第三十五話 奪われるもの

「もう、大丈夫かな……?」

「た、多分……」


 道端に置かれた木箱の陰から、アーニャとリーゼロッテが顔を覗かせる。

 見渡し、辺りに人影がないのを確認してから、二人とも大きな溜め息を吐いた。

 しかし、リーゼロッテは拳を握ると、


「何なのよあいつらいきなり!! 私たちが何したって言うのよ!?」


 と、大声をあげる。


「リ、リーゼロッテちゃん静かに! 憲兵や軍人に見つかったら捕まっちゃうかもだから!」

「ご、ごめんっ……」


 リーゼロッテは素直に謝り、二人は木箱にもたれ掛かった。


「ねぇ、『神ま』……だっけ。それを使えば飛鳥と連絡取れるんでしょう?」

「うん……。さっきから呼び掛けてるんだけど、反応がなくて……」

「そう……」


 あの二人がそう簡単に負けるとは思っていない。いないが……。

 黒ローブの女、プリムラだけは別だ。

 フラナングの館に軍人がやって来た時も、ほとんどプリムラ一人でアクセルを捕まえてしまった。

 でも、今回は……。


「だ、大丈夫だよね。飛鳥もいるし……」

「そ、そうだよ。飛鳥くんとアクセルさんなら誰にも負けないよ」


 互いを落ち着かせるように口にする。


 そこへ──


 何かが落ちてきたかと思うと、近くに置いてあった樽が大きな音を立てて爆ぜた。


「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」」


 二人が声にならない悲鳴をあげ、抱きしめ合う。

 しかし、砂埃の中から現れたのは──。


「ク、クララ!?」


 そこにはクララが倒れていた。

 真っ黒なワンピースは砂で白と黒のまだら模様のようになり、打ち所が悪かったのか木片が刺さったのか、白い髪も肌も血で真っ赤に染まっている。

 二人は再び悲鳴をあげた。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」

「クララさん! すぐに治療するから動かないでくださいね!」


 だが、クララは視線を動かし、


「お、やっぱり二人だった。やほやほー」


 いつもの気怠げな調子で手を振る。


「いやそんな場合じゃないでしょ!? あんた痛覚やられてんの!?」

「むー……体が重い……。マティルダちゃんに付き合わされて岩を運んで遊んだ時くらい……。おや……何故かイルヴァママンの顔が……」

「走馬灯見えてるじゃない!! アーニャ!! 早く!!」

「だ、大丈夫だよ! もう傷は塞いだから! 後はエレメントが回復するのを待てば……」

「ところで……」


 クララがアーニャの袖を握る。


「もしや、緊急事態つまりエマージェンシーってやつ?」

「エマージェンシーなのはあんたの体の方だと思うけど……。それより、何で帝国に?」


 するとクララはリーゼロッテを見つめ、


「マティルダちゃんから秘密の任務を受けたのだ。アーニャが飛鳥とイチャイチャし過ぎないように見張れって。誰にも言っちゃダメだぞ?」


 唇に指を当てた。


「あっ、そう……」

「う、うん……」


 二人が呆れたように頷く。


「でも来てみたらこれだし、カトルは飛鳥を助けるってどっか行っちゃったし」

「カトルさんも来てるの?」

「うん、てことで、とりあえず二人は私と隠れ里にー。カトルも飛鳥を連れて来るでしょう。ついでにメガネマンも」

「隠れ里?」


 クララの言葉に、二人は首を傾げた。


