第三章 イストロス編

第三十七話 最後の一欠片

 ──ここは、女神アニヤメリアの神殿、


 主を失った──アーニャの神格が失われた為か、真っ白い壁に描かれていた金色の模様は消え、そればかりか、建物のいたるところがまるで消しゴムでもかけられた絵のように欠落していた。

 その先は意外にも空や宇宙が広がっているのではなく、無色透明な空間が際限なく広がっていて。

 見続けていると何だか不安な気持ちになってくる、そんな景色であった。


 神殿に戻ってすぐ、アーニャはニーラペルシから着替えてくるよう言われ、足早に別室へと行ってしまった。

 そして、残された飛鳥はというと……、


「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 やってしまったああああああああああ!! 状況が状況だったとはいえどさくさ紛れにアーニャに告ってしまったああああああああああ!!


 今までになく顔を真っ赤にし、雄叫びをあげていた。


「うるさいですよ、飛鳥」


 いつもはあまり表情が変わらないニーラペルシだが、さすがに少し迷惑そうに眉を寄せている。


 一番辛い思いをしているのはアーニャなのに……! こんな、弱みにつけ込むようなやり方で、しかもアーニャの話をぶった切ってまで僕は何をやってるんだああああああああああ!!


「飛鳥、貴方も早く着替えなさい」


 ニーラペルシが冷たい口調で告げるが、飛鳥は聞いていない。


 し、しかも戻ってくる途中一言も喋ってくれなかったし……。何だったら目も合わせてくれなかったな……。当たり前だよ、返事なんて考えてる場合じゃないし……。僕はどんだけ最低なんだ……。


「うわあああああ──。……? ッ!?」


 急に声が出なくなり、飛鳥は自身の喉元に触れた。

 喉はちゃんと震えているのに声にならない。

 ハッとし振り向くと、ニーラペルシの指先で光の輪がくるくると踊っていた。


「(お前の仕業か! ニーラペルシ!)」

「えぇ、非常にうるさかったので」


 口をパクパクさせ抗議する飛鳥に対し、読唇術の心得でもあるのだろうか、ニーラペルシは的確な答えを返してきた。


「もう叫びませんか? それなら元に戻してあげますが」


 その言葉に、飛鳥は口をへの字に曲げ渋々頷く。

 ニーラペルシは疑うようにしばらく飛鳥を見つめていたが……。


「まぁいいでしょう。また奪えば済む話ですから」

「──あ。おぉ、元に戻った……」


 ニーラペルシが光の輪を指先で潰すと声が出るようになり、飛鳥は喉元を触りながら安堵の溜め息をついた。


「では着替えを。ティルナヴィアで得た物はイストロスには持ち込めませんので」

「……レーヴァテインだけでも」

「駄目です。貴方にその資格はありません」


 食い気味に返され、少しの間不貞腐れたように唇を尖らせていた飛鳥だったが、


「ん? おい、ちょっと聞きたいことがある」


 真剣な表情でニーラペルシの方へ向き直った。


「何でしょう?」

「お前の……上位神の軍団にいる英雄たちについてだ」

「今の貴方に話せることであれば」

「じゃあ……」


 飛鳥はレーヴァテインを手に取るとニーラペルシに向かって突き出し、口を開いた。






 同じ頃──


 別室で一枚布の服に着替えたアーニャは、ティルナヴィアで着ていた服を壁に掛けるとしわを取るように手で撫で、そして……、


 あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ……!


