第三十二話 王家のしきたり

 飛鳥とマティルダ、二人のエレメントが轟音をあげ、大地を揺さぶる。

 ぶつかり合った雷と光はやがて雲を割り、空の彼方へと消えていった。


 声をあげる者は一人としていない。

 誰もが、決着を確信していた。

 手すりから身を乗り出し、土煙に目を凝らしている。


 やがて──


 土煙が晴れ、一つの影が浮かび上がった。

 その影には獣人の特徴である耳と尾が写っていて──。


「マティルダ、様……!」


 誰かが口にした。

 しかし歓声はあがらない。

 観客席から聞こえてきたのは、ただただ安堵の溜め息であった。だが──、


 その影が崩れ落ちる。

 皆が驚愕の表情を浮かべ、息を呑んだ。その後ろに佇んでいたのは……、


「飛鳥くん……!」


 飛鳥はレーヴァテインを支えに、必死に自身の体を支えていた。

 リーゼロッテが思わず歓声をあげアーニャを抱きしめる。

 アーニャも、目に涙を浮かべながらリーゼロッテを抱き返した。


「そんな……姫様が……」


 キタルファが尻餅をつくように、ぐったりと腰を下ろす。

 その隣でアンカーはしばらく拳を握りしめていたが、腕を真っ直ぐ上げ、


「勝負あり!! 勝者!! 皇飛鳥!!!」


 と、吼えるように宣言した。

 アーニャとリーゼロッテが改めて声をあげ飛び跳ねる。

 しかしアクセルだけは、あくまでいつもの態度で闘技場へ続く階段を降りていった。

 二人も慌ててそれに続く。




 勝った、のか……?


