べる量が想定以上なのだよ! ヘレンくん、君もだ! 練習はいいが茶葉だって有限なんだよ? もっと計画性をもって使いなさい! 後飛鳥くん! 君のコーヒー好きは病的だ! そんなに飲んだら病気になるぞ!?」


 非難の矛先がこちらにも向き、


「コーヒーは社畜のベストフレンドなんですよ……」


 思い出したくない記憶が蘇り、呻くように呟く。


「シャチク……? 時々君が何を言っているのか分からなくなるな……」

「私もそんなに食べ過ぎているつもりはないんですが……」


 アーニャに至っては、今の状態がさも当たり前のように返した。


「そうですよ。確かにちょっと大食いですけど、美味しそうに食べるアーニャも可愛いじゃないですか」

「あ、飛鳥くん? 私って大食いなの……?」


 そんな風に言われると思っていなかったようで、アーニャは目をパチクリさせている。


「君が精神的に満たされても僕らの腹が満たされなければいざという時戦えないだろう!? ……仕方ない。この先にハルギ村がある。食料を買いに行こう」

「で、でも……人間だけだと……あ、怪しまれますよ……」


 アルベルトの提案に、ヘレンが不安そうに異を唱えた。

 アーニャもうんうんと頷いている。


 ヘレンの言う通りだ。そのせいで最初の村でもめちゃくちゃ怪しまれたし、ヘレンと出会った時も怖がらせてしまった。


 だが、アルベルトは待ってましたと言わんばかりに得意げな表情を浮かべる。そして……、


「言っただろう? 関所を安全に通る作戦があるって。もう準備もできている、少し早いが投入しよう。アーニャくん、これに着替えなさい」


 袋を取り出し、アーニャに差し出した。


「これは?」


 渡された袋を開き、アーニャが尋ねる。


「いいからいいから。ヘレンくん、手伝ってあげなさい」

「は、はい……」




 それからしばらくして──、


「あの〜……これ……」


 アーニャが恥ずかしそうに扉から顔を覗かせた。

 ヘレンも不安そうに眉を寄せている。


「アーニャ、どうしたの?」

「えと……」

「何をしてるんだ。早く出てきなさい」


 急かすアルベルトに、アーニャは意を決したように部屋から出てきた。その姿は……、


「アーニャ……!?」

「あのっ……そ、そんなに見ないでもらえると……」


 普段とは真逆の、足元まである真っ黒なゴシックドレスに黒いマント。

 髪型も三つ編みポニーテールになり、口元には鋭い牙が覗いている。


「人間だけで怪しまれるなら、誰かが魔族の振りをすればいい。アーニャくんが魔族で、僕らは君の飼い人という訳だ」


 ふふんっと自慢げに説明するが、


「な、何で私なんですか!? 魔族の真似って……私一応……今は違いますけど女神ですし……」


 アーニャは顔を真っ赤にし抵抗を見せた。


「飛鳥くんやヘレンくんでは威厳が足りない。そして僕は絶対に魔族の格好なんてしたくない!」

「アルベルさんのはただのワガママじゃないですか!」


 アーニャが涙目になりながら叫ぶ。


「アルベルトさん……」

「あ! 飛鳥くん! 飛鳥くんからも何か言って──」


 しかし、表情で言いたいことが分かったのだろう。

 アルベルトは笑みを浮かべ手を差し出した。そして──、


「ありがとうございます。やっぱり貴方は天才です」


 二人は熱い握手を交わした。


「飛鳥くん!? 何で!?」

「魔族コスのアーニャもめちゃくちゃ可愛い」

「へっ!?」

「めっちゃくちゃ可愛い……生きてて良かった……」

「に、二度も言わなくても! ……か、可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど……」


 よくいる自称天才キャラかと思ったけど、アルベルトさんは本物だ。

 それにしてもアーニャ……可愛過ぎかよ。許されるなら抱きしめたい……。


 衝動を必死に抑えていると、アーニャも満更でもない様子で、


「わ、分かりました。余計なトラブルを避ける為なら仕方ありません。ハルギ村では魔族として振舞います」


 と述べた。


「じゃあ決まりだね。交渉は僕がやるから、アーニャくんは黙ってて大丈夫だよ。ヘレンくんは侍女、飛鳥くんは護衛の魔術師ということにしよう」


 それに全員が頷く。


 だが、この時四人は知る由もなかった。

 この選択が、元を辿れば自分たちの食料管理ができていなかったせいで、余計な戦いを引き起こしてしまうことを。

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