第三十四話 豹変
昨晩の宴会は、思いの外楽しいものであった。
結局キタルファに捕まってはしまったが、彼は先代の王──つまりマティルダの父親がどれほど偉大な人物だったか、自分がどれだけ感謝しているか飛鳥に語って聞かせた。
それだけではない。
キタルファは人間社会のことも良く知っていて、人間と獣人の文化や考え方の違いも丁寧に教えてくれた。
まさしく敵を知り、己を知ればというやつだ。
だからこそ、人間が共和国の王になることに、人一倍反対したのだろう。
キタルファだけではない。
アンカーはまだ夫のいないマティルダに代わって、大事なことだからもう一度言うが、結婚の予定がないマティルダに代わって警備隊の訓練や指揮を執っているそうだ。
武闘派で、その強さはマティルダに次ぐとも言われている。彼が大臣になってからは治安も回復したらしい。
三大臣の最後の一人、アルネブは元々はマティルダの乳母と聞いて、二人の関係が納得できた。
アルネブがマティルダを見る時の目、あの目には覚えがある。
社会人になってからは自分のことで精一杯で、アーニャと出会ってからは、地球にいた時よりもっと必死になって。
そんな自分に、母親のことを思い出させてくれた。
ハマールに至っては、自分たちを侵略者と呼んだ時の威圧的な態度はどこへ行ってしまったのか、終始笑顔で、トーマスさんやブリギットのことは責任を持つと約束してくれた。
皆、何も変わらない。
少し姿形が違うだけで、獣人も人間も同じだ。
だから余計に分からなくなってしまった。
焔恭介は、王国は何故獣人をあれだけ敵視しているのか。全面対決の前に、一度王国を見ておく必要があるのかも知れない。
それが、数日前の話──。
どうしても見送ると言って聞かないマティルダとカトル、クララに国境線まで案内され、補給と報告の為に北方司令部へ立ち寄り、ようやく四人はセントピーテルへ戻ってきた。
久しぶりの喧騒を味わいながら中央司令部を目指す。
「はぁ〜さすがは首都ね。人もお店もいっぱいだし、皆楽しそうね」
「そうですか? 無駄に疲れそうで嫌いですけどね、俺は」
「あ、そうか。二人はちゃんと街中を歩くのは初めてだな」
アクセルとリーゼロッテの表情が強張るのを見て、飛鳥はしまったと口をつぐむ。
アクセルは霊装が完成する前に無理やり引っ張り出されたせいで死にそうな目に遭い、リーゼロッテもそれを追う為に夜通し走って。
そもそもアクセルが受けていた実験は技術開発局の本部で行われていた筈。
リーゼロッテはともかく、アクセルにとってセントピーテルは辛い記憶しかない場所だ。
「えと……ご、ごめん……」
「あ? 何に謝ってんだ? つーかてめぇ、最近妙にしおらしい時があるな。気持ち悪ぃからやめろバカが」
「ちょっと。飛鳥はあんたのことを思って──」
しかしアクセルは「ふんっ」と鼻を鳴らし、どんどん進んでいく。
「ごめんね、飛鳥。後で私から言っとくから」
「ううん、僕の方こそ軽はずみなこと言ってごめん」
それから飛鳥は衣料品店の窓に張り付いているアーニャに声を掛けた。
「アーニャ、報告が終わったら買い物に出ようか」
「ハッ!? あ、うん! もちろんそのつもりだよ?! ちょっと買い物とかご飯食べてから〜なんて思ってないからね?!」
必死に否定するアーニャを見て、思わず口元が綻んでしまう。
当然だが、こんな風に出歩くこともなかったし、戦ってばかりだった。
王国の──いや、この大陸の最高戦力に、獣人のトップ。それから──
飛鳥は眼帯に触れた。
こんな力を宿した水城のどかは、一体何者なのか……。
考えてももちろん答えは出ない。なら、今は考える時ではない。
マティルダとの結婚話も問題と言えば問題だが、少しはセントピーテルで休む時間もあるだろう。
少しだけ軽くなった足取りで、飛鳥は再び歩き出した。
中央司令部に着いてすぐ、飛鳥はマリアを呼んだ。
受付にいた女性の顔が引き攣っていたように見えたが、何かあったのだろうか。
少しの間待っていると──、
「皆さん、お帰りなさい。北方司令部から連絡は受けています。任務達成、おめでとうございます」
マリアはいつもと変わらない様子で四人を迎え入れた。
「お疲れのところ恐縮なのですが、陛下がすぐに皆さんに会いたいと仰っていて……」