「スヴェリエやロマノーから逃げてもエールまでは遠いゆえー。途中途中の隠れ里で休みながらだよ一般人は」

「……迷ってる暇はなさそうね」

「うん。クララさん、案内してください」


 クララは元気を取り戻したのか、起き上がると二人に向かってピースしてみせた。






 同じ頃──。


 頬に落ちる水に、飛鳥は目を覚ました。

 まだボヤけている視界を治そうと頭を振る。


「ここは……」


 そこは、絵に描いたような独房であった。

 寝転がらなくとも分かる固そうなベッドに、小さな机とトイレ。

 場所は……地下だろうか。

 ジメジメしているし、ところどころにカビが生えていて、以前の自分だったら一時間と入っていたくない環境だ。


 当然だが、レーヴァテインもソフィアの剣も、マントも奪われていた。

 武器にはならないと判断されたのか、『神ま』が残されているのを見てホッと息をつく。

 開き、呼び掛けてみるが、アーニャから反応はない。

 二人は無事に城を出られただろうか……。


「おーい、アクセル。生きてるか?」


 不安を押し殺し、鉄格子から顔を覗かせ、向かいの房へ声を掛ける。

 アクセルはしばらく無言で寝転がっていたが、やがてダルそうに起き上がり、


「あぁ、何とかなァ」


 その場に胡座をかいた。

 そしてベルトに下げた、共和国に入る時に受け取った変装用の尻尾を手に取り、


「おい飛鳥。まさかてめぇ、この展開を予想してた訳じゃねぇよなァ?」


 飛鳥を睨みつけた。


「予想できる訳ないだろ。あんなに目立つ霊装なんだ。予備を用意しておくのは常識だろ?」

「だったら首飾りじゃなくてもっと隠しやすいもんにしろよ!」


 アクセルは怒鳴り、立ち上がると鉄格子に向かって拳を握る。


「やめといた方がいいぞ。僕らのエレメントじゃこの結界は破れない。無駄に消耗するだけだ」


 精霊眼アニマ・アウラを指差す飛鳥に、アクセルは更に苛立った様子を見せる。


「何でそんなに悠長にしてられんだてめぇは!! アーニャが心配じゃねぇのか!!?」

「そんな訳ないだろ……!」

「あ?」


 ボソリと呟き、鉄格子を握る手に力を込める飛鳥に、アクセルは耳を向けた。


「あの場で殺されなかったってことは、ヴィルヘルムはまだ僕らに用がある筈だ。つまり、ここを出る機会はある。その時こそ……」

「なるほどなァ。そん時に連中をぶち殺せばいい訳か」


 アクセルがニタリと口の端を上げる。


「それだけど、プリムラの相手は僕がする。お前じゃどうも相性が悪いらしい」

「あ? 何か視えたのか? あの女は一体何なんだ? 七色のエレメントなんざ見たことねぇぞ」

「逆だよ、。プリムラも精霊眼アニマ・アウラの保有者だ。もしかしたらそれが関係して──」


 しかし、人の気配を感じ二人は口を閉じた。

 遠くで扉が開く音が聞こえ、続いて足音が響く。

 段々近づいてくるそれに、二人は床に寝転がり様子を窺っていた。だが──、


「二人とも。起きているのは分かっていますよ」


 聞こえてきた声に、二人は飛び起きた。

 鉄格子の前に立っていたのは、先ほどまで噂していたプリムラであった。

 その手には、レーヴァテインと飛鳥のマントが握られている。


「ほぉ、下っ端じゃなくてめぇ自らお出ましか。俺たちをどうするつもりだ?」


 アクセルが獰猛な笑いを浮かべる。

 飛鳥もいつでも逃げられるよう身構えた。

 しかし、プリムラが手を振ったかと思うと、鍵が外れ鉄格子が開いた。


