第三十三話 四人目の王
帝国と共和国との同盟──。
周辺国の動向に、水城のどかという予想外の戦力──まだまだ油断できない部分もあるが、大きな一歩と言っても決して過言ではない。
雪解けまで──王国との全面対決まで残り数ヶ月。
このままいけば、きっと望む結果が得られる、
筈だったのに……。
「…………」
部屋に案内されてすぐ、飛鳥は倒れ込むようにソファに座り、クッションに顔を埋めた。
何でこんなことになってしまったんだ……。
突如降って湧いた、マティルダとの結婚話。
「…………」
アーニャの様子を窺おうと、少しだけ横を向き目を開ける。しかしそこには……、
「喉乾いた? 肩凝ってる? 痒いとこある?」
至近距離にクララの顔があって。
でも、慌てたり真っ赤になる余裕もなくて。
「……コーヒー飲みたい……」
飛鳥は呻くように呟いた。
するとクララは一瞬渋い表情を見せるが、すぐにいつもの気怠げな態度に戻り、
「怨嗟の声を撒き散らす深淵の泉を望むか……。さすがはわがあるじー」
飛鳥の横腹を小突いた。
「深淵……? てか怨嗟の声って、君がコーヒー苦手なだけだよねそれ……」
「私淹れてくるから待ってて。台所をお借りできますか?」
アーニャがカトルに声を掛けるが、クララがそこへ割って入り、
「落ち着け人の子よ。客人に手伝わせるとか鴉人族の恥晒しゆえー」
両手でアーニャの肩をポンポンっと叩く。
そのまま椅子まで連れていき座らせた。
「はぁ……。えと、それじゃあお願いします」
アーニャが話し辛そうな様子を見せる。
だが、クララは待ってましたと言わんばかりにその小さな胸を張り、窓から勢いよく飛び立った。
「……あの子はいつもあんな感じなんですか?」
起き上がり、飛鳥がカトルに問う。
「僕たちに敬語など。もっと気軽に声を掛けてください、我が王」
カトルは微笑みを浮かべ頭を下げた。
だから王じゃないんだけど……。
「クララは人付き合いが少し苦手でして。貴方にどう接したらいいか考えているのでしょう。気分を害されたのであれば代わりに謝罪いたします」
「そういう訳じゃないから謝らないでください。不思議な子だなぁと思っただけで……」
「ですから僕らに敬語はお止めください、我が王」
「じゃあ……僕を王って呼ぶのもやめてくれないか? 僕は一応帝国の人間だし」
それにカトルは笑顔のまま黙ってしまう。
しかしその目は笑っていない。
どうやらこのやり取りは意味を成さないらしい。どう伝えても平行線をたどるだけだ。
飛鳥は疲れたように再びソファに横になった。
アーニャがカトルの方を向く。
「あのっ、一つお聞きしてもいいですか?」
「何でしょうか?」
「レグルス家のしきたりに例外とかは──」
「ありません」
カトルは食い気味に答えた。
アーニャが困ったように口をつぐむ。
「この国が興って以来、レグルス家のしきたりが覆ったことは一度もありません。それに、僕も我が王に即位していただきたいと思っています」
「えっ?」
カトルの言葉に、アーニャは首を傾げた。
「マティルダ様を破ったその強さもですが、我が王は損得抜きに僕たち獣人を守ってくれました。僕らの初代は当時の王に心酔し仕えていたそうです。逆に言えば、相応しくない者がどれだけ王権を主張しようとも、アルキバ家が仕えることはありません」
「それはつまり、カトルさんは飛鳥くんのことを……」
「そこまで言わなければ分かりませんか?」
アーニャは首を振る。飛鳥が認められたのが嬉しいのか、その表情は先ほどとは違いどこか誇らしげだ。
反対に飛鳥は申し訳なさそうな表情で黙り込んでしまう。