 アンカーの声が、やたらと遠くに聞こえる。

 自分の体は今、どんな状態になっているのか。

 立っているのか、それとも倒れているのか。そもそも、全身の感覚もない。


 飛鳥はゆっくりと視線を動かした。

 その先には、うつ伏せに倒れているマティルダの姿があって。

 飛鳥は僅かに口を開き、


「そうか……僕は……」


 そう呟くと、レーヴァテインを掴んでいた手が解け、前のめりに倒れていく。そこへ──、


「何やってんだ馬鹿が。今更倒れるなんざ許されると思ってんのか?」


 アクセルが飛鳥の体を受け止めた。


「…………ありがとう」


 飛鳥がそう呟くと、


「礼なんていらねぇよ、気持ち悪ぃ」


 アクセルは舌打ちした。

 飛鳥が少しだけ困ったように笑う。


「飛鳥くん!!」


 アーニャの声に飛鳥はゆっくりと顔を上げた。


「アーニャ……」


 そのままアーニャが飛鳥を抱きしめる。


「凄い! 本当に凄いよ飛鳥くん! あ! すぐに手当てするから座って!」


 だが飛鳥もアーニャを抱きしめ、


「アーニャ……信じてくれて……ありがとう……」

「……うん」


 礼を述べる飛鳥に、アーニャは優しく微笑んだ。

 そこへ、長たちが覚束ない足取りで近づいてくる。

 しかしその表情に失望や悔しさはない。

 むしろそれがマティルダへの非礼であるかのように、皆口を固く結んでいた。

 その中から一人、雪のように真っ白な髪の小柄な老女がマティルダの元へ駆け寄り、


「マティルダ様……」


 マティルダの頭を膝に乗せた。


「アルネブ……」

「はい」


 マティルダが目を覚ますと、アルネブは慈しむように頭を撫でた。

 その表情は子を見守る母親のようにとても優しいものだ。


「アルネブ、すまない……。余は……余は、負けてしまった……」


 マティルダの顔は、その勇ましさからは想像もつかないほど、酷く悲しそうに歪んでいる。


「何を仰るのですか、マティルダ様」


 アルネブはマティルダの頬へ触れ、


「立派なお姿でした。イルヴァ様も、きっと許してくださいますよ」


 と、優しく囁いた。するとマティルダは大粒の涙を流しながら、


「うん……うんっ……」


 腕で顔を隠し、声を殺して泣いた。






   ◆


 二人の手当てを終え、場所はエール城の謁見の間──。


 謁見の間と言っても、やはりヴィルヘルムのものとは大違いだ。豪華な調度品があるわけでもなく、少し広めの会議室、食堂といった印象だ。

 長いテーブルの片側にはマティルダとアンカー、アルネブ、キタルファの三大臣が座り、その後ろの壁際には集落の長たちが立っていた。

 飛鳥たち四人は反対側に腰を下ろし、マティルダの言葉を待っている。

 だが、キタルファだけ真っ青な顔でやたらと汗をかいているのを見つけると、


「ねぇ、アーニャ。あの人、大丈夫かな? 体調悪そうだけど……」

「あー……」


 アーニャは観客席でのキタルファの癇癪を思い出し、


「多分、あれがいつもの状態だから大丈夫だと思うよ」


 そう耳打ちした。


「さて、飛鳥よ」


 マティルダが口を開く。


「貴様の戦いぶり、真見事であった! 余の完全敗北というやつだ!」


 その表情はとても嬉しそうなもので──、


「それじゃあ……!」

「あぁ!」


 良かった。これで帝国と共和国の同盟が成立する。後は……、


 胸を撫で下ろす飛鳥であったが、マティルダから飛び出た言葉に愕然としてしまった。



「レグルス家のしきたりに従い、余は貴様の妻となろう!!」



「…………はい?」


 飛鳥だけではない。アーニャもアクセルもリーゼロッテも、皆一様にぽかんと口を開けている。

 その途端──、


「だから決闘なんて反対だったんだあああああああああああああああああああああ!! よりにもよって人間となんて……イルヴァ様に何とご報告すればいいのだあああああああああああ!!!」


 キタルファが雄叫びをあげ、机に突っ伏した。


「ありのままをご報告すれば良かろう。王家はそうやって続いてきたのだぞ」

「やかましいわアンカー!! お前はそれで良いのか!? アルネブもだ!!」


 話を振られたアルネブは微笑み、


「私はマティルダ様のご意思に従うまでです」


 あくまで悠然と構えている。


「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ……!! 姫様!! 姫様はそれで良いのですか!!? エールの王位に人間が就くことになるのですぞ!!?」

「うむ! 良い!!」

「何でだああああああああああああああああああああああああああああ!!!??」


 キタルファは頭を搔きむしり、椅子から転げ落ちてしまった。

 その姿に、集落の長たちは苦笑いを浮かべている。


「今宵は前祝いだ! とびきりの馳走を用意する故楽しみにするが良いぞ、飛鳥! アルネブ、婚礼の儀から飛鳥の戴冠式までの段取りをそなたに任せるが良いか?」

「もちろんでございます。では良き日取りを占いましょう」


 アルネブは笑顔で頷いた。その提案に対して、


「おぉ、そうだな! では明日にでもおババを呼んで占ってもらうとしよう!」


 マティルダは興奮した様子で叫んだ。

 するとハマールがマティルダへ近付き、


「マティルダ様、おめでとうございます。では我々は集落へ戻り、マティルダ様のご成婚と新王の即位を皆に伝えます」


 恭しく頭を下げた。

 しかしマティルダはそれに首を振る。


「何を言うかハマール! それは明日でよい! そななたちも今宵の宴に参加せよ!」

「ありがとうございます。では、マティルダ様の仰せの通りにいたしましょう」


 ハマールがそう言うと、他の長たちもお辞儀をした。

 そんな和やかな空気が流れる中で、飛鳥はようやく隙を見つけ立ち上がる。


「いや、あの! 僕とマティルダさんが結婚ってどういうことですか!? 僕らは同盟締結の為に来ただけで……」


 それに対し、獣人側が皆不思議そうな表情を浮かべるが、マティルダは喜色満面でこう告げた。


「マティルダと呼ぶがよい! 我が夫よ! レグルス家は何故か女系の家でな! 決闘で結婚相手を決めているのだ! 亡き父上と母上もそうやって結ばれたし、お祖母様もそうだぞ!」