「大丈夫ですよ。僕も早く陛下に報告したかったので」
飛鳥が笑いかける。
それにマリアは頷くと、四人を謁見の間へと連れていった。
謁見の間へ着くと、ヴィルヘルムとプリムラはもちろんだが、その側にはエミリアとアルヴァが控えていて。
更に奇妙なことに、壁際には装備を整えた兵士が列を組んでいた。
それを見たアクセルが、
「……おい」
小さく飛鳥に声を掛ける。
飛鳥も頷き、「あぁ」と応えた。
そして、ヴィルヘルムの前まで進むと、飛鳥とアーニャは頭を下げた。
「陛下、ただいま戻りました。共和国との同盟ですが──」
「あぁ、報告は聞いたよ。本当に獣人を説き伏せてくるとは、さすがは飛鳥だ」
「ありがとうございます」
ヴィルヘルムの声はいつも通り落ち着き、微笑みを感じさせるものだったが。
部屋の中に流れる殺気に、飛鳥は少しだけ視線を動かす。
「ところで──」
突如、ヴィルヘルムの声色が変化する。
そこには明らかに敵意や警戒心が篭っていて、飛鳥とアクセルは反射的に戦闘態勢を取った。
「雷帝、だったか。随分仰々しい名を名乗ることにしたんだな」
「それは……色々ありまして……。後で報告書にまとめます」
「それには及ばんよ。それで? 獣人たちとこの大陸を支配するつもりかな?」
「なっ──!?」
ヴィルヘルムの口から出た言葉に、飛鳥は愕然とした。
同時に、控えていた兵士たちが武器を構える。
「リーゼロッテ!! アーニャ!! 走れェ!!」
アクセルが怒鳴る。
二人も異常を察知したのだろう。
アーニャがリーゼロッテの手を握ると、二人は入り口に向かって走り出した。
そこへ兵士たちが剣を振り被る。
「誰の許しを得てここを出るつもりだ? 貴様ら」
「あ? 俺だよ」
アクセルの影が蠢いたかと思うと、何本ものムチのようなものが飛び出し、兵士たちを叩き伏せた。
アーニャたちは振り返らない。
二人が無事に脱出したのを見送ると、アクセルの影は天井と柱を破壊し、入り口が瓦礫に埋もれてしまった。
飛鳥もレーヴァテインを構える。
「ヴィルヘルム! これはどういうことだ!? 僕らは大陸の支配なんて考えてない!」
しかしヴィルヘルムは視線を移し、
「エミリア、アルヴァ。伝承武装の
と、二人に命じた。
「りょーかい!」
体に炎を纏いやる気を見せるエミリアとは反対に、アルヴァは溜め息をつく。
「俺のは、こんな場所で使うものではないんだが……」
ブツブツと呟きながらも、アルヴァは飛鳥と向き合った。
それを見てアクセルが邪悪に笑う。
「じゃあ俺は館での借りを返すとするかねぇ。なぁ、チビ女」
「あ!? 今チビって言ったかてめぇ!?」
「あぁ、チビ以外特徴が見当たらなくてなァ」
アクセルは馬鹿にするように笑い続けている。
「ぶっ殺すッ!!!」
エミリアがシグルドリーヴァを構え、アクセルへ向かっていく。
「死ぬのはてめぇだ。──あ?」
アクセルが視線を落とすと、両手両足に真っ赤な鎖が絡まっていた。
「《
マリアが鎖を更に締めつける。
「姉さん!!」
「ナイス! マリア! はああああああああああああああああ!!」
エミリアを包む炎が更に激しさを増していく。
「これでも喰らえッ!! 《
シグルドリーヴァがアクセルの胸に突き立てられた。
エミリアが空いている方の手でガッツポーズを取るが、
「ッ!? 私の炎が……!?」
炎が徐々に小さくなり、代わりに氷がシグルドリーヴァを侵食していく。
「お前、確か『
「だったら……何よ!?」
「足りねぇなァ……」
「はぁ……?」
トンっと小さな音が響く。
アクセルの足が、エミリアの胸を捉えた。
「対第八門用の部隊がこの程度なんざ、哀れで笑えねぇよ」
次の瞬間、アクセルの足先に巨大な重力球が現れる。
「《
トップスピードで撃ち出された重力球が、エミリアを壁に叩きつけた。
「…………!?」
エミリアは声をあげる間もなく気を失ってしまった。
「姉さん!!」
「てめぇもだ」
「きゃあっ!?」
アクセルが自身を捕らえている鎖を引く。
そのまま振り回し、マリアの体が壁を削っていった。
「足りねぇ足りねぇ! 足りねぇんだよオオオオオオオオオオオオオ!!」
あっという間の出来事であった。