この世界を救ったら自分はアーニャと神界に戻り、次の救世に向かわなければならない。ここに留まり続けることはできないのだ。
何より──
僕はマティルダやカトルの気持ちには応えられない。僕の心は……。
そこへクララが戻ってきた。何故かまた窓から。
「まいきーんぐ。……むむむ……むー……」
「どうかした?」
眉を寄せるクララに飛鳥は聞いてみた。
しかし返ってきた答えは。
「何て呼ばれたい?」
「へっ?」
突然の問いに飛鳥は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「マティルダちゃんはマティルダちゃんなのだが……。まいきんぐは何て呼べば笑ってくれるのか……」
クララがブツブツと独り言ちる。
何度目か分からないが王になる気はない。でも、彼女の気持ちは嬉しくて、
「飛鳥でいいよ」
と、飛鳥は笑いかけた。
クララが真剣な表情を浮かべる。
「飛鳥……。うん、じゃあそれでー。飛鳥、口開けて。飛鳥ならきっとこの深淵を越えていけると信じてる……!」
だがクララの手にあるのは湯気を立てる熱々のコーヒーだ。
「え? いや……火傷するからカップを渡してほしいんだけど……」
クララは言われた通りにカップを飛鳥に渡すと、
「次は何がいい? 肩揉む? 空飛んでみる?」
飛鳥の周りを回り出した。
やはりカトルとは正反対だ。
見た目もだが、落ち着いた雰囲気のカトルと違い、クララは動いていないと落ち着かないようだ。
「大丈夫だよ、ありがとう」
それを聞いたクララはカトルの元へ駆けていった。
ようやく落ち着けると飛鳥がカップに口をつけるが……。
カトルが扉の横に立ち、微笑みをたたえたままジッとしているのを見て、怪訝そうな表情を浮かべた。
アクセルは監視されているような気がしたのか、警戒するように目を細める。
「まだ何か用か?」
しかしカトルは何を言ってるんだお前はとでも言いたげな顔で、
「貴方に用はありません。主のお側に控えておくのは、臣下として当然のことです」
と、冷たく言い放ち、飛鳥へ視線を戻した。
即座に合わないタイプと理解したのか、アクセルは舌打ちしそっぽを向く。
「二人も疲れただろ? やることがないなら夜まで休んだらどうだ?」
「主より先に休むなど……我が王は僕たちが不要なのですか?」
「そうじゃなくて……」
飛鳥は少し考えた後、威容を誇るように二人にこう告げた。
「なら、これは王命だ。休むのも仕事の内と心得てくれ。僕が必要とした時に、疲れ切った姿を見せる気か?」
「そう仰るのであれば。準備ができましたらお迎えにあがります」
二人はめいっぱい頭を下げた後、部屋から出ていった。
溜め息を吐く飛鳥に、アクセルは楽しそうに笑う。
「様になってるじゃねぇか、王様」
「やめろよ。宴会までに帝国に戻る為の作戦を立てないと……」
「うん。ティルナヴィアの救済が終わったら飛鳥くんは神界に戻らないとだから、現地の人と結婚は無理かな……」
アーニャが考え込んでいた理由が分かったのはいいが、やっぱりショックだ。
現地の人だからとか、マティルダだからではなく、僕は……。
アーニャと一緒にいたいから、もっと言うなら……アーニャに嫁になってほしい。この世界を救ったとしても、アーニャ以外と組めと言われるなら神界に戻る理由もなくなる。
どうしたら伝わるだろうか。でも、それで関係が悪くなるのは避けたいし……。
ふと、リーゼロッテと目が合った。
リーゼロッテが分かるわといった表情で頷く。
「ねぇ、アーニャ。神界に戻るのもだけど、そもそも飛鳥がマティルダに取られて嫌じゃないの?」
それを聞いていた飛鳥とアクセルは同時に咳き込んだ。
いきなりそこ聞くの!? さっきの表情は何だったんだよ!?