「えっ!? でも僕らの決闘はそういう意味じゃ……」

「そういう意味だ!」


 そしてマティルダは飛鳥の元へやって来ると頭を下げた。何かを催促しているのか、時折耳がピクピクと動く。

 アーニャがいち早く反応するが、リーゼロッテによって阻止されてしまった。

 マティルダは尻尾を振り、「まだか?」といった様子で飛鳥の顔を窺っている。


 撫でろってことなのかな……? それにしても、何でこんな話に……。


 飛鳥が一応手をあげると、キタルファが恨めしそうな声で、


「撫でるということは、結婚を受け入れることだぞ皇飛鳥ぁ……!」


 と、飛鳥を睨みつけた。


「えっ!?」


 キタルファの言葉に飛鳥が目を見張る。

 だが、その一瞬が命取りとなってしまった──。


 開かれ、途中まで上げられていた飛鳥の手の平にマティルダが頭を擦りつけた。


「「うわああああああああああああああああ!!!???」」


 飛鳥とキタルファが同時に叫び声をあげる。


「うむ! これで良い!」

「良くないだろ!? しきたりだからって無理に結婚することは──」

「無理にではない! 余は貴様を結構気に入っているぞ? 民を愛し、守る為に先頭で力を振るう。それは正しく王の姿である! それに貴様、中々良い顔をしておる。体も……ちゃんと鍛えられているな!」


 マティルダが飛鳥の体をベタベタと触る。

 飛鳥は悲鳴にも似た声をあげた。

 しかしマティルダは心底満足そうに「ふふっ」と無邪気に笑う。

 この場でその笑顔を壊すほど、飛鳥は鬼にはなれなかった。

 と言うより、それで機嫌を損ねて同盟を破棄されては元も子もない。


「宴まではゆっくり休むがよい。カトル、クララ。飛鳥たちを部屋へ案内するのだ」

「はっ」

「かしこまー」


 城まで案内してくれたカトルの隣に立っている少女──クララも鳥人族のようだが、カトルとは真反対で背は低く、ツインテールの髪の毛も羽根もアルネブと同じく真っ白であった。

 服も、カトルの白いコートに対して、クララは真っ黒なワンピースとストールを身に着けている。


 二人は飛鳥の前に膝をついた。


「改めまして、カトル・アルキバと申します。今朝の無礼をどうかお許しください、新たなる我が王」

「いやだから……僕は王にも夫にもなる気は……」

「こちらは双子の妹のクララと申します。アルキバ家は代々、レグルスの家に仕えてきました。これからは僕たちに何でもお申し付けください、我・が・王」

「あの、だから……」


 そこでクララの視線に気付く。

 彼女は飛鳥の顔をジッと見つめ、


「まいにゅーきーんぐ、よろよろー」


 と、舌足らずな声で挨拶をした。


「えぇと……」


 見渡すと、新王の誕生を歓迎するように、皆笑顔を浮かべている。

 飛鳥は心の中で頭を抱えた。


 何でだ……何でだぁぁぁぁぁぁぁぁ……!

 何でこんなに歓迎ムードなんだよ! もうちょっと抵抗見せてくれよ!

 共和国の人たちって人間嫌いなんだろ!? キタルファの態度が正しいんじゃないのか!?

 何あっさり受け入れてくれちゃってるの!?


 そして恐る恐るアーニャたちの方へ振り返る。


 アーニャは考え込むようにこちらを見てはいるが、気分を害した様子はない。

 正直それが一番ショックだ。

 リーゼロッテは気持ちを理解してくれているのか、ハラハラとした表情で状況を見守っている。


 そして……、


 アクセルの顔には「結婚おめでとう新国王(笑)」と書いてあって……。


 飛鳥はぐったりと肩を落とし、カトルたちに連れられ謁見の間を後にしたのだった。

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