第四十九話 イストロス講座

「ふむ……」


 アルベルトはお茶を一口飲み、考え込むように顎に手を当てた。


「あ、あの……ど、どうでしょうか……?」


 それをヘレンが不安そうに見つめている。


「前よりはマシだよ」

「は、はぁ……」


 しかし出てきた感想はそれだけ。

 おまけにアルベルトは視線も合わせず、椅子の背もたれを揺らしている。

 その姿にヘレンはしょぼくれてしまった。


「あの〜……」


 見かねた飛鳥が声を掛ける。


「何だい?」

「もうちょっと何と言うか……具体的な感想を言ってあげてください」

「たった一回で劇的な変化が起こる訳ないだろう」


 それはそうなのだが。

 そこまでどストレートに正論をかまされては黙る以外なくなってしまう。

 取りつく島もないとはまさしくこのことだ。


「わ、私はとっても美味しいと思いますよ」


 アーニャが控えめだがフォローを入れ、ヘレンの顔が少しだけ明るくなる。しかし……


「アーニャくん。甘やかさないでもらえるかな? こんなもので満足されては困る」


 鮮やかに二撃目を食らわされ、ヘレンはおろかアーニャまでも項垂れてしまった。


「こ、こんなもの……」


 肩を震わせるヘレンは今にも泣きそうだ。


「と、ところで、これもアルベルトさんの魔術、なんですよね?」


 これ以上二人がダメージを受けないよう無理やり話題を変える。


「あぁ、そうだよ」


 だが、返ってきた答えはやはり簡素なものであった。

 もっと誇って、自慢してもいいぐらい凄いことをしている筈だが……。


 そんなことを考えながら馬車の中を、いや、より正確に言うなら、家族向け分譲マンションのように変化した空間を見回してみた。

 リビングにキッチン、更には個室が三つ。もちろん風呂やトイレもついている。

 そしてその全てに、見るからに値段の高そうな家具が設置されていた。


「で、でも先輩……こんなにま、魔力を消費し続けたら……」

「魔力は馬が大地から吸い上げているから僕の消費はほぼゼロだ。それぐらい一目で見抜きなさい」

「す、すみません……」


 やっとの思いで崖を登ってきた子どもを再び谷底へ突き落とすかのような冷たい口調に、今度こそヘレンは目を擦り始めた。


「え、えっと! 今後のことなんですが!」


 もう一度無理やり話題を変える。


 何でそんなに冷たくするんだよ! ヘレンさん泣いちゃったじゃん! アーニャもいたたまれない顔してるし!


 しかし──、


「……そういうことか」

「へっ?」

「別々に調べるからダメだったんだ! 使っている時の状態を観察すれば何か分かるかもしれない!」


 アルベルトは突然立ち上がり、飛鳥の両肩を掴んだ。


「あの、何がですか……?」

「何って君とレーギャルンのことだよ! 他に何がある?」


 その興奮した様子に三人が押し黙る。


「私たちの話、聞いてました……?」


 沈黙を破り、アーニャがそう聞いてみた。


「ん? 話って?」


 アルベルトが首を傾げる。とても演技には見えない。

 つまりさっきまでの反応は……。


「ところでヘレンくん、随分飲み込みが早いじゃないか。僕の手帳、分かりやすいだろう?」


 と、ヘレンが抱いている、お茶の淹れ方が書かれた手帳を指差した。


「えっ……。は、はい……」


 ヘレンがキョトンとした顔で答えると、


「でもこれぐらいで満足しちゃいけないよ。僕のお茶担当としてこれからも精進したまえ」


 アルベルトは満面の笑みを浮かべた。

 再び三人の間に沈黙が流れ、互いに顔を見合わせる。


 考え事してただけかよ! 振り回されまくったヘレンさんが可哀想じゃないか!


「それよりどうだい? この空間。凄いだろう? 単身でこれだけの空間魔術を扱える人間は中々いないよ? 家具もね、腹が立ったからなるべく高いものを持ってきたんだ」


 それもさっき質問したやつ! どんだけ話聞いてなかったんだ!


「それじゃあ今後のことを話し合おうか! 僕の仕事も見つけてもらいたいしね!」


 もういいや……。反応するの疲れた……。


 大きな溜め息をつき、飛鳥はぐったりと椅子に腰を下ろした。






 アーニャとヘレンからおかわりを受け取り、アルベルトが話し始めた。


「まさか三年前にメテルニムスを倒した女神がアーニャくんだったとはねぇ。だが、結局やつは完全には消滅していなかった。それを見逃した罰としてアーニャくんはただの人間にされ、今度こそやつを仕留めるべく、飛鳥くんと一緒にこの世界に戻ってきた、と」


 顔を曇らせながらアーニャが頷く。


「あぁ、ちなみに言っておくけど、三年前より情勢が悪化しているのは君やステラという英雄のせいじゃない。全部僕らの自業自得だ」

「どういう、ことですか……?」

「君たちのお陰で僕らは、一時だが魔族の支配から解放された。でも、誰もがすぐに長年染み付いた奴隷体質から抜け出せた訳じゃない。その後に待っていたのは人間同士の争いだったんだ」