「えっ……? 取られるって……確かに飛鳥くんは私のパートナーだけど、私の物じゃないし……いや、物扱いなんて失礼だよ」
飛鳥が「うぐぇ……」と嗚咽を漏らす。
リーゼロッテはダメだこりゃと肩を落とした。
「だからお前はダメ神なんだよ」
「えっ!? どういうことですか!?」
「アーニャ、こいつの言うことなんて気にしなくていいよ。とりあえずお前は表出ろ」
「上等だ」
「いやいやいやいや! 珍しくこいつが味方になってくれたんだから条件反射的に喧嘩売らないでよ!」
そこへ──
ノックが聞こえ扉を開けると、アルネブが立っていた。
「少しよろしいでしょうか、飛鳥様」
「は、はぁ……どうぞ……」
アルネブが持ってきたホットミルクを飲み、三人が幸せそうに息を吐くのを見て、彼女は微笑んだ。
「甘くて美味しい……」
「お口に合って何よりです。マティルダ様も、毎日必ずお飲みになるんですよ」
カップをテーブルに置き、飛鳥がアルネブに声を掛ける。
「あの、アルネブさん。マティルダさんとのことですが……」
「はい。飛鳥様がロマノーへ戻れるよう、私も協力いたします」
アルネブの言葉に皆が耳を疑った。
「いいんですか!? その、マティルダさんとのことは……」
狼狽えるアーニャに、アルネブが微笑む。
「えぇ、もちろんマティルダ様は飛鳥様を好いておられます。まだご自覚はないでしょうが、異性として……。ですが、飛鳥様には他にやることがあるのではないですか? それも、エール一国に収まるようなものではない、とても大きな使命が」
アルネブは静かに、だが確信を持ってそう述べた。
「どうして、それを……?」
「簡単です。マティルダ様が、たった一国の王に収まる程度の男性を好きになる筈がありませんから」
飛鳥が苦笑いを浮かべる。それと同時に、改めてマティルダの凄さを実感した。
こんなにも皆から愛されて、信頼されて。
マティルダとヴィルヘルムなら、王国と和睦を結び、この世界をより良い方へ導いてくれる筈だ。
その為にも、この国に留まってはいられない。
「ロマノーへ戻るお手伝いをする代わりにお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「僕にできることなら」
「飛鳥様の使命が果たされた時は、どうかマティルダ様とのことを考えていただけないでしょうか? 王やしきたりとは関係なく、一人の女の子として」
「それは……」
分かったとは言えない。
期待させて、後で真実を伝えて傷つけるくらいなら──。
「申し訳ございません。困らせてしまいましたね」
アルネブも分かっているのだろう。それでも彼女はマティルダの為に……。
「僕のやるべきことは、いつ終わるか分かりません。その後どうなるのか……僕の望み通りになるのかも、全く分かりません……。だから……」
「……ありがとうございます。今は、その答えで充分です」
アルネブは深々と頭を下げた。
「アルネブさん……」
「いざとなれば、マティルダ様も本気で飛鳥様を我がものにしようとなさるでしょう。それこそなりふり構わず。ですがエールを背負う者としてはそれぐらいでなければ。覚悟しておいてくださいね、飛鳥様」
アルネブの微笑みに裏はない。ないのだが──、
「は、はい……」
得体の知れぬ恐怖を感じ、飛鳥はぎこちなく頷いた。
それからしばらくして、カトルとクララが部屋に戻ってきた。
クララは眠そうに目を擦っている。
どうやら本気で休んでいたようだ。
二人に連れられ広間に入ると、宴は既に始まっていた。
飛鳥を見つけたマティルダが駆け寄ってくる。
「遅かったではないか飛鳥よ!」
「ごめんごめん、ちょっと休み過ぎた」
しかしマティルダは責めるでもなく、飛鳥にグラスを差し出す。
受け取り、広間を見渡すと、長たちに絡み酒をしているキタルファの姿が目に入った。
簡単に受け入れられるとも思っていないが、よく体力が続くなぁなんて考える。
そこへアンカーが近づいてきた。そして──、
「新王がいらっしゃったぞ! もう一度乾杯だ!」
と、グラスを高々と上げる。
歓声があがり、皆が飛鳥の周りに集まってきた。
「ん? お前さんは呑まんのか?」
グラスに手を出さないアクセルに、アンカーが不思議そうに尋ねる。
「あぁ……。今ちょっと体調が悪くてな。俺のことは気にするな」
「そ、そうなの! こいつの分は私が貰うわ!」
リーゼロッテがひったくるようにグラスを二つ手に取る。
アクセルはというと、部屋の隅に置いてある椅子に座り込んでしまった。
飛鳥はそれを見て、
「……やることがまた増えちゃったな」
ボソリと呟いた。
「それじゃあエールの新王! 雷帝、皇飛鳥様に乾杯!!」
アンカーの音頭で広間に皆の明るい声が響き渡る。だが……、
「ん? 雷帝?」
飛鳥がキョトンとするのを見て、マティルダがニッコリと笑う。
「余が考えたのだ! 王だと余やあの憎っくき焔王と被ってしまう、故に雷帝だ! 今後は雷帝と名乗りエールを治めるが良い!!」
「そ、そうなんだ……。えと……」
帝政じゃない国で雷の皇帝を名乗るってどうなんだろう?