倒れ、身動き一つしないアルヴェーン姉妹に、兵士たちが青ざめ武器を下ろす。
その中心で、アクセルは全てを嘲るように笑い声をあげた。
「あのバカ……!」
飛鳥は顔をしかめ苦々しく呟くが、ここで捕まる訳にはいかない。
「ヴィルヘルム! 頼む! 話を聞いてくれ!!」
だが、ヴィルヘルムは飛鳥と目を合わせようともしない。そこへ──、
「余所見とは感心しないな、スメラギ」
空間にポッカリと黒い穴が出現し、そこから巨木のような腕が飛び出した。
それに飛鳥が目を見張る。
「これが、アルヴァの伝承武装……!?」
「──の、一部だ」
「ッ!?」
そしてその穴を押し広げるように腕がもう一本現れ、やがて──、
「何だよ……こいつは……!?」
巨人、というのが飛鳥が知っている言葉の中で、最も適切なものであった。
窮屈そうに穴から現れたその生き物は、肌は浅黒く、鈍い輝きを放つ銀色の兜を被っていて、腕だけが異様に長い、奇妙な姿をしている。
「これは人間……!? いや、でも……!」
「そいつは人間でも獣人でもない。思考も感情も持たないただの兵器だ。心を痛める必要もないから、思う存分やってくれ」
アルヴァが淡々と告げる。
すると巨人が動き出し、駄々をこねる子どものように、飛鳥目掛け何度も何度も拳を叩きつけた。
その動きは想像以上に俊敏で、すぐに壁際まで追い詰められてしまった。
巨人が一層力を込め拳を振り下ろす。しかし──
巨人の腕がひび割れ、雷が噴き出した。
「こんな状況で捕まる訳にはいかない。悪いが、破壊させてもらう」
「やってみせてくれ。丁度耐久試験をしておきたかったところだ」
肩まで粉々に吹き飛ばされ、声こそあげないものの、巨人が苦しそうに身を捩る。
それを眺め、
「次から次へと訳の分からんものを。てめぇら、一体何がしたいんだ」
アクセルは吐き捨て、ヴィルヘルムを睨みつけた。
対してヴィルヘルムは、民に見せるのと同じ、穏やかで優しい笑みを浮かべ、
「そう言ってやるなよ。お前だってその一つなんだぞ?」
さも当然のように告げた。
「……そうかよ」
分かっていた筈だ。
こいつらが、先王が望んだのは、国を護る英雄なんかじゃあない。
こいつらが求めているのは、いつだって──。
分かっていた筈なのに、無性に腹が立ってしまった。
こんな訳の分からないものをいつも見ていてくれて、側にいてくれる、大切な人のことまで否定された気がして。
「そうだよなァ、それでこそ魔王だ」
アクセルは不敵に笑う。
「てめぇらに裁定はいらねぇ。さっさと死を受け入れろォ!!」
アクセルの影から、フラナングの館で見た『女神』が姿を現した。
腐った半身をぎこちなく動かしヴィルヘルムを指差す。
「……全く、父上はこんなものをどうしたかったのかな」
ヴィルヘルムが『女神』を見据える。
その次の瞬間──、
七色に輝く剣が『女神』を貫いたかと思うと、『女神』の体がボロボロと崩れていく。
「がぁっ!? ぐっ……ぐうううううううあああああああ!?」
「学習能力がありませんね、アクセル・ローグ」
悶え苦しむアクセルの目の前にプリムラが下り立った。
「この……クソ
「一部とは言え、あの結界を再現するとは驚きました」
プリムラが興味深げにアクセルの霊装を手の中で転がす。
「やめ……ろ……!」
それにプリムラは少しだけ哀れむような様子を見せる。
だが、それも数瞬のこと。
小さな音を立て、アクセルの霊装が砕け散った。
「──ッ!?」
「アクセル! おい!! しっかりしろ!!」
飛鳥が叫ぶが、アクセルは倒れたまま動かない。
「くそっ!!」
アクセルを助けようと飛鳥が走り出すが、
「同じことを言わせないでくれ。余所見をしている暇はないぞ」
アルヴァが目の前に現れ、飛鳥を蹴り上げた。
そこへ巨人の一撃が襲いかかる。
「ッ!」
柱に叩きつけられ、飛鳥は力なく床へ落ちていった。
「二人を牢へ連れて行け。それと、すぐにエミリアとマリアの救護を頼む」
ヴィルヘルムの命令に、プリムラとアルヴァは無言で頭を下げた。
「待って……くれ……。ヴィルヘルム……」
しかし、飛鳥の意識は真っ黒に塗りつぶされていった。
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