「どうぞ、出てください」


 その声に敵意は感じられない。

 二人がプリムラの真意を計りかね動けずにいると、彼女は溜め息をついた。


「貴方たちをどうこうする気はありません。早くアーニャさんやリーゼロッテと会いたいでしょう?」


 と、プリムラは一枚の紙を取り出してみせた。


「城外に出る為の地図を持ってきました。他の者が気付く前に脱出を」


 その言葉に、二人は益々警戒心を強める。


「何のつもりだ? 何故てめぇが俺たちの味方をする?」

「正確に言えば貴方はどうでもいいです。英雄殿、いえ、皇飛鳥。初めて会った時のことを覚えていますか?」


 どうでもいいと言われ、アクセルはプリムラに掴みかかろうと房を飛び出した。

 飛鳥は慌ててアクセルを止め、


「えっと……ヴィルヘルムとこの国を頼むって……」


 思い出すように述べると、プリムラは「えぇ」と頷いた。


「その為にも、今は逃げてください」

「おい、こいつを信じるのか? どうせ待ち伏せがいるとかそういうオチだろ」

「…………」


 プリムラは静かに飛鳥の言葉を待っている。


「いや……」


 飛鳥はアクセルから手を離し、一歩前に出た。


「プリムラさんを信じよう。仮に待ち伏せがいたって関係ない、僕とお前なら切り抜けられる」


 そう言ってレーヴァテインに手を伸ばす。

 だが、プリムラはレーヴァテインを抱くように一歩引いた。


「?」

「飛鳥、貴方はこれから真実を知り、選択を迫られます。今まで信じていたものが壊れるかも知れません。それでも、貴方は前に進みますか?」

「……そんなこと、言わなくても分かるでしょう?」


 飛鳥はもう一度手を差し出した。

 プリムラが頷き、レーヴァテインを渡す。そしてアクセルの方を向くと、


「貴方は、私にとってはどうでもいい存在です。ですが、貴方を必要としている人もいます。もし、本当に望みを叶えたいと思うのなら、これを」


 霊装に組み込まれていたものと同じ、真っ赤な宝石を差し出した。


「元のものより遥かに高純度なものを用意しました。ソフィア・リストなら加工できるでしょう」


 アクセルは迷わず、引ったくるように宝石を受け取る。


「礼は言わねぇぞ」


 悪態をつくアクセルにプリムラは微笑んだ、気がした。


「行こう、アクセル」


 遠ざかっていく背に、プリムラは頭を垂れた。


「お早いお戻りをお待ちしております。我が主──」




 プリムラから受け取った地図を頼りに、二人は城外へと出た。

 一際高いヴィルヘルムの宮殿が遠くに見える。


「何とか脱出できたな」

「……あぁ」


 アクセルは宝石に目を落とす。

 そこへ、一つの影が舞い降りた。

 思わず身構えるが……、


「ん? カトル?」

「ようやく見つけました。ご無事で何よりです、我が王」


 カトルは心底安心したように微笑み、飛鳥の前に跪いた。


「どうしてここに?」

「マティルダ様から、我が王がアーニャさんとイチャつかないよう見張れと仰せつかりまして。あ、一応密命扱いになっていますので聞かなかったことにしていただけると。早くエールに戻り、マティルダ様と結婚していただければ、僕らも板挟みにあわずに済むのですが」


 アルネブの言葉を思い出し背筋が凍る。


「失礼しました。冗談を言っている場合ではありませんね。獣人の隠れ里までご案内しますのでこちらへ。アーニャさんとリーゼロッテさんはクララが追っています、どうかご安心を」