とりあえずグラスに口をつけ、飛鳥は目眩を覚えた。
こんなに強い酒は口にしたことがない。
周りを見ると、皆当たり前のようにおかわりをしているし、アンカーに至っては樽を担ぎ上げ侍女たちを慌てさせる始末だ。
獣人はアルコールに対しても人間より強いらしい。
そこへマティルダとアルネブが料理を運んできた。
「飛鳥、遠慮せずに食べるのだ! 王は体が資本だからな!」
「うん、ありがとう」
料理を口へ運び、飛鳥は目を見開いた。
素人の舌でも分かるほど丁寧に調理された新鮮な食材たちが口の中で踊る。
あっという間に疲れが吹っ飛んでしまった。
「飛鳥様、それでは手筈通りに」
アルネブに耳打ちされ我に返る。そしてアーニャに目線を送った。
アーニャは頷くと、
「マティルダ様、飛鳥くんとの結婚についてお話が」
「む? 貴様は確か……アーニャとか言ったか。我が夫を治療した褒美を取らせよう。何が良い?」
「いえ、褒美は……。それより、飛鳥くんとの結婚をやめていただきたいのです」
マティルダを見据え言い放った。
それを聞いたマティルダの表情が一変し、体から闘気が起こる。
「訳を聞こうか、アーニャよ」
アルネブと立てた作戦はこうであった。
適当な理由をでっち上げ、結婚はできない、帝国へ戻ると伝える。
当然マティルダは納得しないだろう。そこでアルネブの出番だ。
アーニャはアルネブに目配せした後、こう告げた。
「飛鳥くんは既に私と結婚しています。夫を渡す訳にはいきません」
飛鳥とアーニャは祈るようにアルネブへ視線を向ける。しかし……、
「何だ、そのようなことか。ならばアーニャは第二夫人として飛鳥を支えるが良い!」
「「えっ!!?」」
その理由があまりに想定外だったのか、頼みの綱である筈のアルネブは首を傾げた。
「え? あの、第二夫人ってどういう……?」
「どうもこうもない。貴様は王なのだぞ? 世継ぎの為にも妻は多いに越したことはない。第一夫人は余だがな!!」
自信満々に笑うマティルダを見て、飛鳥はアーニャの方を向き、
「ティルナヴィアって一夫多妻ありなの!?」
二人は顔を突き合わせ、アーニャが急いで『神ま』を捲る。そして……、
「た、確かに、一夫多妻を禁じてる法はないみたい……」
「マジで……?」
ならば他の理由を作るしかない。
「あ、えーっと、マティルダ。僕はすぐに帝国に戻らなきゃいけないんだ。今回の成果を皇帝陛下に伝える必要がある」
「心配するでない。それならば余が親書を書こう。カトルよ、届けてくれるか?」
「もちろんです」
「いや、でも……帝国に荷物もあるからそれを持ってこないと……。マティルダとの新生活の為に必要なんだ!」
飛鳥がマティルダの肩を強く掴む。
するとそれが嬉しかったのか、マティルダは上目遣いになり、
「そ、そういうことなら……。しかし、どれぐらいで帰ってくるのだ? あまり待てぬぞ?」
飛鳥を見つめた。
「それは……」
「マティルダ様、飛鳥様だけではありません。マティルダ様にもやるべきことがございます」
飛鳥が口籠もっていると、アルネブがマティルダに話し掛けた。
「余にも? それは何だ?」
「それは……」
「それは……?」
真剣な表情のアルネブに、マティルダは喉を鳴らす。
「花嫁修行でございます!」
「花嫁修行とな!?」
マティルダが目を見開いた。
「はい、侍女たちももちろんお二人のお世話はしますが、殿方というのは妻に何かしてもらうと非常に喜ぶものです。イルヴァ様もご自身で料理をなさっていたでしょう?」
「確かに母上の料理は最高であった」
「今度はマティルダ様の番です。飛鳥様がロマノーに戻られている間、アルネブと一緒に修行いたしましょう」
マティルダはキリッとした目つきで飛鳥に手の平を向けると、こう叫んだ。
「我が夫よ! 聞いての通りだ! 貴様は安心してロマノーに戻り、万事片付けて参れ! その間に、余はより良い妻になる為の修行を行う!!」
「あ、あぁ……そうさせてもらうよ……」
飛鳥が頷くとマティルダは飛鳥の袖を持ち「ふふっ」と笑う。
アーニャもアルネブも安心したように大きく息を吐いた。
和やかな雰囲気に包まれ、夜は更けていく。
だが、誰も気付いていなかった。
運命の歯車が狂い始めていることに──。
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