 飛鳥と同じく顔を真っ赤にし、その場に蹲ってしまった。


『俺は、一人の女性として、アーニャを愛している──』


 飛鳥くんが……私の、ことを……あ、愛してるって……。しかも、私が女神だからじゃなく……ひ、一人の、女性として……。そ、それってつまり、その……。


 この宇宙に生を受けてからこれまで、ニーラペルシの命に従って救世の旅を続けてきた。

 それが自分の使命であり、自分の全てだと思っていた。

 だから、誰かを異性として愛するとか愛されるとか、もちろん知識としては知っているし、同じ下位神の中にも伴侶がいる者もいるが……。


 自分がその対象になるなんて、考えたこともなかった。おまけに……、


「は、初めて会った時から……って……」


 飛鳥が『救世の英雄』に選ばれ、この神殿で出会った日、最初彼は真っ赤になったまま、何も話してはくれなかった。

 でも、自分が出したコーヒーを飲んで、美味しいと笑ってくれて。

 ティルナヴィアに着いてからはいつも一緒にいて、いつも一生懸命戦って、いつも自分を守ってくれた。


「…………」


 つまり……飛鳥くんがいつも可愛いって言ってくれたのは、そういう意味で。

 私の言動に嬉しそうにしたり、落ち込んだりしたのも、そういう意味で。

 リーゼロッテちゃんやアクセルさんの行動も、飛鳥くんのことを気遣ったもので。


 思い返してみれば、気付くポイントはいくつもあって──。


「うわあああああぁぁぁぁぁ……」


 アクセルさんの言う通り、私はダメ神だ……。能力だけじゃない。飛鳥くんの気持ちに、ずっと気付けなかった……。

 飛鳥くんはこんなにも私を想ってくれていたのに……。


「私は……どうしたら……」


 呟き、ふと顔を上げると、部屋の入り口にニーラペルシが立っていた。


「ひゃあっ!? ニ、ニーラペルシ様!」

「着替えるから出ていけと飛鳥に言われてしまいまして。貴女は準備ができているようですね」

「あの、今回のこと、本当に……」


 謝ろうとするアーニャに対し、ニーラペルシは首を振る。


「貴女が謝ったところで状況は変わりません。イストロスは再び魔族の手に落ち、ステラと他の英雄たちの命は奪われてしまいました」


 返す言葉が、見つからない。

 目の前が真っ暗になり、喉に嫌な感覚が上ってくる。


「そろそろ飛鳥も準備ができた頃でしょう。戻りますよ」

「はい……」




 二人が戻ると、飛鳥はレーヴァテインを抱くように肩に掛け、ニーラペルシが用意したコーヒーを口にしていた。


「飛鳥、ティルナヴィアで得た物はイストロスには持ち込めないと説明しましたね?」

「分かってるよ。でもこいつだって俺の相棒みたいなものだ。別れを惜しんだって罰は当たらないだろ。それに──」


 飛鳥は椅子から立ち上がるとニーラペルシを見据え、


「こいつは俺だけの剣だ。必ず取り戻してみせる」


 そう言って笑った。


「…………」

「どういうこと……?」


 黙り、目を逸らすニーラペルシとは反対に、アーニャが不思議そうに首を傾げる。

 すると飛鳥は再び真っ赤になり、


「あ、それはその……」


 気恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。

 その様子に、アーニャもハッとし


「ご、ごめんなさい……」


 と下を向く。


「……説明を始めてもいいですか?」

「あ、あぁ」

「はい!」


 ニーラペルシに促され席についた二人の前で、彼女は植物のツタを思わせる意匠の本──彼女自身の『神ま』を開いた。


「現在のイストロスの状況ですが、メテルニムスが復活したことで以前にも増して人間たちは酷い生活を送っているようです」

「そんな……!」


 アーニャが辛そうに顔を歪め服を握りしめるのを見て、飛鳥も顔をしかめる。

 そんなに自分を責めないでくれと言っても、アーニャは聞かないだろう。

 言葉で伝えるだけでは駄目なのだ。

 表向きはどれだけ笑顔でも、アーニャは自分を責め続けてしまう。だから──、


「それは予想の範囲内だ。メテルニムスの能力や弱点、そういう情報はないのか?」


 そう尋ねてみた。

 ニーラペルシは少しページを捲ると飛鳥をジッと見つめ、


「弱点とまではいきませんが……ある意味、貴方自身が切り札です」


 と告げた。


「俺が?」

「メテルニムスは力のほとんどを取り戻しましたが、まだ完全ではありません。その最後の一欠片を握っているのが飛鳥、貴方です」

「もうちょっと分かりやすく説明してくれないか? 俺はメテルニムスに会ったこともないんだぞ?」

「メテルニムスはステラだけでなく、アニヤメリアの体にも侵入を試みようとしました。しかし、神と魔族の魂が同じ体に存在できる筈がありません。そこで一欠片だけ、便宜上『魔王の因子』とでも呼びましょうか、それは今、新たにアニヤメリアと結びついた貴方の体に眠っているのです」

「俺の中に、『魔王の因子』が……!?」


 目を見開く飛鳥とアーニャに、ニーラペルシが静かに頷く。


「飛鳥、貴方が暮らしていた日本という国は非常に平和な国でしたね。貴方も戦闘経験はおろか犯罪に巻き込まれた経験すらありません。それなのに、

「それは……」

「まさか……!」


 アーニャは、ずっと抱えていた疑問が解けていくのを感じた。


「飛鳥くんが最初から戦えていたのは、メテルニムスの力のせい……!?」

「えぇ。ですから飛鳥、貴方の『魔王の因子』が奪われない限り、メテルニムスが完全に復活することはありません」

「…………」


 ニーラペルシの言葉に、アーニャは黙り込んでしまった。

 『魔王の因子』が残っている限り、飛鳥は今まで通り戦うことができる。

 しかもメテルニムスの完全復活を阻止した状態でだ。でも……


「ニーラペルシ様、その状態で飛鳥くんの体は大丈夫なんでしょうか?」


 そう、そこなのだ。

 飛鳥はティルナヴィアで無茶な戦いをし続けてきた。

 死にそうな状況でも一歩も退かず、常に一番前で戦っていた。

 それがメテルニムスの影響なら、そんなことを続けさせる訳にはいかない。


「それだけで飛鳥が魔に堕ちることはありません。メテルニムスを倒した後、因子を抜き取り消滅させればイストロスは救われます」

「そ、それなら……」

「ではイストロスへの転送を始めましょう」


 椅子から立ち上がり神殿の中央へ進もうとするニーラペルシに飛鳥が待ったをかける。


「ちょっと待て。こっちはレーヴァテインも『神ま』もないんだ。情報だけじゃなくイストロスでも何かしら協力してもらうぞ」

「これ以上を望みますか」

「当たり前だ。元はと言えば、お前がアーニャたちをちゃんと見ていれば防げたことだろう」


 言われ続け多少は自覚が出たのか、それともこいつしつこいなくらいにしか思っていないかは分からないが、ニーラペルシが口をつぐむ。


「…………分かりました。では、一度だけニーラペルシチャンスをあげましょう。ここぞという時に叫んでください。力を貸します」


 ニーラペルシはたっぷりと時間を使った後、やや真剣な表情でそう告げた。

 彼女の言葉を受け、飛鳥が戸惑いを見せる。


「それってシリアスな場面でも言わなきゃ駄目か……?」

「当然です、ニーラペルシチャンスですから」


 口調は変わらず淡々としているが、その表情はどこか誇らしげだ。

 言いたいだけではないかと飛鳥はやや呆れた表情を見せるが、これ以上問答をしていても仕方がない。

 たった一回だが協力を約束させただけで十分だろう。

 飛鳥とアーニャは神殿の中央へ歩みを進めた。


「あなたたちの救世が成功することを祈っています」


 と、ニーラペルシが床を軽く蹴る。

 するとティルナヴィアへ向かった時と同じように床にポッカリと穴が開き、飛鳥とアーニャは穴へ吸い込まれていった。

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