 二人は頷き、カトルについて歩き出した。






   ◆


 隠れ里へ辿り着いたアーニャ、リーゼロッテ、クララの元へ子どもたちが駆け寄ってきた。

 獣人以外が里へ来るのが珍しいのか、特にアーニャに興味を示したようだ。


「ははは、皆元気だな。でも遊ぶのは後だぞー、長はいる系か?」


 クララがそう尋ねると、子どもたちの後から茶色い髪の女性がやってきた。


「これはこれは、クララ様。あら、そちらの方々は……?」

「カーラ、やほー。かくかくしかしがな感じで。カトルはもう来てる?」

「いや、それじゃ何も伝わらないでしょ」


 リーゼロッテがツッコミを入れるが、いつものことなのかカーラは気にしていない様子だ。


「いえ、カトル様もいらっしゃるのですか?」

「むー……手のかかる弟だ」


 クララの言葉にアーニャが首を傾げる。


「あれ? カトルさんがお兄さんじゃ……」

「あれは自称なのだ。普通に考えて私がお姉ちゃんであることは明々白々」

「あんたのも自称でしょ……」


 三人のやり取りをカーラは微笑みながら見守っている。

 それに気付き、


「あ、失礼しました。私はアニヤメリアといいます。訳あって、帝国から逃げてきまして……」


 と、アーニャが挨拶をすると、カーラは少し驚いた様子を見せ、


「貴女が、アニヤメリアさんですか……?」


 そう尋ねた。

 カーラの反応にアーニャもリーゼロッテも不思議そうな表情を浮かべる。


「あの、どこかでお会いしたことが……?」

「いいえ、最近いらっしゃった方々が貴女を探していたので」

「私を……?」


 益々訳が分からなくなり、アーニャとリーゼロッテは顔を見合わせた。


 そこへ──、


「久しぶりですね、アニヤメリア」


 鈴が鳴るような声が聞こえ、アーニャは目を見開いた。


「そんな……何故、貴女様がここに……!?」


 そこには、一人の女性が立っていた。


「ニーラペルシ様……!」

「元気そうで何よりです、アニヤメリア」

「え? 誰? アーニャの知り合い?」


 鮮やかな緑色の長髪に、閉じられた瞼。

 この寒い時期だというのに、体には一枚布の服だけだ。

 しかし、穏やかな笑みをたたえたニーラペルシは、それこそ絵画に描かれる神のように美しく、気高い印象を与えた。


 思わず上体を九十度曲げるアーニャとは反対に、リーゼロッテはニーラペルシに近付き目の前で手を振ってみた。


「リーゼロッテちゃん!? 何してるの! ニーラペルシ様は目がちょっと細いだけで……!」


 アーニャが慌ててリーゼロッテを引っ張る。


「いいのですよ、アニヤメリア。それより、貴女に伝えることがありやって来ました。少し場所を移しましょう」

「は、はい!」


 アーニャは姿勢を正し、ニーラペルシの後ろをついていった。




 里から少し離れた山中で、ニーラペルシは足を止めた。そこには人影がもう二つ。


 一人は、年の頃は十四、五歳だろうか。短く切り揃えられた深い青色の髪に白いスボン、赤色の靴とハーフコートを身につけた少女。それから……、


「ユーリティリア? 貴女まで何故ここに……?」

「久しぶりね、アニヤメリア。それにしても、相変わらず鈍臭いわね。まーだ救済の目処も立ってないなんて」


 その言葉に、アーニャは照れたように笑う。


 黒くウェーブ掛かった長い髪。

 肩の出た紫色のロングドレスを着たユーリティリアだが、何より特徴的なのはまつ毛だ。

 左のまつ毛だけ、まるで孔雀の羽根のように長く、鮮やかな色合いをしている。


「リーゼロッテちゃん、クララさん。こちらの方はニーラペルシ様。上位神様の一柱ですっごい方だから、失礼のないようにね。それとこっちはユーリティリア、私と同じ下位神の一柱だよ」

「同じ呼ばわりはやめてくれる? あんたと違ってこの前も一つ世界を救ってきたところなのよ?」

「ご、ごめん……」


 ユーリティリアに睨まれ、アーニャは目を伏せた。


「アーニャと同じ……神様……?」

「む……神様? ……ウェイトアモーメント、説明プリーズ」

「詳しい説明は……彼らが来てからにしましょう。それよりも、アニヤメリア」


 ニーラペルシがアーニャを見つめる。


「はい! お話というのは、何でしょうか……?」


 表情を窺うように上目遣いのアーニャに対して、ニーラペルシが手の平を向ける。すると──、


「え……!? お待ちくださいニーラペルシ様っ、それは私の……」


 アーニャのベルトから『神ま』が離れ、ニーラペルシの手に収まった。


「えぇ。ですが、貴女にはもう不要なものです」


 その言葉に、アーニャは耳を疑った。

 震えながらニーラペルシへと手を伸ばす。


「お、仰っている意味が分かりません……。どうして……」

「安心しなさいアニヤメリア。ティルナヴィアの救済は私たちがちゃーんと引き継ぐから」


 ウィンクしてみせるユーリティリアの言葉に、アーニャの顔が益々泣きそうに歪む。


「どういう……ことですか……? ニーラペルシ様……」

「アニヤメリア」


 ニーラペルシは毅然とした態度で、こう告げた。


「貴女は罪を犯しました。現時点を以って、貴女の神格を剥奪します」

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