第四十五話 不可思議
「検査が終わるまで少し時間がかかるから、何だったら寝てなさい」
アルベルトはそう言うと、レーギャルンを調べる為、さっさと隣の部屋へ行ってしまった。
一人残された飛鳥の耳に、秒針が進む音が響く。
言われた通り目を瞑り、飛鳥はティルナヴィアのことを思い出していた。
イストロスに来てまだほんの数日だが、何だかかなりの時間が経ったように感じられる。
アクセルにリーゼロッテ、マティルダ……皆、元気にしているだろうか。
そんなことを考えながらウトウトし始めた飛鳥であったが、ある疑問が頭を過ぎり目を見開いた。そして──、
「おい、ニーラペルシっ。聞いてるだろ? 出てきてくれっ」
と小声で叫ぶ。そのまましばらく待っていると、
「次呼んだらニーラペルシチャンスとみなすと言いましたね? 何が望みですか?」
床から半透明なニーラペルシの上半身だけが現れた。
その姿に飛鳥は思わず
「うぁっ!? 気持ち悪っ!?」
青ざめ引き攣った声をあげた。
それが気に障ったのか、ニーラペルシは口をへの字に曲げ、飛鳥から目を逸らしてしまった。
よく見ると、手には少しクリームのついたフォークが握られている。
どうやらティータイムの邪魔をしてしまったらしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。この前聞き忘れたことがあるんだ。一回目の延長ってことでっ。なっ?」
横になったまま慌ててニーラペルシを宥める。
しかしニーラペルシは何も応えない。
恐る恐る顔を見てみると、普段は閉じられている瞼が僅かに開き、そこから冷たい光を宿した瞳が覗いていた。
もしかして、怒っているのだろうか……?
「えっと、あー……その……ティルナヴィアとイストロスの時間について聞きたいんだ」
「時間?」
疑問を口にすると、一応返事はしてくれたが、視線は逸らされたままだ。
「イストロスを救ってティルナヴィアに戻ったら数十年数百年経ってましたじゃ意味がない。時間の進み方に差はあるのか?」
だが返ってきたのは沈黙のみ。
ニーラペルシは口を固く結んでいる。
「頼む、教えてくれ。上位神は複数の世界救済を同時並行で進めてるんだろ? なら──」
「私は上位神として、一部の下位神と『救世の英雄』を管理しています。飛鳥、貴方もその一人です」
「……? それは前にも聞いたけど……?」
「管理者に質問する時には、それなりの態度というものがあると思いますが?」
や、やっぱり怒ってる……。
「む、無能とかブラックとか言ったのは謝るよ。でも大事なことなんだ、頼む」
「気にしていませんよ。私は有能な神ですので」
いやめちゃくちゃ気にしてるじゃん。実は面倒くさいやつなのか?
「それで?」
「え?」
「貴方は地球にいた頃、人に対してそのように質問をしていたのですか?」
め、面倒くせぇ。神様ってもうちょっとこう、感情とかがない超越した感じの……そうでもないか。神話に出てくる神々って人間より人間ぽいし……。
「……ニ、ニーラペルシ……様。お願いします、どうか教えていただけないでしょうか……」
絞り出すようにゆっくりと尋ねる飛鳥に、ニーラペルシはようやく視線を向けた。
「ティルナヴィアとイストロスの時間の進み方に差はほとんどありません。一年いて、ようやく一日差が生まれる程度です」
良かった……。それなら一安心だ。
「私がいくら有能な神とはいえサービスはここまでです。次は使い所を考えるように」
「は、はい……すいませんでした……」
飛鳥が頭だけを動かし謝ると、ニーラペルシは姿を消した。
安心はできた、が油断はできない。
数ヶ月後にはティルナヴィアは春を迎え、王国と帝国の全面対決が始まる。
同盟は破棄されてしまっただろうし、三つ巴になったら数的にも共和国が不利だ。
それまでにメテルニムスを倒さなければならない。でも……、
今焦ったところで何も進まない、よな……。
疲れと緊張が溜まっていたのだろう。
すぐに飛鳥は寝息を立て始めた。
数時間後──。
「飛鳥くん。……飛鳥くん、起きて」
ベッドの上で穏やかな寝息を立てる飛鳥へ声を掛けるが反応はない。
「飛鳥くん、検査終わったよ」
肩を揺すり再び声を掛けると、ようやく飛鳥が目を開けた。
しかし、まだ夢心地なのかボンヤリとした様子でこちらを見ている。
「アーニャ……」
「うん、おはよう」
そう言って微笑むと、飛鳥はゆっくりと手を伸ばしアーニャの頬に触れた。
「アーニャ……好きだ……」
「へっ!?」
どうやらまだ夢の中だと思っているようだが……。
ゆ、夢の中の私は何をやってるんだろう……!?