「そんな……」


 アーニャの顔が益々悲しそうに歪む。


 本当なら、気持ちは分かるよって抱きしめてあげたい。

 でもそんなこと、簡単には言えない。言ってはならない。

 歯がゆいが、今の自分にできるのはアーニャの隣で戦い続けることだけだ。

 アーニャやステラ、他の神々や英雄がやってきたことは間違いなんかじゃない。

 それを証明する為に。


「アルデアルは魔族に味方していたことで戦後処理にほとんど関わらせてもらえなかった。まぁ、そればかりは時間をかけて信頼回復に努めるしかなかった訳だけど、政府の中にはメテルニムスがいた頃の方が良かったなんて言い出すやつもいてね。上が無能だと苦労するよ」


 アーニャに気を遣ったのか、最後の方は軽い口調で述べた。


「でも、モルダウの人たちや僕、ヘレンくんのように魔族の支配が終わって救われた人間がいたのも揺るぎない事実だ。しかも今回、この天才は既にアルデアルとは無関係。戦力にはならないが、できる限りの協力はするよ」

「ありがとう、ございます……!」


 アーニャに笑顔が戻る。

 慰める場面を取られたのは悔しいが、アーニャが笑ってくれたなら今はそれでいい。


「そ、それで……これからですが……」


 ヘレンがテーブルの上に地図を広げた。

 アルベルトが地図の南端を指差す。


「どんなルートを通ってもメテルニムスの城へ行く為にはラークラールとの戦いは避けられない。ヘルマンシュタットからモルダウへ入り、戦力を増強させる必要がある」

「ラークラール……」


 アーニャが唾を飲み込む。


「その、ラークラールというのは……」

「四大悪魔の中でも最強と言われてる、炎を操る魔族なの。前回もステラちゃんと私だけじゃ勝てなかったと思う……」


 そんなやつまでいるのか……。


「だからラークラール以外の四大とはなるべく戦闘を避けたい」

「で、でも……ヘルマンシュタットは……」

「ん? この国はマスティヴァイスが支配していたんですよね?」


 その問いにヘレンが首を振った。


「マ、マスティヴァイスが支配、しているのは西部だけで……。ヘルマンシュタットがある東部は……キ、キスキル・ナハトという魔族が……支配しています……」


 それを聞いた途端、アーニャの顔が青ざめる。


「うぅ……あの人? まで復活して……ペルラが言ってたのは本当だったんだぁ……」


 だがその顔は恐怖というより、どちらかと言えば……、


「今回は飛鳥くんで良かったよぉ……」


 気持ち悪がっているように見えて。


「キスキル・ナハトってどんなやつなの?」


 しかしアーニャは口を固く結んでしまった。

 思い出したくない。表情からそんなメッセージが感じられる。


「そうだな……。一言で言うなら種族なんて関係ねぇ美少女大好きサディストだ。女帝と呼ばれている」


 いや一言で言えてないし。何でそこから女帝って呼ばれてるのかも分からないし。サディストか? サディストだからか?


 そこであることに気付きハッとした。


「まさかアーニャ……前回の旅でそいつに……」

「ううん……。私は何もされなかったけど、最初ステラちゃんに猛アタックしてきて……」


 何でだよ。何なんだよキスキル・ナハト。

 確かにステラも可愛らしい顔してたけど。

 何もされてないならいいけど……何か釈然としないな……。

 アーニャ、こんなに可愛いのに……。


 複雑な思いでアーニャを見つめていると、アルベルトがこんなことを言い出した。


「さすがにやつ自らが関所に来ることはない。安全にモルダウへ入る作戦も考案済みだ」

「本当ですか!? それは一体──」

「それはヘルマンシュタットへ入ってからのお楽しみだ。途中の町や村は避けて向かうから、二週間ちょっとといったところか。その間ははぐれ魔族や魔獣相手にレーギャルンの調査をさせてもらうよ」

「レーギャルンの?」


 訝しむように尋ねると、アルベルトが楽しそうに笑う。


「あぁ、何故魔術適性皆無の君が炎を操れるのか。何故堕天の徒であるマスティヴァイスに通用したのか。これは予想だが、君とレーギャルンの組み合わせに意味があると思うんだ」

「組み合わせ……?」


 アルベルトは大きく頷いた。


「君もレーギャルンも他の世界から来た存在だ。レーギャルンにイストロス由来ではない魔力が封じられていて、君が命じた時だけそれが解放される。つまり戦いの中でしか調査はできないということだ。でも四大相手にそんなことはしてられない」


 イストロスの法則から外れた力……。

 ニーラペルシはそんなこと言ってなかったが、マスティヴァイスに通じたのは事実だ。

 アルベルトの予想もあながち間違いではないのかもしれない。


「……分かりました。僕も、こいつが何なのかちゃんと知りたいんです。よろしくお願いします」


 目指すはアルデアルの首都ヘルマンシュタット。

 果たして、飛鳥たちを待ち受けているものは──。

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