でも、久しぶりにそんなことを言ってくれたのが嬉しくて。
「ありがとう、飛鳥くん」
真っ赤になりつつも、アーニャは飛鳥の手を両手で包み込んだ。すると……、
「……ん? アーニャ……?」
完全に目が覚めたのか、飛鳥は目をパチパチさせ、
「うわあああああ!? ご、ごめん!?」
飛び起き、ベッドから落ちてしまった。
「だ、大丈夫!? 飛鳥くん!」
「う、うん……」
アーニャに手を引かれ飛鳥が立ち上がると、そこへヘレンがやってきた。
「あ、飛鳥さん。あの……だ、大丈夫ですか……?」
「はい……すみません……」
「け、検査結果が出たので……こちらへ……」
ヘレンに促されアルベルトの元へ行くと、彼は書類を眺めながらお茶を飲んでいたが、
「ヘレンくん、これでもっと勉強しなさい」
藪から棒に手帳を差し出した。
「あの、これは……?」
困惑した様子を見せながらヘレンが手帳を受け取る。
「美味しいお茶の淹れ方をまとめたものだ」
そう告げ、アルベルトは再び書類に目を落とした。
彼の言葉にヘレンは涙目になりながら
「ま、不味かった……ですか……?」
心底不安そうに問う。
「不味くはないが美味しくもない。さて、さっそく検査結果だが……」
ヘレンの顔が更に歪むが、アルベルトは気にせず飛鳥へ目を向けた。
「結論から言おう。君に魔術適性はない。驚くほどない。まさしく皆無だ」
「あの、そこまで言わなくても……」
飛鳥も辛そうな顔を見せるが、アルベルトはやや不機嫌そうに続ける。
「だが魔力に反応もしないとはどういうことだ?」
「え……?」
アルベルトが何故不機嫌なのか分からず、飛鳥がキョトンとしていると、
「この世界では魔術士じゃない人でも魔力自体は持ってるの。ほら、ティルナヴィアもそうだったでしょ?」
アーニャが耳打ちした。
その表情はアルベルト同様険しいものだ。
魔術士としての能力が付与されてないのはともかく、魔力自体に反応しないなんて……。
じゃあ、あの炎は一体……。
「それと、このレーギャルンも見たことがない物質でできている。これをどこで?」
「え? あーえっと……た、旅に出る時にもらったんです。何なのか説明もしてくれなくて……本当嫌なおばさんでした」
飛鳥くん? 今さり気なくニーラペルシ様のこと貶した? ダメだよ? 偉大な上位神様だからね?
「ふむ……」
アルベルトはしばらく考え込んでいたが、
「君たち、もうしばらくヘレンくんの家にいなさい。僕に分からないことがあるなんて癪だからね」
なんてことを言い出した。
怒っているのかと思いきや、その表情は何故か笑顔だ。
「でも、私たち急いでるんです。早くメテルニムスを倒さないと……」
「自分たちのこともよく分かっていない状態で魔王に挑むなんて君たちは馬鹿か?」
正論を突きつけられ、アーニャは口をつぐむが、
「すみません、僕はいいですけどアーニャを馬鹿っていうのはやめてもらえませんか」
と、飛鳥が殺気を放ち始めた。
飛鳥くん!? それはアクセルさん相手だけで十分だよ!?
「とにかくだ、僕が納得いくまで君たちはこの街にいてもらう。ヘレンくん、二人の世話を頼んだよ」
「え、は、はい……。と、とりあえず……今日は、か、帰りましょう……」
書類と睨めっこし始めたアルベルトへお辞儀だけし、三人が部屋を出ようとした、正にその瞬間──。
眩い光が目に飛び込んできたかと思うと、続けて爆発音と衝撃波が体を叩きつけた。
「うひゃあっ!?」
仰け反るヘレンを受け止め、飛鳥とアーニャが身構える。そこへ──、
「マスティヴァイス様!? 研究所を破壊はしないと仰ったじゃないですか!?」
「そうだったかな? つい力が入りすぎてね」
男の声が二人分響いた。
現れたのは、服がパツパツになっている太った男と、そして、
「お前は……!」
聖職者のような真っ白い服を着た片翼の男であった。
「魔族……!? でも、どちらかというと天使の方が……」
飛鳥がそう言うと、片翼の男が天使とは程遠い、凶悪な笑みを浮かべる。
「見つけたよ、女神アニヤメリア、そして『救世の英雄』皇飛鳥。私はマスティヴァイス。メテルニムス様からここ一帯の管理を任されている四大悪魔だ」
「なっ……!?」
マスティヴァイスの言葉に飛鳥もアーニャも息を呑んだ。
だが、反応を異にする者が一人。
「……四大のマスティヴァイスだと?」
アルベルトはそう呟くや否や、レーギャルンを手近にあった袋へ詰め込み抱えると、
「アーニャくん。君、防御用の魔術は使えるかい?」
緊迫した様子で尋ねた。
「え? は、はい」
「なら準備を。ヘレンくん、君もだ。この場は逃げるよ」
アルベルトは早口で指示を出し、魔術を展開していく。
その様子をマスティヴァイスはニヤニヤと眺めていた。
「逃げるって……あの人を助けないと!」
飛鳥が太った男を指差すが、アルベルトは首を振り、
「人のことより自分の心配をしなさい。やつは、マスティヴァイスは堕天の徒。今の僕たちじゃ戦っても死ぬだけだ」
そう告げ、破壊された壁に向かって走り出した。
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